Masukしばらくの間、ふたりの会話は楓自身の話ばかりだった。 冬真とのこと、亮との決別、そして外科に戻る決意――。 ワインを少しずつ飲みながら笑い合っていると、ふと楓は真琴の顔をじっと見つめた。「……そういえばさ。昨夜、真琴はあのあとどうしたの?」 楓がそう問いかけると、真琴は一瞬だけわざとらしく目をそらし、唇の端を上げてニヤッと笑った。「ナイショ」 その言い方があまりに含みがありすぎて、楓はすぐに察した。「ねぇ、その“ナイショ”って……。あの、凛夜って子。連れて帰ったの?」 探るように視線を細めると、真琴はワイングラスをつまみ、優雅にくるりと回した。「想像にお任せします」 あくまで余裕の表情。 楓はむくれた顔つきで身を乗り出す。「ずるいなー! 自分のことは言わないつもりなのね!!」「ふふっ、ほんとかわいいね、アンタ」 真琴は大笑いしながら肩を揺らしたが、次の瞬間、ふっと真剣な顔に戻った。 表情の切り替えが早いのが、彼女らしい。「ねえ、それで……外科に戻る決心はついたの?」 その問いに、楓も自然と背筋を伸ばした。 彼女の瞳に宿る真剣さに、楓は真正面から向き合う。「うん。もう、決心はついてる。あと2週間は休暇だから、その間にどこの病院にお願いするか考えるつもり」「そっか……」 真琴は満足そうにうなずいたあと、ふと「あっ」と何か思いついた顔をした。「ねぇ、慎は?」「慎って……慎一?」「そう。ほら、慎一のパパって大学病院の教授かなんかじゃなかったっけ?」 真琴が首を傾げながら言うと、楓の脳裏に、ある記憶がゆっくり浮かび上がってきた。後藤慎一(ごとう しんいち) / 32歳 企業法務・医療訴訟を得意とする弁護士。 落ち着いた声。 少し皮肉屋で、でも誰より優しかった横顔。 大学2年の頃、友人に誘われて参加した他大学との合同コンパ。 人混みの中で、妙に落ち着いている男性がいて、それが慎一の最初の印象だった。 恋愛感情はお互いに薄々あったのに、踏み出せなかった。 お互いが冷静すぎて、タイミングを逃した。 楓が亮と付き合い始めたときも、慎一は責めず、ただ距離を置いた。(……連絡すら、ほとんどしなくなったんだよね) でもそれは怒っていたからではなく、彼の優しさゆえだった。 そして――。(慎一の父、
料理が少し減った皿を前に、真琴はワインを揺らしながら、にやにやした視線を楓へ送ってきた。 その表情で、次に何を聞かれるのか楓はもうわかっていた。「で? 冬真くんと、あのあとどこへ行ったのよ?」 ついに核心に触れてきた。 真琴の声音は軽いのに、その目はまるで獲物を逃がさない獣のように鋭い。 楓はグラスを指でなぞりながら、ふと昨夜の感触を思い出していた。 昨夜――胸の奥に熱が灯り、呼吸もままならなくなった夜のこと。 冬真に抱きかかえられるようにしてホストクラブを出た瞬間、 外の冷たい空気に触れる間もなく、二人の唇は再び激しく求め合っていた。 ドアが閉まる音すら、もう耳に入ってこなかった。 冬真の手は楓の腰をしっかりと抱き寄せ、 楓の背中まで熱が流れ込むようだった。 唇が離れたとき、楓は自分がどこに立っているのか、一瞬わからなかった。(……私、どうなっちゃってるの?) 呆然としたまま冬真に支えられ、彼が止めたタクシーへ半ば引き込まれるように乗り込んだ。 ドアが閉まると、世界がふたりだけになった。 けれど――タクシーの中では、奇妙なほど何も話さなかった。 沈黙。 暗闇。 近すぎる距離。 触れれば再び崩れ落ちてしまいそうなほどの熱。 冬真はただ、楓の手を離さなかった。 タクシーが停車したとき、楓ははっと我に返る。「ここは……?」 窓の外には、高層の豪華マンションがそびえていた。 ライトアップされたエントランスが、ホテルのように華やかだ。「俺の家」 冬真はそう言って、ドアを開けた。 その横顔は、甘くも鋭くも見えて、楓の心臓が跳ねた。 エレベーターへと導かれ、乗り込む。 静かにドアが閉まる――その瞬間。 冬真は楓を力強く抱きしめ、唇を重ねてきた。 息を奪われるような、深くて熱いキス。 背中に回された腕の温かさに、楓の心が完全に溶けていく。 部屋のドアが開くと同時に、すべての理性が崩れた。 部屋に入った記憶は曖昧だ。ただひたすら、お互いを求めた。 キスをしながら廊下を歩き、 肌に触れる指先が熱くて、 お互いの服を急くように脱がせ合い―― ベッドに倒れ込んだ。 何度も、何度も。 まるで離れたくないと証明するかのように、激しく愛し合った。 楓は自分がこんなふうに誰かを求
翌日の夜。 マンションで一人、カモミールティーを飲みながらソファに沈んでいた楓のもとに、スマホの着信音が鳴り響いた。 画面を見ると、真琴。 何となく予想はついていたが、胸の奥がぴくりと跳ねる。「……はい、もしもし?」 応答した瞬間、スピーカーを震わせる勢いで声が飛んできた。『ちょっと! 昨夜の話、全部聞かせなさいよ!!』 楓は思わずスマホを耳から離した。「ちょ、ちょっと真琴、声大きいって……!」『誤魔化しても無駄! 今日の夜、軽くご飯行くから。逃げたら許さないからね!』 逃げる余地など最初から与えられていない調子に、楓は苦笑した。「わかったよ……行くから。場所、送って」 通話が終わり、メッセージで届いたレストランの名前を見た。 駅近の、落ち着いた雰囲気のイタリアン。真琴らしい選択だ。 店のドアを開けると、静かなジャズが流れ、穏やかな照明がテーブルを照らしていた。 奥の席で真琴がすでにワインを片手に座っている。「ごめん、おまたせ」 楓が向かいの席に腰を下ろすと、真琴はじぃーっと楓の顔を観察するように見つめた。「なに? どうしたの?」「いや……なんかさ、今日の楓、顔の艶が良すぎない?」 にやりとした表情に、楓は思わずむせそうになった。「ちょっと真琴! 変なこと言わないでよ……。とりあえず、先に何か注文しない?」 楓はメニューを差し出し、話題を変えようとする。 しかし真琴は受け取ったメニューをぱらぱらと開きながら、目だけはしっかり楓をロックオンしていた。「今日はね、ぜーんぶ話してもらうんだから。覚悟しなさいよ?」「……はいはい」 結局、ふたりの好きなものを中心に、パスタとサラダ、前菜を適当に注文し、ようやく本題に入る空気になった。 料理が運ばれてきて少し落ち着いた頃、真琴がジェノベーゼをフォークに巻きつけながら切り込んできた。「――で、昨日は何があったわけ?」 そのまっすぐな視線に、楓は思わず目を逸らした。「どこから話せばいいのかな……」「そりゃ、ホストクラブで冬真くんとキスしてたところからに決まってんでしょ!!」「ちょっ……真琴っ!!」 楓は慌てて身を乗り出し、真琴の口を手で塞ごうとした。「声!! もっと小さい声で話してってば!!」 しかし真琴は周囲をざっと見渡し、肩をすくめた。「誰も
冬真の指先が顎に触れたその瞬間――。 「……ちょっと待てよ」 亮が立ち上がりかけ、その声は低く震えていた。 亜里沙が慌てて引き止める。「やめて! 店の迷惑になるでしょ!」 だが亮の視線は、完全に楓に向いていた。 冬真の腕に抱かれ、 彼の胸元に顔を寄せ、 笑っている楓。 亮の目にはそれが“楓が甘えている”ように見えた。(あいつ……なにやってんだ) 亮は拳を握りしめる。 しかし楓は冬真と目を合わせ、静かに微笑んでいた。「楓さんの好み教えて。どんな男が好き?」冬真に耳元で囁かれ、楓はちょっと照れて言った。「……キスがうまい男……」 冬真の表情がほんの少しだけ熱を帯びる。 そのタイミングで、凛夜と真琴はさらに密着し、わざとらしく笑い合っている。「ねぇ楓、今日来て大正解ね! ほら見て、凛夜くんめっちゃ優しい〜」「真琴さん、それは俺に惚れたってことでいいんですか?」「んふふ……どうかな?」 まるでドラマのように盛り上がる4人の席。 それが亮の席にとっては地獄の光景だった。 楓は亮がこちらを気にしていることには気づいていたが、あちらは新しい彼女を連れているのだから、自分のことに干渉されたくなかった。自分はもう、今の亮を目にした瞬間、すべて吹っ切れた気がした。グラスを持ち上げながら、楓は小さい声で呟いた「メンドクサイ男…」。すると、冬真が楓のグラスを取り上げて、テーブルに置くと、楓の肩を抱き寄せてキスをしてきた。楓は驚いて拒否する間もなく、冬真のされるがままになっていた。隣で真琴と凛夜が気配を消しながらコソコソと囁いているが、楓の耳には何も届かなかった。甘くて気持ちのいいキス……楓は冬真のキスに酔ってしまっていた。唇が離れても、楓はしばらく呆然としていた。冬真が「どうだった?」と耳元で聞いてくる。「うん………」と頷くので精一杯だった。「オレ、これで店上がっちゃうから、このあと、今の続きしない?」と冬真が言う。楓はまだ呆然としていたが、冬真に微笑んで「うん」と答えていた。向かいで見ていた亮も、呆然としている。冬真がスタッフの一人に声を掛けると「行こうか」と楓の腰を支えて立たせてくれる。真琴が「えー!!お持ち帰りー!?」とはしゃいでいる。楓がバッグからクレジットカードを真琴に渡そうとすると、「今度、倍返し
楓と冬真の距離は近く、 凛夜と真琴もわざとらしいほど親密にしている。 その雰囲気は、周囲の席にも自然と伝わっていた。 対照的に、亮と亜里沙の席には微妙な空気が流れ始めていた。 亜里沙が亮の腕に絡みつき、声を弾ませる。「ねぇ亮、今日の担当くん、どんな子かしら?」「さあな。まあ、適当でいいだろ」 亮は気だるげに返事をしながら、ちらりと店内を見回す――楓たちの方へ。 その瞬間、亮の顔が固まる。「……は?」 亜里沙も亮の視線を追い、自分も凍りついた。「え……って、え!? なんであの女がここに……?」 亮は思わず立ち上がりかけ、スタッフが慌てて止めに入る。「お、お客様、席でお願いします!」 亜里沙が亮の腕を掴む。「ちょっと亮、落ち着きなさい!」 しかし亮の視線は、冬真の腕に包まれて笑っている楓から離れなかった。「……誰だ、あいつ」 亜里沙が焦ったように笑う。「ただのホストでしょ? あの女が誰と飲んでたっていいじゃない」「……」「亮には、私がいるでしょ?」 亮は返事をしなかった。 その顔には、怒りとも嫉妬ともつかない影が浮かんでいた。 一方、楓は亮の視線を完全に無視し、冬真と静かに言葉を交わしていた。「冬真くん、演技……上手いのね」「ほんとに思ってるからだよ」「からかわないで」「からかってない。本気で言ってる」 冬真の瞳は、作り物の軽さよりも、どこか真剣な色を帯びていた。 心のどこかで少しだけ救われる。 そのとき、真琴がわざとらしく大声で凛夜に言った。「楓、前より綺麗じゃない? 失恋で磨かれた? やだ〜!」「うるさい……!」 楓は苦笑しながら言い返したが、 その声さえも、亮の方に届くよう真琴が計算して言っていた。「ね、楓。こういうのは“見せつける”のが一番効くのよ」 その言葉に、冬真が楓の顎を軽く指で持ち上げた。「楓さん。本当に綺麗だよ。誰が見てなくても」「……っ」 その仕草は自然で、 そしてどこか亮の心に火をつけるような一打になっていた。
凛夜と真琴の笑い声、冬真の落ち着いた声、グラスの触れ合う音。 楓のいるテーブルは、店の喧騒の中でもほどよく落ち着いた空気に包まれていた。 冬真が楓のグラスに軽くシャンパンを足しながら、柔らかく言う。「緊張、ほぐれた?」「ええ……だいぶ。ありがとう」 楓が微笑み返そうとした、その瞬間だった。「――新規二名、ご案内しまーす!」 スタッフの声が店内に響き、 店の入り口方向から二つの影がこちらへ歩いてくる。 楓は何気なく視線をそちらへ向けた。 そして――呼吸が止まった。(嘘……でしょ……) 明るいライトの下、案内されてくる男女。 男は黒のジャケットを羽織り、 女は白のミニワンピで男の腕にしなだれかかっている。 その二人が、向かいのソファ席へ座る。 ――亮と亜里沙。「……っ」 楓は指先まで一気に血の気が引くのを感じた。 隣に座っていた真琴も気づき、息を呑んだ。 凛夜と冬真も、楓たちの視線を追い、向かいの席に視線を止めた。「……あれ、もしかして」 冬真が低く呟く。 亮と亜里沙は、楓たちの存在にまだ気づいていない。 だが、離れていてもすぐ前の席だ。時間の問題だった。 場の空気が一瞬だけ張りつめ、楓はうつむきかけた。 そのとき、冬真が楓の耳に口を寄せて言う。「――楓さん、アイツ……女が変わったんですね」「え……っ?」 耳元への囁きは優しいのに、その内容は鋭くて、楓は思わず冬真を見上げた。 冬真は楓のグラスにシャンパンを注ぎ足しながら、 片目を閉じてウィンクする。「僕、前から楓さんのこと、いいなって思ってたんですよ」「……!」 思わぬ言葉に目を丸くする楓。 しかし、横から真琴がすぐに腕をつかんだ。「楓、ここで動揺したらダメよ」 真琴は声を低めて続ける。「“あんたなんてもういらない”って態度、貫くの。……ね? 楓先生」 ――楓先生。 その言葉で、楓の背筋は自然と伸びた。 医者としての顔、毅然とした姿勢。 それが心の支えになる。「……わかった」 楓は深く息を吸い、 亮の姿が視界に入らない角度へそっと顔の向きを変えた。 冬真の方を向き、穏やかに微笑む。「冬真くん、さっきの……どういう意味?」 冬真もその空気を読み、身を寄せるように楓へ向き直った。「言った通りだよ。前回来







