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第5話

作者: ラクガキワンちゃん
碧は全身を強張らせ、ゆっくりと振り返った。

その瞬間、世界は鮮血の色に塗り潰された。

「お父さん――!」

喉が張り裂けんばかりの叫びとともに駆け寄り、碧は血肉にまみれた父の亡骸を抱きしめた。

「置いていかないで……お願い……お父さん……目を開けて、私を見て……」

その時、彼女は父が固く握りしめていた一通の手紙に気づいた。血に染まり、赤黒く変色した紙切れだった。

【碧へ

お父さんは安晴くんのところへ行く。

俺がいなくなれば、お前に後腐れはなくなる。

必ず、安晴くんの無念を晴らしてくれ。朗と舞に、相応の報いを受けさせるんだ。

お父さんは空から、ずっとお前を見守っているからな】

碧は血に濡れた遺書を握りしめ、身を削られるような思いで泣き叫んだ。

一夜にして、最愛の人も、自分を最も愛してくれた人も、すべてを失ったのだ。

「あああああ――!」

耐えきれなくなった彼女は、そのまま意識を失い、崩れ落ちた。

どれほどの時間が経ったのだろう。鼻を刺す消毒液の匂いの中で、碧はゆっくりと目を覚ました。

「碧……やっと目を覚ましたか」

朗の目は赤く充血し、目の下には濃い隈が浮かんでいた。

彼は碧を抱き寄せ、心底心配そうな声音で言う。

「碧、義父さんのことは不慮の事故だった。遺体を回収して安全な場所へ移そうとしたんだが……どうしてメディアに嗅ぎつけられたのか……」

朗の言い訳を、碧は氷のように冷え切った心で聞いていた。

父の最期の凄惨な光景と、あの遺書。そのすべてが、目の前の男がどれほど卑劣な偽善者であるかを、一刻一秒突きつけてくる。

「碧、辛いのは分かる。でも、お前には俺がいる。俺のためだと思って、強く生きてくれ。な?」

朗は切実な眼差しで碧を見つめてくる。

碧はそっと目を閉じ、拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込む痛みで、ようやく理性を保つ。

やがて、彼女はバッグから一束の資料を取り出した。

「……これは何だ?」

朗が訝しげに眉をひそめる。

「郊外の寺院に、安晴くんと父の永代供養墓を設けたいの。手続きに必要な書類にサインをいただけないか」

碧は感情を排した声で答えた。

朗が中身を詳しく確認しようとした、その時だった。電話が鳴る。

『お兄ちゃん……お腹が痛いの。病院まで連れて行ってくれない?』

受話口から、舞の甘ったるい声が流れてきた。

朗の表情に一瞬、緊張が走り、彼は慌てて書類にサインを走らせた。

「待ってろ。すぐ行く」

電話を切ると、朗は書類を碧へと差し出した。

「碧、ここではゆっくり休め。葬儀の手配は、俺が責任を持ってやっておく」

朗は碧の額に軽く口づけを落とし、足早に病室を後にした。

碧は受け取った資料の中から、三枚の書類を静かに抜き取った。

離婚協議書、離婚届……そして、株式譲渡合意書。

そこには、はっきりと「朗」の署名が記されている。

碧はその三枚を写真に撮り、弁護士へ送信した。ほどなく返信が届く。

「承知いたしました。離婚届は本日役所へ提出いたします。受理され次第、婚姻関係は解消されます。株式譲渡についても、順次手続きを進めます」

窓の外を見つめる碧の瞳は、研ぎ澄まされた刃のように冷え切っていた。

――朗、舞。一か月後、地獄に落ちるのは、あんたたちよ。

翌日の葬儀。舞は、あろうことか真っ赤なワンピース姿で現れた。

彼女は隆太郎の遺体に軽く一礼すると、碧の前まで歩み寄り、まとわりつくような甘い声を出す。

「碧さん……お悔やみ申し上げますぅ」

一連の惨事の元凶とも言える人物を前に、碧は理性が崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、唇を噛みしめた。

それを見た舞は、蔑むように口元を歪め、碧の耳元へ顔を寄せる。二人にしか聞こえない声で囁いた。

「碧さんって、本当にマヌケね。赤の他人を父親だと思い込んで……葬式まで出すなんて」

碧の瞳が、はっと見開かれた。全身が氷の洞窟へ突き落とされたかのような感覚に襲われる。

震える手で、彼女は白布をめくった。

顔立ちは父と瓜二つ。しかし――父が失っていたのは右足だ。目の前の遺体には、左足がなかった。

「この……っ!殺してやる!」

その瞬間、理性は完全に吹き飛んだ。碧は舞に飛びかかり、全力でその首を絞め上げる。

「お父さんの遺体を、どうしたの!答えなさい!」

涙を流しながら、壊れたように叫び続ける。

「碧、やめろ!何の真似だ!」

異変に気づいた朗が駆け寄り、力任せに碧を突き飛ばした。

「碧さん……私は、ただおじさんに最後のお別れを言いに来ただけなのに……どうして、こんなひどいことを……」

舞は朗の背後に身を隠し、真珠のような涙をこぼしながら震えている。

朗の顔は、冷酷そのものだった。

「碧……一体、何の真似だ」

「朗……分かってるの?この女、お父さんの遺体をすり替えたのよ!」

碧は絶望に満ちた眼差しで、朗を訴えた。

一瞬、その視線に朗の眉がわずかに揺れた。

「お兄ちゃん……私、そんなことしてない。私が臆病なの、知ってるでしょ?そんな恐ろしいこと、できるわけない……」

舞は、さらに白々しく嘘を重ねる。

「碧さん……私を罠にはめるために……おじさんの遺体まで利用するなんて……ひどすぎます……ううっ」

どこまでも白を切るその顔を、碧は今すぐ引き裂いてやりたい衝動に駆られた。

近づこうとした彼女の前に、朗が壁のように立ちはだかる。

「碧……いつから、そんなに見苦しい人間になった。自分の父親だろう……最後に一度だけ、警告しておく。これ以上、舞を陥れようとするなら……俺にも考えがある」

吐き捨てるように言うと、朗は冷ややかに碧を一瞥し、舞を庇うように抱き寄せて立ち去った。

白布をめくり、遺体を確かめようとすらしないまま。

去り際、舞は挑発的に碧へウィンクを向けた。

まるで、「ほら見て。あなたの夫が、最初から最後まで信じるのは私だけなのよ」と告げるかのように。

碧は目尻の涙を拭い、朗に対する最後の未練を、完全に断ち切った。

このままでは終われない。

何としても、父の遺体を見つけ出さなければならなかった。

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