「──
彼は、それをよしとはしない。
元々、
大切な
普段は
「家族に手をかけた者を
視線を決して
『……ははは。本気で言ってるのか? お前、
『本当に新当主になれるとでも? お前、自分が嫌われてるって知らないのか? 皆、お前のわがままさに嫌気がさ……』
「知ってるさ」
華 閻李は両拳を強く握る。高鳴る鼓動、震える唇、そして熱くて透明な涙。それらが視界を滲ませていった。「──小猫、ただいま。遅くなってしまってごめんね?」 三つ編みの男、全 思風は、ゆっくりと愛し子の元へと歩いていく。美しい景色になっていた地を見て驚きながらも、華 閻李の前で足を止めた。「扉の中からこっちへくる方法がなかなか見つからなくて……麒麟たちの力を借りて、ようやくこっちに戻ってこれた……って、小猫!?」 嬉しそうに語っていたが、目の前にいる愛し子の涙に戸惑う。オロオロと、泣かしてしまったことへの罪悪感が、彼本来の冷静さを吹き飛ばした。 動揺しながら愛し子へ、どうしたのかと尋ねる。「し、小猫!? 本当にど……」「思ー!」 彼の言葉を遮るように、愛し子に抱きつかれた。ぎゅうっと、彼の逞しい腰に手を伸ばし、ひたすら泣く。「ど、して……僕、ずっと、待って……何で……」 伝えたい、云いたいことを、上手く言葉にできないのだろう。涙でぐちゃぐちゃになった顔を彼の胸に埋め、中性的な声を響かせた。「小猫……」 ──ああ、泣かせてしまった。この子を泣かせちゃいけないって、ずっと思ってたのになあ。 はははとから笑いする。けれどすぐに神妙な面持ちになり、愛し子を優しく抱きしめた。「待たせてしまってごめんね」「思なんか嫌い! 大っ嫌い!」 そう云いながらも、彼から離れようとしない。むしろ引っつき、ぐりぐりと顔を埋めていく。 ──小猫、嬉しいんだけど……三年の間に距離感、おかしくなってないかい? そう思ったが、口にしてしまえば怒られるだろうと、喉の奥にしまう。 ふと、愛し子を見た。が、彼は固まってしまう。 愛し子が、かわいらしい見目で上目遣いをしているからだ。大きな瞳に艶のある唇、火照った頬など。そして漂うほどのいい匂い。みずみずしいほどの鎖骨や、科を作る腰など。あらゆる箇所から神秘的で儚く、美しい色香を伴っていた。 そんな愛し子に
扉の事件から約三年後、禿王朝は変わっていった。 現王である魏 曹丕は、事件の真実……玉 紅明のことを民に黙っていた。そのことに民は怒り、魏 曹丕は失脚。現在は皇帝不在という、國にあってはならぬ状態となっていた。 それでも民は頼りない王など要らぬと、さして驚きはしない。 そして変化があったのは人だけでなかった。仙人という、人知を越えた能力を持つ者たちも同様である。 白、黄、黒。この三仙は黒 虎明と黄 沐阳を筆頭とし、ひとつの族へと統合した。 荒事や戦場は、武人でもある黒 虎明が担当。 事務や経理などの、頭を使う仕事は黄 沐阳が担っていた。 ふたりはときおり意見の食い違いで衝突することもあるが、口喧嘩だけで終わる。あの戦いをくぐり抜けた者同士、何かを感じるようだ。ふたりは何だかんだいっても、お互いの足りない部分を補って族を引っぱっていく。 すべての元凶を知り、数々の嘘を重ねてきた爛 春犂。彼もまた、先へと進むためにある決断をした。 それは……「……もう、寝たい」 豪華な机に両肘をつけ、深々とため息をつく。天井を見上げれば、非常に高い位置にあった。國外から仕入れたという枝形吊灯というものが、明るい光を出している。「押しても押しても現れる仕事……私を殺す気か?」 机の上に山のように積まれた竹筒は、捌いても増えていった。 この状況に嫌気がさしてきたのか、爛 春犂は無表情になる。 爛 春犂は、すべての始まりである殷王朝時代からの生き証人であった。それを知る者はごく僅かである。けれど長きに渡り人々を騙し、國を窮地に追いこんだ人物でもあった。 だからこそ彼の正体を知る黄 沐阳たちは、この任務を与えたのだ。それは皇帝の代わりとして、印鑑押しという業務をこなす。だった。 彼もそれを承諾し、今にいたる。とはいえ、彼は皇帝ではなかった。本当の意味での皇帝業務
全 思風は微笑みながら首を左右にふった。 隣には牡丹をはじめとした、神獣たちがいる。牡丹と椿は動物のように鳴きながら、麒麟に慰められていた。けれど、決して子供の元へ駆けよることはしない。 そんな神獣たちを横目に、彼は苦く笑んだ。愛する子である華 閻李を見、穏やかに微笑む。「小猫、君の部屋に行って一緒に眠ったとき、私は焦ったんだよ。だって、好きな子と一緒の床で寝る事になるんだから」「……思」 黒 虎明に横抱きにされたまま、子供は声を絞りだす。「君の服を買って、一緒に野宿もして。ご飯をいっぱい食べた事には驚いたけど、それでも全て可愛いなって思ったんだ」「す……」 体力の消耗が激しいようで、少年は彼の名を呼ぶことができなかった。それでも両目だけは開けておかなきゃと、苦しさを堪えて彼を見つめる。 彼は子供の素直さに、ふふっと笑んだ。天を見上げれば、硝子のようにひび割れが起きている。ときおり、パラパラと粉末のようなものが落ちてくるが、視線を子供へと戻した。「……扉の中は間もなく、元へと戻るだろう。だけどそうなったら君たち人間は、ここにはいられないんだ。私や麒麟たちのように、人ではない者だけが住める。それが扉の中……桃源郷の正体だ」 一連の事件は全て、桃源郷を求める者が起こしていた。けれどその者ですら、この扉の中全てが桃源郷にあたるとは知らなかったよう。 闇に蝕まれていた四不象は両目を大きく見開き、小首を傾げていた。「──黄 沐阳、私はあんたを認めるよ。あんたが頑張って変わろうとしている姿を、しっかりと見てきたからね」 ふと、彼は黄 沐阳を凝視しする。 黄色の漢服を着た青年は、突然誉められたことに慌てふためいた。けれどすぐに姿勢をただし、両手を漢服の袖の中で組んで頭を下げる。「ありがとうございます。冥界の王よ。あなたの|助力
彼岸花から生まれたそれは、華 閻李が得意とする武器であった。それが無数に連なり、弾が発射される。 黒 虎明は大剣を盾にして、それらを弾く。しかし彼の持ち味は力強さにある。細かな動きは不得意なため、すべてを弾き返すことは無理であった。打ち洩らしたそれは先のない空間へと飛んでいく。 爛 春犂はそんな彼とは違い、素早さを生かした攻防を繰り広げていた。目に見えぬほどの速さで剣を抜き、居合いで弾を切り刻む。それでも次々と向かってくる弾に、札を用いて応戦した。 黄 沐阳は札で結界を張り、後ろにいる少年を守っていた。眠り続ける子供、そして朱雀と四不象。ひとりと二匹が微動だにしない状況で、結界を作り守護することが精一杯のよう。 額から汗を流し、くっと眉を曲げた。 麒麟たち神獣はそんら彼を助けるため、弾の的になりながら避けている。 ──数では、圧倒的にこちらが有利だ。でも相手は小猫の霊力と能力を使っている。前に爛 春犂が、【霊力や術でなら小猫の右に出る者はいない】って云ってたけど。まさかそれが、こんなかたちで現れるなんて…… どんなに屈強な仙人であっても、戦闘経験豊富であっても、神に近い存在の獣たちであっても、華 李偉というひとりの子供には勝てない。 純粋に闘った場合、勝てはしない。 非凡な才能を持つ子供のことを、この瞬間に誰もが恐ろしいと考えていたようだ。少年への評価が、守られるだけの子供から強者へと変わっていく。「……小猫、皆、君の
闇に飲みこまれ、全てを閉ざした華 閻李は、山よりも高い彼岸花の中に隠れてしまった。 開花すらしない花は力の暴走を始め、扉の中にある世界に異変を催す。 彼らがいる真っ白だったこの場所は、地獄のようにドロドロとした空間になっていった。地、空、空気。それらが全て、漆黒へと変貌してしまう。 けれどそれは、扉の中だけに留まることはなかった。『──王様、人間界の様子がおかしい!』 いち早くそれを察知した麒麟は、急いで白虎と青龍を集める。 白虎の牡丹は地面に大きな円を描いた。青龍の椿はそこに青い焔を吐く。そして麒麟が一声鳴いた。 瞬間、円は鏡のようになる。そこに映るのは人間たちの住む世界の光景だった。 水の都である蘇錫市(そしゃくし)を始め、黄家のある町など。今まで全 思風が、子供とともに訪れた町や関所などが映しだされていた。それらの地域は数々の災厄に合いながらも、何とか立て直すことに成功している。 しかしその成功が、脆くも崩れていく瞬間が映っていた。 地をはじめ、建物や木々など。あらゆる箇所に蒼い彼岸花が現れていた。あるだけで、それ以上のことはない。 けれど、なかには開花しているものもあった。そしてそれに触れた瞬間、人も動物も、生きている者は全て、殭屍へと成り果てていく。当然彼らに噛まれた者は感染し、増殖していった。「……な、何だこれは!?」 爛 春犂たちは驚愕する。黄 沐阳は両目を丸くし、黒 虎明に至っては悔しげに地面をたたいていた。『わからない。わからないけど……拙が体を借りてた女の子を育ててくれてる人たちが、叫んでたんだ』 少女に恩がある麒麟は、彼女の家族となった者たちを密かに守っていた。麒麟の霊力をその人たちに与え、何かあれば気づくように細工をする。 たったそれだけのことだったが、今回は役にたったようだと説明した。 『でもさ。どうなっ
落ちてきた鳥は朱雀だった。ボロボロな身体に、呼吸をするのも苦しそうだ。「鳥さん、大丈夫?」 華 閻李はひとりぼっちの寂しさもあり、鳥へと手を伸ばす。 触ってみれば日差しのように暖かい身体だが、艶はなかった。安物とまではいかないが、お世辞にも毛並みがいいとはいえない。 それでも子供はひとりぼっちの寂しさから逃れようと、鳥を抱きしめた。ほわほわとした、ほどよい暖かさが子供の頬を緩める。「……ねえ鳥さん。僕ね、大切な人に裏切られてたんだ。信じてた人だった。だけど……」 親を殺した事実を知り、全 思風という男を信用できなくなっていた。今までの笑顔や優しさ、温もりすらも嘘だったのだと、涙を交えて語る。 鳥をギュッと抱きしめ、その場で膝を抱えた。首にかけてある汚れた勾玉を握り、視界が見えなくなるまで泣く。 勾玉を首から外し、唇を噛みしめた。「こんな物──」 必要ない。嘘つきがくれた物なんか持っていたくない。そんな思いをぶつけるように、勾玉を投げようとした。 瞬間、鳥が慌てた様子で子供をとめる。バタバタと翼を前後に動かし、首を勢いよく左右にふった。「……何で、とめるの?」 子供の両目から滝のように流れる涙を、鳥は自らの翼で拭く。ふわふわとした羽が心地よいのか、子供は涙を止めた。「どうして? だってこれ……っ!?」 そのとき、少年は突然、強烈な頭痛に襲われる。頭を押さえ、その場に倒れた。心配するかのように近よる鳥に、弱々しく大丈夫だからと伝える。やがて子供は不可解な頭痛に襲われた── † † † † えーんえーんと、賑やかな町中で、ひとりの幼子が泣いている。銀の髪に美しい見目をした子供だ。幼子の足元には猫のぬいぐみが転がっている。 行き交う人々は幼子を一瞬だけ見た。それでも気にすることなく、次々と人々は流れていく。「爸爸、妈妈ぁ、どこぉー?」 どうやら迷子のようだ。泣きながらぬいぐみを抱きしめ、大きな瞳を涙でいっぱいにしている。人形のように精巧な外見を持つ幼子は小さな体に似合わず、声を大きくして両親を呼んだ。「──ねえ、何をしているんだい?」「……っ!?」 泣き崩れる幼子へ影が落ち