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第7話

Author: 花辞樹(かじじゅ)
深雲は二人の子を学校に送ってから、そのまま車で会社へ向かった。

ビルの玄関をくぐると、すぐにアシスタントの江島海舟(えじまかいしゅう)が駆け寄ってきた。

海舟の表情はどこか険しい。「社長、最新情報です。西都製薬の大株主が入れ替わりました!」

その言葉に深雲の表情がわずかに曇る。海舟からタブレットを受け取ると、経済ニュースのトップに目を通した。

【医薬品業界の巨塔・西都製薬株式、構成に激震!元会長の斎藤敬一(さいとうけいいち)が昨夜、持ち株25%を売却。買い手の正体は未公開!】

海舟は深雲の後ろに付いて歩きながら、さらに低い声で続けた。

「社長、調べたところ、その謎の買い手は斎藤氏の25%だけでなく、過去半年で小口株主からもかなりの株を買い集めているとか。合計で、すでに50%以上持っているようです」

過半数の株、それはもう、西都製薬の絶対的な支配者が現れたということだ。

海舟は眼鏡を押し上げる。「社長、西都製薬はうちの最大級の取引先です。戦略提携も、実は奥様が五年前に纏め上げたもので、先月で期限切れです。でも向こうは、再契約の話をずっと先延ばしにしてまして……しかも新しいオーナーの情報も、まったく掴めません」

深雲は無言のままエレベーターに乗り、鏡に映る自分の厳しい顔を見つめた。

「敬一のほうは?何か情報を漏らしてないか?」

海舟は苦い顔で答える。「斎藤一家は今朝の便で海外へ。連絡先も、恐らく奥様しか知らないかと……でも、奥様の今の状態では……」

深雲の顔はさらに険しくなった。

彼は景凪が目覚めたことを公表していないし、そのつもりもない。

そもそも西都製薬が数ある企業の中から雲天グループを選んだのは、景凪の存在があったからだ。

かつて景凪は敬一の奥さんの命を救っている。その恩義で、敬一は雲天グループにチャンスをくれた。さらに、妊娠中の景凪が重圧に耐えながら提出した新薬の企画書は敬一の心を打ち、五年契約が一気に決まったのだった。

深雲の瞳は冷たく光る。「景凪がいなきゃ、雲天グループは生き残れないのか?どんな手段を使ってもいい。三日以内に西都製薬の新オーナーの正体を突き止めろ」

「承知しました」海舟は頭を下げるしかなかった。

深雲は怒りを抑えつつ、オフィスへ入った。ドアを開けると、姿月がデスクを整理しているところだった。

タイトな白いスカート姿で、身を屈めて書類をまとめる姿が美しい曲線を描いている。

深雲は喉がひくりと鳴ったが、意識的に視線を外した。

姿月は振り返り、やわらかく微笑む。「おはよう、社長」

その時、深雲のスマホが鳴った。発信元は自宅の電話。言うまでもなく、景凪からだ。

彼女のことを考えると、嫌でも西都製薬のことが脳裏をよぎり、心がざわつく。

深雲は深呼吸し、いつもの優しい声で電話に出た。

「どうした、景凪?」

「深雲、ひとつ言い忘れてたわ。庭を少し手入れしようと思うのだけど、いいかしら?」

深雲は不機嫌そうに眉をひそめた。

彼女の言う庭の手入れなど、雑草取りくらいのものだろう。

なにせ、あのチューリップ畑は景凪が自分の手で植えた大切なものだ。大きく変えるはずがない。

思い返すと、深雲は可笑しさすら覚える。自分が「チューリップが好き」と何気なく言っただけで、一面に植えて手を傷だらけにしながら世話をしてくれたのだ。

自分が微笑みかけるだけで、景凪は「全てが報われた」と言うような顔をしていた。

彼女の感情はすべて自分を中心に回っていた。最初は、深雲も感動しなかったわけではない。

妻としての景凪は非の打ち所がなかった。

会社で彼を支え、家庭でも全力で尽くしてくれた。

だが、自分には彼女の全てが見透かせてしまう。だからこそ、面白みに欠ける気がしていた。

「家のことはお前に任せるよ。俺は仕事があるから」深雲はそう答え、淡々とした目で姿月に視線を移した。

姿月がヒールの音を響かせて近づき、「社長、会議の準備ができたよ」とわざとらしく言う。

電話の向こうで、その演技じみた声が聞こえた景凪は、冷ややかに笑った。

この時間なら、深雲はちょうど出社したばかり。そんなに待ちきれないのか、と。

彼女は優しく気遣うふりで言った。「じゃあ邪魔しないわ。お仕事頑張って」

深雲は「うん」と返すが、先に電話が切れてしまった。

景凪が、先に電話を切るなんて。

今までは、必ず深雲が切るまでずっと待っていたのに。

「どうかした、社長?」姿月の声が現実に引き戻す。

彼女は小さな顔を上げ、心配そうにのぞきこむ。胸元がかすかに深雲の腕に触れたが、深雲は動じなかった。

姿月はそっと微笑み、さらに近づいて深雲の眉間に手を伸ばし、やさしく揉みほぐそうとした。

「景凪に、何か言われたの?」

今回ばかりは、景凪のせいだった。

でも理由は、電話を先に切られたからなんて、口にできるわけもない。

どこかで、深雲は感じていた。目覚めた景凪は、かつての彼女とは何かが違う気がした。

その時、ドアが開いて誰かが入ってきた。

「おっ、間が悪かったかな?」と、気の抜けた声。「お義姉さんと深雲の邪魔しちゃった?」

姿月は顔を赤らめ、「周藤先輩……」と声をかけて手を引っ込めた。

現れたのは周藤暮翔(すどうくれと)。周藤家と鷹野家は古くからの付き合いで、暮翔と深雲は幼馴染にして大学のルームメートだ。

姿月が出ていくと、深雲はやや責めるように暮翔に目を向けた。

「変な呼び方はやめろ」

暮翔は気怠そうに深雲の前に座り、「他に誰もいないじゃん。大学のときもずっとこの呼び方だったろ?」と言う。

深雲は手元の書類を投げつけたが、暮翔はひょいと避け、今度は真面目な顔になった。「ま、それは置いといて、西都製薬の新オーナーの話、もう知ってるよな?」

深雲は頭が痛そうに返す。「今、正体を調べさせている」

暮翔は身を乗り出し、声を潜めて言った。

「親父から聞いた話だけど、西都製薬の新オーナー、ほぼ間違いなくあの黒瀬家だぞ」

黒瀬家という言葉を聞いた瞬間、深雲の表情はわずかに変わった。

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