All Chapters of 植物人間の社長がパパになった: Chapter 1071 - Chapter 1080

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第1071話

ネットに投稿された動画は、すぐさま探偵の手によってビッグデータを用いて、桃のスマートフォンに自動でプッシュ通知された。そのとき桃は、病室で香蘭の看病をしていた。ようやく一息ついたタイミングで、スマホを手に取り、誰かから連絡が来ていないか確認していたところだった。そんなとき、ふと一件のニュース通知に目が止まった。「衝撃映像――繁華街で女性が突き飛ばされ、後頭部を強打。地面は血の海に!」いつもなら、こういったセンセーショナルなタイトルの動画はスルーしていたはずなのに、なぜかその時は、まるで引き寄せられるように桃はリンクをタップしていた。映像が再生された瞬間、椅子に腰掛けていたはずの桃は、ガタッと立ち上がっていた。画面に映っていたのは――見間違えようもない。ひとりは母の香蘭、もうひとりは、美穂だった。映像はやや遠目だったため、ふたりの会話ははっきり聞き取れなかったが、途中から香蘭がひどく怒り、美穂に向かって歩み寄ったその瞬間、美穂は彼女を思いきり突き飛ばしたのだった。香蘭の身体は階段を転がり落ち、そのまま動かなくなった。動画を見つめながら、桃の手は小刻みに震えていた。まさかあんな人前で、美穂がこんなことをするなんて……唇をぎゅっと噛みしめる桃。その唇はとうに切れ、血がにじんでいたが、彼女は痛みにさえ気づいていなかった。ただひたすら、画面をにらみ続けていた。続く映像には、すぐに菊池グループの関係者が現れ、その場にいた人々に動画の削除を強く求めている様子が映っていた。海は倒れた香蘭を抱きかかえ、急いで車に運んだ。一方、美穂は一度も振り返ることなく、ただこの件は必ず揉み消すように指示して、そのまま立ち去ってしまった。なるほど、あの時、自分が病室に来たとき、海の様子が妙に落ち着かないように見えたのは、これが理由だったのだ。彼はすべてを知っていた。だが、美穂を守り、菊池家の名誉のために、口をつぐんでいた。許せない……どうしても許せない……胸の奥から噴き上がる激しい憎しみは、抑えようとしても抑えきれなかった。母が生死の境を彷徨っているその時、美穂は――もしかすると、のうのうと優雅に日常を楽しみ、もしかすると、あの二人の子どもたちの前で「理想の祖母」を演じていたかもしれない。そう思うだけで、桃は怒りで震えた。できることなら
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第1072話

桃が思い悩んでいるそのとき、ふいにスマホが鳴り出した。美乃梨からの電話だった。今やふたりは別々の国で暮らし、時差もあるため、普段から電話で話すことはほとんどなかった。国際通話の料金だって安くはない。だからこそ、突然の電話に、桃は一瞬だけ戸惑った。けれど、すぐに電話に出た。「桃ちゃん……何かあったの?さっき寝てるときに、夢にあなたが出てきたの。だから、どうしても気になって……絶対に、変なこと考えたりしないでね……」美乃梨の声は不安げだった。今、国内は深夜の三時だというのに。彼女はついさっき、悪夢を見たばかりだった。夢の中の桃は全身血まみれで、彼女に「香蘭を頼むね」とだけ言い残し、静かに去っていった。目を覚ました美乃梨は、いても立ってもいられなくなり、すぐに電話をかけてきたのだ。何かあってからでは遅い、そう思ったのだろう。その声を聞いた瞬間、桃の胸の奥に溜め込まれていた感情が、一気に溢れ出した。――泣きたくなった。これまでの数日間、あまりにも多くのことが降りかかってきた。二人の子どもを奪われ、母はあんな目に遭わされ、誰にも頼れず、ただ一人で必死に耐えていた。その重さが限界を超えたのだろう。堪えていた感情は、もう抑えきれなかった。電話口で泣きじゃくりながら、桃はここ最近起きたことを、一つひとつ話し始めた。美乃梨の記憶に残っているのは、まだ雅彦が桃と子どもたち、そして香蘭にも必ず幸せな日々を届けると誓ったときのことだった。ほんの数か月前のことだ。それが今――これほどまでに崩れてしまっているとは思いもしなかった。美乃梨は、悔しさと心配で胸が押し潰されそうになった。当事者ではない自分でさえ、これほど動揺してしまうのだ。実際にこの苦しみを受けている桃が、どれほどのものを背負っているのか……想像するだけで胸が痛かった。考える間もなく、美乃梨はすぐさま、国外への最短のフライトを予約した。「桃ちゃん、お願いだから泣かないで。今から飛行機に乗って、あなたのところへ行く。だから、それまで絶対に無茶しちゃダメ。約束して。今、おばさまを支えられるのはあなたしかいないんだから。もし、あなたに何かあったら、菊池家が堂々と子どもたちを引き取って、別の母親をつけるかもしれない。それでもいいの?」その言葉が、桃の心に冷たい水を注いだ。はっとして、彼女は自分の頬を軽
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第1073話

以前、清墨の「芝居」に付き合うと約束した後、ふたりはすぐに婚姻届を提出し、斎藤家の本邸でしばらくのあいだ夫婦を演じて過ごしていた。家族の目を誤魔化しきったところで、この家へと移り住んだのだ。外で暮らすようになってからは、体裁を保つために常に一緒の部屋にいる必要もなくなり、だいぶ自由が利くようになっていた。「そういうことなら、運転手に空港まで送らせよう」それが桃の用事と知った清墨は、とくに詮索することもなく、ただ穏やかにそう言って、すぐに使用人を呼び、美乃梨の荷物を車まで運ばせた。「家のことは俺がちゃんと説明しておく。君は気にせず行ってきな。焦って戻ってくる必要はないよ」気遣うような口ぶりでそう言う清墨に、美乃梨の胸には言いようのない感情が広がった。この男は、自分の夫のはずだった。少なくとも名目上は――いちばん近しい存在であるはずなのに、彼の態度は、終始一貫して冷静で、どこか他人行儀だった。たとえこんな深夜に自分が出かけようとしても、理由を訊くことさえしない。要するに、彼は彼女がどこで何をしていようと、まるで関心がないのだ。それでも、こうして細やかに気を遣ってくれる。他の女性から見れば、まさに理想の夫と呼ばれるような存在だろう。もしこの男の心の中に入り込める女性が現れたら、もしこの男の心に深く触れられる女性が現れたら、その女性はどれほど幸せになれるだろう――ふと、そんなことを考えてしまったが、すぐに美乃梨は首を振ってその思考を振り払った。そんな幸運、自分には決して巡ってこない。自分はただの共演者。彼にとってただの「芝居相手」に過ぎない。それ以上でも以下でもない。胸の奥に浮かんだ淡い寂しさを飲み込み、美乃梨は運転手に空港までと告げて、そのまま去って行った。……およそ十時間にも及ぶフライトを経て、美乃梨はようやく目的地の空港に降り立った。桃が手一杯で迎えに来られないことは分かっていたので、彼女は事前に連絡を入れ、タクシーで直接、二人がいる病院へ向かった。病室に着くと、香蘭が静かにベッドに横たわっていた。見たところ外傷もなく、呼吸も安定しているようだったが――いまだに目を覚まさない。かつて元気だった頃の香蘭は、美乃梨にもよくしてくれた。まるで本当の母のように接してくれた彼女のその姿を、こうして見るのは、やはり胸が痛
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第1074話

それに――菊池家ほどの力があれば、たとえ証拠を警察に提出したとしても、きっと何らかの方法で揉み消されてしまうだろう。それに、彼らが誰かに頼んで保釈されるのも、きっと容易い。そんなことをしても、意味がない。美乃梨はしばらく考えた末に、ある案が思い浮かんだ。だが、その一方で、どこか躊躇しているようだった。それに気づいた桃が声をかける。「美乃梨、言いたいことがあるなら遠慮しないで。私たちの間に気遣いなんて要らないから」美乃梨は少し迷いながらも口を開いた。「ひとつ、美穂に復讐する方法があるの。でも、それをやったら、雅彦との関係はきっと、もう元には戻れなくなる。それでも……それでも、本当にいいの?」彼女は心配していた。桃がもしこの件で一線を越えてしまえば、雅彦との関係に戻る余地はなくなってしまう――それが怖かったのだ。けれど、桃は苦笑いを浮かべ、淡々と答えた。「もう、とっくに終わってる。あの人が私を信じようとしなかった、その瞬間に終わってたのよ。それに、彼の母親……今までどれだけ私を苦しめてきたと思う?私が運よく生き延びただけで、今度は母までこんな目に遭って……そんな人間、絶対に許せるわけない……」そう言いながら、桃の唇には冷ややかな笑みが浮かんでいた。美穂の非道な行為のせいで、桃の心に残っていた雅彦への想いは完全に消え去っていた。たとえどんなに未練があろうとも、母を植物状態に追いやった人の息子、再び愛を語るなんて――そんなことをしたら、母の顔をまともに見ることなんてできない。「……じゃあ、はっきり言うね。私たちの力じゃ、菊池家を動かすのは無理。警察を動かしたところで、保釈されるのがオチだし、美穂には過去に精神疾患の診断もある。仮にそれが嘘でも、今さら診断書を偽造して保外治療なんてことにするのは簡単よ。結局、うやむやにされて、少し世間が騒ぐくらいで終わっちゃう。それだけ」桃は目を伏せながら、苦々しく頷いた。それが現実なのだと、認めたくはなくとも、そうだった。「じゃあ……どうすれば、あの人に代償を払わせられるの?」「私たちじゃ無理なら、やれる人にやらせるの。菊池家は、これだけ長い間、権力を振りかざしてきた分、敵も多い。誰かが、いつか牙を剥くのを待ってる。その動画を渡せば、それが引き金になる。彼らを混乱させるには、充分な一手。で
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第1075話

「私たちの仲なんだから、そんなによそよそしくしないでよ」美乃梨は思わず笑みをこぼし、桃の手をしっかり握った。しばらくして、里美が病院に駆けつけた。桃が簡潔に事情を話すと、かつて親しくしていた香蘭の今の姿を目にした彼女は、迷わず看護の仕事を引き受けてくれた。植物状態の患者の世話は、通常の入院患者の看護とは比べものにならないほど大変だ。だから桃は、これまでの給料に加えて報酬を上乗せすると申し出た。しかし里美は首を振り、あっさりと断った。「この前も、あの子の世話を手伝ったときに、仕事もないのに数ヶ月分のお給料をいただいたでしょ? これ以上、桃さんに負担をかけられないわ」そう言いながら周囲を見回し、雅彦の姿が見えないことに気づいた。「そういえば、桃さん。旦那さんは今日は来ていないの?お仕事が忙しいのかしら?」その言葉に、桃の顔が一瞬だけ曇ったが、すぐに首を振り静かに答えた。「彼とはもう別れました。これからは何の関係もありません。その話はどうかしないでください」失言に気づいた里美は慌てて謝った。桃の伏せた横顔に、彼女の胸も痛んだ。あんなに仲の良かったふたりが、こんなにも短い間に……まるで別人のように変わってしまうなんて。まさか……桃さんのお母さんの植物状態が原因? 彼はその重みに耐えきれなかったのだろうか。色々と憶測が頭をよぎったが、そんなことを口にすれば桃をさらに傷つけるだけだと分かっていたため、里美はそっと話題を変えた。「ごめんなさい、余計なことを聞いてしまって。これからは、お母さんのことを任せてくださいね。桃さんは自分のことを大切にして、やるべきことに集中して」「……はい。よろしくお願いします」桃は微かに笑みを浮かべ、頭を下げた。今回、里美に来てもらったのも、そのためだった。母の看護と並行して、彼女自身が取り組まなければならないことがあった。病院を出た桃は会社に向かい、上司に事情を説明した。すると、プロジェクトからの早期離脱と退職をあっさりと許可された。以前、連日の残業のおかげで、病院の設計プランはほぼ完成しており、細かい調整は他のスタッフで対応可能だった。だからこそ、桃は気兼ねなく退職できることになったのだ。退職手続きを終え会社を出た桃は、荷物を抱えて自宅へ戻った。かつて家族の笑い声が絶えなかった家は――今や
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第1076話

「ママ、ぼくたちは元気だよ。これ、こっそり誰かのスマホを借りてかけてるから、あまり長くは話せないんだけど……それだけ伝えたくて。心配しないで、自分のことを大切にして。ぼくたちは大丈夫。しばらく会えなくても平気。きっとまた、会えるから」翔吾は、本当はもっと話したいことが山ほどあった。けれどこの数日間、どれだけ協力的に振る舞っても、彼らの周囲は常に厳重に監視されており、自由な時間などほとんどなかった。今回こうしてスマホを手にできたのも、たまたま掃除のために使用人が部屋に入ってきたタイミングを狙い、太郎とふたりで息を合わせて、こっそり手に入れたからにすぎなかった。だからこそ、時間はとても限られていた。言えるのは、本当に必要最低限のことだけ。一通り言い終えると、翔吾はスマホを太郎に手渡した。「太郎、君も何か言って。終わったらすぐ切って、通話履歴もちゃんと消すんだよ」太郎は静かにスマホを受け取り、口を開いた。「ママ、ぼくたち、ちゃんと助け合ってるよ。変なことはしてないし、大丈夫。ママこそ、身体に気をつけてね。それから……おばあちゃんのことも、よろしくお願い。あれは、おばあちゃんのせいじゃない。だまされてたんだ。だから、責めないて」家に戻ってからの香蘭は、太郎に優しく声をかけ、気遣ってくれた。おかげで太郎の心も、少しずつほぐれていった。だからこそ、桃におばあちゃんを気遣ってほしいと伝えることも忘れなかった。桃の胸が、つんと痛んだ。ふたりは、まだ香蘭が倒れたことを知らないのだ。だからこそ、彼女は頑張って明るく返事をした。本当はもっと伝えたかった。無理しないようにとか、大人とは争わないようにとか――いろいろ伝えたかった。けれどその時、翔吾が慌てた声で「誰かが戻ってきた」と告げ、すぐに通話を切ってしまった。翔吾は手早く通話履歴を消し、スマホを元の位置に戻す。その直後、使用人が慌てた様子で部屋に戻ってきた。ふたりはすぐに部屋の奥へ走り、玩具を広げて遊んでいるふりをする。使用人は机の上のスマホを見つけ、目を丸くした。美穂からは、絶対に子どもたちが外部と連絡を取れないよう厳しく言われていたのに、自分が置き忘れたことに気づいたのだ。ただ、ロックはかかっているし、ふたりの子どもは全く関心を持っていない様子だったため、特に疑うこともなく、そのままス
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第1077話

岐光グループ――地元ではその名を知らぬ者はいない、大企業のひとつだ。豊富な資金力を誇り、さらに噂では、表には出せない強大な後ろ盾を持つとも囁かれている。だがその実態は謎に包まれており、普段から表立った活動は少ないため、内情を本当に知る者はごくわずかだった。かつて、岐光グループは一度だけ、菊池グループと大型プロジェクトの主導権をめぐって激しく争ったことがある。そのときも並外れた資金力と影響力を見せつけたが、最終的には菊池グループに軍配が上がった。――それでも。今、菊池家に対抗できる勢力となれば、他に選択肢は残されていなかった。桃は思い悩んだ末、岐光グループのトップに立つ男――渡辺 清志(わたなべ きよし)に望みを託すしかないと決めた。とはいえ、清志は常に謎めいており、社交の場にもほとんど顔を出さない。今回の件も、清志以外の一般社員には決定権など到底ないだろう。桃は思わず頭を抱えた。けれど、迷っている暇はなかった。桃はすぐに行動に移した。まずは岐光グループ本社ビルの前に張り込むことにしたのだ。無駄に終わるかもしれないが、それでも何もしないよりはずっといい。もし彼が話を聞いてくれるなら、子どもたちを取り戻す突破口が生まれるかもしれない。そう信じて、桃は急いでビルの前へと向かった。中で待たせてもらおうと受付に頼んだものの、警備は厳しく、明確な訪問理由がなければ通してもらえない。思いついた限りの言い訳も通じず、結局、彼女はビルの外で立ち尽くすことに。視線はひたすらガラス扉の奥に注がれ、頭の中ではこれからの会話の流れを何度も何度もシミュレーションしていた。気づけば一時間以上が経ち、次第に退勤する社員たちの姿がビルから流れ出してきた。桃はその一人ひとりを見つめ続け、ある人物の姿を探し続けた。そして――ついに、彼が現れた。年齢は三十四、五。仕立ての良いスーツに身を包み、引き締まった体からは研ぎ澄まされた気配がにじみ出ている。一つひとつの仕草に無駄がなく、成熟した男の色気を自然と纏っていた。桃はすかさず近づこうとした。だがその瞬間、洗練された雰囲気を纏った女性スタッフが、彼女の前に立ち塞がった。「申し訳ありません、お嬢さん。社長に無断で近づくことはご遠慮いただいております」トップに立つ者ともなれば、誰にでも声をかけられては困るのだろ
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第1078話

「待て、彼女を離してやれ」桃のあまりにも必死な様子を見て、ついに清志が声を上げ、警備員に命じて彼女を解放させた。地面に足がついた瞬間、桃はまるで赦しを得たかのように深く息をついた。「ちょうど夕食の時間だし、どうだろう?どこかで食事でもしながら話さないか?」清志はそう言って、桃に手を差し伸べた。彼女は一瞬身を引こうとしたが、自分は今この人に頼らざるを得ない立場だと思い直し、その衝動を抑えて答えた。「……ええ。お任せします」「じゃあ、俺の車で行こう。いい店を知ってるんだ」そう言って彼は、桃の腕を取り、近くに停めてある車へと連れて行く。桃も、大通りで重要な話をするのは避けたいと思い、黙って従った。けれど、その様子を、誰にも気づかれぬ車の中から、ひとりの男がスマホで隠し撮りしていた。動画を撮り終えると、彼はすぐにその映像を、雇い主である美穂に送った。美穂はすでに、桃の母・香蘭が一命を取り留めたことを知っていた。意識はまだ戻らず、事件自体は表沙汰になっていないものの、桃が何かを仕掛けるのではないかと不安に思っていた。だからこそ、美穂はわざわざ人を雇い、桃の動きを監視させている。同時に、彼女が隙をついて雅彦や二人の子どもに接触するのを防ぐ狙いもあった。送られてきた動画を見た美穂は、即座に清志だと見抜いた。菊池グループの敵である彼の顔は、忘れようにも忘れられなかった。画面の中で清志は桃の腕を引き、そのまま車に乗せようとしていた。桃も素直に従っている様子に、美穂は眉をひそめる。――あの女、ほんの少し時間が経っただけで、もう別の男に擦り寄ってるっていうの?つい先日まで佐和にそっくりな男と浮ついていたのに、やっぱり権力と金のある男が好きなのね。だからすぐにターゲットを乗り換えたのか。美穂はそんな桃の軽薄さに嫌悪感を抱きつつ、同時にある不安も胸をよぎった。桃は長い間、雅彦のそばにいた。あの男の性格からして、桃には無防備だったはず。もし桃が事前に菊池グループの機密情報を手元に持っていて、それが清志の手に渡ったら……影響は計り知れない。その考えが頭をよぎった瞬間、美穂はじっとしていられなくなった。すぐに男に指示を飛ばし、絶対に見失うなと念を押す。男は身を引き締め、清志の車がゆっくり走り出すのを見届けると、距離を取りながら尾行
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第1079話

レストランの中。清志は丁寧にメニューを桃に差し出し、好きなものを選ぶように促した。桃は適当に何品かを注文したが、料理になど目もくれず、どうすれば目の前の男を説得できるか、そればかりを考えていた。そんな桃の様子を察したのか、清志は店員にお茶を頼んでから、ようやく本題に入った。「今日は『大事な話がある』とわざわざ訪ねてきてくれたんだろう?でも、君の立場を考えたら、俺に会うだけで旦那さんに余計な誤解を与えかねないと思わないか?」「もう彼とは別れました。理由は詳しく話せません。でも私には、菊池家に関する情報があります。あなたがずっと菊池グループをつぶすチャンスを狙っていることも知っています。だから、協力できるかと思って」無駄な前置きはせず、桃はすぐに本題へ切り出した。清志は少し眉をひそめた。「つまり……雅彦に捨てられて、俺に復讐の手伝いをしてほしいというわけか?」「違います」冷ややかな表情のまま、桃はスマートフォンを取り出し、保存していた一本の動画を再生して清志に見せた。「この女性が雅彦の母――美穂。突き落とされたのは私の母です。私の力では、彼女に正当な罰を与えることはできない。でも、こんな醜聞は、あなたにとっては利用価値のある材料になるでしょう?」その目は揺るぎない決意に満ちていた。「私はただ復讐したいだけ。でもこれはあなたにとって、菊池グループにダメージを与え、拡張を遅らせる絶好の機会になります。だから、お互いに悪くない取引のはずです」清志は再生される動画にじっと目を凝らした。確かに、彼女の言う通りだった。今の菊池グループは勢いに乗っており、清志もどこか攻める隙を探していたところだった。まさか、相手から材料を持ち込まれるとは思ってもいなかった。もし雅彦の母が公の場で他人に暴力を振るい、そのスキャンダルを揉み消そうとしていたことが明るみに出れば――たとえ致命傷にはならなくとも、グループにとっては大きな打撃となる。しかも今は、岐光グループと菊池グループがあるプロジェクトを巡って競い合っている最中。まさに相手の注意をそらすには絶好の機会だ。「この動画、少し検証させてもらっていいかな。突然こうして来られても、本物かどうか見極められないし……下手すると、君と雅彦が共謀して俺を罠にかけようとしている可能性もある」清志は慎重だった。
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第1080話

商人というものは、目的が達成できれば手段にはこだわらない。多くの人がそうであり、清志も例外ではなかった。一方、桃はまさに理想主義者そのものだった。こんな状況にあっても、自分の「信念」を曲げずに貫こうとしている。その頑なさが、清志の目にはどこか融通の利かない愚直な態度のように映った。だが、なぜか嫌悪感はなく、むしろその純粋さに興味を惹かれていた。そんな視線を向けられた桃は、少し落ち着かない様子でそっと目をそらした――ちょうどそのとき、清志の携帯が鳴り、彼は一時的にその鋭い視線を引っ込めた。電話の相手は、先ほど動画を託した部下だった。鑑定の結果、その動画に合成や編集の痕跡は一切なく、完全に「本物」であることが確認された。また、桃の母の容態も調査したところ、現在も病院に入院中で意識は戻らず、事実上の植物状態であると報告してきた。すべてが事実であることを確認し、清志は軽くうなずいて電話を切った。そして、桃に向かって手を差し出す。「桃さん、君の提案、受け入れよう」桃はほっと息をつき、そっと手を伸ばして彼と握手を交わした。ところが――清志はそのまま、彼女の手を離そうとしなかった。咄嗟に引こうとしたが、男の手は微動だにしない。桃は眉をひそめ、低い声で言った。「……清志さん、これは一体どういうつもりですか?」清志は柔らかな微笑みを浮かべ、意外な言葉を口にした。「桃さん、君はもう雅彦とは離婚したよね? 今は自由な身だし、ちょうどいい。実は、君に少し興味があるんだ。一度、付き合ってみないか?」清志はもう四十歳近いが、結婚歴はない。その分、女性との交際経験は豊富で、気に入った女性には惜しみなくアプローチし、飽きればきっぱり別れるタイプだった。ただし、清志は金遣いが豪快で、別れるときも相手に不満を残さないよう配慮していたため、悪い噂が立つことは一切なかった。清志は、離婚したばかりの桃を興味深い女性だと感じていた。最近は心惹かれる女性も少なかったが、彼女にはなぜか特別な魅力があった。さらに、桃はかつて、清志が非常に注目していたプロジェクトを菊池グループのために成功させ、その設計は担当者からも高く評価されていた。彼女の優れた実力が証明されているのだ。そして男というものは、不思議な独占欲を持つ。たとえ愛が冷めていても、かつて自分のものだった存在
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