All Chapters of 植物人間の社長がパパになった: Chapter 1081 - Chapter 1090

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第1081話

「そんなくだらない芝居で、復讐なんてする気はありません」桃は冷ややかに言い放ち、これ以上この話題を続けるつもりがないことは、態度を見れば明らかだった。雅彦との関係は、彼女からあまりにも多くのものを奪っていった。今さら恋だの愛だのに期待する気もないし、自分が誰かの心を動かすほど魅力的だとも思っていない。ましてや、清志のように、人の心の裏も表も見飽きた男が――この男を突き動かすのは、ただ利益だけ。桃が欲しているのも、彼のその力だけだった。美穂に、しかるべき報いを与えるために。それ以上でも、それ以下でもない。けれど、そんな桃の冷淡さにこそ、清志の興味はかえってそそられていた。女のほうから寄ってくるのが当たり前だった彼にとって、まったく靡こうとしない存在はかえって新鮮だった。彼の中に眠っていた支配欲が、静かに目を覚まし始めていた。「そんなに強がっちゃって……もしかして、元旦那に未練でもあるんじゃない? それなら、俺としてはちょっと怖いな。急に心変わりして、俺を裏切ったりしたら――最悪、濡れ衣を着せられることにもなりかねないよ?」「……余計な騒ぎを起こしたくないだけです。あなたも調べたでしょ? 私の話はすべて事実です。自分の母親を傷つけた人間と、もう一度関わろうなんて、そんな気持ちは微塵もありません」「じゃあ、それを証明してみせて。……桃さん、俺にキスしてよ。それだけで、君を信じる」唐突な要求に、桃は目を大きく見開いた。――本気で言ってるの?あまりにもくだらなくて、呆れすら通り越し、怒りすら湧いてこなかった。けれど、清志の目は真剣だった。ただの冗談ではない。この要求を呑まなければ、話はそこで終わる――彼の視線はそう告げていた。もちろん、清志にとってキスなどどうでもいいのだ。ただ、どこまでも冷淡な態度を崩さない桃に、ほんの一瞬でも屈服の色を浮かばせたかった。それだけだった。桃はきつく歯を食いしばり、病室で眠る母の姿を思い浮かべる。そして、今も罪を悔いることもなく、何食わぬ顔で生き続けている美穂の姿を――こんなところで、終わらせるわけにはいかない。拳を強く握りしめ、低く、静かに言った。「……あなたの言葉、信じていいのですね。私がそうしたら、本当に菊池グループを追い詰めるために動いてくれます?」「もちろんさ」清志は心底楽し
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第1082話

桃の身体が、男のたくましい胸板にぶつかり、衝撃で体の片側がじんわりと痺れるように感じた。顔を上げると、そこにいたのは雅彦だった。彼女は反射的に手を振り上げ、迷いもなく頬を打とうとした。だが、その手が振り下ろされる前に、雅彦の手がそれをがっちりと掴んだ。彼女が手を上げたことに、雅彦の表情はさらに冷え込み、鋭い眼差しからは凍てつくような怒気がにじみ出ていた。元々、手首を掴む力は強かったが、怒りのせいでさらに加減を失い、今にも骨が砕けそうなほどの力が加えられていた。桃の頬は徐々に赤く染まり、声ひとつあげず痛みにじっと耐えていた。その瞳には明らかに拒絶と嫌悪が浮かんでいる。一方、突然の乱入で思い通りに事が運ばなかった清志は、最初こそ不機嫌そうな顔をしていたが、入ってきたのが雅彦だと気づいた途端、少し面白がるような表情に変わった。桃の口ぶりからして、彼女はもう雅彦と完全に決別したようだった。なのに、今の雅彦の態度からは、まるで彼女を手放したくないと言っているかのように見える。……だが、それが愛からなのか、あるいは男特有の支配欲なのか。清志には分からなかった。ただ一つ確信したのは――桃は、雅彦に対抗するために使える絶好の駒だということ。彼女に対する興味はますます深まっていった。「雅彦さん、そんなに怒らなくてもいいでしょう?ほら、桃さんの顔色、見てごらんよ?女の子にはもっと優しくしなきゃ。紳士ならね」そう言って、彼は雅彦の手を引き離そうと手を伸ばした。だが、雅彦は冷たく一瞥しただけだった。「清志さん、これは我が家の問題だ。よそ様が他人の家の揉め事に首を突っ込むのは、紳士的とは言えないのでは?」「家の問題?でも桃さんはさっき『もう離婚した』って言ってたけど?しかも、完全に縁を切ったって」その言葉に、雅彦の怒りはさらに強くなった。本来は、母を連れて食事に来ただけだった。だが、偶然にも窓越しにこの光景を目にしてしまったのだ。桃がつま先立ちし、清志にキスをしようとしている――距離があって表情までは見えなかったが、誰の目にも彼女からキスしようとしているのは明らかだった。まるで一枚の美しい絵画のような光景だった。もしその主役が桃でなければ。けれど、考えるだけで腹が立つ。たった三日しか経っていない。それなのに――この女
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第1083話

桃は氷のように冷たい目で雅彦を見据えていた。それはまるで、自分の仇敵を見ているような眼差しだった。しかし、すぐに彼女は気づく。今の彼こそ、まさに自分の敵そのものだと。彼は、彼女から二人の子どもを奪った。彼の母親は、桃の母を植物状態に追いやった。もはや彼に情けをかける理由など、何一つ残っていなかった。桃の鋭い視線が、雅彦の胸を深く刺し貫く。その目に一片のぬくもりも罪悪感も映っていない。ただただ、憎しみだけが燃えていた。――裏切ったのは彼女の方なのに。なぜ、こんな目で自分が責められなければならない?怒りにかられた雅彦は、桃の手首をぐっと掴み、そのまま外へと引っ張っていこうとした。当然、桃は激しく抵抗した。しかし、怒りに燃える雅彦の力に、か弱い彼女が太刀打ちできるはずもなかった。一方、その光景を静かに見つめていた清志は、何も動かなかった。確かに桃という女は面白い存在だが、今ここで怒れる雅彦に正面から挑む価値はまだない。――どうせ、これからも彼女を十分に利用する機会はある。だからこそ、清志は止めるどころか、わざと火に油を注ぐ言葉を投げかけた。「桃さん、忘れるなよ、俺たちの約束」だが、今の桃にとって、そんな言葉にかまっている余裕はなかった。雅彦は口をきかずとも、彼の張り詰めた空気、全身から漂う冷気だけで、怒りが尋常でないことはひと目でわかった。――このまま連れて行かれれば、きっと無事では済まない。まるで狼の口に押し込まれる子羊のように、命を奪われ、骨の髄まで喰い尽くされるのではないかという錯覚にとらわれた。「雅彦、離して!」桃は大声で叫びながら周囲を見渡し、助けを求めた。しかし、清志でさえ黙っているこの状況で、誰が雅彦の敵に回ってまで彼女を助けるだろうか。見知らぬ女のために、菊池グループの怒りを買う者などいるはずもなかった。そのまま桃は、強引にレストランの入口まで引きずられていった。もう逃げられない――そう覚悟したその瞬間だった。「雅彦、あなた、何をしているの?」背後から、美穂の声が響いた。美穂は雅彦の怒りにさほど驚かなかったが、桃を連れて出てくるとは思っていなかった。……もしかして、また家に連れ戻すつもり?そんなことになったら、また同じことの繰り返し。絶対に許せない。「もう桃さんは新しい相手を見つけて、
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第1084話

桃の行動はあまりに唐突だった。その場にいた誰もが一瞬、時を止められたかのように動けずにいた。気づいたときにはもう遅かった。彼女の平手打ちは、すでに幾度も美穂の顔面に叩き込まれていた。日頃から丹念に手入れされていたその顔は、たちまち真っ赤に腫れ上がり、はっきりとした手の跡がくっきりと残っていた。見ていられないほど痛々しかった。ようやく我に返った雅彦は、慌てて桃の腕をつかみ、彼女を引き離した。強く肩をつかみながら、怒りを露わにして言い放つ。「桃!母さんに手を上げたな!?いくらなんでも、年長者に対してその態度はないだろう!」思わず手を振り上げたその瞬間――雅彦は、桃の目に浮かぶ涙を見て、動きを止めた。「……殴ればいいじゃない。どうせあなたの母親が、私の母を植物状態にしたんでしょ?あなたも同じように、私を壊すつもりなの?それでいい、構わない、殺せばいい!でも覚えておいて……私は絶対に、復讐をやめない!」雅彦の表情が、見る間に揺らぐ。――植物人間?復讐?母が関与している?桃の言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。一方で、レストランのスタッフに支えられて起き上がった美穂も、最初は怒りに任せて殴り返そうとした。だが――桃の叫びに、その動きは止まった。……あの件は、たしかに揉み消したはず。どうして彼女がそれを知っているの?雅彦は美穂の顔をじっと見つめた。そこに浮かんでいたのは、明らかな動揺、混乱、そして怯えだった。その表情を見て、事の重大さを直感した。――まさか……本当なのか?「母さん……彼女の言っていること……本当なのか?」雅彦の手は震えずにはいられなかった。香蘭が植物状態になったというのに、自分には何も知らされなかったと、言いようのない恐怖がこみ上げてきた。こんな重大なことを、誰も自分に知らせず、みんなが黙って隠しているなんて。「私は彼女に何もしていないわ!向こうが突然掴みかかってきたのよ!だからとっさに突き飛ばしたら……勝手に階段から落ちただけ。そもそもの原因はこの女が浮気したことにあるの!そのショックで、母親がああなったのよ!」そう言いながら、美穂は桃を睨みつけた。「反省すべきはあなたのほうよ。みっともない真似をして、自分の母親まで巻き込んで……全部、あなたが蒔いた種じゃない!」桃はかすかに乾いた笑いをも
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第1085話

「何よ、その無実のフリは。まさか、『何も知らない』って言うつもり?」桃は雅彦を鋭く睨みつけ、もうこれ以上関わりたくないと強い意志で彼の腕を振り払おうとした。しかし雅彦は手を離さず、しっかりと彼女の手首を掴んだまま、無理やり外に停めてある車のほうへ引きずっていく。その光景を目の当たりにした美穂は、店員に支えられながら茫然と立ち尽くしていた。本来なら、このタイミングで思い切り仕返しをして、桃に思い知らせてやろうと考えていたのに――雅彦は美穂の存在を完全に無視し、ただ桃だけを連れて去ろうとしているのだ。美穂は恥ずかしさで顔を赤らめた。「雅彦、あの女に何を話すつもり? 金を渡して終わりにすればいいじゃない。まさか私をここに置いていくつもり?」「後で運転手に迎えに来させる」美穂の叫びに、雅彦は頭を押さえたくなるような気分だった。彼の中での母のイメージは、ずっと美しい存在だった。しかし今、人を植物状態にしておいてなお、こんな風に偉そうな態度を取っている。どうしても、その現実を受け入れられなかった。結局、雅彦は美穂の怒りも無視し、桃の手を引いたまま車に乗り込んだ。美穂は、二人の背中を見つめながら、怒りに震えていた。追いかけようとしたその時、足元がもつれて転びかけた。本来なら、桃の惨めな姿を雅彦に見せつけて幻滅させるつもりだった。しかし今は逆に、自分の母親を昏睡状態にさせられたという被害者の立場を盾にされて、同情を買う形になってしまった――完全な裏目だった。頬にはっきりと残った掌の跡。こんな状態では外に出て追いかけるどころか、周囲の視線が恥ずかしすぎて耐えられない。むしろ、今すぐ消えてしまいたい気分だった。仕方なく、美穂は店員にアイスバッグを持ってくるよう頼み、それを頬に当てながら永名に電話をかけた。彼女が平手打ちされたと聞いた瞬間、永名の怒りは爆発した。美穂は彼にとって、長年想い続け大切にしてきた女性だった。傷つけられることなど、許せなかった。そんなことをする者がいるとは、菊池グループも自分も侮辱されたようなものだ。場所を聞くと、永名はすぐに駆けつけると言った。電話を終えた美穂の顔に、ようやく少し血色が戻る。この数年、菊池家に居続けてはいたが、永名にはずっと冷たい態度をとってきた。それでも、彼は一度も怒ったことがない。それが鬱陶
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第1086話

「誰があなたの奥さんよ、ふざけたこと言わないで!」桃は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、周囲の人々はどこか納得したような様子を見せた。なぜなら、この男は、ただ立っているだけでも目を引く存在感がある。整った顔立ちに、洗練された雰囲気。どう見ても、女性に困るタイプじゃない。だからこそ、誰も突っ込んだりせず、ただ苦笑いでその場をやり過ごした。その隙を突いて、雅彦は桃の腕を取り、そのまま車へと連れ込んだ。助手席に押し込まれた桃は、何度もドアの取手に手を伸ばして外へ出ようとした。だが、そのたびに雅彦が素早くロックをかける。どうやら本気で、簡単には帰すつもりがないらしい。桃は無理に逃げようとするのを諦め、深く息を吸って気持ちを落ち着けた。「……で、いったい何がしたいの?」「俺は……」聞きたいことは山ほどあった。けれど、警戒心を隠そうともしない桃の目を前にすると、言葉が詰まる。「今回のこと、本当に知らなかった。ちゃんと専門の医師に診てもらうように手配する。お……おばさんのために」雅彦は危うく「おかあさん」と言いそうになり、慌てて言い換えた。かつては自然にそう呼んでいた。でも、もうそういう関係じゃない。自分にそう言い聞かせるように、呼び方を変えた。「偽善のつもり?同情なんていらない。母のことは私がどうにかする。菊池家の人間なんて、誰ひとり信用できない」桃はきっぱりと言い切った。迷いなんて、一切なかった。もう彼とは、完全に敵同士。そんな相手に、母の命を預けられるはずがない。たとえ雅彦自身が手を出さないとしても――美穂が関わっている以上、警戒は必要だ。あの女が他人の命を何とも思っていないことなんて、とっくに知っていた。何をしでかすか分からない。「俺が、そんなふうに見えるのか?おばさんに危害を加えるような人間に……」雅彦は、傷ついたように桃を見つめた。彼女の家族のことも含めて、できる限り気を配ってきたつもりだった。たとえ今、関係がこじれてしまっていても、香蘭が自分に見せてくれた優しさはずっと心に残っていた。医者を探すと言い出したのも、その気持ちからだった。ただの思いやり。なのに――今、彼女の目には、まるで怪物でも見るような眼差しが向けられている。「……あなたがどんな人なのか、もう私には分からない。見えないの。だから、お母さんのことで、あな
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第1087話

雅彦は、突然、胸が締めつけられるような不安に襲われた。いまさらのように気づいた――自分と桃は、もう本当に他人になってしまったのだ、と。かつては、泣きながら必死に信じてほしいとすがってきた彼女が、今はもう、一言たりとも無駄にしたくないと言わんばかりの、冷めた態度をとっている。言葉にならない喪失感が、胸の奥から込み上げてくる。かつて感じたことのない強烈な痛みを伴っていた。ふいに、桃の視線が雅彦に向けられた。その表情に不安の色を読み取り、思わず彼女は鼻で笑った。不安?この男が?不安になる理由なんてどこにあるのだろう。欲しいものはすべて手に入れ、子どもたちは彼のもとへ。自分は家から追い出されたのに、彼は相変わらず堂々とした顔で、何ひとつ失ってなどいない。自分はただ、踏みにじられた土くれみたいなもの。そんな彼が、足元の泥の気持ちなんて気にするはずがない。「言うべきことは、全部言ったわ。もう行ってもいいかしら?母の介護もあるの。あなたとこんな場所で時間を潰している暇なんてない」「……」雅彦は何も言わず、しかしドアを開ける素振りも見せなかった。その様子に、桃は冷ややかに鼻で笑った。「それとも……また、あの手を使うつもり?人目のないところに連れていって、好き放題にするつもり?いいじゃない、どうせ私はもう汚れた女なんでしょう?他の男と寝た私なんて、あなたにとっては気持ち悪いだけじゃないの?それでもまだ、私を縛ろうとするなんて……菊池家の御曹司にしては、ずいぶんと未練がましいのね」自由になるためなら、自分をどれだけ貶めたってかまわない。――どうせ、この男は何を言っても信じないのだから。ならば、弁解など無意味だ。彼女には、まだやらなければならないことが山ほどある。もしこのままどこかへ連れ去られでもすれば――そこで、すべてが終わる。雅彦の目の色が、徐々に曇っていく。桃が、何の迷いもなく裏切りを認めたことに、怒りよりも先に、深い寂しさが胸を満たした。「……つまり、俺たちの関係なんて、君にとっては何の価値もなかったってことか?」その言葉に、桃は思わず吹き出しそうになった。関係?いまさらそんな都合のいい言葉を持ち出すなんて。自分がどれだけ追い詰められてたか、わかって言ってるの?「雅彦。もし人生をやり直せるのなら、私はあなたと出会
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第1088話

相手が桃だと聞いた瞬間、永名の怒りはさらに燃え上がった。あの女がしでかしたことは、到底許されるものではない。だが、子どもたちのことを考え、責めるのをやめ、見逃すことにしたのだ。まさか、ここまで図々しくなるとは。完全に自分を侮っているとしか思えない。「まあ、私にも非はあったのよ。あの日、彼女の母親が突然会社に来て、『子どもたちを返してほしい』って強く迫ってきたの。もちろん断ったわ。言い争いになって、つい手が出てしまって……彼女、転倒して頭を打ったの。そのまま意識が戻らなくて」語る声には、やるせなさが混じっていた。「悪いのは私よ。殴って気が済むなら、それでもよかった。でも、あの子、そのあと岐光グループの清志に接触していたのよ。もし、うちの情報を漏らしていたとしたら……その影響は計り知れないわ」最初、美穂が桃の母を突き飛ばしたと聞いたとき、さすがの永名も何か言おうとしていた。だが、会社の機密が絡むとなれば話は別だ。もはや私情だけで済ませられる問題ではない。「本当にあの女と会ったのか? つまり……菊池家に正面から牙を剥くつもりだと?」「ええ。あの子、私を憎んでいるの。慰謝料を提示したときも、断固として受け取らなかった。私を刑務所に送りたいって、本気で思ってるみたい」「ふざけるな!」永名は、弱りきった美穂の姿を見つめながら、怒りを露わにした。彼女のように誇り高く気丈な人間が、もし罪を背負って服役するようなことになれば、立ち直れなくなるかもしれない。「この件は、私が責任を持って処理する。おまえは心配せずに帰れ。私がいる限り、おまえを刑務所になど行かせはしない」そう言って彼は美穂を安心させ、自宅へ戻るように手配した車に乗せた。その直後、永名は桃の母・香蘭が入院している病院を調べさせ、無駄な時間を惜しむように車を走らせた。病室に着くと、香蘭のベッドのそばには桃が座っていた。隣には美乃梨もおり、二人で今日あった出来事を話している最中だった。そのとき、病室のドアがノックされた。振り返った桃の目に映ったのは永名だった。彼が自分に好意など持っていないことは、桃もよくわかっている。こんなふうにわざわざ訪ねてくるなんて、ろくな話ではないに決まっている。そう思いながら、桃は立ち上がった。「私に用ですか?話があるなら、外でお願いします」美
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第1089話

桃は何も言わず、ただ静かに彼を見つめた。そして淡々と口を開いた。「もし、今この瞬間、病室のベッドに横たわっているのがあなたの最愛の家族で、目を覚ますかどうかも分からない状態だったら。そんなときでも、あなただってそんなふうに冷静に言えるの?お金のために何もなかったことにするの?」永名はしばらく黙り込んだ。――そんなことは、できない。彼には無理だった。もしそれが自分の家族のことなら、全力で相手に責任を取らせようとするに違いない。だが、人間は結局、ダブルスタンダードだ。どんなに理屈が正しくても、身内を切り捨てることなどできない。少なくとも、自分は桃が美穂を刑務所に送ろうとしているのを、ただ見過ごすことはできなかった。「私は違う。自分のやりたいことをやる力がある。だが君はどうだ?桃……君の気持ちは分かる。だが、本当に清志が君を助けてくれると思っているのか?君は彼にとって、ただの駒にすぎない。利用価値がなくなれば、ためらいもなく切り捨てられるだろう」「それでもいいわ。私だって彼を利用しているだけ。お互い様よ。感情なんて入り込む余地はない」そう言って桃は踵を返し、そのまま立ち去った。彼女のあまりの強硬さに、永名の表情は徐々に険しくなっていった。そのとき、海から電話が入った。美穂が人を突き飛ばして重傷を負わせた証拠映像が、岐光グループ傘下のメディアによって公開されたという。ニュースはすでに世間の注目を集め始めていた。そして清志も、この好機を逃さず菊池グループに反撃を仕掛けた。レストランを出るやいなや映像を拡散し、自社のメディアを総動員して大々的に報道。その矛先は、菊池家が権力を振りかざして一般市民を踏みにじっているという非難に向けられた。海も頭を抱えていた。ここまで急激な攻勢に、何の準備もできていない。しかも岐光グループは当地最大の財閥だ。影響力のあるメディアを多数抱えており、敵を潰す際にはそのネットワークを最大限に活用してくる。通常の方法で動画を削除させたり、騒動を収束させたりするのは、もはやほぼ不可能だった。しかもこんなときに限って、雅彦には何度電話しても繋がらない。仕方なく海は永名に連絡を取り、今後どう対応するつもりか尋ねた。まさか桃がこんなに早く動くとは――永名は予想外の展開に驚きを隠せなかった。彼女は本気で美穂の社会的立場を潰そう
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第1090話

雅彦は一瞬、呆然とした。しかし、海がこの件で冗談を言うような人間でないのはわかっていた。気を取り直し、雅彦はすぐに海とともにホテルへと戻った。戻るとすぐに、永名から事情を聞かされた。画面に映る動画を見つめ、目を覆いたくなるような血の跡に、胸が締めつけられる。ようやく、桃が以前口にしていた言葉の意味を理解する。――もし自分が同じ目に遭っていたら、恨まずにいられるだろうか?だが、永名はすでに腹を決めていた。「お前はすぐに母さんと子どもたちを連れて帰国しろ。こんなこと、子どもたちには絶対に知られてはならん」雅彦は唇を動かし、何か言いかけたが、そのとき永名の厳しい視線が彼をじっと捉えた。「まさか、お前……親族を罪に問うつもりじゃないだろうな? 実の母親が警察に連れていかれるのを、黙って見ていろと?」雅彦は言葉を失った。確かに、自分にはそれはできない。だが、ただ黙って去ることもできるのか?桃はきっと自分を恨むだろう。彼女は、最初から自分がすべてを知っていながら黙認していたと思うだろう。「お前が何を考えていようと関係ない。だがな、お前の母親はもう非難に耐えられない。もし取り調べなんかされたら、また病気がぶり返すかもしれない。お前、それでも息子か? たかが一人の女のために、母親を犠牲にする気か?」雅彦は黙り込んだ。何も言えなかった。「しかも、その女はお前を裏切ったんだぞ。そんな女のために、親不孝までして……本当に、それで彼女が感謝してくれると思っているのか?」永名の言葉は、鋭く胸を貫いた。雅彦の顔色はますます暗くなり、やがて静かに頷いた。それが、彼なりの承諾のしるしだった。反論してこない息子を見て、永名はようやく安堵の息をつき、すぐに最短の便を手配させた。雅彦に母と子どもたちを連れて、一足先に帰国させるつもりだった。彼らを空港まで見送ったあと、永名は美穂に優しく声をかけた。「心配しなくていい。私がきちんと処理する。君に危害が及ぶようなことは絶対にない」美穂は無言で頷いた。珍しく、今回は彼の申し出を拒まなかった。彼らが搭乗するのを見届けると、永名の顔から笑みが消えた。そして、隣に立つ海に目を向ける。「今の状況はどうなってる?報道関係はもう押さえられているのか?」海は眉をひそめながら答えた。「メディアの多くは
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