Share

第1078話

Author: 佐藤 月汐夜
「待て、彼女を離してやれ」桃のあまりにも必死な様子を見て、ついに清志が声を上げ、警備員に命じて彼女を解放させた。

地面に足がついた瞬間、桃はまるで赦しを得たかのように深く息をついた。

「ちょうど夕食の時間だし、どうだろう?どこかで食事でもしながら話さないか?」

清志はそう言って、桃に手を差し伸べた。彼女は一瞬身を引こうとしたが、自分は今この人に頼らざるを得ない立場だと思い直し、その衝動を抑えて答えた。「……ええ。お任せします」

「じゃあ、俺の車で行こう。いい店を知ってるんだ」

そう言って彼は、桃の腕を取り、近くに停めてある車へと連れて行く。桃も、大通りで重要な話をするのは避けたいと思い、黙って従った。

けれど、その様子を、誰にも気づかれぬ車の中から、ひとりの男がスマホで隠し撮りしていた。

動画を撮り終えると、彼はすぐにその映像を、雇い主である美穂に送った。

美穂はすでに、桃の母・香蘭が一命を取り留めたことを知っていた。意識はまだ戻らず、事件自体は表沙汰になっていないものの、桃が何かを仕掛けるのではないかと不安に思っていた。

だからこそ、美穂はわざわざ人を雇い、桃の動きを監視させている。同時に、彼女が隙をついて雅彦や二人の子どもに接触するのを防ぐ狙いもあった。

送られてきた動画を見た美穂は、即座に清志だと見抜いた。菊池グループの敵である彼の顔は、忘れようにも忘れられなかった。

画面の中で清志は桃の腕を引き、そのまま車に乗せようとしていた。桃も素直に従っている様子に、美穂は眉をひそめる。

――あの女、ほんの少し時間が経っただけで、もう別の男に擦り寄ってるっていうの?

つい先日まで佐和にそっくりな男と浮ついていたのに、やっぱり権力と金のある男が好きなのね。だからすぐにターゲットを乗り換えたのか。

美穂はそんな桃の軽薄さに嫌悪感を抱きつつ、同時にある不安も胸をよぎった。

桃は長い間、雅彦のそばにいた。あの男の性格からして、桃には無防備だったはず。もし桃が事前に菊池グループの機密情報を手元に持っていて、それが清志の手に渡ったら……影響は計り知れない。

その考えが頭をよぎった瞬間、美穂はじっとしていられなくなった。すぐに男に指示を飛ばし、絶対に見失うなと念を押す。

男は身を引き締め、清志の車がゆっくり走り出すのを見届けると、距離を取りながら尾行
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 植物人間の社長がパパになった   第1079話

    レストランの中。清志は丁寧にメニューを桃に差し出し、好きなものを選ぶように促した。桃は適当に何品かを注文したが、料理になど目もくれず、どうすれば目の前の男を説得できるか、そればかりを考えていた。そんな桃の様子を察したのか、清志は店員にお茶を頼んでから、ようやく本題に入った。「今日は『大事な話がある』とわざわざ訪ねてきてくれたんだろう?でも、君の立場を考えたら、俺に会うだけで旦那さんに余計な誤解を与えかねないと思わないか?」「もう彼とは別れました。理由は詳しく話せません。でも私には、菊池家に関する情報があります。あなたがずっと菊池グループをつぶすチャンスを狙っていることも知っています。だから、協力できるかと思って」無駄な前置きはせず、桃はすぐに本題へ切り出した。清志は少し眉をひそめた。「つまり……雅彦に捨てられて、俺に復讐の手伝いをしてほしいというわけか?」「違います」冷ややかな表情のまま、桃はスマートフォンを取り出し、保存していた一本の動画を再生して清志に見せた。「この女性が雅彦の母――美穂。突き落とされたのは私の母です。私の力では、彼女に正当な罰を与えることはできない。でも、こんな醜聞は、あなたにとっては利用価値のある材料になるでしょう?」その目は揺るぎない決意に満ちていた。「私はただ復讐したいだけ。でもこれはあなたにとって、菊池グループにダメージを与え、拡張を遅らせる絶好の機会になります。だから、お互いに悪くない取引のはずです」清志は再生される動画にじっと目を凝らした。確かに、彼女の言う通りだった。今の菊池グループは勢いに乗っており、清志もどこか攻める隙を探していたところだった。まさか、相手から材料を持ち込まれるとは思ってもいなかった。もし雅彦の母が公の場で他人に暴力を振るい、そのスキャンダルを揉み消そうとしていたことが明るみに出れば――たとえ致命傷にはならなくとも、グループにとっては大きな打撃となる。しかも今は、岐光グループと菊池グループがあるプロジェクトを巡って競い合っている最中。まさに相手の注意をそらすには絶好の機会だ。「この動画、少し検証させてもらっていいかな。突然こうして来られても、本物かどうか見極められないし……下手すると、君と雅彦が共謀して俺を罠にかけようとしている可能性もある」清志は慎重だった。

  • 植物人間の社長がパパになった   第1078話

    「待て、彼女を離してやれ」桃のあまりにも必死な様子を見て、ついに清志が声を上げ、警備員に命じて彼女を解放させた。地面に足がついた瞬間、桃はまるで赦しを得たかのように深く息をついた。「ちょうど夕食の時間だし、どうだろう?どこかで食事でもしながら話さないか?」清志はそう言って、桃に手を差し伸べた。彼女は一瞬身を引こうとしたが、自分は今この人に頼らざるを得ない立場だと思い直し、その衝動を抑えて答えた。「……ええ。お任せします」「じゃあ、俺の車で行こう。いい店を知ってるんだ」そう言って彼は、桃の腕を取り、近くに停めてある車へと連れて行く。桃も、大通りで重要な話をするのは避けたいと思い、黙って従った。けれど、その様子を、誰にも気づかれぬ車の中から、ひとりの男がスマホで隠し撮りしていた。動画を撮り終えると、彼はすぐにその映像を、雇い主である美穂に送った。美穂はすでに、桃の母・香蘭が一命を取り留めたことを知っていた。意識はまだ戻らず、事件自体は表沙汰になっていないものの、桃が何かを仕掛けるのではないかと不安に思っていた。だからこそ、美穂はわざわざ人を雇い、桃の動きを監視させている。同時に、彼女が隙をついて雅彦や二人の子どもに接触するのを防ぐ狙いもあった。送られてきた動画を見た美穂は、即座に清志だと見抜いた。菊池グループの敵である彼の顔は、忘れようにも忘れられなかった。画面の中で清志は桃の腕を引き、そのまま車に乗せようとしていた。桃も素直に従っている様子に、美穂は眉をひそめる。――あの女、ほんの少し時間が経っただけで、もう別の男に擦り寄ってるっていうの?つい先日まで佐和にそっくりな男と浮ついていたのに、やっぱり権力と金のある男が好きなのね。だからすぐにターゲットを乗り換えたのか。美穂はそんな桃の軽薄さに嫌悪感を抱きつつ、同時にある不安も胸をよぎった。桃は長い間、雅彦のそばにいた。あの男の性格からして、桃には無防備だったはず。もし桃が事前に菊池グループの機密情報を手元に持っていて、それが清志の手に渡ったら……影響は計り知れない。その考えが頭をよぎった瞬間、美穂はじっとしていられなくなった。すぐに男に指示を飛ばし、絶対に見失うなと念を押す。男は身を引き締め、清志の車がゆっくり走り出すのを見届けると、距離を取りながら尾行

  • 植物人間の社長がパパになった   第1077話

    岐光グループ――地元ではその名を知らぬ者はいない、大企業のひとつだ。豊富な資金力を誇り、さらに噂では、表には出せない強大な後ろ盾を持つとも囁かれている。だがその実態は謎に包まれており、普段から表立った活動は少ないため、内情を本当に知る者はごくわずかだった。かつて、岐光グループは一度だけ、菊池グループと大型プロジェクトの主導権をめぐって激しく争ったことがある。そのときも並外れた資金力と影響力を見せつけたが、最終的には菊池グループに軍配が上がった。――それでも。今、菊池家に対抗できる勢力となれば、他に選択肢は残されていなかった。桃は思い悩んだ末、岐光グループのトップに立つ男――渡辺 清志(わたなべ きよし)に望みを託すしかないと決めた。とはいえ、清志は常に謎めいており、社交の場にもほとんど顔を出さない。今回の件も、清志以外の一般社員には決定権など到底ないだろう。桃は思わず頭を抱えた。けれど、迷っている暇はなかった。桃はすぐに行動に移した。まずは岐光グループ本社ビルの前に張り込むことにしたのだ。無駄に終わるかもしれないが、それでも何もしないよりはずっといい。もし彼が話を聞いてくれるなら、子どもたちを取り戻す突破口が生まれるかもしれない。そう信じて、桃は急いでビルの前へと向かった。中で待たせてもらおうと受付に頼んだものの、警備は厳しく、明確な訪問理由がなければ通してもらえない。思いついた限りの言い訳も通じず、結局、彼女はビルの外で立ち尽くすことに。視線はひたすらガラス扉の奥に注がれ、頭の中ではこれからの会話の流れを何度も何度もシミュレーションしていた。気づけば一時間以上が経ち、次第に退勤する社員たちの姿がビルから流れ出してきた。桃はその一人ひとりを見つめ続け、ある人物の姿を探し続けた。そして――ついに、彼が現れた。年齢は三十四、五。仕立ての良いスーツに身を包み、引き締まった体からは研ぎ澄まされた気配がにじみ出ている。一つひとつの仕草に無駄がなく、成熟した男の色気を自然と纏っていた。桃はすかさず近づこうとした。だがその瞬間、洗練された雰囲気を纏った女性スタッフが、彼女の前に立ち塞がった。「申し訳ありません、お嬢さん。社長に無断で近づくことはご遠慮いただいております」トップに立つ者ともなれば、誰にでも声をかけられては困るのだろ

  • 植物人間の社長がパパになった   第1076話

    「ママ、ぼくたちは元気だよ。これ、こっそり誰かのスマホを借りてかけてるから、あまり長くは話せないんだけど……それだけ伝えたくて。心配しないで、自分のことを大切にして。ぼくたちは大丈夫。しばらく会えなくても平気。きっとまた、会えるから」翔吾は、本当はもっと話したいことが山ほどあった。けれどこの数日間、どれだけ協力的に振る舞っても、彼らの周囲は常に厳重に監視されており、自由な時間などほとんどなかった。今回こうしてスマホを手にできたのも、たまたま掃除のために使用人が部屋に入ってきたタイミングを狙い、太郎とふたりで息を合わせて、こっそり手に入れたからにすぎなかった。だからこそ、時間はとても限られていた。言えるのは、本当に必要最低限のことだけ。一通り言い終えると、翔吾はスマホを太郎に手渡した。「太郎、君も何か言って。終わったらすぐ切って、通話履歴もちゃんと消すんだよ」太郎は静かにスマホを受け取り、口を開いた。「ママ、ぼくたち、ちゃんと助け合ってるよ。変なことはしてないし、大丈夫。ママこそ、身体に気をつけてね。それから……おばあちゃんのことも、よろしくお願い。あれは、おばあちゃんのせいじゃない。だまされてたんだ。だから、責めないて」家に戻ってからの香蘭は、太郎に優しく声をかけ、気遣ってくれた。おかげで太郎の心も、少しずつほぐれていった。だからこそ、桃におばあちゃんを気遣ってほしいと伝えることも忘れなかった。桃の胸が、つんと痛んだ。ふたりは、まだ香蘭が倒れたことを知らないのだ。だからこそ、彼女は頑張って明るく返事をした。本当はもっと伝えたかった。無理しないようにとか、大人とは争わないようにとか――いろいろ伝えたかった。けれどその時、翔吾が慌てた声で「誰かが戻ってきた」と告げ、すぐに通話を切ってしまった。翔吾は手早く通話履歴を消し、スマホを元の位置に戻す。その直後、使用人が慌てた様子で部屋に戻ってきた。ふたりはすぐに部屋の奥へ走り、玩具を広げて遊んでいるふりをする。使用人は机の上のスマホを見つけ、目を丸くした。美穂からは、絶対に子どもたちが外部と連絡を取れないよう厳しく言われていたのに、自分が置き忘れたことに気づいたのだ。ただ、ロックはかかっているし、ふたりの子どもは全く関心を持っていない様子だったため、特に疑うこともなく、そのままス

  • 植物人間の社長がパパになった   第1075話

    「私たちの仲なんだから、そんなによそよそしくしないでよ」美乃梨は思わず笑みをこぼし、桃の手をしっかり握った。しばらくして、里美が病院に駆けつけた。桃が簡潔に事情を話すと、かつて親しくしていた香蘭の今の姿を目にした彼女は、迷わず看護の仕事を引き受けてくれた。植物状態の患者の世話は、通常の入院患者の看護とは比べものにならないほど大変だ。だから桃は、これまでの給料に加えて報酬を上乗せすると申し出た。しかし里美は首を振り、あっさりと断った。「この前も、あの子の世話を手伝ったときに、仕事もないのに数ヶ月分のお給料をいただいたでしょ? これ以上、桃さんに負担をかけられないわ」そう言いながら周囲を見回し、雅彦の姿が見えないことに気づいた。「そういえば、桃さん。旦那さんは今日は来ていないの?お仕事が忙しいのかしら?」その言葉に、桃の顔が一瞬だけ曇ったが、すぐに首を振り静かに答えた。「彼とはもう別れました。これからは何の関係もありません。その話はどうかしないでください」失言に気づいた里美は慌てて謝った。桃の伏せた横顔に、彼女の胸も痛んだ。あんなに仲の良かったふたりが、こんなにも短い間に……まるで別人のように変わってしまうなんて。まさか……桃さんのお母さんの植物状態が原因? 彼はその重みに耐えきれなかったのだろうか。色々と憶測が頭をよぎったが、そんなことを口にすれば桃をさらに傷つけるだけだと分かっていたため、里美はそっと話題を変えた。「ごめんなさい、余計なことを聞いてしまって。これからは、お母さんのことを任せてくださいね。桃さんは自分のことを大切にして、やるべきことに集中して」「……はい。よろしくお願いします」桃は微かに笑みを浮かべ、頭を下げた。今回、里美に来てもらったのも、そのためだった。母の看護と並行して、彼女自身が取り組まなければならないことがあった。病院を出た桃は会社に向かい、上司に事情を説明した。すると、プロジェクトからの早期離脱と退職をあっさりと許可された。以前、連日の残業のおかげで、病院の設計プランはほぼ完成しており、細かい調整は他のスタッフで対応可能だった。だからこそ、桃は気兼ねなく退職できることになったのだ。退職手続きを終え会社を出た桃は、荷物を抱えて自宅へ戻った。かつて家族の笑い声が絶えなかった家は――今や

  • 植物人間の社長がパパになった   第1074話

    それに――菊池家ほどの力があれば、たとえ証拠を警察に提出したとしても、きっと何らかの方法で揉み消されてしまうだろう。それに、彼らが誰かに頼んで保釈されるのも、きっと容易い。そんなことをしても、意味がない。美乃梨はしばらく考えた末に、ある案が思い浮かんだ。だが、その一方で、どこか躊躇しているようだった。それに気づいた桃が声をかける。「美乃梨、言いたいことがあるなら遠慮しないで。私たちの間に気遣いなんて要らないから」美乃梨は少し迷いながらも口を開いた。「ひとつ、美穂に復讐する方法があるの。でも、それをやったら、雅彦との関係はきっと、もう元には戻れなくなる。それでも……それでも、本当にいいの?」彼女は心配していた。桃がもしこの件で一線を越えてしまえば、雅彦との関係に戻る余地はなくなってしまう――それが怖かったのだ。けれど、桃は苦笑いを浮かべ、淡々と答えた。「もう、とっくに終わってる。あの人が私を信じようとしなかった、その瞬間に終わってたのよ。それに、彼の母親……今までどれだけ私を苦しめてきたと思う?私が運よく生き延びただけで、今度は母までこんな目に遭って……そんな人間、絶対に許せるわけない……」そう言いながら、桃の唇には冷ややかな笑みが浮かんでいた。美穂の非道な行為のせいで、桃の心に残っていた雅彦への想いは完全に消え去っていた。たとえどんなに未練があろうとも、母を植物状態に追いやった人の息子、再び愛を語るなんて――そんなことをしたら、母の顔をまともに見ることなんてできない。「……じゃあ、はっきり言うね。私たちの力じゃ、菊池家を動かすのは無理。警察を動かしたところで、保釈されるのがオチだし、美穂には過去に精神疾患の診断もある。仮にそれが嘘でも、今さら診断書を偽造して保外治療なんてことにするのは簡単よ。結局、うやむやにされて、少し世間が騒ぐくらいで終わっちゃう。それだけ」桃は目を伏せながら、苦々しく頷いた。それが現実なのだと、認めたくはなくとも、そうだった。「じゃあ……どうすれば、あの人に代償を払わせられるの?」「私たちじゃ無理なら、やれる人にやらせるの。菊池家は、これだけ長い間、権力を振りかざしてきた分、敵も多い。誰かが、いつか牙を剥くのを待ってる。その動画を渡せば、それが引き金になる。彼らを混乱させるには、充分な一手。で

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status