宏の目が一瞬にして冷えた。声を抑えながら、鋭く警告してくる。「南、君の肝はどこまで据わってるんだ。まだ俺たちは離婚してないんだぞ」「知ってるよ」私は顔を上げて、真っすぐに彼を見た。「でも、あんな人の多い場所で私と彼が何できるっていうの?」「いいから、帰るぞ」彼はいつも通り一方的だった。私の手を掴んで、容赦なく車へ引っ張っていく。振りほどこうとした瞬間、彼の口から飛び出した言葉に動きが止まった。「奴と藤原星華は、山田のばあさんに呼ばれて中に入った。君、こんな寒い外にずっといる気か?」つまり、山田先輩はすぐには戻らない。なら、無駄に抗っても仕方がない。今夜はちょうど、宏に話したいこともあった。「離して、自分で乗るから」そう告げたけれど、彼は聞く耳を持たず、そのまま車に押し込まれた。胸の奥にふつふつと怒りが湧いてきて、私はスマホで山田先輩に「先に帰る」とだけメッセージを送った。もう家まで我慢できない。私はすぐさま動画を開いて、画面を宏の目の前に差し出した。車内に、あのくぐもった、あられもない喘ぎ声が響く。運転手が一瞬こちらを見て、何かを察したのか、静かにパーティションを上げた。宏は画面を見ようともしない。ただじっと、私を見つめたまま言う。「……もう、こういうのを見るようになったのか」「後ろの方まで見なさいよ」私は腕が疲れてスマホを手渡した。その瞬間、音声の中で義父とアナの声が重なって流れ出す。宏の表情が、氷点下まで一気に落ちたのがわかった。あの録音は、まともな神経では聞いていられない。しかも声の主が、彼の父親と、彼がずっと守っていた想い人だなんて。宏は静かに私を一瞥すると、スマホを操作し始めた。「消しても無駄だよ」それはもう分かっていた。だからこそ、あえて渡した。「ちゃんとバックアップ取ってあるから」やっとの思いで掴んだ証拠だ。そんな初歩的なミスは犯さない。だけど、彼の顔には、怒りも、焦りも、何ひとつ浮かんでこなかった。スマホをぽんと座席に放り投げて、乾いた声を落とす。「……自分で消せ。スマホが汚れる」私はその横顔を見つめながら、表情の揺れを探した。「……宏、怒ってないの?」「失望したか?」彼の声には、冷たさ以外、何もなかった
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