あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した  のすべてのチャプター: チャプター 891 - チャプター 900

1161 チャプター

第891話

それを聞いて、健司も弥生の言いたいことをようやく理解した。「霧島さん......この国に来るのは、今回が初めてですか?」弥生は少し考えてから、首を横に振った。「厳密に言えば、初めてじゃない。ただ、そのときは一人で来て、二日しか滞在しなかったけど」そのときはホテルに滞在していた。だから、弘次と会うための例の場所のようなところなんてない。今回ですら彼と過ごしたのはあの別荘だけだった。あの時は本当につらかった。弥生の話を聞いて、健司も思わず沈黙した。「......まさか、例の場所って、この都市や国のことじゃないんですか?」最初、弥生もそう思っていた。でも、弘次の性格からして、それはなさそうだった。もし彼女が本当に間違った場所に来ていたなら、あの電話の最中に訂正したはずだ。彼が会いたがっていて、彼女のフライト情報まで把握しているのだから。「多分、違うと思うわ。他に場所がないなら、そこに行くしかない」やはりあの別荘しかないのだ。健司の表情には、どこか諦めの色が滲んでいた。今のところ、それ以外の手がかりは存在しない。「......それじゃ、霧島さん。今日はまず休まれて、明日行くのはいかがでしょうか?」健司の提案は、自分の焦りを押し殺した結果だった。本当はすぐにでも動きたい。でも、無理を言える立場ではない。弥生はあくまで普通の人間だ。そして、自分たちはいまだに社長の居場所すら掴めていない。社長が、どうしてこんなふうに弘次にやられたのか?健司の胸の内は、もどかしさでいっぱいだった。「......今すぐ向かうわ」ふいにかかった声が、健司の思考を現実に引き戻した。弥生の視線が、静かに彼を見つめていた。彼は一瞬きょとんとしたが、すぐに我に返った。「で、でも......こちらの手配は......」弥生は深くため息をついた。「彼が私の動きを把握しているということは、私の行動パターンも同行者も、全部お見通しということよ」その言葉はつまり、誰も連れていかない、という意思表示だった。「でも、それじゃ......霧島さん、もし何かあったら、社長が戻ってきたとき、僕は......どう説明すれば......」この数日、弥生はずっと不安と恐怖に晒され、精神的にも限界に近かった。そ
続きを読む

第892話

ここ二日ほどまともに食事をしていなかったせいで、弥生の胃腸はかなり弱っていた。激しく揺れる道中、吐き気が込み上げるのを、彼女は必死にこらえていた。車が止まると、弥生は真っ先にドアを開け、道端に駆け寄って嘔吐した。「霧島さん!」健司は彼女の様子に驚いて、慌てて車のドアを開けて飛び出した。「大丈夫ですか?」弥生は道路脇でうずくまり、顔色は真っ白だった。風も強く、健司は急いで自分の上着を脱いで彼女の肩にかけた。そしてそのまま、ふらつく彼女の体を支えながら立たせた。「大丈夫よ」そう言ったものの、健司はようやく弥生の異変に気づいた。車の中では指示を出すのに頭がいっぱいで、彼女の様子など気にする余裕もなかった。今こうして目の前に立つ彼女の顔色を見る限り、どう考えても車酔いしていた。やはり、あの道があまりにひどかったのだろう。彼が黙って考え込んでいると、弥生がぽつりと呟いた。「少し酔っただけ。休めばすぐに治るから」「申し訳ありません、霧島さん。道があまりに荒れていて......もっとスピードを落とさせるべきでした」それにしても、霧島さんは本当に我慢強いな。こんなにも具合が悪そうだったのに、車中では一言も弱音を吐かなかった。弥生は微笑みながら軽く首を振って、もう大丈夫だと伝えた。そしてしばらくその場で休んだあと、健司の上着を返そうとした。「いえ、そのまま着ていてください。霧島さんを守るのが役目ですので。服の一枚くらい、どうってことありません」酔いが冷めたとはいえ、彼女の全身は冷や汗でびっしょりだった。冷たい風が吹き付け、立っているだけでも震えが来る。でも、それが他人の服だと思うと遠慮してしまう。だが、健司の言葉に背中を押され、弥生は素直に礼を言って上着を羽織った。そして、目の前の道を見つめながら言った。「ここで待ってて。私が中を見てくるわ」健司は何か言いたげに口を開いたが、「もういいの。心配しないで。あの人は私を傷つけたりしない。それに、秦夜を救い出せるのは私しかいない。彼を取り戻さない限り、私に逃げ道なんてないんだから」と言われて、唇を噛んだ。「でも、もし奴が約束を破ったら......」弥生は淡く笑った。「もしそうなったとしても、私には対処の手段がある。心配いらない
続きを読む

第893話

彼の姿を見た瞬間、弥生はしばらく呆然としていたが、すぐに嬉しそうに駆け寄った。「友作!よかった、無事だったのね?てっきり......」だが、近づいた瞬間、友作は数歩後ずさりして、距離を取った。その動きに弥生の足はぴたりと止まり、困惑の色を浮かべながら彼を見つめた。「どうしたの?」しかし、友作の眼差しは氷のように冷たく、以前の面影は微塵もなかった。まるで見知らぬ人どころか、仇敵にでも対するかのような雰囲気だった。「霧島さん、お待たせしました」低く冷ややかな声が投げられた。弥生は言葉を失った。口元に浮かべていた笑みも引きつり、ようやくの思いで尋ねた。「友作......どうしたの?」だが返答はない。友作は視線を門の外に向けたまま、淡々とした口調で尋ねた。「霧島さん、お一人でいらっしゃいましたか?約束は守っていただけたんですか?」何が起こったのか分からず戸惑いながらも、弥生は彼の言葉に頷いた。「はい、送ってくれた人たちは、この場所からだいぶ離れたところで待っている」そう言って、少し間を置き、付け加えた。「約束破りにはならないでしょう?」だが友作は何も返さない。弥生は内心でため息をつきながら、次の言葉を投げた。「じゃあ、どうすればいい?弘次はどこ?」この別荘の門は開いたまま閉じられず、友作は堂々とそこに立っていた。弥生は、おおよその展開を察することができた。きっと別の場所に連れていくつもりなのだろう。「黒田さんは、ここにはおりません」「じゃあ、どこにいるの?連絡は取れるの?それと瑛介は?彼をどうしたの?瑛介が無事かどうかを確認できない限り、私はこれ以上進めない」そう言った途端、友作は手にしていたスマホを弥生に差し出した。弥生が画面を見ると、すでに通話中の状態だった。つまり、彼女が姿を現す前から、電話はつながっていたのだ。なるほど、だから友作の態度が冷たかったのかと思いながら、弥生は携帯を受け取った。「弥生」予想どおり、電話の向こうから聞こえてきたのは弘次の声だった。「瑛介はどこにいるの?」「君がここまで来た以上、彼に会うのは時間の問題だ」「ここまで来たんだから、今すぐ見せてくれてもいいでしょ?」「弥生、それはできない。今は彼に会えないんだ」
続きを読む

第894話

この言い回しに、弥生は思わず嫌悪感を覚えた。弘次は、これを誠意だと思っているのか?思わず罵声を吐きそうになるのを、必死にこらえた。そして無言で通話を切ると、スマホを友作に突き返した。「今すぐ、写真を見せて」友作は無表情のままスマホを受け取り、画面に写真を表示させた。写真を目にした瞬間、弥生の顔色が一気に変わった。そこに写っていた瑛介は、ベッドに横たわっていた。顔は青白く、額には包帯が巻かれていて、血の痕が滲んでいる。「これ......どういうことなの?」弥生はとっさに友作の腕をつかんだ。「彼に何があったの?弘次がやったの?命に関わる怪我じゃないの?」友作は彼女の手を一瞥し、無言で振り払って後ずさりした。距離を保ちながら言った。「霧島さん、その件については私には分かりかねます。直接黒田さんにお尋ねください」「わかった」そう返した弥生だったが、友作はスマホを返してくれなかった。「自分で聞けって言ったのに、なんで電話させないの?」「黒田さんのご指示です。会ってから話すとのことです」弥生は言葉を詰まらせた。そう言い残し、友作は背を向けて歩き出した。弥生もすぐさまその後を追った。「それで、いつ出発するの?」「明日です」「明日!?冗談でしょ、今日じゃないの!?」弥生は目を見開いたが、友作はそれ以上応じなかった。弥生は必死に訴えかけながら後をついていく。瑛介のあの傷を見て、黙って一日待てるはずがない。「友作さん、お願い、今日にして!お願いだから!」その時、友作は突然立ち止まり、一つの部屋のドアを開けた。「霧島さん、ここは以前あなたが泊まっていた部屋です。きれいに整えてありますので、ゆっくりお休みください。それから、外にいる尾行者を引き上げさせてください。そうしないと、宮崎さんの安全について、私からは保証できません」弥生は凍りついた。健司たちが、もうここまで来ているの?そう思った弥生は、すぐにスマホを取り出して健司に電話をかけた。そして浴室に入り、水道の蛇口をすべてひねった。この家の部屋には監視カメラがついているかもしれない。でも、さすがに浴室にまでは設置していないはずだ。電話がつながった瞬間、健司の声が響いた。「霧島さん、ご無事ですか?」「私
続きを読む

第895話

健司の声が電話の向こうで低く響いた。「分かりました。こちらでも気をつけて探し続けます。それで、霧島さんは?」「しばらくここに残るつもり。今後のことは、何とかしてまた連絡する」その一言で、健司はすべてを察した。霧島さんはもうこちら側には戻ってこない。「霧島さん、それって監禁されてるんですか?」監禁されている?弥生はちらりと外を見た。友作が彼女を監視していたわけでもなく、逃げようとしたときに引き止める素振りすら見せなかった。つまり、誰も彼女を力ずくで縛ってなどいない。この地に向かう飛行機に乗った時点で、弥生はもう、戻れないところに来ていたのだ。「誰も私を閉じ込めてないわ。ここでの行動も自由よ。でも今回私たちがここに来た理由、分かってるでしょ。またね」電話の向こうで、しばし沈黙が流れた。「分かりました」通話が切れた。弥生はスマホを洗面台に置き、水で顔をばしゃりと洗った。それから水道をすべて閉め、バスルームを後にして部屋の外へ出た。彼女は、友作が屋敷のどこかにいると思っていた。だが、少し歩いただけで、すぐにその姿を見つけた。彼は階段の踊り場に立っていた。背筋を伸ばし、まるで門番のように、静かにそこにいた。背を向けていたため表情は見えなかったが、どこか痩せたようにも見えた。あのとき自分を助けるために、大きな代償を払っていた。たとえ今は冷たくあしらわれても、弥生は彼が悪い人間ではないと信じていた。きっと、彼にも彼なりの事情があるのだろう。そう思いながら、弥生は歩を進める。声をかけようとしたその瞬間、友作がこちらを向いた。「霧島さん、どこに行くおつもりですか?」「どこでもないわ」弥生は立ち止まり、少し距離を保ったまま普通の口調で尋ねた。「ただ、聞きたかっただけ。今夜、出発は無理なの?」「霧島さん、出発は明日と決まっています。何を言っても、その予定は変わりません」「じゃあ、せめて彼と電話で話せない?」「それも、できません」弥生は言葉を失い、しばらく黙った。この様子では、今夜の出発はどうしても不可能なのだろう。彼女は唇を引き結び、仕方なく踵を返し、部屋へと戻った。心配でたまらない。でも、今の状況では動けない。友作の態度はあくまで強硬で、弘次からの連絡
続きを読む

第896話

結局、弥生は起き上がり、階下のキッチンに向かった。冷蔵庫を開け、中を探っていると、背後から友作が現れた。「霧島さん、何か必要なものがあればお申しつけください」弥生は返事をせず、しばらく冷蔵庫を探った末に、ようやく冷えた缶ビールを二本取り出した。そして何も言わず、それを持ってそのまま階段を上がっていく。すると、友作の耳のイヤホン越しに冷たく鋭い声が響いた。「酒は渡すな」弘次の声だった。弥生が友作と会った瞬間から、彼はずっと彼女の行動を監視していた。だからこそ、弥生が何をしても、友作の態度は冷淡そのものだった。弘次の命令に、友作はすぐに反応した。小走りに階段を上がり、弥生を追いかけた。「霧島さん」呼び止められた弥生は足を止め、無表情のまま振り返った。「そのお酒は、差し上げられません」友作は手を差し出した。「お戻しください」弥生は手元の缶ビールを一瞥し、口元を少し歪めて笑った。「なに?私には、何を選ぶかの自由すらないの?」友作は答えなかった。それが即ち肯定だった。その沈黙に、弥生は小さく笑い、缶を返すことなくそのまま階段を上り続けた。友作の顔色が変わった。「霧島さん!」背後から追ってくる気配に、弥生は口角を上げた。たかが缶ビール二本ですら制止するのなら、それは間違いなく弘次の指示だ。やっぱり、私の行動は、彼の掌の上なのね。「弘次に伝えて。電話して来いって」そう言い残し、弥生は部屋へと姿を消した。立ち尽くす友作は、少し間をおいてから耳元に小さく呟いた。「申し訳ありません。霧島さんが......」その言葉を言い切る前に、通信は強制的に切られた。友作は一瞬呆然としたが、すぐに気づいた。弘次は、これから霧島さんに電話をかけるつもりだ。一時的に監視も中断された。肩の力が少し抜けたが、彼は動けなかった。この屋敷には、監視カメラがいたるところに仕掛けられている。下手なことはできない。弥生は部屋に入り、ドアを閉めると、すぐに缶のプルタブを開けた。その瞬間、スマホが鳴り出した。彼女は着信を一瞥し、誰からかすぐに察した。だがすぐには出ず、スマホを机に置き、缶ビールを唇に運んで、ひと口、ふた口と喉を潤した。キンと冷えたビールが、内側の苛
続きを読む

第897話

そのまましばらく無言が続いた後、弘次の声が静かに響いた。「......君が苦しむのを、見たくないんだ」「そう?」弥生は冷笑を漏らした。「ビール、もうやめよう。な?」その言葉が終わるか終わらないかのうちに、弥生はすかさず返した。「いいわよ。でも、その代わり......今夜出発させて」もともとは、ただ気を紛らわせるために冷たいビールを飲んだだけだった。だがそれすらも、彼の制御の一部であるなら、こちらも利用するまでだ。彼女がここに来たのは、彼の脅しによってだったのだから。相手は長い沈黙の末、ようやく重い声で答えた。「今夜は無理だ」「そう......」弥生はまた鼻で笑った。「だったら、話すことなんてないわ」「弥生......どうしてそんなに僕に反発するんだ?」「反発?」彼女の瞳に影が落ちた。「......私たち、友達だったと思ってた。でも、もし私が君に牙をむいたとしたら、それはきっと君が私を追い詰めた結果よ」言い終わると、弥生は電話を一方的に切った。そのまま、何も言わずにビールを持ち上げ、口に運んだ。時間が少し経ち、部屋の扉が音もなく開いた。現れたのは友作だった。彼は無言で彼女に近づき、ビールを取り上げようとした。だが、弥生はそれを予測していたかのように、するりと手を引いた。「霧島さん、もう遅い時間です。お酒は......体に良くありません」「眠れないの。少し飲めば、落ち着くかと思って」友作は唇を引き結び、それ以上言葉を発さなかった。「飲み終わったら、ちゃんと休むわ。離して」しかし、彼はその場から動こうとしない。弥生が不思議そうに顔を向けると、友作は口を開いた。「霧島さん、もう飲まないでください。今すぐ出発します」思わず弥生の手が止まった。信じられないような気持ちで、彼の顔を見た。たしかに、自分は脅しのつもりで提案した。だが、まさか本当に応じるとは思わなかった。彼女の胸の奥に、複雑な感情が広がっていく。この期に及んで、まだ彼は自分を気遣ってくれているのか?無視することだってできたのに、彼はなぜ応じたのか。「霧島さん?」ぽつんと呼びかける声に、弥生ははっとして我に返った。「......本当に、今すぐ空港に向かうの?」
続きを読む

第898話

弥生は友作と目を合わせたとき、事情を察した。先ほど別荘にいたとき、彼の態度がずっと冷たかったのは、そこに監視カメラが隅々まで設置されていたからだ。だから彼には、弥生と目すら合わせることができなかったのだ。だが、今は空港。ここには弘次の目が必ずしもあるとは限らない。もしかしたら誰かが監視しているかもしれないが、別荘ほど徹底はしていないはずだ。空港の監視は基本的に人の手に頼っているだろうし、人間は怠けることもある。張り巡らされた監視網ではない。とはいえ、盗聴されている可能性は常にある。今この場では友作と自由に会話はできない。何か伝えるには、あとで工夫するしかなかった。少し考えた後、弥生は口を開いた。「さっき冷たいビールを飲んだから、お腹の調子がちょっと悪くて」それを聞いた友作は一瞬間を置き、答えた。「お薬を用意しましょうか?」弥生は首を振った。「いえ、いらない。でもティッシュが欲しいの。持ってる?」何気ない調子で、冷ややかな口調だった。友作は、彼女がさっきのアイコンタクトを本当に見ていたのか、判断しかねた。「あります」友作は鞄の中からティッシュを取り出して弥生に手渡した。そのとき、弥生の指が彼の掌にふれた。一瞬、彼は偶然だと思ったが、彼女の指は離れずに、彼の掌の中に何かを書き始めた。友作はその場にじっと立ち、彼女が書き終えるのを待った。そして、そっと指先でなぞるようにして確認した。そこには「待て」と書かれていた。友作が彼女を見上げたときには、弥生はすでにティッシュを持って空港の中へと歩き出していた。空港に入るとすぐ、数人の迎えの者たちがやってきた。弥生がトイレに行きたいと言うと、数人の男が同行しようとしたが、彼女はすぐに眉をひそめた。「私と一緒にトイレ入るつもり?頭おかしいの?」その言葉に、男たちは一斉に困ったような顔をした。「弥生さん、そんなつもりじゃ......空港は人が多くて危険かと思いまして......」弁解しかけたが、彼女を怒らせるのを恐れて、言いかけた言葉を飲み込み、すぐに謝罪して下がった。弥生はトイレに入ると、少し眉をひそめて頭を押さえた。まさか空港にこれほど人員が配されているとは......これでは、友作と話す機会はなさそうだ。ため息をつきながら、彼女
続きを読む

第899話

女学生の助けに礼を言ったあと、弥生は洗面所を後にして、先に出ていた男たちのもとへと戻った。彼女は気づかなかったが、あの女子大生は彼女の後をつけるようにしてトイレを出てきており、少し離れた場所から弥生が男たちの中に戻っていく様子をじっと見ていた。そして、彼女がその男たちに取り囲まれるのを見届けた。「弥生さん、お戻りですね。それでは、出発しましょうか」任務を請け負っているせいか、男たちは不安げに彼女を囲んで空港内を進み始めた。女子大生はその光景を見て、ますます不気味に感じた。移動の途中、弥生は歩く速度を少し緩め、機を見て先ほどのティッシュを友作のポケットにそっと押し込んだ。友作はすぐにそれに気づいたが、表情を変えることなく、何事もなかったかのように前を向いて歩き続けた。搭乗直前、彼は「トイレに行ってくる」とだけ言ってその場を離れ、個室で弥生のティッシュを取り出して中身を確認した。そこには、たった二つの問いが書かれていた。【瑛介はどうなっているのか。】【自身は大丈夫なのか。弘次に弱みを握られているのでは?】彼女の気遣いに、友作の心はほのかに温かくなった。どうやら彼女は自分の苦しい立場を理解してくれたらしい。冷たい態度を取ったことで、彼女に誤解されてはいなかったのだ。彼は書かれた紙を破ることなく、水で流し、無表情のまま個室を出た。飛行機に乗り込むと、弥生の隣に座るのは友作だけで、他の者たちは前後および通路の右側に分かれて配置された。飛行中、弥生は二度ほど友作に視線を向けたが、彼は何の反応も示さなかった。乗務員が機内食を配りに来たとき、弥生は内心で不安になった。もしかして、彼はポケットに紙を入れられたことに気づいていなかったのではないか?あのときの動作が弱すぎたのかもしれない。伝えたほうがいいかもしれないと思って、弥生がちょうど空中でワゴンが詰まっている隙に、友作に声をかけようと顔を向けた瞬間、彼が座席の肘掛けに文字を書いているのが見えた。たった一言。「無事」その二文字を見た瞬間、弥生は小さく息を吐き、彼に口の動きで問い返すと、友作はうなずいた。それを見て、ようやく弥生の心は少し落ち着いた。瑛介の怪我は重そうだった。もし手遅れになれば、一生後遺症が残るかもしれない。だからこそ、彼女は夜中でも飛んで行きた
続きを読む

第900話

弥生は彼に説明しようとしたが、彼はそれを遮るように点滴の針を抜き、そのまま病室を出て行ってしまった。慌てて追いかけようとした弥生だったが、病室を出たとたん、彼の姿はもうどこにも見えなかった。弥生は必死に探し回った。息が切れるほど走り回ったが、瑛介の姿はどこにも見当たらなかった。何ヵ所も探し回った末、ようやく瑛介にそっくりな後ろ姿を見つけた。だが、どうしても追いつけない。彼の後ろ姿を追っていくと、彼はウェディングドレスを着た別の女性と共に、結婚式の会場に入っていくところだった。そしてついには、その女性がひなのと陽平を式場から追い出し、弥生に向かって指を差しながらこう言い放った。「どこの女よ。子どもを二人も連れて来て、瑛介の妻になれるとでも思ったの?バカじゃないの。私が怒る前に、さっさと消えなさい。でなければ、どうなっても知らないから!」ひなのと陽平は弥生にしがみついて、わんわんと泣きながら「パパに会いたい」と訴えた。弥生の心は張り裂けそうだった。何が起きたのか全くわからなかった。すべてが突然崩れ落ちたようだった。どうにかしようと必死だったが、まるで全身を縛られているようで、身動きひとつできなかった。焦りで胸がいっぱいになっていた。「霧島さん、霧島さん」遠くから誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。その声にはどこか聞き覚えがあったが、今の弥生には誰の声なのか思い出せなかった。名前を呼ばれるたびに、頭が割れそうなほど痛んだ。「霧島さん!」突然、弥生は目を覚ました。目の前には明るい光景が広がっていた。さっきまでの混乱した映像も、泣き声もすべて消え去り、代わりに目に映ったのは、緊張と不安を浮かべた友作の顔と、二人の乗務員の姿だった。おそらく彼女の様子に驚いたのだろう。目を覚ました弥生を見て、二人の乗務員は安堵の表情を見せた。「よかった、目を覚まされましたね。大丈夫ですか?」そう言いながら、一人の乗務員が優しく額の冷や汗を拭いてくれた。明るい景色と、そばにいる人々の存在を見て、弥生はようやくさっきの出来事がただの夢だったと気づいた。今は、夢から目覚めた現実の中にいる。夢だったと分かった瞬間、弥生は大きく息をついた。だがその悪夢のせいで、弥生の体も精神も限界近くまで張り詰めていた。今
続きを読む
前へ
1
...
8889909192
...
117
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status