All Chapters of 再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない: Chapter 141 - Chapter 150

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第141話

スタッフの報告を聞き、眉間に深いしわを寄せる。叔父と夕月は、そこまで親しい関係だったのか?記憶を辿っても、二人が言葉を交わす場面など見たことがない。だが冬真はすぐに納得した。叔父は才能を愛でる人物だ。夕月への配慮も、その才能ゆえなのだろう。それに、叔父は古風な人間だ。夕月とは離婚したとはいえ、瑛優の血には橘家の血が流れている。叔父は単に、橘家の孫娘の母親として、彼女に気を配っているに過ぎない。冬真は部下に電話をかけた。「叔父の車を尾行しろ。どこへ向かうのか確認したい」「冬真くん」一度は帰ろうとした盛樹が、センチュリー ノブレスが去っていくのを目撃し、妻と娘を連れて戻ってきた。「博士はなぜ?それに夕月は?まさか博士と一緒に?」盛樹は個室に冬真だけが残っているのを見て、不思議そうに尋ねた。「夕月姉さん、あなたの叔父様とそんなに親しかったの?さっきから夕月姉さんの味方ばかりして」楓の声には妙な響きが混じっていた。冬真は椅子に深く腰掛けたまま、整った顔に冷気を漂わせ、一度目を閉じて深く息を吸い込んだ。再び開いた瞳は、底なしの淵のように暗く沈んでいた。「まだ帰らないのか?」冬真の一喝に、盛樹の体が小さく震えた。「冬真くん、どうしてもサミットの入場券が必要なんです。オームテックが藤宮テックの買収に興味を示していますが、サミットで他の道を探りたくて……」冬真は盛樹の腹の内を見抜いていた。藤宮テックの業績は年々下降の一途を辿り、今年は国の新しい貿易規制で輸出収益が完全に断たれた。海外のオームテックが安値での買収を狙っている今、盛樹は名流が集うサミットで、買収価格を吊り上げてくれる企業を探そうとしているのだ。「来週のサミットのレセプションパーティー、楓と北斗も一緒に来い」冬真の言葉に、盛樹は目を丸くした。「もう、そういう付き合いって大嫌いなのに!」楓は喜びを抑えきれない様子で声を上げた。「先に言っておくけど、ドレスは絶対着ないからね!」「好きにしろ」楓がドレスを着ようが着まいが、どうでもいい。夕月との対立を意識した冬真の頭の中には、別の思惑が渦巻いていた。自分の好意を突っぱねた夕月への報復——手に入れられるはずもない招待状が、他の者にとっては朝飯前というところを見せつけてやる。藤宮家の
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第142話

アシスタントの膝上のノートパソコンには追跡車両の詳細が映し出されていた。スカイネットシステムで即座に車両を特定したのだ。夕月は思わず額に手を当てた。元夫ってば、本気で病んでるんじゃない?凌一の漆黒の瞳に、かすかな笑みのような感情が宿る。「君の元夫は、随分と執着が強いようだね」その言葉には妙な響きがあった。まるで冬真が甥ではなく、まったくの他人であるかのような。「本当に……病気としか思えません」夕月は凌一の前で、冬真への罵倒を必死に抑え込んだ。凌一は前を向いたまま、アシスタントに淡々と指示を出した。「好きにさせておけ」黒いセンチュリー ノブレスは凌一の邸宅へと向かう。敷地から半径五キロ圏内は、人工衛星による厳重な監視下に置かれていた。その範囲内には監視所が点在し、邸宅から一キロ圏内に入ると、十歩ごとに警備員が立っている。車窓の外では、巡回車両が絶え間なく行き交うのが見えた。地下駐車場へと滑り込むセンチュリー ノブレス。凌一が何か言う前に、夕月は期待に輝く目で尋ねた。「先生、ここに連れてきてくださったということは……日興研究センターへの採用が!?」夕月の頭の中では、凌一邸に掲げられた国旗の前で、守秘義務と忠誠を誓う自分の姿が浮かんでいた。「違う」凌一の一言で、夕月の夢想は一瞬で砕け散った。「でも、私、金賞を取りましたよ?」夕月は食い下がる。「たかがコンテストごときが、日興の門戸を開くわけではない」夕月は霜に打たれた茄子のように、すっかり意気消沈してしまった。上唇を軽く噛みながら、鼻筋に落ちた髪の毛を息で払う。薄暗い車内で、凌一はそんな彼女の仕草を興味深げに見つめていた。彼自身も気付いていなかったが、その眼差しには思わず優しさが滲んでいた。「これからは家で資料でも見ていけばいい」その言葉を聞いた途端、夕月の表情が見違えるように明るくなった。今にも凌一の足にすがりつきたい気持ちを必死に抑える。凌一の邸宅は、彼女にとって知識の宝庫そのものだった。車のドアが開き、夕月は瑛優の手を引いて急いで降りた。振り返ると、秘書が凌一を車から車椅子へと移すのが目に入った。動かない両足を見つめる夕月の瞳に、悲しみの色が浮かぶ。車椅子の凌一が彼女の前を通り過ぎながら、冷たく
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第143話

しかし夕月の前に来ると、急に自制心が働いたように下唇を噛み、桜色の頬を上気させながら、無邪気な笑顔を見せた。「星来くん、久しぶり!抱っこしてもいい?」瑛優が両手を広げると、星来は少し緊張した様子で袖口をぎゅっと握りしめる。「うん!」小さく頷く星来。瑛優が星来を抱きしめると、次の瞬間、彼の足は地面から離れていた。「星来くん、前より重くなったね!ちゃんとご飯食べてるんだ!」瑛優は星来を抱き上げながら、何度か軽く揺らした。星来の顔が一気に真っ赤に染まる。その光景を背に、二列に並んだスタッフ全員が一斉に深々と頭を下げた。「橘様、藤宮様、お嬢様、こんばんは」「こんばんは」瑛優は星来を下ろすと、状況が飲み込めないまま、しかし骨身に染みついた礼儀正しさで、深々と頭を下げて挨拶を返した。夕月も同様に挨拶を交わしながら、心の中で感嘆していた。凌一の邸宅には、こんなにも大勢のメイドさんがいるのだろうか?まるでモデルの集まりのような美しさだ。「藤宮様、私どもはValenciaのVIPサービスチームでございます。こちらが首席デザイナーのイジーダです。本日は橘様のご依頼で、ドレスのお仕立てにまいりました」スタイリッシュなブロンドヘアのデザイナーが、メジャーを手に優雅な笑みを浮かべる。「お久しぶりです、藤宮様。早速、採寸を始めさせていただきましょうか?」14歳の頃、凌一に連れられて桜都にやってきた日を思い出す。サイズの合わない古い服を着て、高層ビルを不安げに見上げていた自分。そう、あの時もValenciaのVIP専用フロアで、イジーダが採寸してくれたのだ。「ここのお洋服、高いんですよね?花橋大に行くのに、こんな高価な服が必要なんでしょうか?」当時の自分は凌一にそう尋ねた。飛び級クラスにこれほどの出費が必要なら、諦めようと思った。実家にそんな余裕はなかったから。凌一の答えは今でも耳に残っている。「君には品位ある生活を送ってほしい。大学は純粋な象牙の塔ではない。凝縮された小さな社会だ。最初は戸惑うかもしれないが、それも成長に必要な過程だ。十分な物質的支援は、君が後顧の憂いなく、胸を張って学業に専念するためのものだ」あれ以来、Valenciaのドレスには特別な思い入れがある。この上質な生地に身を包むと、かつて凌一
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第144話

「サミットでは、君の輝きを見せてもらおう」凌一の瞳には深い想いが宿っていた。「先生、お支払いは?」夕月は軽い調子で尋ねる。イジーダが優雅に微笑んだ。「藤宮様、どうぞご自由にお選びください。橘様のご指示で、アジア太平洋地域の既製服をすべてお持ちしました。予算の制限はございません」夕月の胸が高鳴る。これは、日興研究センター入りへの布石なのかもしれない。サミットで成果を上げられるよう、凌一は自分を磨き上げようとしているのだ。また一つの試練を与えられたのだと確信した。「先生、素敵な贈り物をありがとうございます。必ず何倍もの価値でお返しします。私の実力をお見せしますから」無垢な笑顔が夕月の麗しい顔に花開いた。凌一が自分に投資してくれるなら、必ずや何倍もの価値で恩返しをしてみせる。瑛優と共にドレスを選び、試着室に入った夕月が姿を現すと——「わぁっ!」ソファに座っていた瑛優が目を輝かせた。キラキラと光るビジューを纏った母の姿を見るのは初めてだった。夕月が優雅に歩を進めると、スカートが星屑のように揺らめく。「ママ、お姫様みたい!」瑛優は両手の親指を立てて見せた。「こちらへ」凌一の声に、夕月は彼の前にそっと膝をつく。「いかがでしょう?」スカートが波紋のように広がり、まるで凌一に最敬礼を捧げるかのような佇まい。凌一はアシスタントが捧げ持つ宝石箱から真珠のネックレスを取り出した。すっと手を伸ばし、夕月の首に直接留め具を掛ける。涼やかな指先が後頸の滑らかな肌に触れ、夕月は思わず息を呑んだ。かすかな接触に、胸の奥が微かに揺らぐ。見上げた瞳には、叙勲を受ける女将のような凛とした決意が宿っていた。瑛優はスマートウォッチでその瞬間を収めた。画面には桐嶋涼からのメッセージが届いていた。最近カピバラにハマっている瑛優のために、ぬいぐるみの写真を送ってきたのだ。瑛優は今撮った写真を即座に涼に送信する。「今日のママ、天使みたい!」法律事務所に戻った涼は、夕月の写真を見て思わず微笑んだ。まるで蓮の花が水面から顔を出したかのような、そんな自然な美しさだ。執務室に腰を下ろし、じっくりと写真を堪能しようとした矢先――視線が写真の端に映り込んだズボンの裾に釘付けになる。誰のズボンだ!?今すぐ切り取って
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第145話

「落ち着け!」幸雄は制止しようとしたが、既に遅かった。「父さん、はっきり言っておくけど、俺は保守的な男だ。夕月がまた他の男と結ばれるなら、俺は間男になる」幸雄は震える指でキーボードを打った。「愛されない者に、横恋慕の資格があるのか?」涼の返信が途絶える。「息子よ、お前は確かに道徳も品性も怪しいが、横恋慕は思うほど簡単ではないぞ」幸雄は諭すように送信した。涼は完全に凍りついた。十年もの間、暗がりで見守り続けても叶わなかった想い。今更、可能性などあるのだろうか。ソファに力なく横たわり、凌一に眩しい笑顔を向ける夕月の写真を見つめる。「二人の幸せを祈ろう……いや、違う!諦められない!俺が加わって何が悪い?」目を腕で覆い、暗闇の中で苦悶する。奥歯を噛みしめ、独り言を呟く。「凌一の知能指数は200かもしれないが、俺には200分の体力がある!」高尚な魂も素晴らしいが、若く逞しい肉体だって、想像以上の悦びを与えられるはずだ。考えを整理すると、涼は意を決してソファから身を起こした。瑛優にメッセージを送る。「真珠のネックレスも、ママの美しさの前では光を失うね」「瑛優ちゃん、着替えてくるわね」メッセージを読んでいた瑛優の耳に、夕月の声が響く。「ママ!涼おじさんが、ママ綺麗すぎて真珠も霞んじゃうって!」夕月の頬が一気に紅潮する。「桐嶋さんが?どうして知ってるの……」瑛優は母親に、涼とのLINEのやり取りを見せた。「ママの美しい姿を記録したかったの!こんなに素敵で優秀なママがいるって、みんなに知ってもらいたくて!」娘の無邪気な賛辞に、素顔の頬が桜色に染まる。夕月は膝をついて、顎に手を当てながら、慎重に言葉を選んだ。「桐嶋さんに写真を送ってくれた気持ちは嬉しいわ。でも、ママはね……大人の男性の携帯の中で、鑑賞される存在になりたくないの」瑛優は母の言葉の意味を完全には理解できなかったものの、素直に頷いた。「分かった!今の写真、取り消すね。これからは、どのおじさんにもママの写真は送らないよ!」そう言うと、送信してから2分も経っていない写真を即座に取り消した。突然の取り消しに、桐嶋は目を見開いて画面を見つめ、胸に疑問符が渦巻いた。すぐに瑛優からメッセージが届く。「ごめんなさい、涼おじさ
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第146話

「瑛優」リビングで凌一が静かに呼びかけた。近寄ってきた瑛優に、凌一は尋ねる。「涼おじさんのこと、好き?」先ほどの母娘の会話が耳に残っていた。「うん、大好き!」瑛優は屈託なく答えた。「涼おじさんはすっごくいい人!ママが桐嶋家で授業してる時、私が寝てると、お耳元で天使様が『涼おじさんは素敵な人』って囁いてくれるの!」天使?その一言で、凌一は涼の策略を見抜いた。ふん、狐が自分のバラを咥えて逃げようとしているわけか。「次は寝たふりをして、天使様が話しかけてくるか試してみるといい。声が聞こえたら目を開けろ。そうすれば、天使様に会えるはずだ」瑛優は凌一の提案に大きく頷いた。いつも耳元で囁いてくる天使様の姿を、この目で見てみたい!ドアが開き、夕月が手で扇ぎながら顔を冷やしつつ出てきた。最終的に二着のドレスを選び、現在のサイズに合わせて調整してもらうことになった。瑛優にも可愛いドレスを一着、幼稚園での勇気ある行動への褒美として選んでやった。一週間後——ドレス姿の夕月が車に乗り込んだ時、桐嶋涼から送られてきたリンクに目を通す。開いた画面には桜都大学の掲示板が表示され、学生たちの白熱した議論が繰り広げられていた。ストリートダンス部の部長・平田安人が寮で倒立回転しながら排泄行為に及んだという。部屋のドアは閉まっていたものの、悪臭が漏れ出していたらしい。事情を知らない学生たちは、実験室から違法に持ち出された薬品かと疑ったという。過去に似たような事例があったためだ。寮母に「1206号室から異臭が漂い、複数の嘔吐する声が聞こえる」と報告が入った。ドアを開けた寮母の目に飛び込んできたのは、均一に汚物を浴びた数学科の学生たちと、下半身を露わにした安人の姿だった。寮母は昼食を即座に吐き出してしまったという。「現場の動画も送られてきたけど、見せるのは遠慮しておくよ」と涼。「文字を読むだけでスマホを消毒したくなる」夕月は安人の動画には一切興味を示さなかった。するとまた涼から、新たな写真が届く。夕月は胸をドキドキさせながら画面を見つめた。まさか、また過激な写真ではないだろうか。意を決して目を凝らす。違った!安堵のため息が漏れる。どこかで密かに期待していた自分に気付き、少し恥ずかしくな
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第147話

それは橘冬真と同じく、サミットのレセプションに参加する来賓だと察せられた。最初に降り立ったのは、藤宮家の御曹司、藤宮北斗だった。真っ白なスーツに身を包んだ北斗は、サイドを刈り上げ、トップの髪をバックに流したスタイリッシュな髪型をしていた。色白の肌に、世捨て人のような不機嫌そうな表情を浮かべ、目の下にはクマが目立つ。上まぶたは薄く開いているだけで、まるで寝起きのような様子だった。黒いピアスと口元のリップピアスが、その反骨精神を主張するかのようだ。北斗が姿を現すと、すぐさまメディアが彼を認識した。「あれは藤宮家の養子の北斗さんですね。実の娘が見つかった後も、実子同然に扱われているとか」北斗が18歳の時の事故で入院した際、特殊な血液型であることが判明し、検査の結果、藤宮盛樹と唐沢心音の実子ではないことが明らかになった。藤宮家が真相を追及したところ、心音の出産後、何者かによって赤ちゃんが取り替えられていたことが発覚した。警察も総力を挙げて18年前に行方不明になった子供を捜索。幸いにも夕月が行方不明児童のDNAデータベースに登録していたことから、突破口が開かれた。DNA鑑定の結果、藤宮家は失われた我が子が息子ではなく、娘だったという衝撃的な事実に直面することとなった。そうして夕月が藤宮家の実子として迎え入れられた。一方、北斗の実の両親は今なお行方が分からないままだ。養子と分かった後も、藤宮家唯一の男子として、夫妻は変わらず実子同然に北斗を愛し続けている。メディアの注目を浴びることを殊更楽しむように、北斗はメルセデスの車内へと視線を向けた。報道陣のカメラが一斉に車のドアに照準を合わせる。まだ誰かが中にいるようだ。桜都第一病院に勤務する北斗が、なぜ冬真と共にテクノロジーサミットに姿を見せるのか。そして、彼と同乗していた人物は誰なのか。衆人環視の中、レディースのチャンキーヒールが地面を踏みしめた。ロリポップを咥え、片手をスラックスのポケットに突っ込んだ藤宮楓が、クールな面持ちで降り立つ。一見ラフに見える長い髪は、実は計算された束感を持たせたスタイリング。前髪は空気を含んだようなボリュームで、80年代の映画のヒロインを彷彿とさせる。薄いブルーのメンズシャツに、グレーのストライプタイを緩く首に巻き、
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第148話

招待状を目にした瞬間、楓の目が丸く見開かれた。係員は夕月の招待状を確認すると、深々と一礼。「藤宮様、どうぞお通りください」招待状を収めると、夕月は楓たちには一瞥もくれず、まるで先ほどの会話など些末なことのように、颯爽とホールの中へ消えていった。「ちょ、ちょっと!」楓は慌てて係員に尋ねる。「確認されました?あれは本物の招待状でしたか?どうして冬真のと違うんです?」「あちらの方がお持ちだったのは、主催者からの特別招待状です。こちらの橘様の招待状は、各企業様向けに発行されたものとなります」係員は丁寧に説明した。「特別招待……企業向けより格が上に聞こえるんだけど」北斗が呟く。冬真の表情が一層冷たくなる。「ALI数学コンテストの金賞受賞者に、サミットの特別招待状が発行されたことなど聞いたことがない。受賞後にサミットに参加したいのなら、大学関係者として招待状を得るのが通例だ」しかし、大学関係者の招待状は、先ほどの夕月が見せたものとは明らかに異なっていた。「まさか偽の招待状じゃ……」楓は意地の悪い笑みを浮かべながら呟いた。「セキュリティコードが入っておりますので、間違いございません」係員は即座に否定した。「へぇ」楓は鼻で笑う。「セキュリティコードだって偽造できるでしょ。ホテルのマネージャーに確認すれば、彼女に資格があるのかすぐに分かりますけど」冬真に続いて立ち去る楓と北斗の背を見送りながら、係員は小さく呟いた。「なんなんですかね、あの方たち……」そして無線で主催者側に連絡を入れる。「特別招待者の藤宮夕月様が到着されました」会場二階、連絡を受けたスタッフが紫金の大扉をくぐる。紫檀の椅子が並ぶ会議室には、国内有数のテック企業のトップたちが揃っていた。ALI数学コンテスト実行委員会の理事長を務める夏目那岐は、ドローン業界最大手の主任顧問でもある。彼が言葉を交わしているのは、世界的な情報工学会議の主催者であり、桜国科学院の文献情報センター長だ……だが、これら学界の重鎮たちの中でひときわ存在感を放っているのは、上座に座る橘凌一だった。古典的な屏風を背に、まるで一枚の水墨画のように凛として座る男。中華風の立襟にアレンジされたスーツを纏い、襟元から続く盤釦には極細の金糸が交差し、繊細な輝きを放っている。
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第149話

「スターワールドは自動車メーカーでしょう?なぜ人材の争奪戦に?私が先に!先に!」まるで紳士とは思えない取っ組み合いが、扉の前で勃発。誰一人譲る気配はない。会場に足を踏み入れた夕月の前に、シャンパンを載せたトレイを持つウェイターが現れる。一脚のシャンパンを手に取ると――「瑛優ちゃんのお母様!」幼稚園のママ友の金沢夫人が夕月に声をかけてきた。夕月には覚えがあった。瑛優が桐井園長から退園を迫られた際、散々な言葉を投げかけ、後にSNSの謝罪文まで削除した女性だ。その夫は会社の公式アカウントで夕月に謝罪したものの……今、夫婦揃って驚きの表情を浮かべながら、急いで取り入ろうとしている。「まあ、素敵なドレス!Valenciaのオートクチュールかしら?でも春のコレクションには見覚えがないわ?」「イジーダが非公開のデザインだと」夕月が何気なく答えると、金沢夫人は息を飲んだ。「非公開……まさかValenciaのチーフパタンナーと?!瑛優ちゃんのママ、うらやましすぎます!橘さんってまだこんなにお心遣いを……離婚後もVIPの待遇を受けられるなんて!」この衣装は冬真とは無関係だと説明しようとした瞬間、夕月は鋭い視線を感じ取った。振り向くと、群衆の中から橘大奥様が剣幕で近づいてくる。まるで刃物を振りかざして襲いかかってきそうな形相だ。「どうやって入ってきたの?誰に連れてこられたの?招待状はあるの?」大奥様の矢継ぎ早の詰問が飛ぶ。夕月は悠然と大奥様の前に立ち、スパークリングワインを一口。バラの香り漂う甘美な味わいが広がる。大奥様の細い眉が痙攣するように震える。夕月の余裕綽々とした態度が、まるで挑発のように映ったのだろう。グラスを下ろした夕月の指先が、クリスタルに澄んだ音を奏でる。「お節介も度が過ぎますね」インターコンチネンタルの玄関には、お祓いの火鉢でも置いておくべきだったかもしれない。入場時に穢れを祓えていれば、こんなに見たくもない面々に出くわすことも……夕月は内心で皮肉った。「あなた、私を国家機関に通報するって言ってたわよね?私の名誉を奪おうとして?ふん、女性連盟会に確認したら、そんな通報なんて一つも届いていないそうよ!」大奥様は得意げに告げた。七年も橘家にいた夕月が、何か重大な証拠を握っ
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第150話

楓の大声に、周囲の来賓が一斉に振り向く。「夕月姉さん!偽の招待状で入場するなんて、藤宮家の恥さらしですよ!」楓が「圭利さん」と呼んだ男性がタブレットを手に近づいてきた。「こちらの方、来賓リストにお名前がございませんが」男性は冷たく言い放つ。「ただちに会場からご退出願います」周囲の来賓たちは、まるでドラマでも見るかのように目を見開いていた。夕月は楓が「圭利さん」と呼んだ男性に穏やかに尋ねた。「失礼ですが、お立場は?」「会場運営責任者です」タブレットを掲げ、断固とした口調で告げる。「来賓リストにあなたのお名前はありません。自主的に退場なさらないのでしたら、警備員を呼ばせていただきます」「申し訳ありませんが」夕月は冷静に返す。「私は一般の来賓ではなく、特別招待者です。企業関係者のリストに名前がないのは当然かと」「リストに名前がない時点で、この会場に居る資格などありません」責任者は嘲るように言い放つ。彼の合図で、二人のスタッフが夕月の背後に立った。「お嬢様、ご退場願います。ご協力いただけない場合は、強制的にお連れ出しさせていただきます」スタッフの警告に続いて、大奥様が口角を上げながら言い放つ。「外にはメディアが溢れているわ。追い出されたら、桜都一の笑い者になるでしょうね」「まあ、このまま残してあげましょうか」大奥様は両手を胸の前で組み、にこやかに続ける。「夕月、トレイを持って端で給仕でもしていれば?」冬真と離婚し、橘家の血を引く子供を連れ去り、しかも孫娘の姓まで変えるという不埒な女。大奥様は今こそ、橘家を出た後の夕月の立場――社会の最下層であることを思い知らせてやろうと目を光らせる。今宵このレセプションでトレイを持つことを許されたのも、大奥様の慈悲あってこそ。でなければ、警備に担ぎ出されるのが関の山。夕月は手首を軽く返し、グラスの中でスパークリングワインが優雅に揺れる。そっと冬真の顔を視線で掠める。冬真の表情が強張る。まさか助けを求めているのか?「ねぇ、圭利さん」楓は意味ありげな微笑みを浮かべながら首を傾げた。「夕月姉さんを追い出すのは止めにしましょう」親切そうな口調で続ける。「ほら、大奥様のご厚意よ。ここのスタッフは皆二十代前半なのに、特別に残れるなんて。天に感謝すべきです
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