All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 1191 - Chapter 1200

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第1191話

「さっきのは、わざとじゃないの。あの子が怒ってるのを見て、ただ止めようとしただけなの。そしたら、うっかり足が絡まっちゃったの......神様に誓うよ!」由理恵はそう言うと、本当に手を挙げて誓った。「お母さんの言ってることは全部本当よ。もし今日の言葉に一つでも嘘があったら、天罰が下ってもいい。誰からも見放されて、身寄りなく死んだって構わないから!」それを聞いて浩平はただ、悪びれる様子もなく嘘をつく由理恵の顔を見ていた。そして、今ここで彼女のついた嘘を簡単に暴いても、なんの意味もないだろうと思った。それに多分、こうして真正面から由理恵の嘘を暴くだけでは、彼女は自分がどれほどとんでもない間違いを犯したのか、永遠に気づかないだろう。浩平は、決して感情に流されるような男ではなかった。彼はプロであり、ずば抜けた才能を持つ監督なだけに、理性を働かせてすべてを支配しようとする時には、一切の情けをかけないタイプなのだ。そして今、浩平の心は決まった。由理恵の人生を舞台に、自らが壮大な芝居を演出してやろう。「蛍があなたを待ってるから」浩平は全ての感情を押し殺し、無表情で由理恵を見た。「車を寄越すから病院へ行ってくれ。あの子は二日ほど入院が必要だ。退院したら、また迎えに行くから」それを聞いて、由理恵は密かに安堵の息を漏らした。よかった、浩平はまだ育ての親である自分や、実の妹である蛍のことを気にかけてくれているようだ。そう思って、由理恵は浩平の手を離し、うつむいて涙を拭うふりをしながら、その目に得意げな色を浮かべた。......それから浩平は日和に、由理恵を車で病院にいる蛍の元へ送らせ、自分は部屋に戻って詩乃を探しにいった。一方で、詩乃はソファに座り、タブレットを手にしていた。玉のように美しい指先が、画面を滑っていたのだった。浩平がドアを開けて入ってくると、彼女はぴたりと動きを止め、顔を上げた時には、もう目の前に男が立っていた。そしてうなじを男の大きな手で包み込まれると、目の前に影が落ちた。浩平はそのまま身をかがめ、詩乃の唇を覆うようにしてキスをした。詩乃はびくりと肩を揺らし、まつ毛を数回震わせると、ゆっくりと目を閉じた。ちょうど洗いたての果物を持ってきた花梨は、その光景を目にしてふふっと頬を緩めると、黙ってキッチンへと
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第1192話

「お兄さん......」詩乃は浩平を見つめ、彼の言葉に胸を打たれるのを感じた。蛍に一人で立ち向かっていた時は泣かなかったのに。でも、浩平の一言で、詩乃の鼻の奥はツンとして、瞳にはみるみる涙が溜まっていった。「どうしたんだ?」浩平は眉をひそめ、涙をいっぱいに溜めた彼女の瞳を見て、胸が締め付けられるようだった。「俺が、何かまずいことでも言ったか?」詩乃は首を横に振り、浩平に腕を回して首に抱きついた。鼻をすすると、真剣な眼差しで彼を見つめながら言った。「お兄さん、約束して。私のせいで、彼らに屈したりしないで!あなたに私のための犠牲になってほしくないの!」「バカだな」浩平は優しく彼女の鼻をつまんだ。「我妻家には少なくとも育ててもらった恩がある。だから、それに報いるのも当然のことだよ」「あなたが言わないからって、私が知らないとでも思ってるんでしょ」詩乃は彼をじっと見つめた。「音々さんから全部聞いたわよ。あなたがお父さんと取引して、60億円を渡したから、お父さんはあなたが身の上を公表して、我妻家と縁を切ることに同意したって」浩平はきょとんとした。「音々さんがいつ、そんな話をあなたに?」「私たちが入籍した日に」詩乃は言った。「音々さんの話だと、あの60億円はあなたが我妻家に育ててもらった恩を返すためのお金で、それと、あと......」詩乃は、それ以上は恥ずかしくて言い出せなかった。だが、浩平はわざと彼女に言わせようとして、詩乃の腰を抱く大きな手で、彼女のくびれの柔らかい肉を優しくつまみながら聞いた。「あとは、何だって?」詩乃は浩平をちらりと見ると、「言わない。どうせわかってるくせに!」と言った。「言わなきゃ、わかるわけないだろ?」浩平は眉を上げる。その深い瞳には、恥じらう女の愛らしい姿が映っていた。「絶対わかってるもん!」詩乃は浩平を押しのけ、その腕から逃げようとした。しかし、彼が彼女を手放すはずもなかった。こうして、浩平はそのまま詩乃を横に抱き上げると、くるりと向きを変え、まっすぐ階段を上っていった。階段から足音が聞こえてきて、花梨はこっそりと顔を出した。あのラブラブな二人が二階へ上がったのを確認して、ようやく彼女は出てきて、ブドウを一粒口に入れて、噛み締めながら言った。「はぁ、恋の甘酸っぱい匂いがプンプンするわね
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第1193話

しばらくして、詩乃は泣き出し、目を閉じたまま、「お兄さん......お兄さん......」と何度もつぶやいた。それを聞いて浩平の瞳には炎が宿ったようで、もう限界だったが、彼はぐっとこらえ、ただ詩乃のことだけを考え、その気持ちを労わってあげた。そしてどうしていいか分からず泣き出した彼女を、浩平は自分の欲情を押し殺して抱きしめ、大きな手で彼女の背中を優しく擦りながら、低く掠れた声で、「いるよ。詩乃はいい子だ、大丈夫だよ」とあやした。まるで一瞬にして自分の体のコントロールを失ったようだった。それはとても不思議な感覚で、詩乃は少しの間、ぼうっとしてしまった。でも、浩平に抱きしめられると、すぐに心が落ち着いた。男の腕の中で、詩乃はだんだん穏やかさを取り戻していった。しばらくして、彼女は何かの気配をかすかに感じた。思わず視線を下に向けると、大きな手が先に詩乃の目を覆った。その手のひらは、少し湿っているような気がした。そして、浩平がごくりと喉を鳴らし、必死に欲望をこらえながら言うのが聞こえた。「見るな」詩乃はすぐに何が起こったのかを察し、唇を結んだ。彼女には彼がどれだけ辛い思いで我慢しているかが伝わったのだった。そして、詩乃は唇を引き結び、勇気を出して手を伸ばした......「詩乃!」浩平は、とっさに詩乃の手首を掴んだ。額に青筋を浮かべ、警告するように、そして今にも理性を失いそうな声で言った。「余計なことをするな」詩乃は潤んだ瞳で浩平を無邪気に見つめ返した。「お兄さん、お手伝いしてあげたいの」浩平は言葉を失った。今の詩乃の瞳と、その言葉が、どれほどの破壊力を持っているか、彼女は分かっていないのだろう。浩平は歯を食いしばり、深く息を吸い込んだ。「あなたは、生殺しって言葉をしらないのか!」詩乃は、きょとんとした。彼女は本気で決心したようだった。「お兄さん、私、経験はないけど、大学の友達からいろいろ教えてもらったことがあるの」それを聞いて、浩平は眉をぴくりと動かし、詩乃を睨みつけ、その目は今にも彼女に食ってかかりそうだった。「教えられた、だと?」「うん!」詩乃は少し恥ずかしそうにしながらも、正直に答えた。「男の人は、自分の手で解決するって言ってた」浩平は黙り込んだ。「私が手伝うのが嫌なら
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第1194話

それから、浩平からかけ直すことはなかったが、すぐに音々からメールが届いた。メールには、由理恵に関するあらゆる情報が書かれていた。浩平はそれを一つ一つ読み進めるうちに、心はますます冷え切っていくのだった。とっくに由理恵には期待などしていなかったはずだが、こうしてすべての真実を目の当たりにすると、やはり彼は自分の価値観に大きな打撃を受けたのを感じた。由理恵は、全く母親失格だ。......お昼の12時、詩乃はゆっくりと目を覚ました。そして、目を開けると、隣には誰もいなかった。彼女がベッドに手をついてゆっくりと体を起こすと、ちょうどその時、ドアが開いた。部屋に入ってきたのは浩平だった。詩乃が起きたことに気づくと、その端正な顔にやさしい笑みを浮かべた。「ちょうどご飯だから、起こしに来ようと思ってたところだよ」男はそう言いながらベッドのそばに腰を下ろすと、大きな手で彼女の髪を優しく撫でた。詩乃は浩平のすらりとした大きな手を握り、か細い声で尋ねた。「お兄さん、寝てなかったの?」「書斎でちょっと仕事を片付けてきたんだ」「昨日の夜、あまり寝てないでしょ?それに、行ったり来たりして大変だったんだから少しは寝ないとだめよ」詩乃は彼のことが心配で堪らなかった。それを聞いて、由理恵のせいで荒んでいた浩平の心は、その一言でたちまち癒やされた。「大丈夫、慣れてるから」浩平は言った。「顔を洗っておいで。下に降りてご飯にしよう」詩乃は素直に頷いた。......二人が下に降りると、花梨はまだキッチンで食事の支度をしていた。浩平と詩乃はリビングのソファに座って待つことにした。そして、浩平はテーブルの上のタブレットを手に取った。「最近、何かドラマ見てる?」「ううん、見てない」詩乃はタブレットを受け取ると、メモ帳を開いた。「昨日、時代劇の主題歌制作の依頼が来たの」詩乃は、実は多彩な才能の持ち主だった。我妻家が彼女を名家との政略結婚の駒にしようと、幼い頃からあらゆる英才教育を施してきたからだ。この数年で、詩乃が作った曲は十数曲にもなる。そのほとんどはドラマの主題歌で、曲も歌手も有名になったけれど、作曲者が誰かということまで注目する人はほとんどいなかった。おまけに詩乃自身が少し人見知りな性格で、自分をアピールする
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第1195話

詩乃は首を傾げた。「いくらくらいなの?」「大作映画の主題歌ともなれば、有名な作曲家への依頼料は最低でも6000万円からだね」詩乃は目を丸くした。「そんなに?」自分が作る曲は、数十万円でしか売れない。一番高かったのでも、先月の人気ドラマの曲で、数百万円だった。業界のベテラン作曲家たちと比べたら、自分なんて本当にまだまだ及ばないのだ。「どうだ?あなたが頑張れば、俺は6000万円も節約できるってわけだ」もちろん、浩平にとって6000万円は大した額ではないだろう。でも、彼はこの間、我妻家に60億円も渡したばかりだから、手元の資金にあまり余裕がなかったのかもしれない。そう思ったが、詩乃自身の手元にはもうほとんどお金がなくて、数十万円の貯金なんて、恥ずかしくて渡すのを口にも出せなかった。となると、自分が浩平の力になれることといったら、作曲ぐらいしかなさそうだった。そう思って、詩乃はうなずいて言った。「じゃあ、やってみる!」「よし。じゃあ後で脚本を見せるから、それに合わせて作詞作曲してくれ」詩乃は真剣な顔でうなずいた。「わかった!」浩平は彼女の顎を指でつまむと、その柔らかな唇にそっとキスをした。「詩乃は本当に優しいな」そう言われ、詩乃は顔を赤らめ、彼を押しやりながら、おずおずとキッチンのほうに目を向けた。幸い、花梨は料理に夢中だったから自分たちの方に気が付いていないみたいだ。......翌日、蛍の熱は下がり、町へ帰れることになった。日和が彼女ら親子を迎えに行った。そして、浩平は日和に、二人を直接別荘のほうへ連れて行くように、自分と詩乃の邪魔をするなと念を押したのだった。一方で、詩乃はソファに身を沈めていた。背中にはふかふかのクッションを当てて、両脚は浩平の膝の上に乗せ、手には脚本を持っていた。彼女が読んでいたのは浩平から渡された新作映画の脚本だ。片や、浩平の前のテーブルにも、ノートパソコンが置かれていた。浩平は詩乃の口にブドウを一粒入れてやると、ウェットティッシュで手を拭いた。ブドウには種があった。詩乃が身を起こしてティッシュを取ろうとした、その時。浩平がさっと手を差し出した。「ここに」詩乃はきょとんとして、彼を見上げた。浩平は促す。「俺の顔を見てどうする?早く出せよ」詩乃は舌
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第1196話

そう言われ、蛍の顔から、さっと笑顔が消えた。彼女の視線はまず、浩平が詩乃の足首を掴む大きな手に向けられた。そして、詩乃の戸惑った顔へと移っていったが、その目線には、嫉妬と憎しみがかすかに宿っていた。だが、視線を浩平に移すと、蛍はまた無邪気な表情になった。「浩平さん、ちょっと挨拶をしに来ようと思って」「挨拶はもう済んだだろ」浩平の声は相変わらず冷たかった。「もう帰りなさい」そう言われて、蛍は唇を噛んだ。整った綺麗な顔を不満げに歪ませて言った。「浩平さん、この間の言葉、もう忘れちゃったの?私のこと、本当の妹みたいにずっと可愛がってくれるって言ったじゃない。なのに、今日退院したのに迎えにも来てくれなかった......私から会いに来たのに、どうしてそんなに冷たいの」蛍はそう言いながら、また目を赤くした。「私のことが嫌いなの?もしそうなら、どうして私と契約して、こんなところに連れてきたの?」浩平はイライラしたように眉をひそめた。彼が何か言う前に、ドアの外から由理恵が入ってきた。すると、詩乃はそっと自分の足を引っ込め、スリッパを履いて、スカートの裾を直した。浩平は詩乃に目をやり、彼女を面倒ごとに巻き込みたくないと思った。「詩乃、先に二階へ行っててくれ」詩乃は頷くと、脚本とタブレットを持って素直に二階へ上がった。彼女も馬鹿じゃない。ここ最近の浩平と蛍、そして由理恵とのやり取りを見て、浩平があの二人を良く思っていないのは明らかだった。何があったのかは知らない。でも詩乃は、浩平が理由もなく人にこんな態度をとるはずがないと信じていた。浩平が話したがらない事情を、詩乃は無理に聞き出すわけにもいかなかった。だが、彼女も本当は、浩平の力になりたかった。彼の悩みを聞いてあげられる相手になりたかった。でも浩平が一人で向き合うことを選ぶなら、彼女も無理強いはしないつもりだ。愛し合う夫婦でも、プライベートな領域は必要なもので、詩乃は浩平のプライバシーを尊重していた。こうして、詩乃は部屋に戻ると、そっとドアを閉めた。彼女はソファの前に座り、脚本に目を通し続けた。浩平の映画のために作曲をするのは初めてだから、詩乃はとても真剣に取り組もうとしていた。......一方階下では、浩平がノートパソコンを閉じた。彼はソファに座
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第1197話

由理恵は眉をひそめ、浩平を見つめ、深く息を吸い込んだ。「浩平。蛍の前でおかしなことは言わないでちょうだい。お願いだから、ね?」浩平は冷たく鼻を鳴らした。「ああ、分かった。蛍は関係ない。彼女のことは言わないでおこう。だが......あなたには今日、必ず帰ってもらうから」由理恵は呆然として、「何を言ってるの?」「今日、あなたは一人で帰れば、蛍はここに残って契約通り映画の撮影を続けられる。最初に約束した通り、俺が彼女をデビューさせてやる。それが兄である俺からの、彼女への償いだ。だが、由理恵さん、よく聞け。俺は一生あなたを母親とは認めない。今後、二度と俺の実の母親と名乗って目の前に現れるな。さもないと、蛍のことも妹とは認めないからな!」蛍は呆然と二人を見つめていた。どういうことなの?どうして浩平は、こんなに母を憎んでいるんだろう?「浩平さん、お母さんにそんなこと言わないで.彼女はいつだって私たちのことを思ってくれているの。あなたがいなくなったのは事故だったって、仕方なかったんだってお母さんがそう言って悔やんでいたのよ......」「彼女の肩を持つなら、あなたも一緒に帰ればいい」浩平の氷のように冷たい視線が、蛍に向けられた。「よく考えろ。主役としてここに残りたいなら、今後は俺の前で彼女の話は一切するな。それから、あなたは俺の妹だが、仕事に関しては厳しくしていくつもりだ。妹だからって特別扱いを期待するな。それができないなら、今すぐ契約を白紙に戻して雲城に帰れ!」蛍はすっかり呆然としてしまった。浩平は本気だった。その様子に、蛍はもちろん、由理恵までもが圧倒されていた。心の中では悔しさが渦巻いていたが、由理恵は今後のことを考え、歯を食いしばった。仕方ない。せっかく蛍を浩平のそばに送り込んだんだ。主役の座も、やっとのことで手に入れた。この映画が公開されるまでは、蛍が有名になるまでは、浩平を怒らせるわけにはいかない。今は、我慢するしかない。由理恵は鼻をすすり、わざと悲しそうな顔をして頷いた。「浩平、私が悪かった。あの時、ちゃんとあなたを守ってあげられなくて、それであなたと離れ離れになってしまって......確かにそんな私にあなたの母親でいる資格なんてないよね。分かった、今すぐ帰るから。でもこれだけはお願い、私のせいで蛍
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第1198話

あの日から、蛍は言いつけ通り、浩平と詩乃の前に自分から現れることはなくなった。日和が手配した二人の先生は、毎日蛍のスケジュールをレッスンでびっしり詰め込んだからだ。蛍にも、たしかに怠けている暇なんてなかった。一方、浩平は週に一度、蛍のレッスンの進捗を確認しに行った。蛍の上達は目覚ましく、日和や先生たちも、彼女の飲み込みの早さを褒めていた。実際のところ、性格に難はあるものの、蛍は非常に優秀だった。蛍はもともと物覚えが良く、小さい頃からダンスを習っていたから動作も美しかった。それに、天使のような美貌も持ち合わせているのだから、たとえ実の妹でなかったとしても、浩平は彼女を主役に選んでいただろう。それに、この物語自体が蛍のその美貌を活かすために、あつらえられたものなのだ。ただ、脚本には手が加えられていた。浩平は一週間かけて、元の脚本を修正した。もちろん、脚本を完成させるには専門の編集者による推敲が必要だ。彼が担当するのは、いつも初稿までなのだ。そもそも浩平ほどの監督になれば、自ら脚本を書く必要などないのだが、それでも浩平が自身で書き続けることに長年こだわり続けているのは、撮りたい物語には彼ならではの視点と表現方法があるからだ。浩平は初稿を脚本家に送り、推敲後、企画審査にかけるよう指示した。それとは別に、印刷した初稿を詩乃に手渡した。すると読み終えた彼女は、ひどく心を揺さぶられているようだった。書斎で、詩乃は浩平の膝の上に抱き上げられ、新しい脚本を手にしていた。彼女は脚本を閉じ、浩平を見上げた。「このヒロイン、設定を変えたのね」「ああ」浩平は尋ねた。「どうだった?」「キャラクターが前より深みを増してて、全体的に暗い話になったわね」詩乃は唇を引き結び、少し考えてから続けた。「前の脚本だと、ヒロインは白鳥から黒鳥に堕ちていく話だった。でも、リニューアル版には最後の逆転があって、ラストシーンで血まみれの白鳥が暗闇に立つでしょ。その血が黒くなっていくのは、彼女が元から黒鳥だったことの暗示よね。愛されたくて白鳥を演じていたけど、結局、野望が彼女の本性を暴いてしまった、ってことなのね」「さすがだな、あなたは俺をよく分かってる」そう言って浩平は笑みを浮かべた。彼女の柔らかな手を自分の大きな掌で包み込み、指を絡ませな
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第1199話

詩乃は姉である音々をとても頼りにしていた。だから、北城にいれば詩乃ももっと安心できるだろうと浩平は思った。そこで秘書がいくつかの物件をピックアップして、浩平に送ってきた。浩平は詩乃に選ばせた。詩乃はその中で梨野川の別荘を気に入ったようだ。「これは中古物件だ。前の持ち主は家族でS国に移住してて、だからリフォームした後もほとんど帰ってきてなかったらしい。ここなら、すぐにでも住めるぞ」「私、ここがすごく好き。中古でも全然気にならない。お家がきれいならそれでいいし、それに中古のほうが化学物質の心配もないもの。川も見えるし、前庭と裏庭もついてる。子供もこれから、裏庭で思いっきり走り回って遊べるね。もしその子が動物好きだったら、猫と犬を飼ってもいいわね。そしたら、きっとすごくにぎやかになるんじゃない!」そう言いながら、詩乃は自分のお腹をそっと撫でた。妊娠四か月を過ぎたところで、彼女のお腹の膨らみはまだそれほど目立たないけど、最近、胎動ははっきりと感じられるようになっていた。それを聞いて、浩平は彼女の口元に軽くキスをした。「わかった。あなたが気に入ったのなら、ここにしよう」それから彼は秘書に電話をかけて、購入手続きを進めてもらい、二人が帰国するまでに、別荘のインテリアや寝具をすべて新しいものに交換しておくよう指示した。こうして、帰国は次の週の月曜日に決まった。そして帰国まであと五日になったところで、蛍のトレーニングは正式に終わった。でも、映画のクランクインまでは、彼女がヒロインであることは秘密にしておかなければならないのだ。そこで、蛍のマネージャーである日和は、彼女にアシスタントを一人つけた。そして、彼女はクランクインまではひとまず雲城大学に戻って学業を続けるように手配したので、蛍と日和たちは、明日先に帰国することになった。そして、今夜は、オーナーである浩平が音頭を取り、チーム全員でS国の高級レストランへ食事に行くことになっていた。食事会となれば、当然お酒も入る。高い報酬で雇った二人の先生はとても乗り気で、しきりに浩平にお酒を勧めた。そしてその場で、新作映画の大ヒットを祈ったり、数か月後に生まれる赤ちゃんの誕生を祝ったり、二人目は男女の双子でありますように、と次々にお祝いの言葉が飛び交っていた。もちろん、
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第1200話

そして、中から低い男の声で返事しているのが聞こえて、しばらくするとバスルームのドアが開いた。こうして、男はバスタオル一枚で、濡れたままの上半身を晒し、水滴ががっしりした胸板を伝って、引き締まった腹筋の上を滑っていく姿で現れた。詩乃の視線はその水滴を追いかけた......腹筋まで来ると、彼女は思わず数を数え始めてしまった。1、2、3、4、5、6、7、8。8個も。詩乃は息を呑み、頬が熱くなった。「ちょっと支えてくれ」そう思っていると、頭上から少し酔ったような男の低くかすれた声が聞こえてきた。詩乃は急いで駆け寄り、手を伸ばして彼を支えた。「ゆっくりね」浩平は詩乃の肩に腕を回した。ゆっくりとした動きで、彼女に支えられながらベッドへと向かった。詩乃は浩平をベッドサイドまで支えて座らせた。水滴が滴る彼の濡れた髪を見て、ため息をついた。「動かないで、座ってて」そう言われて浩平は詩乃を見つめ、「わかった」と素直に頷いた。詩乃はクローゼットを開け、きれいなタオルを取り出すと、浩平の前へと向き直った。彼女は浩平の髪を拭き終わったあと、体を拭いてあげた。しかし、ふと指先が彼の肌に触れると、少しひんやりとしているのを感じた。すると詩乃は動きを止め、浩平に尋ねた。「お兄さん、もしかして水シャワー浴びたの?」浩平は彼女をじっと見つめていた。酔いが回っているのか、反応が鈍いようで、しばらくして、彼はようやく「うん」と低い声で応えた。それを聞いて、詩乃は眉をひそめて叱った。「お酒飲んでシャワー浴びるのはよくないわよ。しかも水シャワーなんて!酔いが回って転んだりしたらどうするの?」そう言われても浩平は何も言わなかった。アルコールのせいで彼の目尻が赤く染まり、その瞳は闇夜のように深く沈んでいった。それを見た詩乃は、彼は本当に酔っているのだと感じて、心配だけど、どうしようもない気持ちになった。彼女はドライヤーを持ってきて浩平の髪を乾かした。髪を乾かし終わる頃には、酔い覚ましのスープもちょうどいい温度になっていたので、彼女は酔い覚ましのスープを手に取り、浩平の隣に座った。「お兄さん、酔い覚ましのスープよ。もう熱くないから、早く飲んで」浩平は器の中の酔い覚ましのスープに目を落とした後、顔を上げて詩乃を見つめた。「飲ませて」と
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