All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 1801 - Chapter 1810

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第1801話

悠翔はスーツ姿で、髪も少し短くしていた。どことなくビジネスマンらしい雰囲気をまとっていた。「俺は出張でね」悠翔は桜を見て言った。「君はどうしてここに?」「音楽番組の撮影です」桜はあたりを見回した。「急な豪雨で帰れなくなって、ロケ班が部屋をおさえてくれたんですけど、安人がどうしてもこのフロアの部屋がいいって言うから……」「いかにも彼らしいな」悠翔は笑った。「安人さんは、君のこと、目の中に入れても痛くないくらい大事にしてるからね」桜は頬に手を当てた。「他のタレントさんに見られて、特別扱いされてるって思われちゃうから困ってます」「自腹で部屋を変えたんだから、文句を言われる筋合いはないさ」悠翔は少し間をおいて言った。「俺も今日、星城市に帰る予定だったけど、この豪雨じゃあ仕方ない。もう一泊するしかないよ。せっかくだから、今夜は俺が奢る。ルームサービスにする?それとも下のレストランの個室で食べるかい?」「エレベーターで他のタレントさんと会うかもしれないから、ルームサービスにしません?」桜は言った。「岡崎さん、もしよかったら私の部屋で食べるのはいかがですか?」「いいね。君は今や超人気者なんだから、外では確かに気をつけないとね!」「では、どうぞ!」桜は笑顔で悠翔を部屋に招き入れた。悠翔はにこりと笑って、桜のあとについて部屋に入った。……一方、安人は会議を終えてオフィスに戻ったところ、個人のスマホのライン電話が鳴った。桜専用に設定している着信音だ。安人はスマホを取り出すと、オフィスのドアを閉め、ロックを解除してビデオ通話に出た。「やあ、久しぶりだね、安人さん」画面の向こうに、悠翔の整った顔が大きく映し出された。それを見た、安人は一瞬黙ったあと言った。「なんでお前なんだ?」安人はデスクの前に座ると、眉をひそめ、あからさまに嫌な顔をした。「お前の顔なんて見たくない。俺の奥さんにスマホを返せ」「ひどいな、奥さんができたら、こっちはもう用済みかよ!」悠翔は皮肉たっぷりに言った。「前に桜さんのことをよろしくって頼んできたときは、そんな態度じゃなかったくせに!」安人は冷めた表情で悠翔の言葉を無視し、ただ尋ねた。「桜はどこだ?」「ここにいるよ!」悠翔は呆れたように言い、安人のデレデレぶりに我慢ならないという様子で、
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第1802話

悠翔はスマホを桜に返しながら、彼女の顔を見て言った。「この前ネットのニュース見たよ。すごく心配になって、安人さんにも電話したんだ。でも、安人さんは何も教えてくれなくてさ。『彼女とは上手くいってる』って言うだけ。でも本当は、あの時なにかあったんだろ?」そう言われ、桜はぴたりと動きを止めて、悠翔のことをしばらく見つめた。あの浦豊町での一件から、もう2週間ほど経っていた。桜も、自分からあの時のことを思い出すことは、ほとんどなくなっていた。でも、こうして悠翔に聞かれて思い出すと、なんだかずっと昔のことのように感じられた。「うん、確かに色々ありました。でも、安人が私を助けてくれたんです。あの経験は本当に怖かったけど、今思うと、神様が与えてくれた試練だったのかもしれないですね。私はそれで救われました。もしあの出来事がなかったら、私はきっと、ずっと臆病なまま逃げ続けていたと思います」悠翔は桜を見て言った。「詳しいことは分からないけど、前に会った時と比べて、すごく変わったと思う。前の君は、いつでも安人さんと別れる準備ができているように見えた。でも今回は、もうすっかり覚悟が決まった顔をしてる」桜は少し驚いた。「そんなに分かりやすかったですか?」「ああ。自分じゃ気づかないものさ」桜は少し恥ずかしそうにうつむいた。「岡崎さんは、やっぱり鋭いですね」悠翔は眉を上げた。「じゃあ、もう決心したんだ。二度と安人さんとは別れないって?」「別れるわけないじゃないですか!」隣にいた寧々が、ついに我慢できずに口を挟んだ。「桜さんはもう、碓氷さんと入籍したんですから!」そこで、夏帆も付け加えるようにして言った。「入籍しただけじゃないですよ。ご両親にも挨拶済みで、今や桜さんはもう名実ともに碓氷家の若奥様なんです」それを聞いた、悠翔は「はっ?!」と驚いた。待てよ、なんで俺には誰も言ってくれてなかったんだ?桜は、目を丸くする悠翔を見て、思わず笑ってしまった。「岡崎さん、わざと隠してたわけじゃないんです。ただ、まだ公にするつもりがなくて……」「公表しないにしても、俺には一言くらいあってもいいだろ?」悠翔は怒った。「桜さん!俺はあんたの大ファンなんだぞ!それに、安人さんとは兄弟みたいなもんなんだ!入籍なんて一大事を、俺に一言も言わないなんてどういうことだよ
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第1803話

悠翔が帰った後、桜はすぐに安人にビデオ通話をした。時刻は、夜の9時過ぎだった。桜はソファに体をうずめて、両手でスマホを掲げていた。画面に映る彼女の頬はほんのり赤くて、それがはっきりと見えた。安人は彼女の顔をじっと見て、少し眉をひそめた。「お酒、飲んだのか?」「うんうん!」桜は頷いた。瞳はうるんでいて、口調もいつもより少し甘えた感じだ。「岡崎さんが、結婚祝いだからって、どうしても飲めって言うから!」安人は一瞬黙ったあと言った。「あの野郎、帰ってきたら覚えてろよ」「やめてよ!」桜は唇を尖らせた。「岡崎さん、ご祝儀までくれたんだよ。受け取ってよかったのかしら?」「遠慮するな。もらっておけ」桜はぱちくりと瞬きした。「でも、まだ結婚式もしてないのに。入籍しただけなのにご祝儀をもらうなんて、いいのかな?私の地元じゃ、そんなのあり得ないよ」「他人だったらそうかもしれないけど、悠翔は違うだろ。あいつは身内みたいなものだから、そんなに気にしなくていい。それに、くれたっていうことは、心から受け取ってほしいってことなんだよ。断るほうが、かえって他人行儀に思われて、あいつ拗ねちゃうよ」桜は酔っていて、頭の回転が少し鈍くなっている。しばらくして、彼女はやっと頷いた。「うん、わかった。じゃあ、心置きなく受け取っておくね」そんな彼女を見て、安人は聞いた。「どれくらい飲んだんだ?」「ちょっとだけ!ほんの一杯!」桜は手でジェスチャーした。「ワイングラスに半分もなかったよ。赤ワインって、そのまま飲むと美味しくないね。酸っぱいし渋いし。なんでみんなこれが美味しいって思うんだろう?」「俺もあまり好きじゃないな」安人は口元を緩めた。「好きじゃないなら、もう無理して飲むなよ」「私はやっぱり甘いお酒が好きだな」桜はそう言うと、目を細めて笑った。「あなたが作ってくれるのが一番好き!」「なら、帰ったらまた作ってやるよ」「うん!」桜は手で口をおさえ、あくびをした。「早く家に帰りたいな。外はまだすごい雨だし……もし明日も雨がやまなかったら、どうしよう?」「大丈夫だよ。おとなしく寝なさい。朝、目が覚めたら、きっと良い天気になってる」「ほんと?」酔っぱらった桜は、甘え始めた。「嘘はダメだよ!」「嘘はつかないさ」安人は酔ってうとうとしている桜を見
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第1804話

写真の中の桜は、ある男性タレントと親密そうにしていた。その男性タレントは宮田拓真(みやた たくま)という。彼はアイドルグループ出身で、今はソロで活動している人気アイドルだ。彼のガチ恋ファンは、一人ひとりの攻撃力が半端ないことで有名だった。暴露記事が出るやいなや、拓真のガチ恋ファンがすぐに、有無を言わさぬ勢いで桜を叩き始めた。拓真のファン:【これ、桜じゃん!拓真、あんた何やってんのよ】拓真のファン:【これは拓真のせいじゃない。桜が売名行為をする常習犯だっていうのは、この業界じゃ有名な話じゃない。共演した俳優はみんな彼女の炎上商法に利用されるのよ。この写真だって、どうせ桜が仕組んで撮らせたに決まってる!ああ、むかつく!輝星エンターテイメントも、もっといいタレントがいるのに、なんで芸能界の厄介者みたいな桜と契約したわけ?弱みでも握られてるの!】拓真のファン:【桜のファンはさ、彼女が前売れなかったのは全部事務所のせいだとか言って必死に擁護してたよね?『枕営業を断ったから炎上キャラに仕立て上げられた』とか言ってなかった?じゃあ今はどうなの?事務所は輝星エンターテイメントに変わった。業界で一番まともで評判のいい事務所なのに、やってることは前と一緒じゃん。男を見ればすぐに飛び掛かって!本当に気持ち悪い!桜ファンは、これでもまだ擁護するつもり?】……こうして、拓真のガチ恋ファンたちは勢いづいて、桜のツイッターにまで乗り込んで罵詈雑言を浴びせ始めた。桜のファンたちも、もちろんこれを黙って見ていられるはずがない。ここまで言われて、言い返さなかったら、なめられてしまう!桜ファン:【ファンは推しに似るって言うけど、本当に口が悪いわね!妄想癖を棚に上げて、よくも人のせいにできるわね。うちの桜りんは、今や輝星エンターテイメント所属よ。仕事なんていくらでもあるのに、あんたたちの知名度を利用する必要ある?】桜ファン:【拓真のガチ恋ファンがヤバいって噂は聞いてたけど、百聞は一見に如かずだね。すごいわ。その調子で頑張ってね。あんたたちのトップアイドル拓真様の人気は、親愛なるガチ恋ファンのおかげなんだから】桜ファン:【頭おかしいんじゃないの。たった数枚の写真で、うちの桜りんが売名目的で拓真を利用したって決めつけるわけ?今の桜りんに、あんたたちを利用する
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第1805話

一方、ネットでそんな騒ぎになっているなんて、桜は知る由もなかった。彼女はその夜は、ひたすらぐっすり眠っていた。目が覚めると、外はもうすっかり明るくなっていた。激しい雨もすっかりやんでいる。桜はベッドから体を起こして時間を確認した。すると、なんと午前10時を回っていた。桜は頭を揉みながら、昨日の夜のことを思い出そうとした。悠翔と赤ワインを飲んだことは覚えている。確か、そのあと安人とビデオ通話をしたような気がする。記憶が飛んでいるわけじゃなかった。むしろ、少し考えただけで昨日の自分が言ったことや、したことがはっきりと思い出せた。それに、安人に話したあの甘ったるい声のことも……桜は思わず手で顔を覆った。最悪……あの時、寧々と夏帆もいたのに……もうお酒は飲まないようにしよう。お酒に弱い上に、酔うと本当にタチが悪いんだから。そう思いながら、桜は布団をめくると、スリッパを履いて部屋を出た。ドアは開けっぱなしになっていた。寧々と夏帆はソファに座り、スマホを手に顔を寄せ合って話している。「宮田のガチ恋ファン、今日はショックで倒れてるかもね!」夏帆が頷く。「自業自得よ。桜さんを甘く見たらどうなるか、思い知らせないとね」寧々は口元を隠して笑った。「さすが碓氷さんよね。あっという間に宮田のスキャンダルを全部暴露しちゃうんだから!実は昨日、現場で彼のこと少しおかしいと思ってたの。何度も桜さんに話しかけてきて。でも、コーラスのことで打ち合わせしたいって言うから、あまり気にしなかったんだけどね」「それにしても、彼がそこまで浅はかだとは思わなかったわ。桜さんはもう、誰でも売名行為に利用できるような人じゃないのにね。それに、桜さんは今や輝星エンターテイメントがイチオシのタレントだってこと、宮田は分かってなかったのかしら!」「そうよね。桜さんと碓氷さんの関係がまだ公になっていなくても、後ろには輝星エンターテイメントがついてるんだから。ちょっかいを出してくるなんて、よほどのバカじゃないとしないわよ!」そこへ、桜は二人に近づきながら尋ねた。「誰がバカだって?」桜の声に、二人は同時に振り返った。「桜、起きたのね!」寧々はすぐにスマホを置いて立ち上がった。そして桜の前に立つと、彼女の顔をのぞきこんで言った。「気分はどう?頭は痛く
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第1806話

「その必要はないけどね」桜は言った。「過ぎたことはもういいの。今で十分幸せだから」それを聞いて、寧々は唇を尖らせて言った。「それで、何時に帰るの?」「岡崎さんはもう帰ったの?」と桜は尋ねた。「岡崎さんなら、もう朝早くに出発したよ。8時ごろかな、挨拶に来てくれたんだ。でも、あなたがまだ寝てたから、よろしく伝えてって言ってた」桜は頷いた。「じゃあ私、荷物をまとめてくるね。あなたは飛行機のチケット取って。早く帰って安人に会いたくなっちゃった」寧々は眉を上げてニヤリとした。「あらあら、たった二日会ってないだけなのに、もう恋しくなっちゃった?」桜は軽く彼女を睨んだ。「ここにいても退屈じゃない!」「はいはい、そうでしょうね。碓氷さんがいないと、そりゃ退屈で時間も長く感じてしまうよね」そう言われると、桜は返す言葉が見つからなかった。……午後2時、飛行機は北城空港に到着した。ネットのトレンドになっていた件もあり、輝星エンターテイメントは桜の移動がバレないよう、迎えに専用車を手配してくれた。車に乗ると、桜はマスクを外した。「このままWVTechに行きたいんだけど」寧々は一瞬きょとんとして、振り返って彼女を見て言った。「そんなに急いで会いたいの?」桜は彼女の肩をポンと叩いた。「だって、旦那さんが働いてるところ、まだ見たことないんだから。どうせ時間あるし、ちょっと見に行きたいなって!」それを聞いて、夏帆がスマホを取り出した。「それじゃあ、碓氷さんに連絡しますね」「待って!」桜は慌てて彼女を止めた。「言っちゃダメ!」夏帆は一瞬戸惑ったが、すぐに察した。「碓氷さんを驚かせたいんですね?」桜は頷いて、言った。「でも、どうやったら安人にバレずに、こっそりオフィスまで行けるかな?」「簡単ですよ!」夏帆は笑った。「新太さんに下まで迎えに来てもらえばいいんです!」……一方、夏帆から電話がかかってきた時、新太は会議室にいた。ちょうど役員会議の真っ最中で、安人は議長席に座っていた。新太はスマホを手に、会議室の外へ出て電話に出た。桜が来ると聞いて新太は少し驚いたが、それが安人へのサプライズだと知った途端、一瞬にして興奮してきた!これは社長夫人に恩を売る絶好のチャンスだ!それに、社長夫人が社長にサプライズを
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第1807話

鈴木秘書はぼそっと聞いた。「いったい何者なの?古川さんが直接、社長室にお通しするなんて」すると、湯川秘書が言った。「あんな風に顔を隠してるってことは、ただ者じゃないわよね。きっと芸能人よ。どの女優さんかしら?」それを聞いた、秋山秘書は思わず言った。「なんか、あの人のスタイル、私の推しの桜りんに似てない?」「桜りんって?」鈴木秘書は驚いて聞き返した。「もしかして春日桜さんのこと?」「うん。体型がそっくり。それに、あのバケットハット、桜りんもよくかぶってるのよ!」「ありえないでしょ、桜ちゃんなわけないじゃない!」湯川秘書は反論した。「碓氷社長が芸能人嫌いなのは、ビジネス界でも有名な話よ。それに、うちの会社がタレントをCMに起用したことなんてあった?この間も課長から聞いたんだけど、桜井社長との提携を断ったのも、あそこがいつもタレントを起用しているからだって話じゃない!」鈴木秘書も便乗して言った。「湯川さんの言う通りだよ。秋山さん、最近ちょっと夢中になりすぎなんじゃない?顔を隠してる人を見たら、みんな桜りんに見えちゃうんでしょ、ははは!」秋山秘書は気まずそうに頭をかいた。「そうかもね。だって昨日の夜も、桜りんはまたひどい目に遭わされそうになったんだから。輝星エンターテイメントがうまくやってくれたけど。桜りんも最近せっかくいい感じになってきたから、やっぱり事務所って大事よね。彼女は絶対にスターになるんだから!」「知ってる、拓真でしょ。正直、彼には全然興味がなかったけど、昨日の夜、彼と彼の事務所のやり口はひどすぎてドン引きしたわ」湯川秘書は言った。「私みたいな、アイドルに興味ない人間でもムカついたくらいだから。でも、天罰はすぐに下ったみたいね。朝8時にはネットで彼のスキャンダルが炎上してたし、笑えるわ。これで、彼のガチ恋ファンたちがまたネット上で大騒ぎしてたわよ!」そこに秘書課の課長がやってきて、デスクをコンコンと叩いた。「はい、仕事中に無駄話はしないように」若い秘書たちはすぐに口を閉ざし、仕事に没頭した。その時、新太が社長室から出てきて、静かにドアを閉めた。秘書課の課長は固く閉ざされたドアに目をやり、新太の方を向いた。「古川さん、中にお茶菓子などお持ちしましょうか?」新太は聞き耳を立てている若い秘書たちに目をやり
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第1808話

それと同時に、新太はドアを開け、急いで部屋の中を見回したが、桜の姿が見当たらなかったので、彼はホッと一息ついた。桜はきっと休憩室にでも隠れているんだろうな、と彼は思ったから。「社長、デスクの上にあるのは急ぎの書類です。目を通していただき、問題がなければサインをお願いします。すぐに秘書課からマーケティング部に回させますので」「わかった」安人は部屋に入ると、まっすぐデスクへ向かい、腰を下ろした。片やそのデスクの下で、桜は口を手でふさぎ、目をまん丸くした。安人は椅子をデスクの方へ滑らせる。すらりとした長い脚を広げ、背筋を伸ばして座った。彼は書類を開いて、すぐに内容を確認し始めた。そんなこととはつゆ知らず、デスクの下にいる桜は、顔が真っ赤になっていた!これは、とんでもないアクシデントだ!彼女は、すぐ目の前にある安人のある場所を見つめながら、口をおさえて息をひそめた……安人は書類を読み終えると、問題ないと思いペンを取ろうとした。でも、その時ふと手が滑って、ペンが足元に落ちてしまった。彼は一瞬動きを止め、それを拾おうとかがみこんだ——すると、そこでくりくりっとした大きな瞳と不意に目が合ってしまうのだった。安人はきょとんとした。桜も、固まってしまった!すぐに安人は何かを察して、片方の眉をくいっと上げた。その黒い瞳に、いたずらっぽい笑みを浮かべて桜を見つめた。そう見つめられた桜は、思わず手で顔を覆った。それに対し、安人は口の端を少し上げて笑うと、ペンを拾って体を起こした後、また何事もなかったかのように平然としていた。彼はさっとサインをして、書類を新太に渡した。新太はそれを受け取ると、「社長、ほかに何かありますか?」と尋ねた。「今は大丈夫」安人は新太を見ながら、彼がこっそり桜を連れてきたのだろうとすぐに見抜いた。でも、彼のあの反応を見るかぎり、まさか桜がデスクの下に隠れているとは思っていなかったようだ。新太は書類を持って、オフィスを出ていった。ドアが閉まった後、安人は少し待ってみた。でもデスクの下の彼女が出てくる気配がないので、やれやれとため息をついて言った。「新太はもう行ったよ。まだ出てこないの?」そしてすこし、沈黙が続いた。安人が椅子を少し後ろに下げようとした時、ふと、彼女は華
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第1809話

どうやら、安人は桜のサプライズが、相当気に入ったようだ。それから、桜がオフィスをゆっくり見回す間もなく、安人は彼女を抱き上げて休憩室へと向かった。もうすぐ退勤時間だということもあって、安人の行動はさらに大胆になった。安人の香りが染みついた大きなベッドで、そのダークグレーのシルクのシーツに、二人の愛の跡がことごとく残された。その結果、桜はくたくたに疲れ切ってしまった。付き合い始めたばかりの頃は別として、安人がこんなに激しくなることは滅多になかったからだ。普段の彼も遠慮するほうではないが、今日の安人は格別に興奮していて、何度も何度も桜を求めてきた。ついに、桜は疲れ果てて泣き出してしまった。彼女は安人の肩に噛みつき、八つ当たりするように言った。「安人、これ以上続けたら、明日から梨野川の別荘に泊まるから!」安人はぴたりと動きを止め、彼女の目尻の涙を優しくキスで拭った。そして掠れた声で囁く。「大丈夫、本当にこれが最後。約束する」桜はむっとしたが、彼をどうすることもできなかった。朦朧としながら、彼女はふと思った。もし自分に子供が産める体だったら、こんなに激しい安人といたら、すぐにでも子供がたくさんできちゃうんじゃないかって。子供のことを考えると、桜は少しぼーっとしてしまった。彼女が上の空なのに気づいた安人は、不意にぐっと力を込めた。「んっ」桜は小さく喘ぎ、はっと我に返って彼女は安人を睨みつけた。「何を考えてた?」安人は彼女を見つめ、セクシーな掠れ声で言った。「よそ見をするなんて、物足りないってことかな?」そう言われ、桜は唇を噛み、恥ずかしさと悔しさを込めて彼を睨み返した。一方、安人は顔を近づけ、彼女に深いキスをした…………全てが静まり返った頃には、空はもうすっかり暗くなっていた。桜は疲れ果てて、指一本動かしたくなかった。安人は桜を抱き上げ、シャワーで優しく体を清めてあげた。でも、ここには桜の着替えがない。安人は仕方なく、クローゼットから自分のシャツを取り出して彼女に着せてあげた。安人の白いシャツを着た桜は、まるで大人の服を着た子供のようだった。「先にベッドで休んでて。夏帆に頼んで、着替えを届けさせるから」桜はベッドに横になりながら、あくびを一つした。そして気まずそうに言う。「そんなことし
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第1810話

だが、以前出演した演劇で、桜は舞台の魅力と、観客からのダイレクトな反応や拍手の温かさを肌で感じることができた。その時から、桜の心にある考えが芽生え始めていた。でも、その考えをちゃんとまとめるには、もう少し時間が必要だった。……夏から秋へ季節は移ろい、4ヶ月に及んだ撮影も、9月中旬、ついにクランクアップの日を迎えた。クランクアップの日、浩平が桜のために打ち上げを開いてあげた。もちろん、安人も駆けつけた。今回も彼はスポンサーという立場で、打ち上げに参加していた。でも、事情を知っている何人かは、安人の本当の目的が別にあることを知っていた。打ち上げが盛り上がる中、いつの間にか主演女優とスポンサーの姿が消えていた。だが、会場では、皆がお酒を飲んで楽しく会話を交わし、いつの間にかいなくなった二人に気づく者はいなかった。……一方、月明かりがおぼろげな夜。砂浜には、ざあざあと波が打ち寄せていた。二つの人影が、肩を並べてゆっくりと歩いている。岸にあるレストランの看板の明かりが二人を照らし、長い影が砂浜に映し出されていた。安人は桜の華奢な手を引きながら、裸足になって波打ち際で遊ぶ彼女を、愛おしそうに見つめていた。9月のM市はまだ暑い。夜になっても海風は少し生暖かく、潮の香りがした。桜は顔を上げて安人を見て尋ねた。「こうして抜け出してきちゃったけど、みんな気づくかな?」「大丈夫だよ」安人は低い声で答えた。「本当に?」桜は唇を尖らせた。「撮影班のみんな、私たちのこと、ただならぬ関係だって薄々気づいてると思う。我妻監督とあなたの手前、見て見ぬふりをしてくれてるだけよ!」安人は口の端を上げて笑った。「大丈夫。もうすぐ、そんな芝居をする必要もなくなる」桜は尋ねた。「どういうこと?」「映画はもうクランクアップしただろ?」安人は彼女を見つめて言った。「我妻監督が言うには、君はこの映画で賞を獲れるのはほぼ間違いないらしい。監督は長年の経験があるから、人を見る目には狂いがない。それに、今回の映画は時代を切り取ったアート系の作品だ。海外の映画祭でも通用するはずだから、俺も追加で出資することにした」「えぇ!?」桜は驚いた。「元が取れなかったらどうするの?」「損したっていいさ。カジノで遊んだと思えば安いもんだ」
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