All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 391 - Chapter 394

394 Chapters

第391話

番組スタッフの対応は迅速で、ものの数分で荒井が琵琶を抱えて戻ってきた。荒井は琵琶を遥の前に差し出し、「桜井先生、頑張ってください!」と声をかけた。目の前の琵琶を見つめる遥は、どうすればいいのか分からず、立ち尽くしていた。綾は遥を見て、かすかに口角を上げた。「桜井先生、みんな期待してるんだから、がっかりさせないでくださいね」その言葉を聞いて、遥は綾の方を向いた。綾は少し微笑み、挑発するように遥を見つめた。わざとやってるんだ。遥は拳を握りしめた。しかし、みんなの前では冷静さを保たなければ。遥は唇を軽く上げて、柔らかな声で言った。「すみません、今日は体調が良くなくて、うまく弾けないと思うので、お恥ずかしいですが......」その言葉を聞いて、みんな少しがっかりした様子だったが、遥の体調が悪いのであれば、無理強いはできない。「桜井先生が体調不良とのことなので、仕方ないですね」と藤木先生が言った。洋平も少し残念そうだったが、理解を示した。「ええ、体調が悪い時はゆっくり休むのが一番です」「ちょっと失礼します」要は手を上げた。みんなが一斉に彼の方を見た。遥も例外ではなかった。白いシャツを着た要は、温厚な雰囲気で、落ち着いた声だった。「実は、私はM市の伝統音楽にとても興味があるのですが、なかなか触れる機会がありませんでした。私の知る限り、M市の伝統音楽の五音音階は古代の五音『宮、商、角、徴、羽』に対応しているそうですね」要は遥を見て、紳士的に尋ねた。「桜井先生、五音音階の指使いについて、教えていただけませんか?」遥は驚いた。M市の伝統音楽の五音音階を習い始めてまだ三日しか経っていない。文子が隣で見守っている時でさえ、間違えてしまうのに、ましてや今......綾は穏やかに微笑んで言った。「桜井先生、五音音階は基本中の基本ではありませんか?北条先生がそんなに興味があるなら、教えてあげたらどうですか?」「私も習いたいんです!」と若美は遥にいたずらっぽくウィンクをした。「ただの五音でしょう?桜井先生に負担をかけるほどのことじゃないですよね?」「私は......」遥はうつむき、考えをめぐらせた。すぐに決心がついた。立ち上がり、「では、お恥ずかしいですが、少しだけ......」と言った。
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第392話

月明かりの下、柔らかな風が女性の繊細な頬を撫でた。女性は美しい指先で琵琶の弦を弾いた。すると、優雅な旋律が夜の闇に響き渡っていた。荒井はしばらく聴いていたが、はっと我に返って言った。「これは、『おじいちゃんの絵筆』ですか?」綾もこの曲を弾けるなんて。荒井は思わず携帯を取り出し、このシーンを録画した。綾は何年も琵琶に触れていなかったため、最初は少しぎこちなかったが、次第に調子を取り戻していた。この曲は番組スタッフの多くを引き付けた。監督はアシスタントに目を向けた。アシスタントはすぐにジンバルを取り、監督に手渡した。監督はこの瞬間を記録しようと、ジンバルを使ってこのシーンを撮り始めたのだ。要も傍らに立ち、手に持った携帯でそれを記録した。一曲が終わり、現場は静まり返った。次の瞬間、拍手が沸き起こった。綾は顔を上げると、遥と恒、美弥の三人を除いて、全員戻ってきていることに気付いた。彼女は琵琶を抱え、落ち着いて一礼し、それから彼女は楽器を荒井に返した。「ありがとうございます」荒井は輝く瞳で彼女を見つめた。「二宮先生、すごいです!M市の伝統音楽を習っていたんですか?」「ええ、祖父がM市の伝統音楽の先生をつけてくれたので、8歳から習っていました。でも、15歳になった時、続けるのをやめてしまいました」「二宮先生の指使いは、しっかりとした基礎があることが分かります」監督は笑って言った。「今、ジンバルで二宮先生の演奏を録画しました。もし差し支えなければ、今回の予告編に入れたいのですが」綾は心の中で考えを巡らせた。少し考えた後、彼女は頷いた。「構いません」「それはよかったです!」監督は笑顔で言った。「後で編集させてください。放送前に二宮先生に送らせてもらいますので、オンエアはご確認いただいてからにします」綾は頷き、微笑んだ。「ありがとうございます」-部屋に戻ると、遥は美弥に席を外すように指示した。すると、部屋には、遥と恒だけが残った。恒は真剣な表情で遥を見つめた。「さっきは、気絶したふりをしたんだろう?」遥は少し後ろめたさを感じたが、もはやこの番組をこれ以上続けることはできないと分かっていた。今夜は気絶のふりをしたことで切り抜けたけれど、明日はどうなる?二泊三日の収録で、綾
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第393話

遥は、恒に庇ってもらうために、わざと弱々しいふりをすることにした。これまで、この手は何度も成功してきたのだ。しかし今日この手は、恒に通用しなかった。ベテランマネージャーの恒には、彼独自のルールがあった。遥の行動は、彼の限界を超えていた。彼は苛立ちながら言った。「こんな大事なことを、なぜ先に相談してくれなかったんだ?」遥は驚いた。まさか恒が自分の弱々しい態度に全く反応を示さないとは思ってもみなかった。彼女は信じられず、眉をひそめ、声を詰まらせながら言った。「木村さん......」「待て!」恒は片手を腰に当て、遥を指差した。「今更なんと呼ばれようが無駄だ!いいか、こういうことは絶対に許されないから!」遥は、こんなことになるとは全く思っていなかった。しかし、恒は全く動じない様子だった。彼女は悟った。弱々しいふりは、彼には通用しないと。すると、彼女は顔をしかめ、冷ややかな口調で言った。「私も、この番組の収録に呼ばれるとは思ってなかった。あなたがこのバラエティ番組を決めた時、私に相談はなかったはず!」「俺はあなたのマネージャーだ。俺がすることは全て、あなたのためなんだ。それに、社長自ら勝ち取ってくれた仕事なんだぞ。誰もが喉から手が出るほどのチャンスなんだ。それをなにが不満だ!」遥は苛立ちながら言った。「どんなに貴重な機会でも、今は諦めるしかない!」「何を言ってるんだ!」恒は強い口調で言った。「入江さんでさえやる気満々なのに、あなたは諦めるのか!」若美......遥は、今夜の若美のあからさまな挑発を思い出し、居た堪れなかった。彼女はこめかみを押さえながら言った。「どうすればいいの?」恒は顎に手を当てて言った。「気絶する芝居までしたんだ。もっと過激にやってみるか?」遥は眉をひそめた。「どういう意味?」「手が怪我をすれば、琵琶を弾くように言われることはないだろう」「怪我のふりをするってこと?」「いや、番組の医療チームを呼ぶくらいじゃないと、疑われるぞ」遥は急に立ち上がり言った。「自傷行為をしろと?」「他にいい方法があるのか?」遥は唇を噛み締めた。恒は彼女が乗り気じゃないのを見抜き、こう言った。「社長は今はあなたを高く評価しているが、もう若くないということを自覚しろ。女優の旬は短い
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第394話

薫は遥の様子がおかしいことに気づき、「桜井さん、自信がないようでしたら、一度音を試してみませんか?」と言った。音を試してみる?遥はそんなことできるはずがなかった。綾は遥の目に一瞬浮かんだ動揺を見て、思わず笑いそうになった。文子は遥に三日間の指導をした結果、遥がなかなか上達しないのは、態度の問題だけでなく、決定的な欠点があるからだと気づいた――それは、遥が音痴だということだ。だから、人間は欲張ってはいけないのだ。遥は何でも欲しがり、常に不満を抱えている。そして、持ち上げられれば持ち上げられるほど、もっと多くのものを欲しがる。こういうタイプの人間は、野心によって成功することもあれば、野心によって失敗することもある。しかし、綾はまだ今日、遥の正体を暴くつもりはなかった。昨日と今日の出来事は、ほんの序章に過ぎないのだ。本当のメインイベントは、千鶴が優勝する日まで取っておく。「ではこうするのはどうでしょ」綾は薫のほうを向いた。「桜井先生は少し緊張しているようです。歌の部分は、みんなで合唱するのはどうでしょうか?」それを聞いて、遥は綾を見た。綾は遥と視線を合わせ、唇の端を上げて微笑んだ。「桜井先生、どう思いますか?」遥は綾が親切心で助けてくれるはずがないことを、もちろん分かっていた。しかし今は番組の収録中で、カメラも回っている。遥は仕方なく、「二宮先生の提案通りで良いと思います。私の歌は下手なので、一人で歌ったらきっと皆さんの足を引っ張ってしまいます。だから、みんなで合唱するのはとてもいい提案だと思います」と答えた。薫は言った。「合唱にしても、パート分けが必要ですね。まずは皆さんの声の質を見てみましょう」やはり専門家は違う。遥がごまかすのは、もはや不可能だった。「では、他の先生方から始めてください」遥は言った。「少し喉が渇いたので、水を飲んで来ます」他のメンバーは少し不思議そうに遥を見た。深くは考えていなかったが、遥の今日の態度はどこか煮え切らないように感じた。しかし、彼らは遥のことをよく知らないので、もともとそういう性格なのか、あるいは控えめなだけだと思った。綾だけが知っていた。遥は今頃、いっそのこと喉を潰したいほど焦っているのだ。このじわじわと苦しめられる感覚、きっと遥にとって苦痛の数日
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