碓氷先生、奥様はもう戻らないと のすべてのチャプター: チャプター 831 - チャプター 840

真奈美はそっと涙を拭い、さりげなく大輝の手を避けた。「分かってる。でも、今夜はパーティーにずっと立っていたから、すごく疲れてる。本当にしたくないの」「したくないなら、それでいい」大輝は機嫌がよかったこともあり、さっきの一件もあって、もうその気は失せていた。彼は優しい口調で、布団を掛けてやった。「あなたの体は本当にちゃんとケアしないとな。近いうちに、病院で精密検査を受けよう。今はとりあえず寝てくれ」真奈美は頷き、横向きになって眠りについた。大輝は立ち上がり、パジャマを持って浴室へ向かった。浴室からシャワーの音が聞こえてきた。真奈美は目を開け、意識は冴え渡っていた。大輝を18年間も愛し続けてきた。この気持ちは一生変わらないと思っていた。18年間もの間、持ち続けた一途な想いが、大輝と結婚して1ヶ月も経たないうちに、薄れていくなんて、考えもしなかった。手に入らないものほど、魅力的に思えるものなのかもしれない。今や、夫となった大輝と生活を共にする中で、彼との間に多くの違いがあることに気づいたのだ。二人の価値観は全く違っていた。考え方や生活習慣だけでなく、夫婦の営みですら、相容れないものがあった。彼が夢中になる行為は、彼女にとって最も嫌悪するものだった......二人の間には、心も体も、真に繋がったことは一度もなかった。真奈美はゆっくりと目を閉じ、深くため息をついた。今夜の騒動は、ある意味よかったのかもしれない。少なくとも、少し冷静になれた。ベッドに横たわりながら、彼女の中で新たな決意が固まっていた。......翌日、哲也は朝食を済ませ、運転手に学校まで送ってもらった。ダイニングテーブルでは、真奈美と大輝が向かい合って座り、使用人が二人の朝食を運んできた。真奈美はナイフとフォークを両手に持ち、大輝に向かって言った。「栄光グループに戻って仕事をしたいの」大輝はコーヒーカップに手を伸ばしかけたが、それを聞いて動きを止め、彼女を見上げた。真奈美はダイニングテーブルに座り、長い髪を肩に流していた。オフホワイトのノースリーブワンピースを着て、鎖骨と綺麗な首筋を見せていた。家ではいつもすっぴんの彼女は、目鼻立ちが整っていて華やかだった。薄いピンクの唇は、今にもキスしたくなるほど魅力的だった。

綾には今日の仕事はもう入っていなかった。彼女は尋ねた。「じゃあ、一緒にショッピングでも行きませんか？」「うん、いいですね！」真奈美の声が弾んだ。「どこで待ち合わせしますか？」「駅前のデパートでいいですね」「ええ」電話を切り、綾は誠也に電話をかけた。誠也は最近、新エネルギーとテクノロジー開発を専門とするクループ会社を設立し、「アヤノグループ」と名付けた。事情を知る人なら誰でも、この会社の名前は綾の名前に因んでつけられていると分かっていた。それは、誠也が綾に向ける、隠すことのない愛情の証だった。そして、それは特別な愛の告白でもあった。アヤノグループの本社ビルは、輝星エンターテイメントから目と鼻の先にあり、車で数分の距離だった。アヤノグループ設立当初は、誠也は毎日忙しかったが、それでも毎日お昼には綾と昼食を共にする時間を欠かさなかった。昼食後、二人はよく休憩室で昼寝をするのだ。だけど誠也は本当に忙しく、綾が目を覚ます頃には、いつも既に会社に戻っていた。綾は、彼が時間を割いてまで自分に会いに来ていることを知っていたので、何度も、「お昼には来なくてもいい」と言ったが、誠也は聞く耳を持たなかった。何度言っても無駄だったので、綾も諦めて、彼の好きにさせていた。電話をかけて二コール目、誠也は電話に出た。「綾」低い声が聞こえた。「仕事終わったか？俺はあと30分ほどで終わる予定だ」「電話したのは、お昼ご飯を持ってきてくれなくても大丈夫だって伝えるためよ」綾はバッグを持ちながら、柔らかな声で言った。「新井さんとデパートに行く約束をしたの」「新井さんと？」誠也は眉をひそめ、少し不機嫌そうに言った。「いつからそんなに仲良くなったんだ？俺との約束をキャンセルしてまで、彼女と出かけるのか？」綾は少し口角を上げた。「女同士のことは、男には分からないわよ」誠也は少し間を置いてから言った。「で、何時に終わるんだ？迎えに行く」「まだ分からない」綾はオフィスを出て、ドアを閉めた。「仕事が終わったら、そのまま家に帰って。私もそう遅くはならないと思うから」その日、誠也は一瞬黙り込んでから答えた。「ああ、運転には気をつけろよ」「分かってる」綾はエレベーターに乗り込みながら言った。「じゃあ、また後で」「ああ」.....

真奈美は派手にため息をついた。「あなたたちのお邪魔するのは気が引けるから、やめとくよ！」綾はため息交じりに言った。「......酔ってるんじゃないですか？」「いいえ！」真奈美は缶チューハイを開け、グラスに2杯注ぐと、1杯を綾に差し出した。「付き合ってくださいね」「すみません」綾は苦笑した。「私は体に気遣わないと......」「一杯だけですよ！」真奈美は人差し指を立てた。「碓氷さんも、そんなに厳しくないでしょう？」綾は困り果てた。真奈美は相当酔っているようだった。気分が沈んでいると酔いやすいし、さらに真奈美はこのところ体調も優れない上に、飲むペースも早かったから、酔うのも無理はないのだ。「もう飲んじゃダメですよ」綾は立ち上がり、真奈美の前に歩み寄ると、彼女の手からグラスを取り上げてテーブルに置いた。しかし、真奈美は綾の手を振り払い、再びお酒に手を伸ばそうとした。綾がそれを止めようとした拍子に、ビールが辺りにこぼれてしまった。ちょうどその時、誠也と大輝がやって来た。「綾」誠也は歩み寄り、既に酔って騒ぎ始めている真奈美を一瞥した。「今、こちらに行こうとしていたんだ。ちょうど石川社長と会ったので、一緒に来たよ」綾は大輝の方を見て言った。「来てくれてよかったです。彼女酔ったみたいですから、早く連れて帰ってあげてください」大輝は綾に頷いた。「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」「迷惑なんてことはないです。彼女はただ、落ち込んでいるだけなんです」綾は大輝を見て、少し考えてから、やはり忠告することにした。「石川社長、夫婦間のことに口出しするつもりはないんですけど、もし本当に新井さんと上手くやっていきたいなら、もっとコミュニケーションを取った方がいいですよ。それに、彼女があなたのことを好きだからって、好き勝手に傷つけていいと思わないでください。ましてや、その愛情を利用して彼女を支配しようなんて考えるのはどうかと思います。新井さんはビジネスでも成功しているし、新井家のお嬢様でもありますから、彼女には彼女のプライドがあるはずですし、そのプライドを保てるだけの力もあるんです」大輝は綾の言葉に眉をひそめた。「彼女に何か言われたんですか？」「彼女が何を言ったと思います？」綾は軽く微笑んだ。「石川社長、私も女で

朝、光風苑。二階の寝室、大きなベッドで眠っていた真奈美は、眉をひそめて、ゆっくりと目を開けた。彼女は頭が割れるように痛むの感じた。まるで何か重労働でもさせられたように、体中が痛くて、節々がギスギスした。彼女はベッドに起き上がると、布団がずり落ちた......その時、ドアが開いた。大輝が入ってきた。視線を向けると、彼は眉を上げて言った。「まだ酔いが覚めないのか？」真奈美は不思議そうに彼を見た。大輝は視線を下ろした。真奈美は彼の視線を追って、自分の体を見た。裸だった......彼女は数秒間、頭が真っ白になった。そして慌てて布団を引っ張り上げた。大輝は彼女の行動を見て、冷たく笑った。「何度も見てるだろ」真奈美は怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。「大輝、それでも男なの？酔ってる私を......」「しっかっりしろよ」大輝は近づいてきて、スマホの動画を見せた。「証拠はここにある。どっちがどっちを苦しめたのか、自分の目で確かめろ」動画は浴室で撮られたものだった。泥酔した真奈美は、大輝に吐いてしまった。仕方なく、大輝は彼女を捕まえて、髪を洗い、体を洗ってやった。その間、わけもなく彼女に平手打ちを食らわされた。それを見て真奈美は何も言えなかった。大輝は冷たく言い放った。「念のため動画を撮っておいてよかった！」真奈美は両手で顔を覆った。死にたいくらい恥ずかしい。どうしてあんなに酔ってしまったんだろう。ダメだ、こんな動画は絶対に消さなきゃ。真奈美は手を伸ばした――「何するんだ！」大輝はすぐに身をかわした。「証拠隠滅か？させないぞ！」「大輝、動画を消して！」「消さない」大輝はスマホをポケットに戻し、眉を上げて彼女を見た。「パスワードロックもかけたからな。今度また酒を飲んだら、また撮ってやるから」「卑怯者！」「あなたが酔って暴れたんだ。俺が卑怯でも、仕返しとしては当然だろ。真奈美、酒癖が悪いのに、どうして外で酒を飲むんだ？」「初めてチューハイを飲んだの」真奈美はバツが悪そうに言った。「きっと質の悪いお酒だったんだのよ。こんなにひどく酔ったことないもの」「ビール？」大輝は笑った。「そのビール、結構美味しかったんじゃないか？」真奈美は動きを止め、彼を見上げた。「あなたも

「じゃあ、哲也くんのために結婚したんですね？」真奈美は少し黙り込んでから、答えた。「まあ、そういうことね」霞は目をパチパチさせながら、少し興味津々な様子で真奈美を見た。「で、同棲はされているんですか？」「私たちは普通の夫婦よ。愛情はないけど、一緒に人生を歩む覚悟はできているのよ」「へえ。でもこれ、絶対石川社長が残した痕でしょう？」霞は真奈美の首に残るうっすらとした痕を指差した。真奈美は何も言えなかった。昨夜はあんなに酔っ払ってしまって。大輝が動画で自分の酒乱ぶりを非難してきたけど、彼のあの肉食系な性格を考えると、自分を裸にしてベッドに放り出しただけで、何もなかったなんてありえない。今頃霞に言われて、彼女はあることを思い出した。「アフターピルを買ってきてくれる？」霞は眉をひそめた。「社長、あんな薬、体に良くないですよ」「最近、薬をたくさん飲んでるから。昨夜は想定外だったの。とにかく、今は子供は産めないのよ」「分かりました」霞は頷いた。「すぐ買ってきます」「ええ」霞が出ていくと、真奈美はデスクに向かい、パソコンの電源を入れた。栄光グループを離れてから、まだそれほど時間は経っていない。しかし、再びこのオフィスに座ると、彼女の心境は全く違っていた。以前は、これは自分が背負わなければならない責任だと思っていた。しかし、今はそうは思わない。栄光グループで自分が成し遂げた功績は、疑いようもないものだ。栄光グループが自分に与えてくれた栄光も、かけがえのないものだった。真奈美はふと、この結婚もそう悪くないと思った。恋愛のことしか頭になかった状態から抜け出し、ようやく冷静になれたのだから。女性は、どんな時でも、自分の仕事を持つべきだ。それが最低限のバロメータであり、自分自身にとって最後の砦でもあるのだ。......霞は会社の向かいの薬局でアフターピルを買い、戻ってくる途中、エレベーターで大輝と鉢合わせた。「石川社長」大輝は彼女が持っている紙袋に目をやった。中身は何か分からなかった。「誰の薬だ？」霞は一瞬固まり、少し気まずくなった。「新井社長に頼まれたものです」大輝は眉間にしわを寄せた。「具合が悪いのか？」霞は何も言えなかった。「俺が渡してくる。ちょうど会いに行くと