All Chapters of 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される: Chapter 21 - Chapter 30

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第20話:揺らぎの兆し

庵を発ったのは、朝日がまだ山の向こうで目を覚ましていなかった頃だった。リリウスはカイルのあとを追い、湿った山道を下っていく。夜の名残が枝葉に宿り、風が冷たく頬を撫でた。──そのときだった。視界の端に、崩れかけた天蓋がちらりと揺れた。振り返ると、何もない。だが一歩、足を進めた瞬間──焼け焦げた空間が、目前に広がった。炭になった祈祷台、灰に埋もれた聖布。焦げた空気が肌を刺す。「まだ……ここにいるの」少女の声が、空気に混じって囁かれた。「リリウス!」カイルの声が届いた瞬間、幻は崩れた。視界が戻る。カイルが腕を伸ばし、落ちかけたリリウスの体を支えていた。「また感応したのか」「……一瞬、だけ。でも……あの子の声が……」カイルは唇を引き結び、深く息を吐いた。※王都に戻る前、急報が届いた。──神殿跡地で魔力の震動を検出。封印の安定性が急速に低下。軍本部は即座に対策を始めた。再封印の儀式。ただし、封じる“対象”については明言されなかった。「彼女のことは……記録にない。ならば“存在しなかった”とする」それが、上層部の判断だった。さらに、神父マルティナの庵にも監視がつくという通達があった。「視たこと」は、すべて“記録に残らない祈り”として処理されようとしていた。※カイルは執務机の前で、拳を握っていた。「本当に、それでいいのか……」言葉にした瞬間、自分の立場が揺れるのを感じた。リリウスは、その隣で椅子に腰を下ろしていた。「封じるべきか、救うべきか……誰にも分からない。でも僕は……あの子が祈り続けていた理由を、知りたい」「知ったところで、どうする」「終わらせてあげたい。ずっとあの場所に縛られて……それでも祈っていた彼女を」カイルの目が動いた。※その夜。リリウスは眠りの中で、再び“感応”に囚われた。──炎。崩れる柱。震える少女の背中。「わたしを……終わらせて」その声は、たしかに聞こえた。リリウスは目を開けた。胸が痛いほどに速く鼓動している。(ずっと……続けてる。祈りを、誰にも気づかれず、誰にも届かないまま……)祈りの終わりを望んでいた。それは、死ではなく、“終息”を。彼女の魂が、ようやく安らげる場所を。朝になり、リリウスはカイルの部屋を訪れた。「……僕は、もう決めました」カイルが顔を上げる。
last updateLast Updated : 2025-05-27
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第21話:正統の影

リリウスが、あの少女の元へといくと決めたその日。静寂を切り裂くように、軍本部の応接室に足音が響いた。入ってきたのは、黒と銀の礼装を纏った使者。背筋を真っすぐに伸ばし、目だけが油断なくリリウスを捉えていた。「第六王子の命を受け、まかり越した」その声には、王家の血筋に対する“当然の接触”という傲りがあった。「王子は貴殿の素性、力、そして現在の待遇を案じておられる。本来であれば、王族としてしかるべき場所に迎えられるべき方。軍部の庇護下にあるのは、いささか不自然かと──」言葉は丁寧だった。だが、明確な“引き剥がし”の意思があった。リリウスは、声を失ったように黙っていた。何も答えられなかった。いや──答えを出す余地など、最初からなかったのかもしれない。使者は続けた。「王子は、貴殿の血と能力を、国家の安定と繁栄のために活かすべきだとお考えです。我が主の庇護のもと、正式に迎え入れる用意がある。側室……いえ、“王家の保護者”としての立場にて」空気が凍った。リリウスは、震える指先を袖の中で強く握りしめた。声に出さずとも、内側ではあらゆる拒絶と疑問が渦巻いていた。(……今度は側室、か。僕は──物じゃない。誰かの所有物なんかじゃ……)だが、それを口にする前に──「その必要はない」低い声が、空気を断ち切った。使者がハッとして振り返ると、そこにいたのはカイルだった。いつのまにか応接室の扉をくぐり、まっすぐにリリウスの傍らへと歩み寄る。そして。一歩の距離も残さず、リリウスの背中を抱き寄せた。リリウスの身体がびくりと跳ねる。だが、カイルはそのまま、彼の肩越しに使者を見つめていた。「彼は私の保護下にある。軍というより──私自身の、管轄だ」言いながら、リリウスの首筋に一つ口付ける。その言動は、曖昧さを一切許さなかった。使者の目が揺れる。「……そのような“個人的管理”が許される立場に?」「私が誰であるか、貴君は分かっているはずだ」カイルの声は冷たく静かだった。だが、部屋の温度が一気に数度下がったような威圧が満ちた。リリウスは、カイルの手に込められた微かな力に気づいていた。その手は、戦略の一部としてではなく──確かに“庇う者”の手だった。使者は口を開こうとしたが、それ以上の言葉は出なかった。やがて、低く頭を下げて退室していく。扉が
last updateLast Updated : 2025-05-28
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第22話:解放行

その命令が下されたのは、使者が帰って間もないことだった。「移送ではない。保護、だ」カイルはそう言って、地図を一枚リリウスの前に置いた。指先が示す先、都市外れの封鎖区域には、赤く囲われた施設の名が記されていた。「ここに、件の少女が隔離されている」その声音に苛立ちはなかった。けれど、誰もが察していた。これは命令ではない。責任を持って押しつけるものでもない。「行くかどうかは、お前が決めろ」カイルの言葉に、リリウスは迷いなく頷いた。「……行きます。僕が、彼女を迎えに」その一言に、副官が視線を逸らしながら、薄く笑った。「まあ、止めろと言っても聞かん顔だな。準備しておけ」※移動には馬車が使われた。警備兵が数名、そして副官が付き添う。封鎖区域へは午後を回ってからの到着になる見込みだった。道中、リリウスは窓から景色を見ていた。けれど、瞳は景色を捉えず、内側の記憶に潜っていた。(少女の“感情”が……今も残ってる)あの日、拘束されたまま涙を流していた姿。何も知らされず、名前すら呼ばれず、それでも誰かに縋ろうとしていた存在。(……助けたい。あの子を助けたいのは、僕自身のためかもしれない)力を使うことに恐怖がないとは言えなかった。だが、それ以上に“何もできなかった自分”を繰り返したくなかった。その時、不意に隣の副官が口を開いた。「なあ、お前の力は──誰かを壊すだけじゃない。救える時もあると、思わないか?」思わずリリウスは顔を向けた。副官はそれきり何も言わず、前を見ていた。※施設は、外から見ればただの古びた建物に見えた。だが魔力結界と複数の防衛術式が張られ、まるで“中身”を外へ漏らさぬように造られていた。リリウスが近づくと、胸の奥でざわめきが起きた。(この中に──いる)鍵を開け、扉を抜け、何層もの通路を越えた先。最後の扉の前で、立ち止まった。「入れるか?」と副官が問う。リリウスは静かに頷いた。部屋の中、檻の奥に、少女はいた。壁に寄りかかるようにうずくまり、目を閉じていた。リリウスが数歩踏み出した瞬間──「──ッ」頭の奥に、強い光と音が走る。少女の意識が反応した。彼女の“恐れ”と“祈り”がリリウスの神経を突き抜けた。魔力制御具が、ガチガチと不穏な音を立てる。少女の目が虚ろに揺れていた。だが、その奥には、確かに感
last updateLast Updated : 2025-05-29
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第23話:熱と赦し

重たい瞼をゆっくりと持ち上げた時、天井は白かった。染みひとつない石膏の天井。そこに焦点が合うまで、リリウスはしばらく身じろぎもできなかった。身体が異様に重い。熱がこもったように呼吸が浅く、皮膚の内側がじりじりと焼けつく感覚がある。(……ここは、医療棟……?)かすれた息とともに目を動かすと、視界の端に白いカーテンが揺れていた。その奥には規則正しく並ぶ寝台。見慣れた軍施設の簡素な治療室だった。扉の外に気配があった。間もなく、入ってきたのは副官だった。薄い書類の束を脇に抱え、リリウスの顔を見るなり、肩をすくめる。「起きてるか。まったく……お姫様扱いもいいところだな。警備兵が三人張り付いてて、用件言ったら二重に許可とらされたぞ」リリウスは微かに笑おうとしたが、喉が乾いて声にならなかった。「……熱、下がってなくて」「医者は“魔力の過剰使用による発熱”って言ってたが、それだけじゃなさそうだな。顔が真っ赤だ」副官はいつもの調子で軽口を飛ばしたが、リリウスの反応を見てすぐに言葉を引っ込めた。「ま、ゆっくり休め。何かあったらすぐ呼べ」それだけ言い残して、静かに部屋を後にする。──そして、独りになった午後。部屋の時計が静かに時を刻む中、リリウスの瞳はぼんやりと天井を映していた。(……夢、なのかな)まぶたを閉じると、白い神殿が現れる。濡れた石の床。祭壇の前に立ち尽くす自分。「これで、お前は俺のものだ」という声と共に、腕に浮かんだ蒼い契約の文様。寝台。熱を持つ身体。「うっとうしいな。薬でも飲んどけよ」──そう吐き捨てる、番であるはずの彼。リリウスは、目を開けた。天井が、また白く戻る。「……なんで、今さら」かすれた声が零れる。扉が開いたのは、その直後だった。誰かが入ってきた気配に、リリウスは反射的に身を起こそうとしたが、思うように力が入らない。それでも、わかる。空気が変わった。──カイルだった。リリウスが目を向けると、彼はもう傍らに立っていた。カイルはしばらく、言葉を発さず彼の寝顔を見下ろしていた。到着した時、リリウスはまだ眠っていた。熱に浮かされたように額には汗がにじみ、唇がわずかにうわ言を呟いていた。それは、軍人としての緊張も、自我の鎧も、すべて取り払われた“素の彼”だった。今は目覚めていたが、その身体は未だ発
last updateLast Updated : 2025-05-30
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第24話:目覚めの影

陽の角度が変わっていた。窓辺の光が傾き、カーテンの裾を金色に染めている。リリウスは静かに目を開けた。まぶたの裏に残る温もり。──誰かの腕の中で眠っていた。(……夢じゃない)まだ肌に残る熱と、背にまわされた腕の重さ。ほんの微かに動くだけで、それが誰のものであったかは明らかだった。カイル。心臓が跳ねる。思わず身体をずらそうとしたが、それより早く、相手の動きが止まった。「……目が覚めたか」低く、寝起きの声。けれど警戒や気まずさの色はなかった。あるのは、ごく穏やかな疲労と安堵の気配。「すみません……僕……また……」「気にするな。少し休めばよくなる」その言葉にリリウスは目を伏せた。温もりの中で感じてしまった、自分の弱さが恥ずかしい。「……昨日の僕、変じゃなかったですか」喉の奥で引っかかるような声だった。それでも聞かずにいられなかった。カイルは答えを急がなかった。視線をどこかへ投げるようにして、静かに言った。「変じゃなかった」その短い返答が、妙に重く心に残る。──だが次の瞬間、彼の視線がふと、リリウスのうなじに落ちた。それは、無意識だったのかもしれない。カイルの指が、そっとそこへ伸びる。触れるか、触れないかという距離で、なぞるように滑る。リリウスの背筋がぴんと跳ねた。「っ……!」反射的に肩をすぼめ、身体を引いた。驚きと羞恥と、理由のわからないざらつきが胸に広がる。「……すまない」短く、抑えたような声が返ってくる。けれどその声には、確かに戸惑いと──わずかな痛みのようなものが混ざっていた。リリウスはうつむいたまま、言いかけた。「……どうして、ここに」けれど、その続きを言葉にする前に、カイルが目を伏せた。表情は読めない。けれど、その沈黙がすべてを拒んだわけではないと、わかってしまう。(ああ……)この人は、何も強要しない。けれど逃げてもいない。だからこそ、自分のほうが動揺する。すぐそばにある安心に、手を伸ばす勇気のなさを痛感する。部屋の空気が、淡く、揺れる。熱はまだ身体に残っていたが、それでも心は冷えきっていなかった。その時。扉の外で、誰かが気配を立てた。小さなノックが二度──副官の声が続いた。「失礼します。医師の診察時間です。総帥も一度お戻りください」カイルがゆっくりと腰を上げる
last updateLast Updated : 2025-05-31
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第25話:仮面の輪郭

窓の外では、鳥が一声だけ鳴いた。高く澄んだその声は、夜明けが近いことを告げていた。リリウスがゆっくりとまぶたを開けると、部屋の中にはまだ、淡い薄闇が残っていた。熱は幾分引いたようだったが、体の芯には怠さが残っている。横を見ると、椅子に座ったまま眠っているカイルの姿があった。乱れた軍服の襟元、わずかに乱れた髪。深く眠っているようで、呼吸は静かだった。リリウスはそっと毛布をかけ直そうと手を伸ばした。けれどその瞬間、カイルのまぶたがわずかに動いた。「……起こしてしまいましたか」「いや……起きるつもりだった」低くしわがれた声。それでもどこか安心した響きがある。「ずっとついて頂かなくても良かったのに……」リリウスはかすかに笑う。だが、カイルは首を横に振った。「お前の状態が安定するまでは、離れない」その断言に、リリウスは一瞬だけ視線を泳がせる。「……甘えてしまうから、ダメなんです」「こんなときなんだ……甘えていいだろ」その一言が、妙にまっすぐに胸に響いた。リリウスは小さく肩をすぼめて、視線を外した。薬を飲もうと寝返りをうった瞬間、ガウンの襟が少しだけずれた。あらわになったうなじを、カイルの視線が捉えた。──痕は、ない。カイルはまなじりをわずかに伏せたまま、口を閉ざした。だが、そのまなざしは確かな疑念を映していた。「……噛み跡ないでしょう……?」リリウスが小さな声でつぶやいた。「番の契約をしたのに、あの人は……」言葉を飲み込むように、リリウスは唇を噛んだ。「抑制剤も効いていない。発情も、終わらない」カイルの言葉は平坦だった。だが、その奥には確かな怒りが滲んでいた。「……まるで、お前が一人で儀式を済ませたみたいに聞こえる」リリウスの指先がわずかに震えた。それを認めることは、あまりに痛々しかった。「……本当に、Ωなのか?」その問いに、リリウスは顔を上げることができなかった。答えは、出せない。出してしまえば、自分の過去の曖昧さがすべて剥がれる。(あの時、僕は“儀式”の意味も知らなかった……ただ従えと言われて、契約の術式を施された)浮かび上がった“番の文様”は、本物ではなかったのではないか。──演出された印。「……僕は、演じさせられただけかもしれません」掠れた声で、ようやくそれだけを吐き出した。沈黙が落ちる
last updateLast Updated : 2025-06-01
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第26話:誓いの温度

空はまだ朝に染まりきらず、窓辺に残る薄闇が室内を静かに包んでいた。リリウスはぼんやりと、指先に残るぬくもりを見つめていた。重ねられていたカイルの手。そこにあった確かな温度が、胸の奥にじんわりと残っている。泣いてしまったことを、少しだけ後悔していた。けれど、それ以上に、自分を責める気力もなかった。「……もう、大丈夫です」囁くような声に、カイルは静かに頷いた。リリウスはゆっくりと身を起こし、枕元の水差しに手を伸ばす。渇いた喉に冷たい水が染み渡っていく。カップを置いたとき、ふと視線を感じて顔を上げる。カイルが、じっとこちらを見ていた。「……僕、馬鹿みたいですね」唇にかすかな笑みを浮かべたが、それはどこか自嘲めいていた。その表情を見て、カイルは一度だけ目を伏せる。「いや。お前のせいじゃない。むしろ──そう思わせた側が異常なんだ」静かな声だった。だがその中には、怒りに似た熱がにじんでいた。「もし本当に、王太子と番なら……昨夜のような反応は起きない。お前の体があれだけ穏やかだったのは、おかしい」カイルは、言葉を選びながら続けた。「普通、番ったΩは、他のαの存在だけでも本能が反応する。敵意か、拒絶か……それが自然なはずだ」けれど、リリウスは──「お前は、俺のそばで落ち着いていた。苦しむどころか、むしろ……」言いかけた言葉を飲み込むように、彼は視線をそらした。沈黙が落ちる。その静けさの中で、リリウスの口が、そっと動いた。「……番では、ない……のかも。僕は、あの人と……」言葉にして初めて、それが“真実”として確かな形を持った。胸の奥に鈍く刺さっていた何かが、静かに外れていく。「恋しいなんて、思わなかった……ただ、怖かっただけ。あの国も、彼も」リリウスが絞り出すように吐き出した瞬間、カイルがゆっくりと顔を上げた。「──試してみるか」リリウスは目を見開いた。驚きと戸惑い、そしてほんのわずかな期待。自分でも気づかないうちに、何かが変わっていた。一瞬だけ、迷いが喉元に引っかかる。けれど、それでも──頷いた。「……え?」「もし、本当に“番い”じゃないのなら──理屈の上では、別のαに反応することもありえる」「……それって」カイルは言葉を遮らず、淡々と続けた。「試すだけだ。何かを強いるつもりはない。俺が、お前に触れたら
last updateLast Updated : 2025-06-02
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第27話:不協の残響

朝靄がゆるやかに晴れゆく頃、医療棟の廊下を誰かの足音が打った。窓辺に流れる風はまだ冷たく、季節がようやく変わりつつあることを告げていた。室内では、リリウスがベッドの上に身を起こし、膝の上で手を組んでいた。熱は収まっていたが、その名残のように皮膚がじんわりと敏感なままだ。ただ、それ以上に――胸の奥に残る温もりの感覚が消えなかった。(……まだ、残ってる)あのとき、うなじに触れた指先。そこに走った感覚は、拒絶ではなかった。不快でも、恐怖でもない。むしろ、安堵に似たやわらかな揺れ。今まで誰にも向けたことのない感覚だった。「おはようございます」静かに入ってきたのはディランだった。副官としての立場より、少しだけ友人に近い空気を纏っている。「朝の診察、来てますよ。医者は外で待機中です。総帥からは“あまり話を広げるな”とのお達しですけど……」「ありがとう。気遣わせて、ごめんなさい」「君こそ……大丈夫ですか」言いながら、ディランは視線を外した。心配はしている。それはリリウスにも伝わった。だが、それ以上を詮索しない優しさが、今はありがたかった。「ディラン殿。……質問、してもいいですか」「なんでしょう?」リリウスは一瞬だけ視線を伏せ、それから顔を上げた。「“疑似契り”って、知っていますか?」ディランの表情が、わずかに固まる。「どこで……それを」「昨日、カイル様と話していて。……ふと、思ったんです。僕とレオンの間に起きたことって、本当に“番の契り”だったのかって」その言葉に、ディランはしばらく口をつぐみ、それから小さくため息をついた。「存在はします。正式には“代替術式”って呼ばれてる。……相性の悪い番同士、あるいは番でない者同士を、強制的に繋ぐためのもの」「強制的に……」「ええ。見た目は同じ文様が出るし、魔術的な束縛もある。けど、本物の“番”じゃない。主従に近い一方通行の支配関係にすぎないんです」言い終えたディランの声は、どこか怒りと憐れみが入り混じっていた。「君、もしかして……それを」リリウスは首を振った。いや、振るしかなかった。「……わからない。ただ……あの夜、薬を飲まされて、気づいたら腕に印があって。それきりレオンから何もなかった。……ずっと、変だと思ってたんです」沈黙が落ちた。ディランはゆっくりと深呼吸して、慎重
last updateLast Updated : 2025-06-03
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第28話:疑念の灯

朝の診察を終え、リリウスは一人、静かな室内にいた。カーテン越しに差し込む光は淡く、窓辺で揺れる木の葉が時折影を落とす。彼の指先は、自分の腕に刻まれた文様へと触れていた。その痕は確かにある。だが、まるでそれが“偽物”だと告げるように、冷たかった。(あれが本当に、契りの証なら……どうしてこんなに、孤独だったんだろう)カイルに触れられたときの感覚が、心に残っている。熱を持っていた体が、逆に穏やかさに包まれたこと。理屈では説明できない、けれど確かに“拒絶ではない”と体が示した反応。扉がノックされる。「……どうぞ」入ってきたのは、思った通りの人影だった。カイル。リリウスの目が自然と彼を追う。それだけで、胸の奥に温度が生まれた。「……体調はどうだ」「落ち着いてます。……昨日より、ずっと」少しだけ間があって、カイルは近くの椅子に腰を下ろした。医療記録の束を無造作に置き、視線をリリウスに戻す。「お前の文様。調べさせてもらってもいいか」リリウスは驚いたように目を瞬かせたが、やがて頷いた。「……僕も、知りたいです。真実を」袖をまくり、腕を差し出す。その動作ひとつひとつが、これまでの自分を手放すようだった。カイルが慎重に、彼の腕に触れる。その目に浮かぶのは、冷静と、そして深い怒り。「この術式は……完全なものじゃない。継続の痕跡が不自然に薄い。定着より、印象付けに近い構造だ」「つまり……偽物?」「おそらくは、疑似契り。術でしか繋がっていない関係だ」リリウスの心臓が、大きく跳ねた。それは、恐れよりも安堵に近かった。「じゃあ……僕は、自由なんですか」その問いに、カイルは即答しなかった。代わりに手を離し、彼の目をまっすぐに見つめた。「肉体的には、な。しかし――お前の心はどうだ」リリウスは言葉を詰まらせる。何を望んでいたのか、自分でもはっきりとは分からない。「……レオンに、愛されたいと思ってたんです。誰かに認められることで、自分の価値を証明したかった」その声は震えていた。だが、それは弱さではなく、自分自身への告白だった。「でも、レオンに触れられるのは……怖かった。拒絶しかなかった。あの契りで得たものは、空虚だけだった」「……お前は、ただ隣に立ってくれる誰かが欲しかっただけだ」カイルの言葉は、まるで答え合わせのようだ
last updateLast Updated : 2025-06-04
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第29話:呼び戻す鎖

午前の陽射しが、ようやく医療棟にも差し込みはじめたころ。リリウスは椅子に腰掛けたまま、黙って窓の外を眺めていた。外の景色はどこまでも穏やかで、風に揺れる木々の音が静けさに溶けていた。けれどその静けさの中で、彼の心は凪いでいなかった。心の奥にわずかな安堵はある。けれど、それで終わるわけではない。そんなとき、控えめなノックが響く。「……失礼します」入ってきたのはディラン。手には、封蝋の押された一通の手紙。王都の紋章が浮き彫りにされていた。視線を落としただけで、リリウスの指先に、自然と力がこもった。「王太子殿下からの直筆です。召喚状に近い内容かと」黙って受け取り、封を切る。便箋に並んだ文字は丁寧だが、その行間に滲むのは一方的な支配欲と、支離滅裂な情だ。“リリウス=アルヴァレスそなたは正式な番であり、王城への帰還を命じる。先日の件は誤解と判断する。今ならば、全てを許そう。君の場所は、まだここにある。”「……許す、って。捨てたくせに、どの口で言うんだろうね」呆れにも似た笑みが、リリウスの唇を歪めた。「“誤解”で済むと思ってる時点で、あの人は何もわかってない。僕は何もしていない。僕を手放したのは、あっちなのに。今さら“戻ってこい”なんて、都合が良すぎる」手紙がくしゃりと音を立てて潰れる。「まるで、“他の男に懐いた所有物が逃げ出した”かのような書き方だな」低く落ちたカイルの声には、怒りと嘲りが滲んでいた。「これがアルヴァレス王家のやり方か。身勝手も、甚だしい」「そうですね。笑い話にもなりません。恐らく……クラウディアから打診が入ったのだと思います」一拍置いて、リリウスは続けた。「僕、戻ります」その言葉に、ディランが息を呑む。「……!」カイルは一瞬だけ目を細めたが、驚きの色は見せなかった。ただ静かに、その言葉の真意を待った。「自分の意志で、です。リリウス=クラウディアとして、ね。あの人に返さないといけない言葉があります。“あれは番の契りなんかじゃなかった”って。“あなたに選ばれたかったわけじゃない”って」目は迷いなく、まっすぐだった。あのときの震える声も、揺れる視線も、そこにはもうなかった。「逃げたままじゃ、何も終わらない。……だから、僕の言葉で、終わらせに行く」静かに告げたその決意が、空気を変えた。「……なら
last updateLast Updated : 2025-06-05
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