冷たい夜気が石造りの廊下を舐めていく。リリウスは身を屈め、セロの背を追って足早に進んでいた。塔を抜け、王城の西翼から裏庭の回廊へ。封印が緩んだのはほんの一瞬。それでも、機を逃さなければ道は開ける。「こちらです。気配を抑えて」先導するセロは、まるで気配を消すように動いていた。足音ひとつ立てず、壁の影に溶け込む。リリウスも息を潜める。自分が今、どれだけ危うい賭けに身を投じているかを理解していた。それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。(……あの人が、呼んでいる)肌の奥で微かに震える感覚。言葉でも気配でもない。ただ確かに、胸の奥で呼吸と共鳴するような“何か”があった。──必ず、帰ってこい。カイルの声が、意識の底から浮かび上がる。温かく、しかし凛とした声色。その一言に、今のリリウスは命を賭けられる気がしていた。リリウスは一度だけ振り返った。遠く、王城の塔の上に燈る灯。あの中にまだ、自分を閉じ込めようとする誰かがいる。だが、その中に留まる必要は、もうなかった。「行こう」通路に身を滑らせた瞬間、湿った土の匂いと共に、自由の気配が確かに背中を押した。※──その頃、王城・執務室。レオン=アルヴァレスは、錬金術式の小瓶を手に沈思していた。「……まだ捕まらないのか」侍従の報告は変わらない。リリウスが逃げ出して、まだそう時間は経っていない。しかしクラウディアがいる以上、気は抜けない。「封印の再点検は?」「現在、城内術士が確認中ですが……いくつかの術式に微弱な破損が」レオンは立ち上がった。「全館封鎖。南側通路と塔の回廊、地階の抜け道……すべて閉じろ。どこか一箇所でも開けておけば、逃げる」「承知しました。……ただ、殿下……」「何だ」「これは……“本気で逃げる者”の痕跡です。リリウス様は……戻る気は、ないのではと」一瞬、執務室に沈黙が流れた。レオンの目が、わずかに揺れた。「……だったらどうする」自分の意志で逃げた。それを追いかけてまで、繋ぎとめる意味はあるのか。かすかに脳裏をかすめた思考を、彼は強引に振り払う。それでも、と思う。「俺の番だ。……あいつは俺のものだ。逃がすな」低く絞り出すような声。その声にこそ、彼自身の執着と恐れが滲んでいた。※同じ頃、国境付近──クラウディアの先遣部隊が、静か
Last Updated : 2025-06-16 Read more