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第22話:解放行

last update Last Updated: 2025-05-29 21:13:19
その命令が下されたのは、使者が帰って間もないことだった。

「移送ではない。保護、だ」

カイルはそう言って、地図を一枚リリウスの前に置いた。

指先が示す先、都市外れの封鎖区域には、赤く囲われた施設の名が記されていた。

「ここに、件の少女が隔離されている」

その声音に苛立ちはなかった。けれど、誰もが察していた。

これは命令ではない。責任を持って押しつけるものでもない。

「行くかどうかは、お前が決めろ」

カイルの言葉に、リリウスは迷いなく頷いた。

「……行きます。僕が、彼女を迎えに」

その一言に、副官が視線を逸らしながら、薄く笑った。

「まあ、止めろと言っても聞かん顔だな。準備しておけ」

移動には馬車が使われた。警備兵が数名、そして副官が付き添う。

封鎖区域へは午後を回ってからの到着になる見込みだった。

道中、リリウスは窓から景色を見ていた。

けれど、瞳は景色を捉えず、内側の記憶に潜っていた。

(少女の“感情”が……今も残ってる)

あの日、拘束されたまま涙を流していた姿。

何も知らされず、名前すら呼ばれず、それでも誰かに縋ろうとしていた存在。

(……助けたい。あの子を助けたいのは、僕自身のためかもしれない)

力を使うことに恐怖がないとは言えなかった。

だが、それ以上に“何もできなかった自分”を繰り返したくなかった。

その時、不意に隣の副官が口を開いた。

「なあ、お前の力は──誰かを壊すだけじゃない。救える時もあると、思わないか?」

思わずリリウスは顔を向けた。副官はそれきり何も言わず、前を見ていた。

施設は、外から見ればただの古びた建物に見えた。

だが魔力結界と複数の防衛術式が張られ、まるで“中身”を外へ漏らさぬように造られていた。

リリウスが近づくと、胸の奥でざわめきが起きた。

(この中に──いる)

鍵を開け、扉を抜け、何層もの通路を越えた先。

最後の扉の前で、立ち止まった。

「入れるか?」と副官が問う。リリウスは静かに頷いた。

部屋の中、檻の奥に、少女はいた。

壁に寄りかかるようにうずくまり、目を閉じていた。

リリウスが数歩踏み出した瞬間──

「──ッ」

頭の奥に、強い光と音が走る。

少女の意識が反応した。彼女の“恐れ”と“祈り”がリリウスの神経を突き抜けた。

魔力制御具が、ガチガチと不穏な音を立てる。

少女の目が虚ろに揺れていた。

だが、その奥には、確かに感
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