All Chapters of 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!: Chapter 81 - Chapter 90

198 Chapters

第81話

「大丈夫だよ、お父さん。何年も経っていて、もう慣れたから」悠良は、本当は耳がもう聞こえていることを孝之に伝えようと思ったが、もし今それを言ったら、後から史弥が来たときにボロが出るかもしれないと思い、ここは我慢することにした。この大事なときに、何か間違いを起こすわけにはいかない。孝之はそれでも諦めきれない様子だった。「絶対に診てもらわなきゃダメだよ。お前が唇の動きを読めるから普通に会話できることくらい俺は知ってる。でも音が聞こえないってことは、お前の世界には一つ足りないってことなんだ。いいか、後でその医者に連絡を取ってみなさい。お金のことなら――」「お父さん、その耳はお父さんのせいじゃないでしょう?それに、白川みたいに大きな会社を持ってる旦那がいて、奥さんの耳一つ治すお金もないわけ?」莉子は、こんなときでも孝之が悠良をかばってばかりなことに腹が立ち、心に燻っていた怒りをぶつけた。なぜ悠良が父親の実の娘じゃないのに、これほど気にかけてもらえるのか。悠良こそ小林家の災いの元だと、ずっとそう思っていた。孝之は顔をしかめ、低い声で莉子をたしなめた。「もうやめろ、莉子。たとえ悠良がお前の実の姉じゃなくても、あの子は私たちと一緒に長い間暮らしてきたんだ」その一言に莉子の目には涙が溢れ、悔しさを滲ませながら父に訴えた。「もしあのとき悠良さえいなければ、私も外であんなに苦労することはなかったし、弟だっていなくならなかったのに......」「そうよ!その通りだわ。この疫病神がいなかったら、私の息子も今頃きっと元気にここにいたはずよ!」尖った声がリビングに響き渡り、悠良は視線を上げた。そこには二階から降りてきた一人の女性がいた。高級なドレスに身を包み、今風に巻かれた髪を後ろでまとめ、丹念に手入れされた肌には年齢を感じさせるものがなかった。孝之が再婚した妻。比嘉雪江(ひが ゆきえ)だった。弟がいなくなって以来、雪江は悠良をまるで仇でも見るように接してきた。それまでも決して悠良に優しくはなかったが、今はさらに冷たい態度を隠さなくなった。莉子は味方が現れたとばかりに、すぐさま雪江に寄り添った。「本当にそうよね。歓迎されてないのに、わざわざ今日来るなんて、家族みんなに嫌な思いさせたいとしか思えないわ」雪江
Read more

第82話

悠良は思わず眉をひそめた。史弥と別れると決めた以上、もうこれ以上自分の家族を巻き込みたくなかったからだ。「別に、たいしたことじゃないわ。あれは誤解よ」雪江は遠慮なく嘲笑を漏らす。「その心の広さにはほんと感心するわ。夫が外でほかの女といい仲だっていうのに、よくそんなに平気な顔ができるものね」「もういいから、それ以上はやめてくれ。先に書斎へ行こう」孝之が悠良に目配せすると、今度は雪江もこれ以上は引き止めなかった。悠良が階段に足をかけようとしたそのとき、不意に足元を取られて体が傾ぐ。そのうえ父に話すことを考えていて気がそれていたこともあり、体はそのまま前方へと倒れ込んだ。額が階段の角にぶつかり、痛みで息が詰まる。無意識に額に手をやると、掌にじんわりと温かい感触が広がった。見下ろすと、そこには赤い血が滲んでいた。それを見た莉子はわざとらしく口元を手で覆い、小さく悲鳴を上げる。「まあ、ごめんなさいね、お姉ちゃん。つまずかせちゃったみたい。でも、こんな広い通り道で転ぶなんて、どれだけ不注意なの?」孝之は慌てて悠良に駆け寄り、支え起こす。「悠良、大丈夫か?松本に救急箱を取ってきてもらおうか?」「いいの、大丈夫だから」悠良は手を軽く振った。「さ、上に行きましょう」孝之はまだ気がかりそうに問う。「ほんとに平気か?」「ちょっとした擦り傷よ」悠良は父をこれ以上困らせたくなかった。なにせ、当時自分が不注意で雪江の息子を見失ったせいで、雪江はこの数年間ずっと父に対しても不満を募らせていたからだ。父と一緒に書斎へ入ると、悠良は買ってきたプレゼントを机に置いた。「お父さん、これ誕生日プレゼント。お誕生日おめでとう」孝之は嬉しそうに顔をほころばせる。「顔を見せにきてくれるだけで十分だよ。わざわざプレゼントなんていいのに」「いいのよ。せっかくのお誕生日なんだし、特別な日だから」悠良は、普段は年に一度の帰省くらいしかしない父に対して、この日はしっかり時間を割きたいと思っていた。状況が状況だけに、なおさらだった。孝之は静かに尋ねる。「二人きりになったから聞くけど......史弥君とは一体何があった?」「別に。くだらないことで誤解をしただけよ」悠良は史弥と玉巳のことを口に
Read more

第83話

悠良は心の中で冷笑する。かつて「君に辛い思いはさせない」と誓ったその男こそが、今は一番深い傷を負わせているのだから。男の言葉なんてその場限りのもの、過ぎてしまえば守られるとは限らない。悠良は視線を落としてスマホに文字を打つが、指がなかなか狙ったキーに触れない。いくつか文字を打ち終えたときには、掌がじっとりと湿っていた。【立て込み中なのにごめんね】孝之は娘の顔色があまりよくないことに気づいたようだった。「どうした?何かあったのか?」悠良はスマホをしまって我に返る。「史弥は会社で少し立て込んでいて、今日は間に合いそうにないみたい。今度改めて一緒にごはんに来るって言ってるわ」孝之は特に何も言わなかった。「若い者は忙しいからな、仕方ないさ。お前も晩御飯を食べてから帰ったら?」「いいの、私も少し用事があるから、今日のところはこれで失礼するわ。食事はまた今度にする」悠良は父に、今度がいつになるかわからないとは言えなかった。孝之も無理に引き止めようとはしない。もし祖父に会ったらまたひと悶着あるだろうと気にかけていたからだろう。それでも最後に一言だけ、父は娘を気遣った。「帰ったらその傷、ちゃんと手当てするんだよ」「うん」悠良はうなずいて書斎の扉に手をかける。その目にはほんのりと熱がこもっていた。階下に降り、さあ帰ろうとしたとき、またもや莉子が立ちはだかった。莉子は見下すように笑う。「もうお帰り?」悠良は取り合う気もなく冷たい一瞥をくれて通り過ぎようとした。その視線に莉子は不快感を覚え、苛立ちが募る。「あなたにそんな態度取られる筋合いないわ。小林家に来たいときだけ来て、好きなように出ていくなんて許さないから。お父さんに金を請求した?」そう言って莉子は悠良の手首を掴んだ。悠良の瞳に冷たい光が宿る。「してない」「信じられないわ」莉子は傍らの使用人に向かって指示する。「渡邊、加藤、この人の身辺を調べなさい。家の中の大事なものを盗ってないか確認して」渡邊と加藤は戸惑いながら一歩踏み出すが、悠良が低く冷たい声で一喝する。「やれるものならやってみなさい」たったその一言に、渡邊と加藤はなぜかびくりと身を竦めた。見た目は細い娘一人に過ぎないのに、その気配には
Read more

第84話

雪江は腕を組み、真っ赤な唇の端をわずかに吊り上げる。その眉目には、どこか妖艶さと抜け目なさがにじみ出ていた。「何その言い方。ちょっと調べるだけよ、別に何かさせようってわけじゃない。もしかしたら、自分でも気づかないうちにどこかに引っかけたかもしれないでしょう?」悠良は背筋をまっすぐに伸ばし、冷え切ったその目には凄みさえ感じさせる。「言ったでしょ、してないって。それとも、私があなたたちの家にあるネックレス一つ二つでさえ目が眩むような貧乏人に見える?」雪江は笑顔こそ絶やさないものの、その奥にはぬるりとした冷たさがある。「そこまで協力的じゃないっていうなら、仕方ないわね。無理やり調べさせてもらうわ」そう言って、雪江は渡邊と加藤に目配せする。二人はすぐに悠良に飛びかかり、それぞれが腕をつかみ取った。莉子も袖をまくり、悠良の衣服に手を伸ばそうとする。その瞬間、悠良は素早く体をひねり、膝を曲げると力いっぱい莉子の腹に蹴りを入れた。「どきなさい!」まさか悠良に手を出されるとは思っていなかった莉子は体勢を崩し、階段から転がり落ちる。その拍子に頭を手すりにぶつけ、鋭い痛みとともに悲鳴を上げた。「あぁっ......!」渡邊と加藤もまさか悠良が抵抗するとは思わず、一瞬動きが止まる。その隙に悠良は渾身の力で腕を振り払い、二人を床に叩きつけた。「いたたっ!」「腰が......」悠良は見下ろすようにして数人に視線を向け、その唇に冷笑を浮かべる。「あんたたちみたいな人に調べさせる筋合いなんかないわ。それに、本当にそうだとしても、私がそんな低劣な手を使うとでも?」そう言い捨てると、手で服についた埃をさっと払いのける。その顔には明らかに嫌悪がにじんでいた。雪江は悠良が家で手を出すとは思っていなかったようで、顔を赤くして吠えた。「あんた......まさか手を出すなんて!許されるとでも思ってるの?!私の息子がいなくなったのもあなたのせいよ!母親にとって子供がどれほど大事かわかってるの?」悠良はぴんと背筋を伸ばし、その目には隠しきれない鋭さがある。「私の過ちであなたが息子を失ったことは確かよ。でも、それを盾に私を好き勝手に罵倒できると思わないことね」これまで、悠良は弟を探すことを諦めたことは一度もなか
Read more

第85話

これらのことは、孝之さえ知らないはず。なぜ悠良がそんなに詳しく知っている。まさか、この女が裏で人をつけていた!?きっとそうに違いない。でも、それを認めるわけにはいかない。莉子はわざと声を張り上げる。「なに馬鹿なこと言ってるのよ、悠良。あんたこそ、白川に捨てられたくせに。いつもはあんなにべったり一緒に帰ってきたくせに、今回一緒に戻ってきてないじゃない」そう言ってから、莉子はわざとらしく口元を手で覆い、楽しげに笑った。「わかったわ、きっとあの初恋相手にでも会いに行ってるのよね。当然よね、耳が聞こえないあんたと一緒にいてもつまらないもの。外に出せば恥かくだけだし」悠良は苛立たしげに眉間を押さえ、その澄みきった目には隠しきれない不快さがにじんでいた。だからこそ普段はここに戻りたくなかったのに、と心の中で思いながら。ゆっくりと莉子に近づき、見下ろすように見据えた。その眼差しには蔑みがあり、なぜか一瞬にして場を支配するような迫力がこもっていた。悠良は莉子の顎先を指でつかむ。その瞳に見据えられると、莉子はぞっと背筋が凍るような感覚に襲われた。「な......なによ!ここは小林家よ。あんたが好き勝手できる場所じゃないわ!」「ただ忠告してるだけよ。プライドは自分で守るもの。他人からもらうものじゃないの」悠良の声は冷たく、響きに厳しさがこもっていた。「その嫉妬にとらわれたまま、人のせいにして生きていくなら、さっさとどこかに消えた方がいいわ。そうしないと、そのうち社交界でも同じように蔑まれて、小林家の顔に泥を塗るだけだから」言い終わると、悠良は手を離した。その勢いに莉子はよろめき、ハイヒールで二、三歩後ろに下がったはずみで、また転びそうになる。悔しさと屈辱に顔を赤らめ、莉子は悠良を睨みつけるが、それ以上は言い返せなかった。「この女、もう小林家のお嬢様でもないくせに、なにをそんなに偉そうにしてるのよ!それに夫には見向きもされてないのに!」と心の中で毒づくものの、恐ろしくて口に出すことはできなかった。悠良がその場を去ろうとしたそのとき、雪江が視線を階段に向け、深々と頭を下げる声が響いた。「お義父さん......」悠良はその声に背筋がびくりと震えた。祖父がゆっくりと階段を下りてくる。その細め
Read more

第86話

「お前と寒河江の間にある噂も耳に入ってる。それに最近のお前の状況もなかなか厳しい。誰にとっても得になるような、もう少し良い方法を考えたことはないのか?」小林爺がこれほど穏やかに話しかけてきたとき、悠良にはこの老獪な男がまたなにか企んでいるとすぐに察しがついた。だから悠良は無駄に回りくどい駆け引きはせず、はっきりと切り出す。「おじいさま、おっしゃりたいことがあるなら直接言ってください。今から一緒に昼食を取るつもりもないでしょう?」小林爺はふっと息をつき、口元に薄い笑みを浮かべた。その笑みはなぜか悠良の背筋を冷たくさせるものだった。「まったく、残念なことだな」その言葉の意味は悠良にはすぐにはわからなかったが、とりあえず軽く笑顔を返した。けれど、その笑顔は次の言葉ですぐに凍りついてしまった。「寒河江にお前の妹を紹介する仲介役になってほしい」その一言に悠良の笑顔はぴたりと固まった。莉子もその言葉には驚きを隠せなかった。昔、小林爺は自分を史弥に紹介しようと考えたこともあったが、母と父が必死に止めたのだった。「史弥には合わない」、「まだその資格がない」と。あのときは、父母が自分を後回しにして悠良ばかりを優先することに腹を立てていた。でも今、そのときの恨みがどこか少しだけ解けるような気がした。一方で悠良は困惑し、すぐにきっぱりと断った。「申し訳ありません。それはお約束できません」それを聞いた莉子は途端に顔色を変えた。「あんたはもう白川家に嫁いでるんだから、私と男を取り合うわけじゃないでしょう?ちょっと手を貸すこともできないの?」悠良は冷たい視線で切り返す。「親しくありませんから」小林爺にとって、それは生まれて初めての拒絶だった。今まで家中の人間が従わないことなど一度もなかったからこそ、まさか血縁もない孫娘から断られるとは思ってもみなかったのだろう。その目に陰りが差し、冷たい声が響いた。「もしお前が母親の墓を小林家に戻してほしくないなら、好きにすればいい」悠良はその言葉に唇をきつく結び、体中がこわばった。そしてその表情には怒りと痛みがにじみ出る。「おじいさま、母はあなたにとっても嫁だったはずです。この何年も、どうして外に置き去りにできるんですか?」小林爺は顔色一つ変え
Read more

第87話

「紹介はできますが、寒河江さんが気に入るかどうかまでは保証できません。あの人は好みがうるさいですし、気難しくて読めませんから......」小林爺も悠良にそれ以上無理に求めることはなかった。「いいだろう」それを聞いた悠良はもうここに長居するつもりはなく、さっと立ち上がる。「では、莉子にまだ連絡します」家を出ると、一気に空気が軽くなった気がした。さっきまで中にいたときは息が詰まるほどだったのに、今はそれが嘘みたいだった。思わず額の傷に触れると、痛みで顔をしかめる。「つっ......」莉子、本気でやってきたな。でもまあ、自分もそれなりにやり返したからいいか。スマホを取り出してタクシーを呼ぼうとしたとき、ふと葉からメッセージが届いているのに気づいた。【今日、父親のお誕生日で実家に帰ってるの?】悠良は葉が何か用事があるのかと思い、手早く返信した。【うん。どうかした?】するとすぐに葉から怒った顔文字と短いメッセージが送られてきた。【石川のSNS見てみて】悠良はSNSを開いた。半時間前に投稿されたものだった。【これからの誕生日は毎年、最愛の人と一緒に】その下には写真が一枚添えられていた。玉巳が海辺で後ろ向きに男と手をつないでいる写真だった。顔は見えなかったが、その手には見覚えがありすぎる。史弥だった。結婚指輪は外していても、指にはまだくっきりとその跡が残っていた。悠良は皮肉に唇をゆがめて笑った。これが史弥の言っていた「立て込んでいる」というやつか。史弥は小林家での態度を知っている。自分がいないとき、雪江や莉子がどんな風にふるまうかもわかっていたはずだ。それでも史弥は玉巳との時間を選び、悠良をひとりその場に置き去りにした。そのことに改めて気づかされ、悠良は玉巳のSNSを閉じるとタクシーを呼び出した。車中で再びスマホを取り出し、葉にメッセージを送る。【最近の寒河江さんのスケジュールを調べてもらえない?】葉はいつも快諾してくれるから、悠良も気楽に頼める。【わかった。五分待ってて】その言葉に悠良はほっと息をついた。きっと葉には手立てがあるはずだ。葉はかつて史弥に玉巳を優先するために解雇されたが、それでも悠良には頼れる存在だった。業界に長く
Read more

第88話

悠良は家に戻ると、まず額の傷を手当てした。ちょうど片づけをしようとしたそのとき、史弥が帰ってきた。彼は鍵をテーブルに置き、ジャケットを脱ぎながら悠良に手振りで話しかける。[帰るの、早かったな]悠良は淡々と答えた。「うん、ちょっと顔を出しただけだから」史弥は冷蔵庫から水を取り出し、悠良のそばに寄ってくると、彼女の額に貼られた絆創膏に気づいて、表情が一変した。彼はその場で片膝をついて顔を近づける。[怪我したのか?]史弥の瞳に浮かぶ心配の色を見て、悠良は一瞬、現実感が薄れてしまう。本当に彼は自分を心配してくれているのか、それとも......もし偽りだとしたら、この人の演技力は本当にすごい。「大したことないよ。ちょっと転んだだけ」悠良は、今さら莉子や雪江にされたことを話しても無意味だとわかっていた。彼はもう、自分を守ってくれる存在ではなくなったのだから。史弥の眉は深くしかめられ、眉間にはくっきりとした縦じわが刻まれていた。[気をつけてほしいな。どこで転んだんだ?もしかして、妹と継母に突き飛ばされた?]悠良は最初、話すつもりはなかったが、しつこく聞かれるので観念して口を開いた。「仮にそうだったとして、史弥に何ができるの?私のために怒鳴り込む?」広斗があれだけ自分を侮辱し、ひどい扱いをしても、史弥は何ひとつしてくれなかった。一方で伶は違う。誰かが自分の大切な人を傷つけたなら、たとえ相手が誰であれ、決して見逃さないタイプだった。史弥はすべてを天秤にかける。全体の利益のためなら、自分一人くらい簡単に切り捨てる。もし広斗と争うことになれば、白川社での自分の立場が危うくなる。悠良の不満に気づいた史弥は、彼女の肩に手を置いて、なだめるように言った。[君だって分かってるだろ?俺が彼女たちを責めれば、確実に関係はもっと悪くなる。それでもいいのか?]一見すると彼女を気遣う言葉だった。悠良は伏し目がちに視線を落とし、感情を隠すように穏やかな口調で返す。「冗談よ、彼女たちに関係ないわ」史弥は彼女の少し冷たい手をそっと握った。[次は俺も一緒に行くよ。誰にも君を傷つけさせないから]「......うん」悠良はそれ以上、彼の言葉を聞きたくなかった。だから話題を変える。
Read more

第89話

悠良は思わず呼吸を詰まらせた。史弥は最初から、自分をそのパーティーに連れて行くつもりなんてなかった。だからさっき、話題にすら出さなかったのだ。彼はよほど玉巳を連れて顔を売りたいらしい。そうすれば、彼女が正式に自分の代わりになったとしても、誰にも責められずに済む。そのとき、浴室から史弥が出てきた。ちょうど悠良がベッドサイドのスマホを手にしている姿を目にして、彼の眉が一気に険しくなる。彼はすぐに悠良のもとに早足で近づき、彼女の手からスマホを奪い取った。「人のスマホまで勝手に見るな」悠良は、まだ空中に残る手をぼんやりと見つめていた。今起きたことを理解しきれずにいるようだった。むしろ、驚かされたのは彼女の方だった。「スマホが光ってたから、何か大事なメッセージかと思って見ようとしただけよ。そんなに大騒ぎすること?」その言葉を聞いて、さすがに史弥も少し冷静さを取り戻した。彼はトーンを落として言う。[いや、最近会社のことで頭がいっぱいでさ。君にまで気を遣わせたくなかったんだ]彼はスマホの画面を見て一瞥する。そして、言いにくそうに続けた。[そういえば、明日宴会があるんだけど......君は額を怪我してるし、家でゆっくり休んでた方がいいよ。代わりに玉巳を連れて行く。ついでに場慣れもさせておけば、今後仕事でも助けになるだろうし、君の負担も減るだろ?]悠良は、彼と言い争う気すら起きなかった。どうせ最初からそのつもりだったのでしょう?彼女はおとなしく頷いた。「うん」史弥はさっきの自分の態度が悪かったと感じたのか、悠良に歩み寄り、そっと彼女を抱きしめ、背中をやさしく叩いた。そして手話で、彼女を気遣うように伝える。[驚かせてごめん、悠良。さっきは少し感情的になってしまった。最近はオアシスの件で社内も落ち着かないんだ]しかし、悠良の顔には何の感情も浮かばない。整った冷ややかな顔立ちは、まるで石のようだった。「気にしてないわ。石川さんを連れていけばいい」史弥は、ホッとしたように彼女の頭を軽く撫でた。[この数日は、家でしっかり休んで]すると悠良は突然、口を開いた。「そうだった。退職したいの。しばらく家でゆっくりしたい」それは、彼の反応を確かめるためでもあった。先に探
Read more

第90話

悠良はその夜、できるだけ史弥を避けていた。なのに、彼はやたらと自分に近づいてくる。そのたびに、悠良は眉間に広がる嫌悪感をこらえた。その態度に気づいた史弥は、悠良の顔をこちらへ向けるように手を添えた。[どうした?具合でも悪いのか?]悠良はとりあえず適当な理由を口にするしかなかった。「ちょっと体調がよくなくて。生理でお腹が痛い」史弥は眉をひそめて、スマホのカレンダーに視線を落とした。[生理って......たしか12日に来るはずだろ?]悠良はその一言にびくりと身をこわばらせた。自分は12日ではなく2日だったはず。じゃあ、その記録はいったい誰のもの?玉巳以外にありえない。それでも悠良はそのことに触れず、ただ曖昧に答えた。「最近生活が不規則だったから、それで体に影響が出たのかも」史弥は温かい手をそっと彼女の腹に添えた。[今も痛むか?ホッカイロ買ってこようか?]悠良は実際には痛みなどなかったが、それでも試すように、顔をしかめて見せた。「......お願いできる?」史弥は甘やかすようにその頬をつまむ。[夫婦なんだから、遠慮することないさ]悠良はわざと唇の端をひきつらせるように笑った。「それでも、一応はね」着替え終えた史弥は、外へ出ようとしたときにスマホが振動した。スマホはベッド脇に置かれていて、悠良はちらりと見ただけで、それが玉巳からの着信だとわかった。きっと史弥自身も、まさか玉巳からこんな夜中の二時に電話がかかってくるとは思っていなかっただろう。悠良は静かに言った。「出なよ。大事な話があるかも。こっちで頼れる人は史弥だけでしょうし」史弥は通話ボタンをスライドさせた。「こんな時間にどうした?」電話口から、か細い玉巳の声が響いてきた。「史弥、来てくれない?熱が出ちゃって......頭が痛くて辛いの」史弥の眉間に深い皺が刻まれる。その目には心配と焦燥感がにじみ、まるですぐに飛び出して行きたいようだった。「体温は測った?まず冷たいタオルで額を冷やして」「もうしたけど、つらい......40度くらい出てるみたい」玉巳の声は今にも泣き出しそうで、どんな相手でも心を痛めるほどか弱かった。悠良はそれをじっと聞いていた。玉巳には弱音を吐き、泣きつ
Read more
PREV
1
...
7891011
...
20
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status