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All Chapters of ワンダーパヒューム: Chapter 31 - Chapter 40

66 Chapters

・Chapter(30) 王子様

杉浦マイが作ってくれた雑炊が、奏効したのか、続けて会社を休んだ金曜のお昼頃には、瑞穂の風邪はほぼ治っていた。もはや、懸念するのは喉の不快感のみという状況にまで体調が回復した瑞穂は、ベッドの上でのど飴を舐めながら、月曜日にどういう心構えで出社すべきかを思案していた。「とりあえず、若松部長のデスクに行って謝るでしょ。そんで、真中課長と和田マネージャーにも……」ここで瑞穂の思考は、Web動画の再生を一時停止したようにストップする。「和田マネージャーか」瑞穂は呟くと、寝返りを打った。「アンナ事」をした挙げ句、結果的に逃げたように休んだというのもあり、瑞穂は週明け和田マネージャーと顔を合わせるのがどうにも気まずかった。風邪を押して出社した、今週の月曜と火曜は、和田マネージャーが外回りに出ていた為、挨拶程度のやり取りで済んだが、来週通常通りに出社するとなると、そうもいかない。仕事上、何かしら和田マネージャーとやり取りする事は必至である。その時、自分は和田マネージャーと普通にやり取りする事が出来るだろうか。もしかしたら、自分が休んでいる間に、和田マネージャーがあのアバンチュールを誰かに話している可能性だってある。そして、早退を入れればほぼ4日も出社しなかった事に対して、和田マネージャーが何かしら胸の内に溜め込んでいる可能性も否定出来ない。以前までの、和田マネージャーなら、『別に気にしてないよ、俺。部長も同じ事言ってたけど、高畑さんが休む事自体滅多にないからね。つーか、他の奴も有給を取ってるんだから、高畑さんもたまには取るべきだよ』と、言ってくれるかもしれない。が、身体を交えた今、和田マネージャーは以前みたく「心優しい上司」として自分に接してくれるだろうか。──いや、「心優しい上司」でいる可能性は十分にある。自分は和田マネージャーに交際を申し込んで、断られているのだ。変に期待を持たせて、なし崩しにセックスのみの関係に和田マネージャーが持っていく事も否定は出来ない。いくら、心牽かれた相手とはいえ、所詮和田マネージャーも性欲に従順な「男」であるのだから。そうなると、勘のいい女子社員の間で自分と和田マネージャーの事が噂になり……。「あー、めんどくせぇー!」瑞穂は頭をかきむしると、考えるのをやめた。これ以上考えたってどうにもならないし、
last updateLast Updated : 2025-07-14
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・Chapter(31) 遅くなりました

──迎えた、金曜日。どうにか仕事を終わらせた瑞穂は、ダッシュで退社すると、乗り換え駅の駅ビル内にある喫茶店「blue」に入り、待ち人である杉浦マイを待った。スマートフォンで、時刻を確認する。18時20分、待ち合わせの19時にはまだ時間がある。こういう、舞台の暗転のような時間は、読書をするのに持ってこいである。瑞穂はバッグから文庫本を取り出すと、目の前のホットコーヒーを飲みながら、読書へと浸った。やはり、東野圭吾は秀逸だ。読者の心を惹き付ける描写と、展開が絶妙である。瑞穂が文庫本のページをめくっていた、その時だ。和田マネージャーへの想いが不意に瑞穂の中をよぎっていき、その想いに瑞穂は胸を痛めた。和田マネージャーの対応は、相変わらずであった。相槌だけで返答をする、という、にべもない対応を未だ瑞穂に対して続けており、以前のように何かしら心が和むような一言を挟んでくる事は無かった。が、あくまで瑞穂が感じた印象だが、どうも和田マネージャーは嫌悪から自分を遠ざけている、という感じではなかった。挨拶をすれば、普通に笑顔で挨拶を返してはくれるし、何かしら陰で瑞穂の事を悪く言う、という素振りも和田マネージャーは今のところ見せてはいない。──だとすれば、何か特殊な事情があって自分を遠ざけている?もちろん、瑞穂は何ら確証を持ち合わせていない。しかし、和田マネージャーの応対ぶりから、瑞穂はそう思わずにはいられなかった。ホットコーヒーを半分程飲んだ後、瑞穂は再びスマートフォンで時刻を確認する。スマートフォンのデジタル時計は「19時03分」と表示しており、待ち合わせ時間の19時はいつの間にやら過ぎていた。「マイさんが待ち合わせに遅れるなんて、珍しいな」独りごちながら、瑞穂は視線をスマートフォンから文庫本へ戻す。これまで、瑞穂は数回杉浦マイと待ち合わせをしたが、杉浦マイは5分前には必ずと言っていい程、待ち合わせ場所に来ていた。瑞穂も時間に関しては、キッチリとした性格の為、待ち合わせ時間より早く合流し、そのまま行動する、という事が珍しくなく、今回のようにどちらかが「待ち合わせ時間に遅れる」というケースは初めてであった。瑞穂はテーブルに置かれたスマートフォンにチラチラと目をやり、杉浦マイから何かしら連絡が来ていないか確認するのだが、スマートフォンは沈黙
last updateLast Updated : 2025-07-15
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・Chapter(32) 腹、減ってませんか?

目的地であるチーズフォンデュの店は、瑞穂が思っていた以上に小綺麗な様相をしていた。スタイリッシュな駅ビル。ファッショナブルなショップやビルディングが建ち並ぶ中、そのチーズフォンデュの店は街の光景に見事なまでに溶け込んでおり、古田の作業着という格好は、その光景に対してどこかミスマッチに思えた。「あの、古田さん。ダメ元で訊きますけど、着替えとか持ってきてないですよね?」街の雰囲気に圧倒された瑞穂は、おそるおそる古田に尋ねる。「……スミマセン」古田は苦笑すると、イタリア民家のような門構えをしている、チーズフォンデュの店の前で足を止める。「現場帰りの時に、突然マイさんから電話が入ってきましたからね。で、こっちも事情がよく分かっていないまま、とりあえず高畑さんのトコロに向かった、って感じで……」「そうなんですね」古田の答えに、瑞穂は弱々しく頷いた。「で、どうします?」古田は振り返ると、瑞穂に視線を向けた。「えっ?」「こんな小汚ない格好した人間と、こういう洒落た店に入るのは、高畑さん的にもツラいもんがあるでしょ。やっぱ、今日は店に入るのやめときますか?」「いや、ちょっと……」瑞穂は、作業着姿の古田と店の門構えを見比べながら、しばらく思考した。が、答えは出なかった。ネットで予約をした時、店内が写し出された写真を瑞穂は1~2枚見たが、古田の作業着という格好はどう考えても、浮く。かといってこのまま帰れば、杉浦マイに無理矢理頼まれてやって来た、古田の面目が立たない。どうすべきか答えが出ず、しかめ面で瑞穂が店の前で沈思していた、その時であった。「じゃ、もういいですね」古田は沈思を続けている瑞穂を尻目に、スタスタと店に入っていった。「あっ、ちょっと古田さん!」慌てた瑞穂は、古田を追いかけ続く形で店へと入る。薄暗い、照明。個室なのか、天蓋が設けられ、中の様子が一切見えないテーブルが、奥に3つ程見える。コンビニ以上に教育が行き届いたスタッフと、ひそやかな話し声のみが聞こえる店内の落ち着いた雰囲気において古田の格好は、想像していた以上に場違いの感があった。「いらっしゃいませ」古田が来店した事に気づいたのか、髪を後ろに束ねた20代後半の女性スタッフが作り笑いを浮かばせながら、すぐさまレジ前へと駆け寄ってくる。「8時に予約している、高
last updateLast Updated : 2025-07-16
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・Chapter(33) アンタもスミにおかれへんなぁ

国道を20分程走らせたトコロで、古田はワンボックスカーをコインパーキングへと入れた。そして、瑞穂を伴い、慣れた足取りで薄暗く雑然とした裏通りを歩いていく。それは、先程のチーズフォンデュの店があった都会的でスタイリッシュな街並みとは、対照的な光景であった。缶チューハイを飲みながら、独りで何者かに対して怒りをぶちまけている、浮浪者。小便臭い路地裏、スプレーで壁に書かれた意味不明のシンボル、チーム名。廃墟と化した、ラブホテル。──こういう形で古田さんに連れてこられなければ、多分来る事のない場所だな。キョロキョロと辺りを見回しながら瑞穂は思うと、前を歩く古田から離れぬよう、ピタリとついて歩いていく。乾物屋、立ち食い寿司屋、ムード歌謡が洩れ聴こえるスナックなど、どこかノスタルジックな商店街を数分かけて歩き抜けた後、古田は足を止めた。「ここです」古田は振り返り、後ろの瑞穂に視線を向けた。「……はぁ」清廉さより、下町情緒がまず溢れてくる店のその雰囲気に、瑞穂は圧倒されずにはいられない。店外まで漂ってくる、アルコールと出汁が入り交じった匂い。備え付けられたブラウン管の映像に、ダミ声で突っ込みを入れていく客。築年数、40年は経っているであろうか。集合住宅一階にあるその店は、見る者に経年劣化を感じさせずにはいられない佇まいであった。「ここ……、なんですか?」観光客向けに、後から備え付けられたのか、入口上部で光り輝き、独自の存在感を放っている看板を見つめながら、瑞穂は言葉を詰まらせる。「行きつけなんですよ」ややズレた返答のみを、古田はサラリと瑞穂に対して述べると、染みだらけの引き戸を開けた。「いらっしゃい!」同時に、活気のいい男の声が店内に響き渡った。「兄ちゃん、久しぶりやな」歯の抜けた老婆が、頬を緩ませながら古田らに歩み寄ってくる。「二人だけど、いける?」古田は笑うと、右手で「二人」を表すVサインを老婆に指し示す。「空いとるで」老婆は頷くと、つま先立ちのようにゆっくりと歩き、古田と瑞穂の二人をブラウン管下のテーブル席へと案内した。·「どうぞ、座ってください」テーブル席前で、所在無さげに立ち尽くしている瑞穂に対して、古田は声をかける。「あっ、はい……」瑞穂は頷くと、古田と共にテーブル席へと座り、それとなく店内の様子を見回
last updateLast Updated : 2025-07-17
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・Chapter(34) あの人、誰にでも優しいんです

「つーか、俺も気になってる事があるんですけど……」もつ鍋の具材を全て食べきり、シメのラーメンを鍋に入れている最中、古田は思い出したかのように瑞穂に目を向けた。「何ですか?」「高畑さんは、付き合っている人はいないんですか?」「えっ、ど、どういう意味ですか?」虚を突くような古田の質問に、瑞穂は動揺を露《あらわ》とさせた。それでなくても、自分はひと月近く前に、古田の学生時代の先輩である和田マネージャーと身体を重ねているのだ。別に和田マネージャーと付き合っている訳ではないが、その矢先に古田のこの質問は、瑞穂に動揺と深読みをもたらすのに十分なモノであった。「いやいや、大した意味はないですよ」肩の力を抜いて、とばかりに古田は微笑を浮かばせる。「俺はともかく、高畑さんって見た目がキレイじゃないですか。『のはら』で肉買った時は、高畑さんは『彼氏はいません』って言ってましたけど、あれから結構経ってるからどうなってるのかな、と思って。つーか、お返しです。俺に彼女がどうとか、って話になってましたから、俺も訊き返しているだけで、深い意味はないですから。単純に、ただの反撃でしかないので、答えにくかったら別に答えなくてもいいです」「えっ……。あっ、じゃあ想像にお任せしますね。見た目がキレイかどうかは、さすがに否定しときますけど」瑞穂は明言を避けると、ごまかすように笑い声を上げた。「気になってる人とかも、いないんですか?」古田は質問を続ける。「それも、想像にお任せしますね」片目をつむり、古田の質問攻めを瑞穂はやり過ごすと、煮えたぎった鍋の中で回遊魚のように泳いでいるラーメンを箸でつかんだ。「ラーメン、美味しいですね。凄く出汁を吸ってるから」話題転換、とばかりに瑞穂は今、口にしているラーメンを絶賛する。「和田さんは、気になっていないんですか」しかし、古田は話題を先程の流れに戻す。そして、古田のその質問は瑞穂が今、最も避けたいと思っていた話題であった。「あ……」瑞穂は咄嗟にこう述べる事で時間を稼ぐと、浮かび上がってきた言葉を煙幕のごとく矢継ぎ早に古田に対してぶつけていった。·「いやいや、古田さん。どうして、アタシが和田マネージャーの事を気にならなきゃいけないんですか。そりゃ、和田マネージャーは、確かにいい上司ですし、古田さんとはまた
last updateLast Updated : 2025-07-18
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・Chapter(35) あー、よかった

店を後にし、商店街を歩いている最中、瑞穂と古田は沈黙したままであった。あの落涙が、二人の間に妙な空気を作ってしまったのか、前を歩く古田の背中はどこか消沈しており、同じく気落ちしている瑞穂もその背中に言葉をかけようとはせず、二人は無言で歩を進めていった。行き掛けに見た、スプレーアートと言うには程遠い、チーム名なのかシンボルなのか判然としない壁の落書きを横目で見た後、瑞穂は先導する古田についていく形で国道沿いのコインパーキングへ入る。「今日は……、何かスミマセンでした」駐車料金の精算を済ませ、ワンボックスカーのフロントドアを開けた時、古田はようやく口を開き、瑞穂に対して謝罪の言葉を述べた。「いえ」霧雨のように静かな声で、瑞穂は言葉を返す。「こっちも、スミマセン。お店だってのに、変なトコ見せちゃったりして……」「いや、それは俺の下らない話が原因ですから」「あと、もつ鍋もごちそうさまでした。とても、美味しかったです」瑞穂はどうにか微笑を作り上げると、古田に対し心持ち頭を下げた。「いえ」瑞穂の様子に少し気を良くしたのか、古田は僅かに口角をあげると「どうぞ、乗ってください」と、瑞穂に乗車を促した。瑞穂は数秒逡巡したが、古田の言葉に応じ、ワンボックスカーの助手席に座った。先程、コインパーキングまで歩いた道中での雰囲気を考えれば、おそらく車内においても二人の間には重苦しい空気が漂うだろう。それ故、瑞穂は古田の送迎を断り、電車かタクシーで帰ろうとしたのだが、瑞穂は何故かそうせず古田の言葉に応じ、ワンボックスカーに乗り込んでしまった。無難に事を済ませようとする意思よりも強い「何か」が、瑞穂の背中を満員電車の駅員のように懸命に押していたのだ。「足塚ですよね、高畑さん」シートベルトを締めながら、古田が傍らの瑞穂に目を向ける。「そうです」古田の問いに瑞穂が頷くと、ワンボックスカーはゆっくりと発進した。瑞穂が予期した通り、車内の空気は重苦しいモノであった。瑞穂と古田の二人は、切り出す言葉が見つからない状態を続け、ワンボックスカーが作り出すタイヤの走行音を耳にしながら、無言で流れていく街の夜景を見るのみであった。「……あの」しかし、信号待ちでワンボックスカーが停車した時、さすがに耐えきれなくなったのか古田は瑞穂に水を向けた。·「はい」瑞
last updateLast Updated : 2025-07-19
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・Chapter(36) もしかして、アタシの事を避けてませんか?

古田との食事を終え、土日が過ぎると、瑞穂を待っていたのは代わり映えのしない退屈な日常であった。仕事は出来ないクセに、態度だけはやたらとデカイ男性社員。見栄えだけは良く、仕事においては殆ど使えない後輩。文句しか言わない、取引先。そういった存在とやり取りする時、瑞穂は極力波風を立てないよう、取り繕いの笑顔を浮かばせながら対応するのだが、やはり無理をしているからか。その際に生じたストレスは、掃除をし忘れた綿埃のように、どんどんと瑞穂の心の隅に積もっていった。以前ならそういったストレスも、和田マネージャーとのフランクなやり取りや女子社員同士の飲み会などで、ある程度解消する事は出来た。が、結婚などで仲の良い女子社員は次々と退社。そして、未だ素っ気ない対応を続けている和田マネージャーという状況では、ストレスの解消もままならず、瑞穂のため息の数は次第に増えていった。そんな状況下の中、瑞穂は誕生日を迎えた。30歳、「若い」と言われる年齢はとうに過ぎてはいるのだが、時の無情がもたらす「2」から「3」への数字の変化は、さすがに瑞穂を愕然《がくぜん》とさせた。新たなステージに入った自身の年齢に、瑞穂は舌打ちをくれたい気分だったのだが、かつて育んだ友情は瑞穂が踏み入れたその新たなステージを無邪気といった様子で歓迎してくれた。『高畑さん、誕生日おめでとう☆会社やめてから全然会ってないけど、また昔みたいに飲みに行ったりしようね』『おめでとう、瑞穂ちゃん。今年は旅行とか、バーベキューとか、サオリンの結婚式とかで瑞穂ちゃんとは何回も会ってるけど、お互いがお婆ちゃんになってもああいう風に会っていきたいよね。これからも私の良き「お母さん」でいて下さい♪』『みーづほ、誕生日おめでとう。こっちの世界へヨウコソ(笑)あのバーベキュー以来会ってないけど、またパンケーキとか二人で食べに行こうよ。ああいう集まりがあったら、また誘ってね♪』0時を過ぎるやいなや、LINEやメールを通じて続々と寄せられる、誕生日を祝うメッセージ。さすがに若い時に比べればその数は減ったものの、これらのメッセージはストレスで傷ついた瑞穂の心を癒し、これまで送ってきた自己の人生をも肯定してくれているような気分にさせた。··12月に入った。夏の猛暑の影響からか、今年は「暖冬」と天気予報で散
last updateLast Updated : 2025-07-19
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・Chapter(37) 多香子姉さん

その着信があったのは、仕事を終えた木曜日の夜であった。ドラッグストアでレジの行列に並んでいた瑞穂は、精算を終えるとすぐさまバッグからスマートフォンを取り出し、着信主が誰なのか確認をした。電話を掛けてきたのは、多香子であった。高校時代、バイト先で色々と世話になった2つ年上の先輩であり、初夏のバーベキューでも何かと場を盛り上げてくれた、瑞穂の女友達だ。「もしもーし」瑞穂が電話をかけ直すやいなや、多香子はいつもの陽気な素振りを声色に表しながら電話に出た。「もしもし、何?」瑞穂はスマートフォンを耳にあて、レジ袋を折り曲げた左腕に引っ掛ける。「いや、百貨店に寄ったついでに、ちょっとあの水出しコーヒーの『blue』って喫茶店でコーヒー飲んでるんだよね。瑞穂、もう家に帰ってるとこ?そうじゃなかったら、ちょっと会えないかな、と思ったんだけど」「今、近くのドラッグストアを出たばっかりだから、会えない事はないよ。けど、歩いていくから、20分くらいかかると思う」「じゅーぶん」電話の向こうから、多香子の微笑が洩れ聞こえてきた。「じゃ、アタシはココでちびちびコーヒーを飲んで待っておくよ。あっ、別に急がなくてもいいよ。急用って訳じゃないし、ホントにただ会いたくなった、ってだけだから」「分かった。じゃ、また後でね」瑞穂は電話を切ると、スマートフォンをバッグに入れ、早足で多香子の待つ「blue」へと向かう。商店街を通り抜け、駅前の大通りで信号が青に変わるのを待っている間、瑞穂は不意に和田マネージャーの事を思い出した。──確か、あの夜もここで和田マネージャーと信号待ちをしたな。物凄い大雨で、折り畳みの傘が殆ど機能しなかったけど。甘美な思い出に、瑞穂は笑みをこぼしそうになる。が、その表情はすぐに曇りを見せた。その夜の交接が原因で、今現在のにべもない和田マネージャーの対応を引き起こしたかもしれないのだ。「来週話す」という言葉のみで、頑としてその理由を明らかにしない和田マネージャーの対応をも引き連れて思い出した瑞穂は胸を痛めると、ピヨピヨと歩行を促す誘導音を耳にしながら横断歩道を渡っていった。ため息を一つ吐きながら瑞穂は駅ビルへと入ると、ビル内に設営されているショッピングフロアを突っ切り、エスカレーターを降りる。地下街を数分かけて歩き、人通りがまば
last updateLast Updated : 2025-07-20
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・Chapter(38) お姉さんに相談してみなよ

8時半という、遅めの時間が奏功したのか、瑞穂と多香子の二人はトンカツ屋にすんなりと入る事が出来た。着席し、歩み寄ってきた店員に注文を告げると、二人は積もる話が尽きないのか、再び話し始める。「そういや、瑞穂。あのバーベキュー以降、何かいい感じになった人とかいる?」「うーん」瑞穂は小首をかしげたまま、明言を避けた。確かに、あのバーベキューをキッカケに和田マネージャーとの距離は縮まっていき、結果的には性交も行う事が出来た。が、その後の和田マネージャーの対応を思えば「いい感じになった」とはとても言えず、瑞穂は苦笑を浮かばせたまま、多香子の質問をやり過ごそうとした。「つーか、あのバーベキュー。カッコいい人、何人かいたよね。そういう意味では誘ってくれた事に感謝だけど、結局瑞穂はあのバーベキューで誰が目当てだったの?」「えーと……」瑞穂は湯呑みを手に取り、ほうじ茶を一口飲む。「ってか、アタシより姉さんは?姉さん、あのバーベキューの後、参加してた男の人と二軒目行ってたでしょ。それ考えたら、アタシより姉さんの方が面白そうな話がありそうなんだけどなぁ」和田マネージャーとの話をしたくないと思った瑞穂は、手に取ったボールを多香子へと投げ返す。「あっ、アタシはほぼアレっきりだよ。あのバーベキューの後、別の日に二人だけで会ったんだけど、それっきり。向こうはヤレれば誰でもいいのか知んないけど、会った後もしつこくLINE送ってくるんだよね。『また、メシでも食いに行こうよ』とか、能天気に。こっちとしては、一回二人っきりで会ったらある程度分かっちゃったから、LINE返信せず、そのまま既読スルーしてやった。しつこいんだよな。ロクに前戯もしねえクセに、すぐに入れようとしてきやがってよ」「あー、分かる。そういうタイプって、何でかこっちには『口でして』とか、訳分かんない事言ってくるよね。自分はそういうの、一切してくんないのに」「で、そういう奴に限って『イッちゃったの? イッちゃったの?』って、しつこく訊いてくると……」「あはは、いるいる。こんなのでイク訳ねーだろ、って」「いや、っていうか、そんな話はどーでもいいんだよ」多香子は吹き出すと、笑みを保ったまま再び瑞穂に対して切り出した。「だからさ、瑞穂はどうなの?あのバーベキュー以降、何かいい感じ
last updateLast Updated : 2025-07-21
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・Chapter(39) 全部話したいんだ

休日である土日を挟み、週が明けた月曜日の事だ。出社した瑞穂は、朝礼が終わるとほぼ同時に、「高畑さん」と和田マネージャーから声をかけられた。「はい」「悪いけど、宛名書いてもらえないかな?高畑さん、字が上手かったでしょ。俺が書くと性格が滲み出て、字が曲がっちゃうからお願いしたいんだ」「いいですよ」瑞穂は頷くと、デスクに座る。「ありがと」和田マネージャーは軽やかな足取りで喜びを表現すると、自らのデスクから封筒とA4用紙を一枚持ってきた。「ココに書かれてる社名を、宛名として書いて欲しいんだ。今日中に終われば、OKだから、もういつでもいいからさ」「分かりました」瑞穂は頷くと、社名が書かれたA4用紙にチラリと目を通す。「あの、和田マネージャー。これ、『前株』『後株』が書いてないんですけど……」椅子を回転させ、瑞穂は身体ごと振り返ると、自分のデスクに戻ろうとしている和田マネージャーをすぐさま掴まえ、言った。「あっ、ホントだ。なんだこりゃ、ゴメン」和田マネージャーは引き返してくると、瑞穂からA4用紙を受け取り、左手を縦にやりながら謝罪の言葉を述べた。「また、後で持ってくる。ゴメンね」そして、自分のデスクへ戻ると、和田マネージャーはマウスを操作しながら、液晶画面を凝視していた。和田マネージャーのその背中を横目で見ながら、瑞穂はふと思った。──さっきの和田マネージャー、何か前の和田マネージャーに戻った、って感じだったな。あの夜のアバンチュール以降、和田マネージャーは瑞穂に素っ気ない態度を取っていたが、さっきの和田マネージャーからは、そういう素振りは見られなかった。自分に頼み事をしたいが為に、「素っ気ない態度」という設定をかなぐり捨て、下手《したて》に出ただけなのか。それとも、単に自分の思い過ごしであるのか。真相は分からない。その答えは、全て和田マネージャーの胸の中にある。そういえば、もう一週間が経ち、和田マネージャーが全てを話す、というリミットを迎えた。もし、和田マネージャーが約束を覚えていればの話だが、どうして今まで素っ気ない態度を取っていたのか、という理由を、今週瑞穂はようやく聞く事が出来る。·『高畑さん。来週一日だけ、予定を俺の為に空けてくれたら嬉しい。会社帰りに、話したいからさ。この話は、休憩時間とかちょっと
last updateLast Updated : 2025-07-22
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