All Chapters of 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!: Chapter 1411 - Chapter 1420

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第1411話

忠と翔がいくら慰めても、「怜央がわざとやったのかもしれない」――その疑いが頭から離れないのだろう。明日香の顔色は、相変わらず最悪だった。仁志は窓際に立ったまま、裏庭を眺めていた。執事と並んでのんびり散歩する怜央。時折携帯を取り出しては、写真まで撮っている。……機嫌がいい。取り繕っている感じもない。むしろ、本当に楽しそうだ。雲井家の人間が彼の腹を読めないのも無理はない――いや、仁志自身ですら、怜央の底が見えなくなっていた。三十分も議論したが、結論は出ない。この調子じゃ、あと二時間延長したところで何も変わらないだろう。同じ話をぐるぐる回して、「怜央には裏がある」「口実にしてるだけだ」だの。聞いているだけでうんざりだ。仁志は淡々と言った。「そこまで可能性を並べるなら、怜央さんが本気で距離を置きたいだけって線も考えるべきです」忠が鼻で笑う。「怜央が明日香と完全に縁を切りたいなら、なんで明日香に株を3%も渡す?罪悪感を煽って、明日香から口を開かせたいだけだろ。俺には分かる。あいつはただの面倒くさい男なんだよ」仁志は横目で忠を見る。「逆に言えば、こういう可能性もあります。怜央さんは、こちらが何かを差し出さなければ、あなた方が簡単に引かないことをよく分かっています。だから、こちらから先に手を切ることにしました。たとえ痛みを呑もうとも、それで決着がつくならば……そういう判断です」星は、その言葉にわずかに意識が揺れた。彼女も雲井家と同じく、「怜央には狙いがある」と決めつけていたからだ。だが仁志の言い方は、別の角度を突きつけてくる。――怜央は、本当に明日香を手放すつもりなのか?けれど、手放すなら、なぜここまでの株を補償として出す?二人は付き合っていたわけでもない。怜央は、明日香の手すら握ったことがない。優芽利の件の償いだとしても、正直やりすぎに見える。忠はまるで聞く耳を持たない。「仁志、適当なこと言うな。怜央は司馬家の当主だぞ。そんな都合よく、食い物にできる相手だと思ってるのか?」仁志は即座に返す。「食い物にしづらい相手です。でも、この何年も怜央の存在で一番得をしてきたのは雲井家でしょう。今のあなた方を見れば分かる。怜央さんが手を引きたいと言えば、あなた方は簡単に放しますか?」言葉を区切り、冷たく続ける。「放しません。むしろ、
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第1412話

仁志の言い方は確かに刺がある。だが、刺があるぶん、的を射ることも多い。そこで皆はようやく気づいた。これだけ話しているのに、明日香はずっと議論に加わっていなかったのだ。靖が明日香を見る。「明日香、この件……お前はどう思ってる?」怜央の狙いが何であれ、最後に決めるのは明日香だ。明日香の眉間には薄い影が落ちていた。子どもの多い名家では、株を3%持つだけでもすごいことだ。まして彼女は怜央と血縁もなく、恋人だったことすらない。それでも3%を得るとなれば、羨む者は山ほどいる。昔の彼女なら、きっと満足していた。もともと怜央から離れたかった。さらに3%も手に入るなら棚ぼた――そう思えたはずだ。けれど、怜央があまりにも急いで自分を切り捨てようとする態度は、明日香に「嫌われている」という屈辱を突きつけた。脳裏に、ふいにある言葉が浮かぶ――厄払いのために金を捨てる。そして厄は、他でもない自分だ。いつから、彼女は人に避けられる側になってしまったのだろう。視線が一斉に明日香へ集まる。皆が答えを待っていた。星もまた、明日香を見つめている。明日香は深く息を吸った。「司馬さんは、うちに何も借りなんかないよ。むしろこの何年か、雲井家の方が司馬さんに助けてもらってきたんだ。だから……司馬さんがどう決めようと、この3%の株は受け取るべきじゃないと思う」だが忠は首を振る。「それは違う。あいつと優芽利のせいで、お前の評判は傷ついた。これは本来、お前が受け取って当然だ」さらに畳みかける。「お前は優芽利を長年親友だと思ってたのに、あいつはあんなふうにお前をはめた。兄の怜央が賠償することの、どこがおかしい?そもそも、これが怜央の差し金かどうかだって、まだ分からないだろ」そこで忠の目が、いやらしく泳いだ。「怜央が出した3%は、名誉毀損の補償ってだけだ。先に受け入れたところで、何が困る?」星は思わず忠をじっと見た――言いかけている続きが、もう分かる。まず明日香に承諾させて、そのあとで怜央からさらに吸い取る気だ。その瞬間、星はようやく理解した。怜央のほうが、よほど先を読んでいたのだ。雲井家の本質を最初から見抜いていた。忠の一言がスイッチになったように、雲井家は再び議論を始めた。明日香はさっきの言葉を口にしたきり、また黙り込む。星と仁志は、無言で目を合わ
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第1413話

「お前の手元にも、雲井グループの株は残っているはずだ。そこから3%出して、この騒ぎを収めることだってできる。明日香の名誉にそこまで価値があると言うなら……お前が出してみたらどう?」忠の声が、そこでぴたりと止まった。しばらくしてようやく我に返り、どもりながら言い返す。「問題を起こしたのはお前だろ!なんで俺が賠償しなきゃ――怜央、いいか……!」忠の警告が最後まで出る前に、怜央が苛立たしげに遮った。「俺が明日香に補償するのは、長い付き合いの情があるからだ。互いに、これ以上みっともない揉め方はしたくない」そして、冷たく言い切る。「言葉遊びはやめろ。俺の我慢にも限度がある」黒い瞳が一同をなぞる。声は、低く沈んでいく。「俺は与えることはできる。だが、お前たちが取りに来るのは違う。俺は……お前たちが好きに弄べる道具じゃない」その言葉に合わせるように、空気がじわりと冷えた。――そうだ。誰もが忘れていた。怜央は、情けをかけてくれる善人じゃない。本気で怒らせれば退かない。相手を道連れにする。しかも手段は容赦ない。敵に甘い男ではない。雲井家が彼を思い通りにしようなど、簡単な話じゃなかった。星は表情を変えず、雲井家の面々の顔色を眺めながら心の中で冷笑した。怜央は若い。だが、世間知らずの青二才ではない。翔が口を開いた瞬間、怜央は雲井家の小細工を読んだのだ。彼らは怜央を軽く見すぎた。狙いも外した。しかも今、それを面と向かって暴かれた。雲井家の顔は、どれも冴えない。それでも、誰ももう口を開かない。視線が一斉に、明日香へ集まる。代わりに引き出せるものは、もう引き出した。あとは本人の意思次第だ。明日香の口元に、自嘲の笑みが浮かんだ。「司馬さん、安心してください。あなたの決意が固いなら……私が厚かましく、いつまでもまとわりつくはずがありません」静かに怜央を数秒見つめ、それからペンを取り、脇に置かれた株式譲渡書に署名した。その様子を見て、忠が声を張る。「金と引き換えに、ってやつだ。怜央、約束を果たすまでは雲井家を出るなよ」怜央は忠を一瞥し、携帯を取り出した。邸宅の門前で待機している秘書に電話を入れ、手続きを進めるよう指示する。準備は万全だった。来る前から、全部段取り済みだったのだろう。星は、これ以上のやり取りに興味が湧かなか
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第1414話

星は、思い出すように口を開いた。「この花壇の花、全部高級品種なんだって。一つの品種だけでも、安くて百万円……二千万円以上。中には億円クラス超えの花草もあるらしいよ」雲井家に戻ったばかりの頃、邸宅を案内してきた翔が、わざわざそう教えてきたのだ。星はよく覚えている。あのときの翔の、見下すような目つきまで。聞いた瞬間、近づくことすらできなかった。もし触れて傷をつけたらどうしよう――そう思うと、怖かったのだ。……後になって知った。翔はわざと脅すように言ったのだ。狙いは、彼女に劣等感を植えつけること。当時の星は、その一言のせいで雲井家ではずっと息をひそめて暮らしていた。でも、もう違う。翔のやり方は、今の彼女には通用しない。それはそれとして、この花壇は本当に美しい。星は雲井家であったことを、花にぶつけるつもりはなかった。花は、何も悪くないのだから。実際、雲井家に戻って間もない頃、彼女はここで一枚絵を描いたこともある。そのときはまだ、仁志は邸宅に住んでいなかった。ただ、その絵は後にlinへ贈ってしまった。少し惜しい気持ちはある。けれど後悔はない。本当に「好きだ」と言ってくれる人の手に渡ってこそ、絵は一番いい居場所を得る。仁志は何も言わず、目の前の花を見つめたままだった。表情は沈み、考え込んでいるように見える。星が言う。「最近のお金持ちって、時計とか翡翠とか古木だけじゃ満足しないって聞くよ。こういう希少な花草をコレクションするのも流行ってるとか。雲井家が育ててる品種に、もしかしたら一点物もあるのかも……それで怜央の目に留まった、とか?」仁志の瞳が、さらに暗く沈んだ。「……どうやら、そんなに単純な話ではない気がするんです。はっきりとした理由はないんですが、少し変な危機感を感じています」その言い方に、星も表情を引き締めた。「怜央、最近たしかに変。忠が言ってたみたいに……どこかで穴掘って、私たちを待ってるのかもしれないね」怜央という男は、危険すぎる。星はむしろ、明日香に少しだけ感心していた。あれほど長く、怜央と渡り合ってきたのだから。怜央のことを思い浮かべるだけで、星の中に反射的な警戒と嫌悪が湧く。仕方がない。彼が落とした影は、あまりに深かった。仁志は庭の別の場所も歩いてみたが、やはり目立った異常は見つからない。
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第1415話

何はともあれ、双方とも顔を潰さずに済んだ。明日香は3%の株という大きな棚ぼたまで手に入れた。怜央が「帰る」と言えば、雲井家の面々も立ち上がって見送る。階段の手前まで来たところで、怜央はふと思い出したように足を止め、明日香を見た。「明日香」その様子を見て、忠は翔に向けて口元を歪め、得意げに顎をしゃくる――ほらな、怜央が明日香を手放せるわけがない。そんな顔だ。雲井家の全員が怜央を見つめた。目的が果たせず、今さら言を翻すつもりなのだろう――誰もがそう思った。忠などは、もし撤回するならどれだけ株を上乗せさせれば「謝罪」を受け入れるか、すでに頭の中で計算していた。5%か。いや、10%か――明日香の瞳も、わずかに揺らいだ。今回、怜央から贈り物を受け取ったとはいえ、想像していたほど嬉しくはない。怜央が自分を見た瞬間、明日香の目の奥に小さな光が宿る。彼女は足早に怜央の前へ進んだ。「司馬さん、私を呼びましたか?」怜央は淡々と言う。「前に、俺がお前に絵を一枚贈ったのを覚えてるか」明日香は軽く息を呑んだ。続けて怜央は言った。「summerが描いた後ろ姿の絵だ……それを、返してもらえないか」雲井家の面々は、怜央が後悔してへりくだり、関係修復を懇願する――そんな展開を待っていた。だが飛んできたのは、まったく別の話だった。忠は期待していた言葉が出なかった途端、怒りを爆発させる。怜央を指さし、鼻先で罵った。「怜央、贈り物渡しといて今さら返せだと?最初から渡す気がないなら送るなよ。ケチでみみっちい。男として恥ずかしくないのか?俺たち男の面子を全部潰しやがって!お前――」言い終える前に、黒光りする拳銃が忠の額に押し当てられた。怜央の眼差しは、氷のように冷たく、情がない。「忠。もう一言でも余計なことを言ってみろ。撃ち殺すぞ」忠の喚き声は、羽虫のように耳元でぶんぶんうるさい。鬱陶しくて、今すぐ引き金を引きたくなる。怜央は元々、短気な男だ。雲井家と交渉中でなければ、ここまで忠を我慢する理由などなかった。忠はまだ喚こうとしたが、男の残忍で血の匂いのする目を見た瞬間、呼吸が詰まった。怜央はゆっくりと言葉を落とす。「今までは、明日香の顔を立てて、多少の事は見逃してやってたんだ……俺がお前を怖がってるとでも思ったか?」銃口は微動だ
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第1416話

summerの絵だと聞いた途端、怜央の瞳に渦巻いていた殺気が、ようやくわずかに揺れた。怜央はゆっくり銃を引き、忠に向けて陰冷な笑みを浮かべる。「今回は見逃してやる。忠、今後は馬鹿な真似をするな。自分のためにも、賢くやれ」そう吐き捨てると、怜央は明日香へ視線を移した。「絵を取りに行くぞ」明日香は小さく頷く。「はい」二人が立ち去ると、ようやく場の空気が抜け、皆の神経も一斉に緩んだ。翔が忠に言う。「忠、怜央は狂ってる。何でわざわざ毎回あいつを挑発するんだ?あいつがまだ明日香を好きだった頃だって、雲井家にはろくな顔をしなかった。まして今は……」忠はようやく恐怖の底から引き上げられた。心の奥では分かっている。さっきもう一言でも余計なことを言っていたら、怜央は本当に撃っていた。だが口では引けない。忠は強がって吐き捨てた。「俺が図星を突いたから、あいつが逆上しただけだろ?今はどうしたって?今が何だよ。今だって、あいつは明日香が好きに決まってる!」声を荒げる。「本当に好きじゃないなら、なんで明日香の後ろ姿の絵なんか欲しがるんだよ!」その言葉で皆も思い出す。怜央は明日香に山ほど贈り物をしてきたのに、返してほしいと言ったのは、なぜかその絵だけだった。翔が言う。「忠、さっきのお前は確かに言い過ぎだ。怜央は明日香にケチじゃない。贈り物だって、どれも数億円もするものばかりだ」淡々と続ける。「二十億どころか、二百億、二千億円クラスの案件だって、あいつは平気で出す。まばたき一つしない。ああ言われたら、怒るに決まってるだろ」忠の顔が一瞬こわばる。だがすぐにまた強情に言い返した。「俺は、あいつの格好つけが気に食わねえんだよ!私生児のくせに、俺たちを見下しやがって。自分がそれに見合う人間か、鏡でも見ろってんだ!」怜央は、上に立つ者らしい深さを持ってはいる。だが性格はあまりに直線的で、好き嫌いを隠さない。明日香が好きなら、何でも差し出す。彼女が口にしなくても先回りして動く。星が明日香を虐げたと知ったとき、怜央は星の手も仕事も容赦なく潰した。相手が眼中にないから、というだけではない。雲井家の誰が相手でも、同じことをしたはずだ。怜央にとって、明日香以外はどうでもいい。この数年、怜央は雲井家に多くの旨みを流し込んできたが、本人
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第1417話

「星……どうして毎日そばに張り付いてるボディガードより、敵のほうばかり気にしてるんだ?」気づけば怜央が、雲井家の面々の背後に立っていた。手には、四角く平たい何か。赤い布で包まれていて、中身は見えない。星が口を開くより早く、背後の仁志が答えた。声は淡々としていて、温度がない。「敵を見るのは、隙を探すためだ。致命傷を入れるタイミングを逃さないために。敵のことも自分のことも分かっていれば、負けない……あなたも、そういう人でしょう」怜央の視線が、星と仁志の間をゆっくり往復する。そして、薄く笑った。「お前も今日みたいに、ずっと自信満々でいられるといいな……まあ無理だろうが」怜央はゆっくり階段を下りてくる。仁志の横を通り過ぎる瞬間、ふと足を止めた。「嘘を一つ吐くと、穴埋めのために嘘が増える。頭の上に刃がぶら下がってて、いつ落ちるか分からない――あの感覚。きついでしょう?」仁志の表情は薄いままだ。揺れない。怜央が星をちらりと見ると、彼女も同じ顔をしていた。星は仁志を相当信じているらしい。怜央は含み笑いを浮かべる。「敵の敵は味方だ。星、必要ならいつでも俺に連絡してくれ。俺は欠点だらけだが、唯一の取り柄は――嘘をつかないことだ」その一言で、全員の顔色が変わった。怜央が星に手を差し伸べた?どういう意味だ。仁志の黒い瞳が、さらに冷たく深く沈む。「怜央さん。分断のさせ方が雑です。下手ですよ」怜央は平然と返す。「お前に教わった……そうだ」ふと思い出したように、雲井家へ視線を投げた。「それにしても。雲井家の仁志には感謝してる。こいつがよく動画や写真を俺に送ってくれるおかげで、お前たちの利己的な顔がよく見えた」そう言って怜央は微笑み、振り返りもせずに去っていった。玄関を出た瞬間、忠が待ってましたとばかりに星へ噛みつく。「星!今の怜央の言葉、どういう意味だ?!だからあいつはあんなに急いで明日香と縁を切ったのか。お前みたいな恥知らずが、陰で怜央を誘惑して――」正道と靖の顔色が変わり、二人同時に叱りつけた。「忠、黙れ!」――だが、遅かった。銅製の置物が宙を切って飛び、忠の頭に叩き込まれた。鈍い音。額が割れ、血が噴き出す。忠は震える手で仁志を指さした。だが一文字も吐き出せないまま、白目をむき、その場に崩れ
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第1418話

仁志の声は冷え切っていた。「結羽さん。忠さん、最近やけに暇そうだと思いませんか」結羽は数秒黙り、低く答える。「ごめん、家のことでバタバタしてて手が回らなかった」仁志は淡々と言い切った。「それは忠さんの仕業です。あなたの手を塞いで、目を逸らさせるため。結羽。忠さんをきちんと足止めできないなら、この協力者があなたである必要はありません」結羽は息を呑み、慌てて言う。「分かった。忠への対策はすぐやる。家のことは任せていい?」数秒後、通話は仁志のほうから切られた。切れた携帯を見つめながら、結羽はようやく息を吐く。仁志はただのボディガードのはずなのに、なぜか――星と向き合うより、彼と話すほうが圧が強い。仁志は続けて雅人に電話を入れた。「朝陽の件。段取り、前倒しで」雅人が驚く。「仁志さん、そんなに急ぎですか?」朝陽は葛西家の当主だ。そう簡単に落とせる相手じゃない。そもそも怜央を狙う計画を作るだけでも、時間がかかる。星の手が潰されたあの日から準備は始まっていた。以前の朝陽対策は、仁志が途中で練り直した。だが現実は、想定通りに転ばなかった。明日香が悪評まみれになっても、怜央は結婚に動かない。それどころか株を3%差し出し、雲井家と関係を切った。二人を縛り付けるはずだった計画は、ほぼ失敗。ここ最近で、彼らが初めて噛みしめた敗北だった。仁志は失敗を知らない人間じゃない。読み違いもある。しかし、失敗して焦って取り乱すタイプでもない。それなのに「前倒し」と言う。雅人には、それが意外だった。仁志は短く言った。「一か月以内。必ず終わらせる」雅人の眉が寄る。一か月で当主を潰す――難度が高すぎる。怜央より、朝陽のほうが厄介だ。怜央には明日香という弱点があった。明日香のために判断を誤ることも多く、付け入る隙があった。だが朝陽は違う。損得勘定がうまく、慎重で用心深い。彼も明日香を好いてはいる。だが怜央のように、全部投げ打つことはない。明日香を使って朝陽を崩すのは難しい。雅人は重圧を感じ、つい言ってしまう。「仁志さん、まだ時間はあります。そこまで急ぐ必要は……」仁志は毎日星のそばにいるが、決して暇を持て余しているわけじゃない。会社や雲井家でも、必要な仕事はきちんと回している。前回、仁志が戻って内紛を抑えてから、溝口家は安
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第1419話

仁志は数秒黙ってから言った。「俺は、許されないのが怖いんじゃない。真実を知ったあと、星が俺の助けを拒むのが嫌なんだ。そうなったら……俺はもう、彼女のそばにいられない」雅人の肩が、わずかに揺れた。仁志はいつも、やったことから逃げない男だ。それなのに清子の件だけは、ずっと打ち明ける気配がない。雅人は、愛が深いから失うのが怖くて臆病になっている――そう思っていた。こんな理由だとは、考えもしなかった。――許すことと、心に引っかかりが残らないことは別だ。星が仁志を信じれば信じるほど、真実を知った日、受け止めるのは難しくなる。それは刃が両方に向いた武器だった。星は多くの苦痛と災難をくぐってきた。それでも手を潰されたときでさえ――清子に遭遇したときほどの、痛みと絶望ではなかった。手を壊されても、星はすぐ立ち直った。前に光があって、希望が見えたからだ。だが清子の出現は、先が見えない闇だった。あの時、影斗が引いてくれなければ――星は底なしの深淵へ落ちていたかもしれない。もし星が真実を知ったなら、仁志にこれほど助けられた分、許す選択をする可能性はある。しかし人生の軌道をねじ曲げた相手に、心から何のわだかまりもなく向き合えるだろうか。相手が明日香なら、仁志と何事もなく付き合えただろう。だが彼女は明日香じゃない。星だ。彼女は利益より、感情を重んじる。そして仁志は、真実が暴かれた後の喪失が怖いわけじゃない。ただ――できる限り多く、星を助けたいだけだった。雅人は、その話を聞いて胸がいっぱいになった。何か言いたい。だが同時に、仁志が正しいのも分かってる。……雲井家では。正道と靖には片付ける仕事があり、ほどなく二人も屋敷を後にした。忠、翔、明日香の三人は、翔の書斎に集まっていた。忠の頭は包帯でぐるぐる巻きだ。医師に診てもらうと、軽い脳震盪だと言われた。翔は忠の様子を見て、ため息混じりに言った。「忠……なんで仁志に喧嘩売るんだよ。分かってるだろ、あいつはただのボディガードじゃない。もし本当に殺されたら、お前、犬死にだぞ」忠は頭を撫で、顔を歪める。「やれるもんならやってみろ!もし俺を殺したら、星は一生兄殺しの罪を背負う。親父も兄貴も、もうあいつを許さない!」どれだけ揉めても、命に触れない限り、正道は目をつぶる。だが死人
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第1420話

明日香の顔色は、冷え切った氷みたいだった。あの余裕ぶった優雅さは、もう欠片も残っていない。「忠兄さん。今ここで星に話しても、星は信じないよ。それどころか、いつか真相が明らかになるその日――あなたに言われたことで、星は心の準備ができちゃう。星が忠兄さんを信じなくても、この件は絶対に頭の片隅に残る。時間が経って気持ちが落ち着いたら……自分に都合のいい理由を見つけて、仁志を許してしまうかもしれない。まだ決定打が出せない段階で、わざわざ藪をつつく必要はない。忠兄さん、仁志は甘い相手じゃない。必ず一撃で仕留めて、ほんの少しの隙も与えないで」それを聞いた翔は、思わず明日香をじっと見た。少し前までの明日香は、仁志をどこか見下していて、眼中にない感じだった。それが、どれだけ経った?今じゃはっきり「厄介な相手」だと言い切っている。翔の考えを読んだのか、明日香は淡々と言った。「翔兄さん。私と司馬さんがここまでこじれたの、あいつの手柄みたいなものよ。優芽利を焚きつけて、私の名声を地に落としたのも……全部、裏で糸を引いてた」その瞬間、明日香の瞳に氷の刃みたいな光が宿る。「忠兄さん、翔兄さん。ああいう人間を取り込もうなんて、もう考えないで。必ず消さなきゃ。星が私たちと距離を置いてるのだって、もしかしたらあいつが裏で離間してるのかもしれない」今の明日香は、決して楽な立場じゃなかった。怜央の株式は手に入れた。けれど名声の問題は――怜央はもう二度と面倒を見ない。これで彼らは、完全に無関係になった。明日香はずっと怜央を切り捨てたかった。ただ、刺激すれば怜央が暴走するのが怖くて、距離を取りながらも曖昧な態度を続けてきた。怜央がこれ以上執着せず、しかも3%の株まで渡した――本来なら肩の荷が下りるはずだった。なのに、思ったほど嬉しくない。怜央の態度が、妙に胸に引っかかる。何年も自分を好きだったはずなのに。こんなに簡単に「手放す」って言うの?それって本当に、愛だったの?ぼんやり沈みかけた思考を、翔の声が切り裂いた。「明日香の言う通りだ。今の段階で星と仁志に決定的な打撃を与えられないなら、軽々しく口にすべきじゃない。怜央だって、仁志の正体を知ってる。あれほど恨んでても、まだ世間にバラしてない。だったら、俺たちが出しゃばる必要もない。それより――怜
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