All Chapters of たとえ、この恋が罪だとしても: Chapter 81 - Chapter 90

102 Chapters

13・告白

 心に無数の針を突き立てられているようだ。 人に傷つけられるより、傷つけるほうが何倍も苦しい。 そして、身体の痛みより心の痛みのほうが何倍もつらい。  そのことを嫌というほど思い知った。 でも、たとえ代償がこの耐えがたい痛みだったとしても、安西さんと出会い、心と身体を通わせたことはわたしにとって、絶対に必要なことだった。    後悔していない。  ものすごく自分勝手な言い分だとわかっている。  けれど、安西さんと出会わなければ、わたしは人を愛することの本当の意味を知ることはなかった。 これまで、ひとを傷つけてまで、何かを得たいと思ったことは一度もなかった。 後にも先にも、そんなふうに情熱を注げるのは安西さん、ただひとり。 それほど、かけがえのない人。  でも、もう二度と安西さんに会わない。 昨日、安西さんとはじめて口づけを交わしたときから固く決心していた。 どれほどお互いが必要な存在であるかを知ってしまった今となっては、会えないのは半身がもがれるほどつらい。    それでも、俊一さんを傷つけたのに、のうのうと自分だけ幸せになることはできないし、なってはいけない。 もしそんなことをしたら、自分のことを一生許せなくなる。 安西さんにもう一度会いたい……  でも会ってしまえば、絶対に離れられなくなる。 自分の弱さは、すでにこの1カ月半で証明済みだ。 彼に会えない痛み、俊一さんを傷つけた痛み――それは、弱さに甘んじたわたしに与えられた罰。 流れ落ちそうになる涙をこらえようと、天を仰いだ。 この痛みをしっかり受け止めることしか、今の自分にはできない。  だから、安易に涙で流してしまいたくなかった。  見上げた空は、美しすぎるほど、青く澄みきっていた。 
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14・会いたい

〈side Takito〉 文乃と互いの気持ちを確かめあったその翌日から5日間、仕事でオーストラリアに行かなければならなかった。 こんなときに、5日も文乃と離れるなんて最悪の極み。  ひとときだって離れていたくなかったのに。 滞在中、仕事のない時間は文乃のことばかり考えていた。 電話をしようかとも思ったが、声を聞いたら最後、今すぐ日本に帰りたくなって、仕事に支障がでそうな気がしたので、理性を総動員して控えた。 今、帰りのフライトだ。無事到着すれば、ようやく文乃に会える。 あの日は時間的にも精神的にもゆっくり話をする余裕がなかったが、文乃の彼氏ともちゃんと話して、できればきっちりけじめをつけたい。 もちろん、殴られるのを覚悟で。  まあ、血を見ずに穏便に済めば、それに越したことはないけど。  こんなふうに真剣に、ちゃんとつき合いたいと思ったのは、もちろん文乃がはじめてだ。 文乃の姿が頭のなかを駆け巡る。 そう、鎌倉での撮影の日は文乃が到着するまでものすごく不安だった。  おれのことに嫌気がさして来てくれないのではないか心配だった。 そうなれば撮影はおじゃん。 まあ、それならそれで仕方ない。  スタッフに頭を下げまくればいいかと思っていた。 そんなことより、二度と文乃に会えないんじゃないか。  その不安のほうが数十倍も大きかった。 だから顔を見たときは、心底嬉しかった。
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14・会いたい

 はじめは困ったような表情を浮かべていたけど、すぐに以前と変わらぬ笑顔を向けてくれた。 おれは間違っていた。  彼女の芯は、ガラスのような脆いものでなく、もっとしなやかで強靭なものだったんだ。 それほど、彼女は凛として美しかった。 相変わらず緊張はしていたけれど、もうおどおどしていなかった。  品格すら漂わせていた。 そして、メイクをして衣装に着替えた文乃は、間違いなく、思い描いたとおりの女だった。 完璧だ。おれの仕事はただそれを記録するだけだった。 撮影の終盤、ライトを浴びた彼女の頬が一瞬きらめいた。 その頬を伝う涙を、こぼれおちていく瞬間を捉えた。この日撮った写真のなかで、最高の一枚になる予感がした。 ファインダーごしにその涙を見た瞬間、文乃を愛おしむ気持ちが大波のように押し寄せてきた。 完全に心を持っていかれた。  おれにこんなことに思わせるのは、後にも先にも彼女ひとりだ。    おれの……文乃……  「うわっ、何だよ」  急に腕をぐいっと掴まれて起こされた。「もう、着陸態勢に入ってますよ」 「あ、ああ」  ねむってたのか。おれ。 まだ寝ぼけた頭のまま、シートベルトはどこだと横を向いて探っていると、アシスタントがにやにやしてこっちを見てる。
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14・会いたい

 「何? なんか、顔についてる?」  そう聞くと、 「いや、誰っすか、『あやの』って。寝言でうるさいほど言ってましたけど」「おれの最愛の人」  臆面もなくそう言うと、アシスタントはやってられないという感じで肩をすくめた。 入国ゲートを出ると、まっさきに携帯の電源を入れ、文乃に電話をした。 つながらない。 無機質な機械の声が〝電波の届かないところにいるか、電源が入っていないのでかかりません〟と冷たく繰りかえすだけ。「くそっ。なんだよ。なんで繋がらないんだ」  業を煮やして、空港からそのまま文乃のアパートまで車を飛ばした。 着いたころにはもう日が落ちて薄暗くなっていた。 通路の蛍光灯が切れかかっていて、侘しさを辺りにまき散らしている。    文乃の部屋に明かりは灯っていなかった。 何度呼び鈴を押しても、ドアの向こうはしんと静まり返って、ひとの気配がない。 いったいどこにいるんだ。 あの夜。たしかにふたりの心と身体は通じ合っていた。  生まれて初めて経験する恍惚にふたりで溺れた。  もう離れられないって思ってたのに。    翌日、翌々日も仕事の合間をぬってアパートを訪れたが、文乃が戻る気配はまったくなかった。 結局おれは、文乃のことを何も知らなかったんだと気づいて愕然とした。
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14・会いたい

  どこに勤めていたのかとか、実家はどこかとか、何も知らない。   興信所に頼むことさえ考えたが、文乃が家族や会社のひとに不審がられることになると気づいて断念した。 そのときは、テレビのニュースを見るのが怖かった。 アナウンサーが事件や事故の被害者として文乃の名を読み上げるのではないかと。 そして4日後、携帯電話のメッセージは〝現在使われておりません〟というものに変わった。 それでようやく悟った。 文乃が自分の意志で姿を消したってことを。  もうおれには会う気がないということを。 とてつもない虚脱感が襲ってきた。 結局、心が通じたっていうのも、おれのひとり合点だったってことか。  彼女は婚約者のもとに戻ったんだ、たぶん。……結局、振られたってことか。 ははっ、何という体たらく。 でも、そんなプライドはくそくらえだ。 もう、あなたのことはなんとも思ってないって言われてもいい。 一目でいい。  もう一度、文乃に会いたい。  そんな私生活の不調とは裏腹に、仕事はきわめて順調だった。 MOGA誌に送った文乃の写真は、問題なく編集長に気に入られ、約束通り巻頭を飾った。 それどころか、頬に涙が伝っている写真が『日出づる国のマドンナの涙』と表題をつけられて表紙にも使われた。 
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14・会いたい

 ただ、名が知られているといっても海外の雑誌なので、日本では思ったほど騒がれなかった。 ネットで一時期、「このモデルの正体は?」と話題にはなったが。 ニューヨーク在住の日系三世のスーパーモデルとか母親が日本人の香港の大財閥の令嬢とか、いろいろな噂がまことしやかにささやかれた。 でもネット上にはボウフラみたいに日々新しいニュースが湧いてでてくる。 数日後にはすっかり話題にのぼらなくなった。 この仕事をきっかけに、ファッション関係の撮影のオファーは格段に増えた。 海外からの依頼も増え、情けないことに、あいかわらず紗加に頼る日々が続いている。 でも、愛人関係のほうは解消した。  いや、自然消滅と言ったほうがいいか。   おれが紗加に欲望を感じなくなってしまったから。 紗加だけじゃなくて、他の女でも同じだった。   おれが……札付きの女たらしだったこのおれが、である。  どうしても文乃以外の女を抱く気になれなかった。 でも数ヶ月過ぎて、さすがにそろそろ気持ちを切り替えないとやばい、と思っていた矢先に、以前モデルをしてくれた里奈ちゃんから、〝今夜、開いてますか?〟とラインが入った。    よっしゃ、久しぶりに楽しい夜を過ごしてみようか、と思ったのだが……
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15・3年後

「あのね、あやせんせ。せんせぇはすきな子いるぅ?」    このみちゃんは4歳。  わたしが今務めている保育園に通っている子だ。    今、午後6時を回ったところ。  他のみんなは全員お迎えが来て、残っているのはこのみちゃんだけだった。 来週のクリスマス会の飾りを折り紙で作りながら、一緒にお母さんを待っていた。 「このみちゃんは好きな子いるの?」 「うん、たっちゃん。でも、たっちゃん、このみが遊ぼうって言うとすぐにげちゃうんだ」「そっか。はずかしいのかな。でも、やさしくしてあげたら、たっちゃんもきっとこのみちゃんのこと好きになってくれるよ」 「ほんと?」 「ほんとだよ」    3年前、俊一さんと別れたあと、わたしは会社をやめ、アパートも出て実家に戻った。  すべてリセットしたかった。    反抗期でさえ従順だった娘の、突然の思いもよらない行動に、親は戸惑った。(妹には見直されたようだったが) しぶしぶ受け入れてはくれたが、気を使いあうのに疲れて、結局、実家の近くにアパートを借りて、また一人暮らしを始めた。 近所でアルバイトをしながら、通信教育で保育士の資格を取った。 そして、この春から公立保育園の臨時職員をしている。 会社員時代と比べて給料は段違いに下がったが、何しろ、毎日子どもたちと一緒に歌える。  それがわたしにとって何よりのやりがいだった。
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15・3年後

 こんなふうに思うようになったのは、あの撮影の日がきっかけだった。 あの時のスタッフたちの姿、自分の仕事にプライドを持って生き生きと働く姿が、ずっと頭から離れなかった。 そして、自分も本当にやりたい仕事をしたいと強く願うようになった。「ねえ、せんせえは? すきな子、いないの?」  はぐらかしたと思っていたのに、このみちゃんはどうしても答えが聞きたいらしい。 彼女を抱きあげて膝に乗せ、甘ったるい汗の臭いがする髪の毛をなでながら答えた。「うん。いるよ。とっても好きなひとが」 「じゃあ、けっこんする?」 「ううん」「なんでぇ?」  このみちゃんはくりくりした目を大きく見開いて、わたしを見上げた。「もう、会えないんだ。遠くにいるの」 「しんじゃったの?」 わたしは、思わずこのみちゃんを抱きしめていた。「ううん、生きてるよ。生きてるけど、もう会えないんだ」 会えないんだ、このみちゃん。先生が大好きな、安西さんには。 彼と過ごした日々の記憶は鮮明で、不思議なほど色褪せていない。 ときおり、会いたいという思いがつのり、どうしようもなく切ない気持ちに襲われることがある。  今みたいなクリスマスの季節は、特に。 3年……  そんなに長い年月が過ぎたなんて嘘みたいだ。 けれど月日は着実に前に進んでいる。 唯一、連絡を取り合っている前の会社の友人から、俊一さんが結婚したことを聞いた。 俊一さんに別れを告げた日のこともやはり昨日のことのように覚えている。
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15・3年後

   今でも、苦痛に歪んだ彼の顔が夢にあらわれる。  それでも、その話を聞いたときはすこしだけ背負っていた重荷が軽くなった気がした。    見るのは俊一さんの夢だけじゃない。  安西さんの夢もひんぱんに見る。    彼の評判はマスコミやネットを通して伝わってきていた。 以前に増して、引っ張りだこの人気らしい。  あれ以来、グラビアよりもファッション誌の仕事が増えているようだ。    たまに雑誌で彼の名前を目にすると、心が疼く。  いや、雑誌どころか、この春、カメラのCMにも出演していた。 その美しい容姿も話題になり、アイドルのように熱狂的なファンもいるらしい。   そう。どう考えても、わたしと釣り合うひとじゃない。 あの1か月半の出来事は、幻だったんだ。  そう思うほうが、よっぽどリアルだ。 安西さんがわたしのことなんか覚えているはずがない。 彼は、わたしの夢なんて見ないんだろう。 「文乃先生、すみません。遅くなっちゃって」 「ママー」 考えごとに耽っていたわたしの手を振りきって、このみちゃんはお母さんのもとに駆け寄った。      帰り支度を終えたふたりを門の外まで見送った。 「ばいばーい」後ろに乗っているこのみちゃんが、二度、三度と振り返りながら手を振っている。 自転車が角を曲がり、ふたりの姿は見えなくなった。
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15・3年後

 東の空に、昇ったばかりの大きな月が明るく輝いている。 思わず見とれてその場にとどまっていると、心はまた、思い出に浸りはじめた。    安西さんに会うまえのわたしは、自分で決断を下したことが一度もなかった。 コーラス部で歌の楽しさを知り、本当は音大で歌の勉強がしたかった。 でも、反対されると決めつけて、結局、親や先生に勧められるまま偏差値に見合った大学を受験した。 そして親のこねで就職。 職場で俊一さんに出会って、彼から告白され、プロポーズされて。自分を選んでくれたひとだからと承諾して…… 人生の節目の大事なときでさえ、主体性がまるでなかった。 波風を立てずに生きるしか他に道はない、と思い込んでいた。 そんな自分が『生きている』と、強く実感できたのは、安西さんと出会って恋に落ち、俊一さんに後ろめたさを感じながらもモデルをしたときがはじめてで……「藤沢センセー。どうかしたー?」 「あっ、もう、いきまーす」 中から呼ばれて、門を閉めて建物に入ろうとした時。 一瞬、あたりがまぶしい光で満たされた。 通りに目を向けると、車が一台、対向車線を通り過ぎていくのが見えた。  だが、その車は100mほど先でUターンして、こちらに向かってきた。
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