元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった のすべてのチャプター: チャプター 611 - チャプター 620

744 チャプター

第611話

静真はそれ以上何も聞かずに、背を向けて立ち去った。それから天音は根掘り葉掘り聞いてくる友達を追い払い、桜だけを残した。「月子がサンに頼んで、私の誕生日に来てもらうようにしてくれるって言ったの!しかも、サンにはドライブにも連れてってもらえそうよ。こんなチャンス、逃すわけないじゃない?だからそのために妥協したの!」と彼女は興奮気味に桜に自慢した。桜も驚きを隠せない様子で、天音に負けず劣らず興奮した様子で言った。「マジで!天音、すごいじゃない!怪我の甲斐もあったね!」「でしょ」天音は得意げに胸を張った。「それでこそこの怪我もした甲斐があったってもんよ」そう言いながら天音は桜に念を押すように言った。「だけど、私が怪我のふりをしたことは、絶対に誰にも言わないで。分かった?」桜は言った。「分かってるわよ。私もサンに会いたいんだから!」……洵の傷は簡単に処置され、月子は彼を送ろうとした。しかし、洵にはまだ用事があり、自分で配車アプリを呼ぶことにした。彼がそう言い張るので、月子も仕方なく先に車で帰って行った。洵が呼んだ車はあと数分で到着する予定だったので、彼は道端で待っていた。車待ちというのは、ただ突っ立っているだけで、誰だって表情は乏しくなるものだ。だから洵も時折スマホを見る以外は、ただじっと立っていた。彼の目元は月子と同じように冷ややかで、男らしい彫りの深い輪郭と相まって、クールな印象の目つきをしていた。そんな顔は無表情だと、凛々しく見えるのだ。そして、怒らせると、その目つきは凶暴になり、独特の雰囲気を醸し出すのだった。病院の入り口まで来た天音は、その光景を目にした。背が高くてすらっとしていて、クールな洵の横顔は、綺麗なラインを描いていた。なぜか、彼女は洵を少しカッコいいと思った。国内外のあらゆるタイプのイケメンを見てきた天音だったが、洵の雰囲気は独特だった。誰も彼女にあんな態度を取らないから、洵は特別に感じたのだろうか?それに、兄に楯突くなんて、なかなかできることじゃない。そう、きっとそうに違いない。明らかに身分が違うのに、洵はそれをまるで気にせず、下手に出ようともしない。あの傲慢な背を、天音はどうしても屈服させてみたくなった。そう思いながら、天音の中で征服したいという願望が沸き上がった。
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第612話

そして、車は排気ガスが噴き出しながら、猛スピードで走り去り、天音は、その煙をまともに浴びてしまった。何よ、本当にそれで行っちゃったわけ?それに、あの冷たい顔。とっとと失せろなんて、よくも自分に言えたわね。自分にこんな態度を取るなんて、なかなか肝が据わっているじゃない。未だかつて天音がそんな仕打ちを受けたことはなかった。そんな洵の態度に天音の顔は、怒りで歪んだ。そばで見ていた桜は、洵の反応に驚きつつも、想定内だとも感じていた。そして、天音の剣幕とした表情を見て、さすがにこれ以上刺激するのはまずいと察しながらも、洵の肝の据わり方に密かに感嘆するのだった。走り去る車のテールランプを見つめながら、天音は歯を食いしばった。彼女の思い通りにならない人間は、そうそういなかった。前まで月子しかいなかったが、今では洵までもがそんな態度をとってくるなんて。一体どういうつもり?かつて、自分が月子のことを眼中に置いていなくても彼女はなにも文句言えなかった。今でも少し強気にはなったものの、それでも自分の方が一枚上手なのだ。だが、洵は違う。初対面から歯向かってくるだけでなく、今度は自分を完全に無視してる。なんなのその態度、自分を見くびっているわけ?天音は、怒り心頭に発していた。しかし、彼女はまたすぐに思い直した。そんな彼だからこそむしろ、刺激的だとさえ感じていた。それに、手強い相手ほど、燃えるというものだ。もし洵が素直に言うことを聞いていたら、他の取り巻いてくる男たちと何が違うっていうの?洵のあの態度こそが、天音の心を掴んだのだ。天音の友達グループが、高級スポーツカーで戻ってきた。遠くから、天音が車に排気ガスを浴びせられる場面を目撃し、轟音を立てながら次々と彼女の前に停車した。先頭の車の友達が窓を開け、天音の顔色を窺うと、彼女の意向を汲み取って言った。「あのガキ、生意気すぎるだろ。天音、俺が誰かに頼んで痛い目に遭わせてやろうか?それか、ワナに嵌めて刑務所にでも入らせておこうか?ちょうど俺の叔父が……」「黙れ」天音は高慢な態度で警告した。「私が目をつけた男に、手を出すな!」友達は真剣な天音の表情を見て驚き、思わず声を上げた。「マジで?あいつに惚れたのか?さすがにあり得ないだろ」「あなた達に何が分かるのよ。私は相手が手ごわいほど興味が
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第613話

ラッシュアワーも過ぎて、道路もだいぶ空いてきた。だが、しばらく走っていると、彼女は後ろから静真の車が追いかけて来ているのに気づいた。やっぱりな。静真がまともな行動をとるのは人前でだけだ。プライドが高い彼は、特に妹の前では格好つけているような態度だが、後になってすぐに付きまとってこようとするのだ。あと20メートルで信号機のある交差点に着く。月子はタイミングを見計らい、アクセルを踏み込んで進もうとした。その時、反対車線から静真の車が割り込んできた。月子はハンドルを切ると、静真の車の横をギリギリですり抜けて交差点を渡り、そのままアクセルを踏み込んだ。するとちょうど信号が赤に変わり、静真の車は交差点の手前で足止めをくらわされた。「入江社長、月子さんは、一体どうやって……もうぶつかったかと思いましたよ」急ブレーキの後、詩織は恐怖に震える声で言った。運転手の顔色も悪く、青ざめていた。指示通りに割り込んではみたものの、まさか事故になりかけるとは思ってもいなかったのだ。自分の運転技術には自信があり、月子の車を停止させることができると考えていた。しかし、月子は全くひるむことなく、むしろぶつかってくる勢いだったため、運転手は怖気づいてしまった。後部座席の静真は、怒りを抑えきれない様子で、車内の空気は重苦しく張り詰めていた。運転手は何も言えず、ただ黙っていた。詩織もどうしたらいいのか分からなかった。すでに月子の車は見えなくなっており、追いつくことは不可能だった。詩織は言葉を選びながら言った。「以前、月子さんとサンの関係を調べたのですが、何も分かりませんでした。ですが、月子さんはサーキットに現れたことがあるようです。あのような運転技術を持っているのも、納得がいきます」静真は、天音の急な態度の変化を思い出した。きっと、天音の弱点を握っているに違いない。多分サンに関係があるのだろう。月子とサンは、一体どんな関係なんだ?静真は複雑な表情を浮かべた。彼は月子のことを何も理解していなかった……畜生、なぜ月子は以前、こんなことを教えてくれなかったんだ?自分から聞かなきゃいけなかったのか?そんなに自分を愛しているなら、あの手この手で自分の心を掴もうとするはずだろう。なぜ何も言わないんだ。「彼女に電話しろ」静真はもう我慢の限界だった。特に、何もつかめ
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第614話

静真は、スマホを叩きつけそうになった。これが詩織のスマホだと思うと、胸の内に燃え上がる怒りを抑え込み、彼女にスマホを返した。しかし、やはり怒りは収まらない静真は、思わず呼吸が荒くなった。ネクタイを緩め、息を整えようとしたが……そういえば、このネクタイも月子が買ってくれたものだ。自分の生活はこんなにも沢山月子の思い出が溢れているのに、今は彼女に近づけないでいる。そう思うと、苛立ちが頂点に達した静真は、ネクタイを乱暴に引きちぎり、窓を開けて外に投げ捨てた。「車をだせ!」静真が怒りを爆発させると、運転手と詩織は凍りついたように静まり返った。大きなプレッシャーを感じ、自分が何か余計なことをして、静真の怒りに火を注がないかと、怯えていた。運転手は極度の緊張の中、慎重に車を走らせた。静真の視線はバックミラーに映る、地面に落ちたストライプのネクタイに釘付けになった。一台の原付バイクが通り過ぎ、タイヤがネクタイの上を走り、醜い跡を残した。なんだあいつ?「止まれ!」静真が低い声で叫ぶと、運転手は反射的にブレーキを踏んだ。そして、静真はすぐに車から降りた。原付バイクに乗っていた男は、突然目の前に現れた、高級そうなスーツを着て、しかし顔色は最悪な男に驚き、急ブレーキをかけた。男の服装や雰囲気は、一般人とは明らかに違っていた。こんなにも明らかに格が違う人と滅多に出会うことがない男は相手の威圧感に圧倒されて、どうすればいいのか分からなかった。静真は冷ややかな顔で、ネクタイを見ながら言った。「拾え!」普段から命令口調で話す静真の迫力に、男はすぐに原付バイクから降り、高そうなネクタイを拾い上げた。自分が踏んでしまったことに気づき、さらに恐怖を感じた。「すみません、わざとじゃありませんでした」男はネクタイを静真に差し出したが、なかなか、顔を上げて目を合わせることができなかった。しかし、静真はネクタイを受け取らなかった。ただネクタイを見つめ、自分の行動を振り返り、急に我に返った。ただのネクタイ一本のために、わざわざ車を止めさせ、通行人に拾わせたのだ。汚れたから腹が立ったのか?しかし、怒るようなことなのか?静真は、まるで鬱憤をぶつけるかのように、ネクタイを見つめていた。そこで詩織は急いで車の正面から回り込んできた。静真が動かないのを見
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第615話

以前はいつも月子がついていたけど、彼女が退職されてからは彩花が代わりを務めた。南がいる手前とはいえ、彩花はすぐに場の空気がおかしいことに気づいた……仕方ない。鷹司社長と接待に来ると、神経がピリピリするのも当然だから。だけど、今日は鷹司社長、どうしたっていうの?何か嫌なことがあったのか?接待相手は大物ばかりだけど、今日はかなりスムーズで、文句を言う相手も、喧嘩を売ってくる人もいなかった。とはいえ、たとえそんな相手がいたとしても、鷹司社長が気にしたことはなかったはずだが……なのに、今の彼はまるで、本当に何か気に障ることでもあったみたいに機嫌が悪いのだ。社長が帰国して数ヶ月になる。彩花はもう彼の仕事のやり方に慣れている。どんなことでもそつなくこなし、生まれながらにしてバランス感覚に優れている。部下にプレッシャーをかけすぎることもないし、馴れ馴れしいくすることもない。畏敬の念を抱かせつつも、居心地の悪さを感じさせない人だ。こういう立ち居振る舞いは、普通の人にはなかなかできるものじゃないのだ。権力の中枢にいると、周りの人間が本音で話しているのか、それともお世辞をいっているのかを見極めるだけでも神経を使うのだから、そのバランスを崩さないでいるだけでも大変なエネルギーが必要なのだ。もちろん、彩花は深く考えなかった。接待が進むにつれて、必要な資料をすぐに出さなければいけない。パソコンは横に置いてあるし、手にはファイルの山。そして、接待も終盤になると、当たり障りのない、だけど必要な会話になる。純粋に利益の話だけでなく、親睦を深めることも重要なのだ。趣味の話や、日常生活の話。隼人は経験豊富なので、どんな話題にもうまく対応できる。だけど、彩花は隼人みたいな人は逆に取っつきにくいのだと思った。あんまりにもオブラートに包まれていて、付け込むところがないように感じるからだ。多くの社長は仕事人間で、真面目だったり、厳格だったり、温和だったりする。もっと分かりやすい、尖った個性を持っている人もいる。でも隼人は、掴みどころがない。すべてがちょうどいいのだ。たとえば、周りが騒ぎ立てていても、彼は冷静にすべてを見ている。何を考えているのか、嬉しいのか、怒っているのか、全く分からない。彩花はこういうタイプの人間が苦手だ。自分が好意を示した
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第616話

彩花は口ではそう言ってるけど、実は月子や秘書部の同僚数人とプライベートのグループチャットを作っていて、そこで毎日色んなことを話してるんだ。返信は気にせず、食べたいもの、面白いと思ったこと、仕事の話……月子の最近の動向も、みんな知ってる。彩花はメッセージを送った。【もうすぐ仕事が終わるんだけど、終わったら軽く一杯どう?】月子は運転しながら返信した。【旦那さんが迎えに来るんじゃないの?二人で素敵なデートでもするの?】彩花はメッセージを返した。【マジ!このままじゃ、別れてやりたいくらいよ。あの人がいると友達との時間もゆっくり楽なないんだから】彩花は人生を謳歌するのが上手で、グルメから遊びまで、まるで百科事典みたい。すごく彼女を甘やかしてくれる夫と、高給で立派な仕事があって、本当に幸せな女性だ。口ではあんなこと言ってるけど、実際に夫とはすごく仲がいいのだ。月子は返信した。【もうすぐ着くから。何か飲みたいものある?買って行くわよ】彩花は月子に遠慮なくホットココアをお願いした。月子は彩花の好みをよく知っていて、途中で買って行った。到着した時、彩花はまだ仕事が終わっていなかった。月子は車の中で待っていた。季節は11月に差し掛かっていることもあって、だいぶ寒くなってきたのだ。そうでなければ月子は車から出て散歩でもしたかった。しばらくして、彩花からメッセージが届いた。【やっと終わった!着いた?着いた?】【駐車場にいるよ。左に曲がったところに】【わかった!すぐ行く!】やり取りを終えると月子は車から降りて彩花を待った。少しすると、彩花が走って来るのが見えた。一日中働いていたのに、彩花は相変わらず元気いっぱいで、満面の笑みだった。そして、月子の目の前に来ると、彼女をぎゅっと抱きしめた。「月子!」月子も笑顔で彩花を抱き返した。「なんだか久しぶりって感じ。すごく会いたかった。毎日グループチャットで話してるのにね!」彩花はハグを解くと、月子をじっと見て、ほほ笑みながら言った。「ますます綺麗になったね!」「あなたもよ」月子も彩花を褒めた。「あなたに会えたから、ご機嫌なの!」彩花は言葉遣いがとても甘く、一緒にいると気分が上がる相手で、いつもポジティブだから、周囲を明るくさせるのだ。彩花は自然な感じで月子からホットココアを受け取り、ゴクゴ
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第617話

すると隼人は月子の隣まで歩いてきて、軽く会釈したと思ったら、まるで最初から月子に向かって歩いてきたかのようだった。「どうしてここに?連絡もなしに」隼人は月子の前に立ち、少し驚いたような声を出した。その光景に彩花はビックリ仰天だ。この親密さ、そして全く気まずくない雰囲気。そこはまるで二人だけの世界のようで、他人は入り込む隙間もない。彩花も子供はまだいないものの普段から夫とラブラブだから、目の前の二人の状況を見ればすぐに分かった。その瞬間、彩花はどう反応すればいいのか、さっぱり分からなかった。ということは、さっき社長が上の空だったのは、月子のせい?そう思うと、彩花は完全に頭が真っ白になった。月子は隼人の言葉には答えず、茫然自失の彩花の方へ歩いて行き、こう言った。「わざと隠してたわけじゃないの。鷹司社長と私、まだ公にするつもりはなかっただけよ」彩花はそれを聞いて、さらに興奮した。「マジで?月子、驚いたよ!」「内緒にしてね」月子は彩花の肩をポンと叩いた。彩花は慌てて承知すると、二人の邪魔をするわけにはいかないので、そそくさとその場を立ち去った。でも、この情報を消化するには、少し時間が必要だ。とんでもないことを知ってしまったよと、彩花は思った。月子と鷹司社長が付き合ってるなんて。彼は鷹司社長だよ。さっきまで、あんなに隙がない人は怖いし、一緒にいたら疲れそうって思ってたのに。一体誰と付き合うんだろうって想像もできなかったのに、まさか月子だったとは……そういえば、以前社長はよく月子を接待に連れて行ってたっけ……ってことは、この関係は鷹司社長から始まったってこと。社長に好きな人がいるなんて想像もできない。本当に信じられない。そうだ、もし月子が一緒に旅行に行くなら、きっと鷹司社長も一緒だよね?ダメだ、上司と一緒の旅行なんて、緊張して楽しめない。彩花はすぐに月子にラインを送った。【旅行は一緒に行けなくなったけど、もし行きたいなら、場所だけ教えるね】【いや、やっぱり社長の方がもっといい旅行先を知ってるよね。二人で行ってきて!】【もう、何言ってるか分かんなくなっちゃった。とにかく、楽しんでね!】隼人は接待で少しお酒を飲んでいた。月子は運転しながら、彩花からのラインを見て思わず笑ってしまった。
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第618話

愛する女性からこんな言葉を聞いたら、誰だって心がとろけるだろう。隼人はこれまでの人生で、幸せを感じたことはほとんどなかった。幼い頃は祖父が一緒に過ごしてくれたわずかな時間があったが、7歳で鷹司家に戻ってからは、記憶に残るような幸せな思い出は一切なく、ただただ抑圧的で暗い日々が続いていた。大人になってからは友達もできたが、友情と恋愛感情は別物だ。だから、月子といるときの幸せは、隼人にとってこの上なくかけがえのないものだった。両親は彼が必要とする時期にそばにはいなかった。だから、もう期待するのはやめた。それもあって、月子と一緒にいると、隼人はいつも彼女に心の奥底にある渇望を満たしてもらったように感じるのだった。隼人は月子との関係の中で、深い愛情に包まれ、何かがゆっくりと癒されていくのを感じていた。まるで心の氷が少しずつ溶けていくように。外見は以前と変わらないように見えても、確かに何かが変わってきていた。たとえ小さな変化でも、それは紛れもない変化だった。だからこそ隼人はいつも、自分が月子を必要としていると感じるのだ。自分こそが月子なしでは生きていけないほうだ。しかし、付き合い始めたばかりの今は、月子と静真が結婚していた3年間には遠く及ばない。だからいつも不安で、心が落ち着かなかった。ただ一つ、二人に子供がいないことが救いだった。もし子供がいたら、月子と静真は一生、関係を断ち切れなかっただろう。そう思うと隼人の目線は深まった。月子の言葉は、彼にとってそんな不安を和らいでくれる大きな慰めだった。だから彼女に気持ちを言ってもらいたいと思うのだ。月子が振り返ると、隼人の視線はまだ彼女の顔に注がれていた。しかし、その目はさっきより輝きを増していた。やっぱり。機嫌が直ったんだ。隼人を喜ばせることができて、月子も嬉しかった。そう思っていると次の瞬間、隼人が手を伸ばし、月子の顎を優しく撫でた。そこには深い愛情が伝わってくるようだった。月子は彼の手に身を任せた。時々、隼人はまるでスキンシップを求める子供のように、ベタベタしてくるので、静真とは全く違うのだ。もっとも、それは二人きりの時だけだ。他人がいる時は、隼人はいつも通り、冷淡で口数の少ないクールな素振りに戻ってしまうのだ。そんな真実な彼を月子にしか見せて
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第619話

隼人はスマホの電源を切り、眉間を揉みながら言った。「少し酒が入っているのかも」月子は車の窓を開けた。「少し風にあたれば良くなるかも」自分が月子の面倒を見るべきなのに、逆に心配をかけてしまった。月子の優しさは嬉しいが、隼人こんな自分が嫌だった。そんな彼の気持ちの浮き沈みを月子は鋭く察知した。「どうしたの?」隼人は月子の手を握り、優しく揉んだ。その温もりに、心は少し落ち着いた。まるで鎮痛剤のように。愛する女性に心配をかけたくない。ましてや、こんな取るに足らない感情で彼女の時間を無駄にしてほしくない。「大丈夫だ。心配しないで」「そうね。あなたはいつも完璧だもの」そう言いながらも、月子は隼人の方を振り返った。彼は相変わらず落ち着き払っていて、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。そして、どこかミステリアスな雰囲気も醸し出している。何か問題があっても、彼ならきっとうまく対処できるだろう。月子はそれほど心配していなかった。そして、隼人の手を握りながら言った。「小さなプレゼントを用意したの」「何のプレゼントだ?」隼人は湧き上がる感情をすぐに抑え込んだ。「ネクタイよ」月子は静真が自分がプレゼントしたネクタイをしているのを見てふと、隼人にもプレゼントしなければと思ったのだ。もっとたくさんの物を贈りたい。好きな人には、ついプレゼントしてしまうものだ。隼人が自分に色々なプレゼントをくれるように。それを聞いて、隼人の目線は一瞬深まった。これで自分も、ネクタイをもらった。「見せてくれ」信号待ちで停車した月子は、ネクタイが入った箱を取り出した。「来る途中で買ったの」隼人は箱を受け取った。中には、菱形模様の黒金色のネクタイが入っていた。控えめながらも高級感が漂わせるものだった。「気に入ってくれた?」「ああ、とても」隼人は何もかも持っている男だが、月子からのプレゼントとなれば話は別だ。二人で過ごす日々の思い出は、これからもっと増えていくだろう。隼人が本当に喜んでくれて、少し感動していることまで伝わってきた。月子は驚いた。こんな些細なプレゼントで、こんなにも喜んでくれるなんて。だって、隼人はプレゼントをもらえないタイプには見えなかったから。どうやら鷹司社長は、機嫌を取られるのが好きらしい。きっと、機嫌が悪くても、少し
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第620話

電話の相手は鷹司徹(たかつかさ とおる)は、隼人より三つ年上の叔父で、母親は隼人の母方の祖父の十歳年下の後妻だ。徹が三歳の時、祖父が亡くなった。それから結衣は兄弟たちとの権力争いを始めた。三歳だった徹はその争いに巻き込まれず、おかげで結衣との関係は良好だった。また、徹は結衣に育てられたようなものだったので、姉弟というより、母子のようだった。しかし徹は、チンピラのような、どうしようもないろくでなしだ。隼人が七歳で鷹司家に戻ってきた時、徹にしばらくの間、いじめられていた。だから徹の声や話し方は、隼人の神経を刺激してしまうのだ。隼人は二秒ほど間を置いて、氷のように冷たい声で言った。「どこにいる?」徹はふざけたように笑って言った。「お前たちの車の後ろにいるかもな」それを聞くと、隼人はスマホを持つ指に力を込め、関節が白くなった。そして彼は表情を変えずにバックミラーを見た。すると黒のワゴンがゆったりとついてきているのが見えた。隼人は視線を戻し、目に危険な光を宿らせて言った。「何がしたい?」「ちょっと会いたいだけさ。そんなに緊張するなよ。隼人、何年ぶりかな。俺は会いたかっぞ」隼人は冷え切った表情で言った。「俺から会いに行く」そして、低い声で強く付け加えた。「待てろ」「はいはい、わかったよ」徹は電話を切ると、車を路肩に停めた。月子は、隼人が誰と話しているのか分からなかったが、相手はきっと仲の悪い人間だろうと思った。隼人のK市での人間関係から考えて、急に態度が変わるような相手は、自分の知っている中にはいない。だから、おそらくJ市の人間だろう。もしかして、J市の鷹司家の人間だろうか?月子は鷹司家についてはほとんど何も知らなくて、ただ結衣に会った時、彼女の言葉から察するに、この母親は息子にあまり関心がなく、隼人は鷹司家に戻ってからも、無視されて育ったのだろう。きっと辛い思いをしたに違いない。隼人は鷹司家の人間の話をしたことが一度もなかった。きっと話すほどの価値もないのだろう。それに、仕事もK市だし、隼人はK市に愛着があり、鷹司家を避けているように見える。もしかして、鷹司家から嫌な人間が来たのだろうか?隼人が電話を切ると、月子は尋ねた。「誰からの電話?」「鷹司家の親戚だ」隼人は、月子と徹を会わせたくなかった
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