All Chapters of 元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった: Chapter 631 - Chapter 640

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第631話

隼人は、月子の言葉に思わず振り返った。彼女が彼の体の上に覆いかぶさるようにしているせいで、ゆったりとしたパジャマの襟元が大きく開き、胸元が見えてしまっていたのだ。前回、その魅力的な胸元に触れてからというもの、二人の仲はさらに深まっていた。月子は、家で風呂に入った後は下着を着ける習慣がなかった。目の前の光景に、隼人は思わず息を呑んだ。そして、すぐに視線を逸らした。月子の問いただすような視線は、姉としての貫禄を感じさせた。きっと、子供の頃は弟の洵にも、同じように接していたのだろう。隼人は月子より5歳近く年上だった。だから普段なら彼女のすることなすことは全て可愛らしく思えた。だが、今の彼女の迫力はまた、可愛らしさとはほど遠く感じた。そんな矛盾した魅力に、隼人はますます月子に触れたくなった。「気に入ったよ」隼人の声は、かすれていた。月子は信じられないといった様子で言った。「プレゼント気に入ってくれたなら、せっかくネクタイも結んであげたのに、どうして私を見てくれないの?どういうつもり?」「言えない理由があるんだ」「全然意味が分からない。なぞなぞかけてるの?」月子は、こんな返事が返ってくるとは思ってもいなかった。一体、何が言いたいのかさっぱり分からなかった。「……今、それについて話すのは、お互いに良くない」隼人の声には、少しだけ甘い響きがあった。しかし、彼は本当に説明する気がないようだった。月子は面白くなくなり、彼のネクタイの先をぐいっと引っ張った。その強さは、隼人の首を締め付けるほどだった。だが、大人の男である隼人は、そんな仕打ちにも動じず、冷静な目で月子を見つめ返した。まるで、何をされようとも、余裕綽々でいられる、とでも言いたげな様子だった。そして、彼女が次に何をするのか、静かに見守っていた。それは、単に気迫の問題ではなく、男性と女性の違いがあるのかもしれない。月子がどんなに抵抗しても、隼人には子供っぽい悪戯のように思えるが、逆に、隼人が少しでも力を入れようものなら、彼女は抵抗する間もなく一瞬で押し潰してしまうのだろう。月子は、腕が痺れた時のことを思い出した。サイズが全く合っていないと感じていた。彼女はXSサイズ、隼人はXXLサイズ。体格差もあった。隼人の鍛え抜かれた筋肉質な体に比べれば
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第632話

さらに愛のない結婚生活なんて、考えただけでも地獄だ。恋愛が順調なら、結婚なんてただの紙切れ一枚にすぎない。月子は結婚に対して、どうしても抵抗があった。だが、彼女はまだ隼人に、この気持ちをどう伝えればいいのか分からなかった……もし隼人の考えが自分と違っていたら、正直に話したことで二人の間に溝ができてしまうかもしれない。気にしないふりをしたとしても、二人の関係に影響が出るのは避けられないだろう。それに、まだ付き合い始めたばかりなのに、将来のことなんて考えても仕方ない。人生何が起こるか分からないんだから。月子はかつて、静真との未来を夢見たこともあった。でも、現実は全く違った。結婚が嫌だというのもあるし、過去の経験からも、もう未来に希望を持つのはやめた。月子は今この瞬間を大切にしたい。隼人と一緒にいるこの時間、この気持ちを大切にしたい。月子は瞬きをして、話題をそらした。「他に何かプレゼントしたら、それも身に着けてくれるの?私が買ったものは全部、今のあなたに似合うと思って選んだものよ。だから今のあなたが着ているところを見たいの」隼人は頭の回転が速い男だ。月子が話をはぐらかそうとしているのが分かった。彼女はそこまで深く考えていない。月子の自分への気持ちは、静真への気持ちとは違う……胸にチクリと痛みが走ったが、どうすることもできない。隼人はそれ以上、話を続けるのはやめた。月子から聞きたくない答えを聞かされるのが怖かったし、それによって互いにわだかまりができてしまうかもしれないのだ。そう思って、隼人は逸る気持ちを抑えた。彼は月子を手に入れるためなら、どんな苦労も厭わない。だから、彼女が心から結婚を受け入れてくれるまで、ゆっくり待つつもりだ。「喉が渇いた」月子が言った。隼人は月子の背後に回り、軽く手を添えると、跪いていた月子はそのまま彼の腰に座った。ぴったりと密着した体。月子は何かを感じた……これが、さっき言えなかった理由?何か言おうとした瞬間、隼人は月子の首筋に手を回した。抵抗する間もなく、月子は隼人の腕の中に倒れ込んだ。そのまま抱きしめられ、激しく情熱的なキスをされた。キスされた後、月子の顔は赤く染まり、潤んだ瞳で隼人を見つめた。そんな月子の様子を見て、隼人はさらにいたずら心がくすぐられた
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第633話

月子は急に緊張した。キスや体に触れられることで感じてはいたけれど、隼人がそれをはっきり口にした途端、心臓がドキリと高鳴った。しかし、サイズが合っていないことを想像すると、きっと苦しい思いをしてしまうだろ。月子は瞬きをして、何も言わなかった。隼人は心の中でクスリと笑った。彼女のどうしようもない様子は、まるで甘えているようだった。しかし、この言葉を口にした以上、隼人は撤回するつもりはなかった。隼人は月子の戸惑いには気づかないふりをして、ストレリチアの花束を整えた。鳥の冠のような形をした美しい花で、隼人もすっかり気に入っていた。月子はしばらく一人で考え込みながら隼人を睨みつけた。どうやら隼人はずっとそのことを諦めていなかったようだ。だから、こんな風に時折彼女に思い出させるように促すのも全て計画のうちかもしれない。そう思うと、月子は色々な想像を膨らんでいたのだった……そして耐えかねて月子は顔を覆った後、何事もなかったかのように手を離し、真面目な顔つきに戻った。しかし、どうしても気になることがあった。月子は隼人に尋ねた。「そういう時は、時間をコントロールできるの?」隼人は首をかしげた。「ん?」隼人と視線が合うと、月子の顔が熱くなった。彼女は咳払いをして言った。「さくっと出入りして、あとは私が手でなんとか……」それを聞いて隼人は言葉を失った。彼は一瞬、黙り込んだ。そして月子はさらに続けた。「……それで、一回で済ませられそうなの?」隼人は再び言葉を失った。何も言えなかった。数秒後、彼は月子の顔を優しく撫でて安心させた。「まだその時じゃない。考えすぎだ。とにかく、お前に辛い思いはさせないようにするから」月子は彼の腰を見て言った。「……辛くならないなんて保障はないでしょ」隼人は眉を上げた。「そんなに不安なのか?」月子は彼を睨みつけた。「そうよ。それに、あなたの方が分かってるでしょ」隼人は小さく笑い、「分かった。今は考えるな。もし怖ければ、他の方法でお前に慣れさせてやる」と言った。月子は首をかしげた。他にどんな方法があるというのだろうか?一生入れないとか?隼人は手早く花束を整え、月子の前に歩み寄った。そして彼女のそばに置かれていた、ちょうど良い温度になった紅茶を手に取り、月子に差し出
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第634話

だから、しばらくは心配がいらないはずだ。月子が理解できないのは、静真が一体どこからそんな自信を持っているのかということだ。彼女が戻ってくるなんて、ありえないのに。もしかして、彼は未だに現実を受け入ようとしていないからだろうか?一体何のために?結局世話をしてくれる人が欲しいだけじゃないか。それなら、静真ほどの男なら、世話をしてくれようとする女性なんていくらでもいるはずだ。そんなに執着して、時間の無駄だと思わないのか。ともかく、どんなに頑固な人でも、いつか現実を受け入れる日が来るだろうと月子は思った。彼女は今自分の生活を大切にしたいだけだから、静真も早く前に向いてくれることを期待していた。……次の日はいよいよ天音の誕生日だ。天音は、ずいぶん前から専門の誕生日プランナーに依頼していた。彼女がどんな雰囲気の誕生日にしたいかを伝えるだけで、プランナーは様々な提案をしてくれる。会場から、ケーキの配置、花束の種類まで……何から何まで、かなり前から準備を進めていた。天音が2週間も田舎にいたにもかかわらず、誕生日パーティーの準備は滞りなく進んでいた。天音はとにかく誰かに囲まれて賑やかに過ごすのが好きなのだ。目立つことについては、特にこだわりはない。なにせ彼女は目立とうとしなくても、それだけの注目を集められる自信はあるから。入江家の令嬢というだけで、たとえ隅っこにいても、一目を置かれる存在なのだ。もちろん、洵を除いては。天音はプランナーに頼んで、洵に誕生日パーティーの招待状を送った。当日は、彼女のお気に入りのスーパーカー10台を友達に運転してもらって、市街地の道路を一周する予定だ。天音は以前にも同じことをして、通行人に撮られてSNSに投稿されたことがある。すぐに情報は削除されたものの、正雄に叱られて、二度とこんなことをするなと注意された。天音は、そこまで大げさな事ではないと思っていた。むしろ喧嘩してニュースになるよりはましだろうと思っていた。だから、今回も彼女は同じことを繰り返そうとしていた。そしてその中の一台を洵のために用意してあげた。洵のような手強い相手を手なずけて、自分の思い通りにさせるには、それなりの気配りをして、警戒心を解いてあげる必要があるのだと天音は考えた。現に、天音は以前、ある芸能人
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第635話

明日香は天音を一瞥し、「ご予約はいただいておりますか?」と尋ねた。天音は悪びれる様子もなく、「月子の妹だけど、予約が必要ですか?」と尋ねた。明日香は答えた。「綾辻社長は今、会議中です。お待ちいただくことになりますが、ご身分を確認できませんので、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?社長に報告いたしますので」天音は驚いた表情を見せた。怒っているというよりは、何か珍しいものを見つけたかのような表情で、桜の方を振り返り、笑い出した。「綾辻社長だって?月子のことを社長って……あははは!もう、笑いが止まらないんだけど!何か変じゃない?月子が社長だなんて!ウケる!」それを聞いて明日香は眉をひそめた。彼女は天音の態度に強い不快感を覚えた。見かねた桜は天音の手を引っ張り、少し落ち着くように言った。「もう笑うのはやめなよ。大事な用があるんでしょ」天音はやっと嘲笑うのをやめ、しぶしぶ言った。「じゃあ、待ってますので、今すぐ会議室に行って、月子に会議を終わらせるように早く伝えてください。退屈でイライラしてきますから。そうそう、待合室はどこですか?誰かにお茶を持ってこさせてくださいよ」明日香は絶句した。天音は明日香の顔色が悪いのに気づき、作り笑いを浮かべながら言った。「私は入江天音です。綾辻社長に伝えてもらえますか?」そういうと彼女は明日香にウィンクをした。それはまるで子供のように無邪気な仕草だった。きっと機嫌がいいときだけこうなのだろう。高飛車な令嬢が、ちょっとした親切心で相手をからかっているのだ。なんと傲慢な態度だろうか。明日香はあきれた。社長はどうしてこんな人と知り合いなのだろう?彼女は何も言わず、待合室の方向を指差して、事務的に言った。「そちらでお待ちください」そう言うと、天音を案内することもなく、自分の仕事に戻った。天音はぽかんとした。「何よ、月子の会社の人は、みんな月子と同じ態度なんだけど?」仕方なく、桜は彼女をなだめ、「ここは月子の会社なんだから」と言った。それを聞いて、天音は大きく息を吐き、もう少し我慢することにした。待合室には何も飲み物も食べ物もなく、一時間も待たされて、やっと月子が姿を現した。月子が来たときには、待合室は天音が注文した様々な出前ですでにいっぱいだった。お菓子はど
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第636話

それを聞いて月子は天音をオフィスに招き入れるように目で合図した。「こっちへ」しかし月子が振り返ると、天音は途端に顔色を変えた。いい恰好しやがって。クソッ。……オフィス。ソファに座った月子は、天音に向かい側の席に座るように促した。天音にとって、こんなに強気な月子の態度は明らかに想定外だった。なんでこんなに冷たいわけ?前はこんなじゃなかったのに。月子が変わってしまった今、天音は完全に押され気味だった。月子は終始、天音の気持ちを慮る素振りも見せない。こんな扱いをされるのは初めてで、天音は冷静でいようとしたが、怒りがこみ上げてくるのを抑えるのに必死だった。これ以上、月子が何か言ったら、爆発してしまうかもしれない。桜がずっと我慢するように言ってくれていたおかげで、天音はなんとか堪えることができた。怒りを押し殺した表情で月子を睨みつけ、悔しさでいっぱいだったが、言われた通り、向かい側に座った。ちくしょう。そう思いながらも、自分がここまで譲歩していることに、天音自身も驚いていた。こんなに我慢強いなんて、自分でも信じられないくらいだった。一体、何が原因なの?サンのせい?でも、それだけじゃないことは天音も分かっていた。とにかく、何かが自分の知らないうちに、大きく変わってしまったのだ。月子は天音の反応をすべて見逃さなかった。ここまで我慢しているのも大変だろうと思い、思わずクスッと笑ってから尋ねた。「で、私に何の用?」天音は鼻を鳴らして言った。「明日の私の誕生日、忘れないでよね?」月子は自分のスケジュールを確認した。「夜の8時、行けると思うから安心して。ドライブにでも連れて行ってくれるんじゃないかしら」月子の確信に満ちた口調に、天音は少し安心した。「今、サンと話させてくれない?」「明日、会った時に話せばいいじゃない」天音は言葉を失った。何よ、その言い方。その態度は何?まともに話してくれないわけ?月子は別に天音に冷たくしているつもりはなかった。ただ普通に話しているだけだった。しかし、いつも周りにチヤホヤされている天音には、それが耐えられなかった。甘やかされて育った人間は、こういうものだ。それにしても、そんなに腹が立っているなら、とっとと帰ればいいのに。なにをわざわざ嫌な思いを
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第637話

月子が義理の姉になってくれてたら、きっとそう簡単に自分を断れないはず。もし断ったら、自分がチクたりすることもできるし、、月子が作った料理もまた食べられるようになる。それに、サンもいつでも呼び出せるようになる……うっわ、今まで考えもしなかった。月子が義理の姉だったら、こんなにいいことがあるの?天音は月子の顔色を伺いながら、思いつきを次々と口にした。「どう?いいでしょ?私たちは家族同然になれるのよ。兄と復縁すれば、私はあなたの義理の妹になるんだから、いろいろと都合がいいじゃない。そう思わない?」月子は彼女の目の奥の興奮を見て、天音と静真は自分の利益しか考えていないんだと改めて感じた。しかも、それを当然のことと思っている。こういう考え方もある意味、いいのかも。自分が楽しければ、それでいいんだ。「考えてみてよ。兄とは、もともと愛し合っていた仲でしょ?復縁も簡単よ。それに、兄も今、あなたに気があるみたいだし。私は何も聞いてないけど、見てれば分かるわ。もしかしたら、また付き合えば、何かが変わるかも……」「サンは静真のことが好きじゃない」それを聞いて天音は一瞬、言葉を失った。まるで平手打ちを食らったように呆然として、どう反応すればいいのか分からず、滑稽な表情をしていた。月子は彼女のその様子を見て、思わず笑ってしまった。「静真とサン、どっちを選ぶの?」天音は顔をこわばらせて、彼女を睨みつけた。「比べるなんて失礼じゃない!」「ただの選択問題よ」天音は2秒ほど迷ってから、答えた。「……やっぱりサンを選ぶよ」桜は笑いをこらえきれずにいた。これはサンのためなら兄も諦められるってわけだ。月子は、天音の言動が面白くて仕方がなかった。「あなたたちの兄妹の絆って……本当に素晴らしいわね」天音は歯を食いしばった。「皮肉を言わないで。私がどう思っていようと、静真は私の兄だし、私は彼の妹。それは変わらない事実よ。でも、サンは違う。もしサンが私のことを好きじゃなかったら、近づくチャンスもない。これは確率の問題よ。だから、サンを選ぶのは当然でしょ」「確かに、筋が通ってるわね」月子も思わず天音の考えに納得した。「当然よ!」天音もバカではない。ただ、普段は面倒くさくて、あまり頭を使いたくないだけだ。月子は時計を見て言った。「
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第638話

天音は桜を罵った。「役立たず!洵は手強いほど落とす甲斐があるのよ。こんなに燃えるような挑戦は久しぶりね。水を差すようなことを言うんじゃないわよ!分かった?」桜は仕方なく頷いた。「はいはい分かったよ」「ただちょっと行き詰まってるだけよ」天音の顔色は冴えない。「宥めるのがダメなら、強硬手段に出るまでよ。でも、月子との約束で、洵に手出しはできないし……だから、もっと彼について調べないと!」包帯でぐるぐる巻きにされた右腕を見て天音は思った。これでも、喧嘩友達みたいなもんでしょ?でも知り合ってみると、まさか洵があんな面白い性格だとは思わなかった。天音が目をつけた相手を逃したことは一度もない。今回が少し難しいだけ。他にやりたいこともないし、せっかく面白いことを見つけたんだし、当然そう簡単には諦めるわけにはいかないんだから。待ってなさいよ、洵。必ずあなたを私の前に跪かせてみせるからと天音はここに誓った。その場面を想像するだけで、天音は思わず口元を緩めた。……翌日。天音が21歳の誕生日を迎えた。同じ歳なのに、月子は既に母親を亡くし、静真と結婚して、色んなことを経験している。天音の21歳は15歳や16歳と何も変わらない。相変わらず友達と遊び回り、気ままに過ごしている。やりたいことは何でもやる。正雄が決めたルールで、成人したら誕生日を祝う必要はないことになっている。だから成人してからは、天音は家族と誕生日を過ごさなくなった。実際友達と騒ぐ方が彼女も楽しいのだ。とはいうものの、それでも誕生日は、両親と兄、そして祖父に電話して、甘えたくなるのだ。静真は忙しいから、最後に電話するのはいつも彼だった。「まだ発売されてないコンセプトカーが欲しいの!誕生日のプレゼントはこれに決めた!」天音は車が大好きだ。発売中のモデルは全て把握済み。コンセプトカーのデザインは大胆で、奇抜なものや未来的でかっこいいものもある。市販されないものも多い。静真も快く天音の頼みを聞き入れた。「月子は来るのか?」電話を切る前に、彼は尋ねた。天音はクスっと笑った。「彼女に会いたいんでしょ?」静真は何も言わなかった。天音は続けた。「あなたがどう思ってるか知らないけど、私は月子がいないのがちょっと寂しいのよね」静真は繰り返した。「彼女は来る
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第639話

しかし天音が「サ」という音節を口にした途端、電話は切られた。それには彼女も少しの間、呆然とした。切られた?まだ話も終わってないのに。その頃天音はちょうどメイク中だった。スマホはメイクアップアーティストのものだったが、最新機種だったため、彼女はそれを弄んでいた。「バンッ」という音。スマホは床に叩きつけられ、画面はクモの巣のようにヒビ割れた。メイクアップアーティストは手が震え、酷く驚いた。一体なぜ天音が急に怒り出したのか分からず、そしてあのスマホは、自分が数日前に買ったばかりのものなのに……怒りを感じながらも、彼女は、「どうしましたか?」となだめるように声をかけた。「うるさい」天音はメイクアップアーティストを睨みつけた。メイクアップアーティストは一瞬で口を閉ざした。「何見てんのよ。早く続けて。私の誕生日なんだから、ちゃんとメイクしてよね」そう言われて、メイクアップアーティストは仕方なく、何事もなかったかのようにメイクを続けるしかなかった。天音もなんとか怒りを収めようとした。しかし、考えれば考えるほど腹が立ち、洵を自分の思い通りにしたいという気持ちがますます強くなった。しばらくすると、彼女のスマホが鳴った。スマホの画面を見ると、霞からだった。霞か……天音は少し考えてから電話に出た。「天音、誕生日おめでとう」霞はそう言ってから、最近忙しいことを説明し、静真からプレゼントを預かっていることを伝えた。天音は適当に返事をして電話を切った。そして大きなため息をついた。今の彼女はどんなプレゼントにも興味がなかった。だって何であろうと、この後、月子が用意してくれるサプライズには敵わないんだから。兄がくれたコンセプトカーでさえ、月子のプレゼントほど魅力的に感じられなかった。天音はもともと気まぐれで、好みもコロコロ変わるタイプの人間だ。そんな彼女にとって今の霞は全く興味がそそられないのだ。霞はレーシングカーを運転できるのは確かにかっこいいし、ずっと兄の友達で、学歴も仕事も趣味も申し分ない。前は月子が嫌いだったから、それと比べると霞の方が良く見えた。でも、今は兄が離婚して、義理の姉がいなくなったから、比べる対象がいなくなった。だから、今は霞の条件だけを見て判断できるようになった。そうす
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第640話

月子は洵と同じで、電話に出るのにあまり積極的ではなかった。普段は呼び出し音が三回鳴ると、天音はもう待つのが嫌になって電話を切り、相手からかけ直してくるのを待つ。だが、今は仕方ない、待たなければいけない。十数回近く呼び出し音が鳴って、やっと電話が繋がった。「何か用?」天音が今にも怒鳴り散らそうとしたところに、月子の冷淡な声がそれを遮った……仕方ない、月子は変わってしまった。今や彼女はこちらがご機嫌取りをしなければいけない相手なのだ。天音は、たとえどんなに腹が立っていても、利用価値のある人間には丁寧に接しなければいけないと思っている。特に今日は彼女の誕生日で、憧れの人に会えるかどうかは月子次第なのだ。だから天音それまでは、月子の言いなりになろうと思った。「誕生パーティーの場所は送ったから、サンと一緒に来てくれない?」「え、私のことを誕生パーティーに招待してくれるの?」「そうよ。サンの友達だもの」「わかった。じゃ、行くね」天音は笑って言った。「本当に?嘘じゃないわよね?」「サンと一緒に行くから。待ってて」それを聞くと、天音は口角を上げた。今の月子の言動は以前とはまるで別人のようだ。昨日は「綾辻社長」という呼び方がすごく違和感があったのに、今はすっかりその風格があるように思えた。話す言葉もすごく歯切れがいい。天音はこのスタイルが好きだった。もしかしたら、自分の周りには言いなりになる人が多いからだろうか?急に自分を下に見てくるような相手が現れたことで、かえって彼女のことをカッコよく感じるのか?と天音は密かに思った。なんだかひねくれた天邪鬼のようだ。でも、天音は今の月子の状態には確かに人間的な魅力があると感じていた。つまり、惹きつけられるものがあるということだ。天音は認めたくないが、月子のことは好きではないものの、少しだけ惹かれている部分もあった。なんて恐ろしい考えだ。月子への態度の変化は、彼女を義理の姉として認めることよりも、天音にとって屈辱的だった。なんだか納得がいかないけど、どうしようもないことが居たたまれなく感じるのだ。「分かった、待ってるね」天音は言った。「サンにはちゃんと伝えておいて。他の友達とは会わないように私が直接迎えに行くから!せっかく会えた私の憧れの人なんだから、内緒にしない
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