智也に突然そんなことを問われ、沙羅は一瞬、言葉を失った。だが、すぐに彼の真意を理解したのだった。――そういうことか。けれど、沙羅が答える前に智也は鏡越しに彼女の瞳を見つめ、静かに問いかけた。「......嫌なのか?」その言葉に、沙羅は慌てて首を横に振る。「違うの。ただ......私は愛莉の実の母親じゃないでしょう?そんな立場で、出過ぎたことをしていいのかと思って......」智也はファスナーに絡まっていた髪を外し、そのまま彼女の髪を整えながら言った。「愛莉はお前のことが好きだ。それに......実の母親より、お前のほうがよほど母親に向いてる」その言葉を境に、沙羅の顔からさっきまで浮かんでいた笑みが消えた。これほど待ち望んでいた一言のはずなのに、いざ現実になってみると、胸は少しも弾まなかった。もし智也と一緒になるなら、「後妻」として生きることになる。――じゃあ、自分の仕事は?自分の人生は?沙羅が黙り込んでいるのを見て、智也は試すように名前を呼んだ。「......沙羅?」我に返った沙羅は、静かに彼を見た。「私、本当に......務まると思う?」智也は鏡の中の彼女に微笑みかけた。「もちろんだ」その言葉を聞いて、沙羅は視線を落とす。「......うん」けれど、心の中は複雑だった。そこに、喜びはほとんど見当たらない。もし智也と一緒になれば、自分が胸に秘めてきた願いは、どうなるのだろう。――彼女は、あの夜の灯籠に願いを書いた。「この世のすべての男に、愛されますように」と。智也という一本の木のために、森全体を捨てるだけの価値はあるのか。そんなことを考えていた、そのときだった。「......ただし、条件がある」突然の言葉に、沙羅は顔を上げた。「条件......?」智也は鏡の中の彼女と視線を合わせたままこう言った。「子どもは、愛莉だけだ。俺たちの間に新しい子はいらない」その言葉に沙羅は沈黙した。智也は彼女を追い詰めることはせず、ただ淡々と告げた。「ゆっくり考えていい」そう言い残し、智也は試着室を出て行った。鏡の前に一人残された沙羅は、心が大きく揺れているのを感じていた。智也に嫁げば、何不自由ない暮らしが待っている。
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