All Chapters of ボクらは庭師になりたかった~鬼子の女子高生が未来の神話になるとか草生える(死語構文): Chapter 301 - Chapter 310

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3-96.母宮木野の墓所(2/3)

 突然、枯れ葉がなくなり視界が開けた。見上げると枯れ葉の雲を抜けたのが分かった。その雲は空全体を覆って下界を圧していた。下方には見渡す限り青みがかった灰色の地平が広がっていて、その境界を見ることは出来なかった。「無人」自転車はさらに前輪を下げてすぐ横に迫る太い幹に沿って急降下を始めた。ヘルメット男が振り向いて下方を指さした。ヘルメット男の肩越しに巨木の根元が見えていて、根と根の間に一箇所だけ聖域感のある緑の領域があった。どうやらそこがあたしたちの目的地のようだった。 地面に近づいてようやくヘルメット男はスピードを落とした。自転車とリアカーを水平に保ちながら着地すると立ち漕ぎのまま自転車を降りた。その時になってようやくあたしの目に男の下半身が見えた。血だらけの半ズボンはズタズタでチャックがお尻の方についていた。背中を向けているのに膝とつま先がこちらにあった。どうやらヘルメット男は腰から下が反対についているらしかった。だからずっと立ち漕ぎだったのか。 リアカーの下は青灰色の砂地だった。一歩踏み出すとサクッと音がして足が少しだけ沈んだ。まるで新雪のように清浄な感じだ。ヘルメット男は荷台の黄色い箱を持って上から見た緑の聖域へと向かう。聖域に近づくとそこは苔だらけの墓石が幾つも積まれてできた塚だった。その塚を守るように巨樹が根を張り、枯れ葉の天頂に向かって太い幹を伸ばしていた。それは天を支える世界樹のようだった。「お前たちはここでエニシの切り替えをしなければならない」 ヘルメット男が言った。冬凪が、「どうやって?」「まずこの中に入る」 塚を示した。「どこから?」 入り口が見当たらない。「その墓石を押してみろ」 ヘルメット男が指さしたのは塚と砂地の際にある、冬凪の胸の高さくらいの墓石だった。
last updateLast Updated : 2025-10-17
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3-96.母宮木野の墓所(3/3)

 トンネルの天井は低く腰を屈めないとならなかった。壁には一面に苔が生えていてそこから液体が滴り落ちていた。水でなくて液体と言うのは、それが不透明で乳白色だったからだ。その液体は地面に集まり乳白色の小川となってトンネルの中へ向かって流れを作っていた。あたしは奥へ進みながらその流れを見下ろして、十六夜と初めて話した雨の日を思い出した。校庭に出来た沢山の小さな川。あの川たちがここに全て集まっているような気がしたからだった。あの時十六夜は、「流れに棹ささないと人生の面白味がわからない」 と言ったのだった。十六夜がくれた長棹を思い出す。巨大な真球に突き刺さった長棹を見た時、あの真球で十六夜が何かしようとしているのは分かった気がした。 苔のトンネルを抜けて小部屋に足を踏み入れると体の中の血液が逆流するような感覚に襲われゾワっとした。中はドーム状で天井も手を伸ばしても届かないくらいで、4人で入っても余裕を感じる広さだった。壁は墓石がむき出しで積まれて出来ていて苔は生えていなかった。母宮木野の棺桶はなかった。そのかわり青砂の地面にはトンネルから流れ込んだ乳白色の液体が枝分かれしてアマゾン川のような景色を作っていた。その小さな大河は地面の砂に吸い込まれるためか水溜まりのようなものは見当たらない。「夏波、これ見て」 冬凪が小部屋の真ん中で掌を下にかざして立っていた。あたしがそばに行くと、「ほら」 と掌を返した。最初、冬凪が何をしたいのか分からなかった。それを察してか冬凪はもう一度、掌を下に向けてかざし直すと、「いい? 見てて。こうして少し溜めたら、返す」 とふたたびかざした掌を返して見せた。それでようやくあたしも冬凪が何を見せたかったのか分かった。返した冬凪の掌から乳白色の液体が滴り上がり天井で水飛沫をあげたのだ。そして見上げた天井には乳白
last updateLast Updated : 2025-10-17
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3-97.辻沢の残留思念(1/3)

「来るぞ」 ヘルメット男の怯えた声と同時に背中に悪寒が走った。石室の温度が4度下がったように感じた。ヘルメット男が墓石の壁に張り付いたのを見て鈴風がまずそれに並んだ。それから冬凪と顔を合わせながら鈴風たちを正面に見て同じようにした。 それはすぐにやって来た。砂地が沸き立つようにザワザワしだしたら、石室の真ん中の地面から人の頭が浮き出てきたのだ。黒髪は乱れ、顔は鈍色、カッと見開いた眼は金色で、真紅の唇を破って4本の銀牙が突き出し血泡を吹いていた。それは屍人の顔だとすぐにわかった。ついで首、痩せた肩、さらに死衣をはだけた両の乳には赤子が喰らいついていた。「遊女宮木野。赤子は後の宮木野と志野婦だ」 ヘルメット男が抑えた声で言った。十六夜と調べた遊女宮木野の来歴を思い出す。戦国時代、名妓と謳われた遊女宮木野は見受けされてすぐ、世に跋扈していたヴァンパイア集団に襲われ殺されてしまう。一旦は粗末な墓に埋めらたけれど、宮木野が身重だったことを不憫に思ったタニマチの一人が埋葬し直そうと墓を掘り起こした。すると宮木野は屍人となっていて墓の中で産み落とした双子を胸に抱いて乳を飲ませていた。その双子が母の名を襲った宮木野とその妹志野婦だった。目の前の情景はまさにそのことをなぞっていた。「どんどん大きくなっていく」 双子は見ているうちに母親の胸の上で急成長していっていた。最初は弱々しく見えたのに、いつのまにか首も座って乳にむしゃぶりつくようになった。体もどんどん大きくなってやがて母親の胸元を離れると自分の足で立った。そして宮木野と志野婦の面影がある双子は手を固く握り合うとあたしたちが通ってきたトンネルをくぐり外へ出て行ったのだった。 その姿を目で追ってふたたび石室を振り返ると、そこにはもう母宮木野の姿はなくなっていた。しばしの静寂の後、それまで一滴一滴天井に滴り上がっていた乳白色の液体が、夕立の雨のように降
last updateLast Updated : 2025-10-18
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3-97.辻沢の残留思念(2/3)

 夕霧を抱いた宮木野は、屍人の時よりもずいぶんと若い感じがした。あたしたちと同じくらいかも。でもこんな寂れたところに赤ちゃんを連れて何をしに来たんだろう。そう思ってる間に、若い母宮木野は赤子を抱いたまま淀んだ水の中に進み出した。そして腰まで浸かる深さの所まで来ると、その場でゆっくりとしゃがんだ。それから赤子を胸から離し水に浸すとその顔をじっと見つめ、一気に水中に沈めたのだった。赤子の命を請う声が泡となって水面に浮き上がってくる。それはママ苦しいよ、助けてよと懇願してしるよう。それでも宮木野は赤子を水から引き上げようとしない。宮木野はきっと何かに責め立てられて仕方なくそうしているんだ。あんなに憔悴しているのはそのせいだ。そうでも思わないとこの鬼畜の所業を理解することはできなかった。 その後も宮木野は赤子の最期を目に焼き付けるかのように水中の失われゆく命をじっと見つめていた。それも束の間、断末魔が泡となって弾け、水面を真っ赤に染めた。それが徐々に淀み全体に広がってゆく。宮木野がおもむろに立ち上がる。しかし、その腕には赤子の姿はなかった。宮木野はそのまま岸に上がり振り返りもせずに葦の中に消えたのだった。すると、天井の血の淀みから石室に赤い雨が降り注ぎ出した。雨は次第に大降りになり視界を真っ赤に遮るほどになったけれど、やがて小降りになってさっきと同じように一筋の雫になった。ただその雫は上から下に滴り、その軌跡は赤い糸のようだ。 屍人と若い母宮木野。あたしは辻沢の残留思念を目の当たりにしたのだった。 ヘルメット男が石室の真ん中に進み赤い雫の一つに触れて言った。「さあ、エニシの切り替えを始めるんだ」 どうやるのか聞こうとしたけれど半ギレの冬凪が制して、「どうしてそれが必要か言って」 滅多なことでキレたりしない冬凪が一旦そうなったらミユキ母さんだって怯む。だからヘルメット男もたじたじで、
last updateLast Updated : 2025-10-18
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3-97.辻沢の残留思念(3/3)

 世界樹が枯れたのは、トラギクたち六道衆が別の世界樹を建てようとしているからだと言った。「辻沢では数十年に一度、両手にエニシの糸を持つ特別な鬼子が生まれる。この前は夕霧太夫や野太クロエ、藤野ミユキ、小宮ミユウたちだった。彼女らには特別な役目があった。そして前園十六夜、藤野冬凪と夏波。お前たちも両手にエニシの糸を持つ」 そう言われて自分の両手の薬指を見てみた。右手の薬指を見ると赤い糸が見えていたけれど、その先はかすんで見えなかった。もう片方を見てみたけれど、左手にはエニシの糸どころか薬指すらなかった。「つまりお前たちはすべき事があるということだ。ところが肝心のエニシの要である前園十六夜がいない。エニシに繋がれた3人が揃わねば役目を果たすことができない。だからエニシの切り替えをする」 言い終えるとヘルメット男は鈴風を近くに呼び寄せた。「お前が十六夜の代わりになるんだ。まず、左手をこの雫に浸せ」 鈴風は言われたとおりに赤い糸のように天井から滴る雫に自分の左の薬指を浸した。次に呼ばれたのは冬凪で、「お前はこっちの雫に右手を」 言い終わらないうちに冬凪はヘルメット男の近くの雫に近づいて右手の薬指を浸した。「それでどうすればいいの? 呪文とか唱える?」ヘルメット男がその質問に答えるより先に、それは始まった。冬凪と鈴風の薬指が浸された雫が重力に逆らって歪み、それぞれの薬指に引き寄せられ始めたのだ。そしてそれが空中で繋がると、鈴風と冬凪は電撃に打たれたように痙攣を始め、「「ギャーーー」」 聞いたことが無い叫び声を上げたかと思うと倒れ伏してしまったのだった。「「冬凪! 鈴風!」 あたしは折り重なった二人のところに駆け寄った。「触るな!」 ヘルメット男の一喝に足が止まる。「未然で触れれば死ぬぞ」 切り替えが済む前に触れたら二
last updateLast Updated : 2025-10-18
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3-98.エニシの切り替え(1/3)

 倒れ伏した鈴風と冬凪は肩で息をしていて意識があるのが分かった。少ししてけだるそういに冬凪が顔をあげた。「大丈夫」 と目で合図を送ってくたけれど、相当なダメージを受けたのは唇が紫になって震えているので分かった。冬凪が鈴風に肩を貸して立ち上がりながら、「鈴風さん、ごめんね。こんなのに付き合わせて」 と言うと鈴風は、「いいえ。こうなるように決められていましたから」 それはクチナシ衆としてということらしかった。鈴風は諦めを受け入れた人の表情をしていた。 足元がおぼつかない二人に手を貸そうとあたしが近づくとヘルメット男が、「もう触ってもいいぞ」 その余計な一言がイラつく。 冬凪が鈴風の右手の薬指を手に取った。そこから赤い糸が垂れて冬凪の薬指に繋がっていた。「鬼子のエニシの感想は?」 鈴風は冬凪の目をじっと見つめて、「はい、冬凪さんの心の情景が。とっても、……あったかいです」 と目頭を抑えた。冬凪はそんな鈴風の背中に手を当ててさすっていた。「次はお前だ」 ヘルメット男があたしを別の赤い雫の側に手招いた。都度、上から言うのがいらつくけれど血溜まりの天井から滴る雫の前に立った。そして右手の薬指をその中に浸そうとすると、「そっちじゃない」「でも、左手は薬指ないから」 他の指でやれと言うことか? 「夏波」 呼ばれて冬凪を見るとポケットから何かを出す仕草をしていた。それであたしはクロエちゃんからの預かりもののことを思い出して、スカートのポケットからユウさんの薬指入りのポリバックを出した。夕霧物語では夕霧が噛みちぎって伊左衛門に渡した薬指が二人の行く先を予見していた。ならば二代目夕霧のユウさんが残したこの薬指もきっと何かの澪標になるだろう。でも、なんで今ここで? これをどうすれと。まさか付けろって言わんよね。「
last updateLast Updated : 2025-10-19
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3-98.エニシの切り替え(2/3)

 あたしはポリバックのジッパーを広げて、赤黒く変色したガーゼに包まれた固形物を取り出した。それを手のひらに乗せ片手でガーゼの端を引っ張って外そうとしたら、固まった血でガーゼがへばり付いてなかなか取れない。少し乱暴に引っ張ったら指の皮が剥がれて肉身が剥き出しになってしまった。それを見てユウさんの指なのに一瞬キモってなったけれど、もう一度よく見ると、薬指は今さっき噛み切られたかのように綺麗で生気があり爪もピンク色をしていて今にも動き出しそうだった。思い直してユウさんの指をあたしの薬指の付け根に当てる。トラギクに切り取られた薬指の跡は、ユウさんの指の切り口の生々しさとはまったく違って渦巻き状になっていて暗黒の次元に吸い込まれているように見えた。そこにユウさんの指を近づけると、待っていたかのように渦が絡みついて引き寄せじわりと一つになった。新しく繋がった薬指は肌の色の違いがなければ接合部も分からないほど付け根と一つになっていた。それからあたしのものになった薬指をヘルメット男に言われた通りにエニシの滴りに付けた。左の掌を軽く握り薬指だけを伸ばして真っ赤な雫に浸す。さっきの冬凪たちの様子から相当な衝撃を予想して身構えたけれど何も起こらなかった。ただ赤い液体が指の根元から手の甲、肘を伝って流れる生温い感触が時間の経過を示しているだけだった。「もういいぞ」 薬指をエニシの雫から離した。肌の上から夕霧の赤い玉の緒が引いた後も、薬指に変わった様子はなかった。「こっちへ」 ヘルメット男があたしが立っている雫の側に冬凪を呼んだ。冬凪は「あたし?」という仕草をしながら近づいて来た。「お前たち二人は夕霧太夫を介してエニシの糸で繋がれているから、夕霧太夫とのエニシを切って直接繋げる」「どういうこと?」(無声) 冬凪を見ると、もともとはあたしの右手とユウさんの左手、冬凪の左手とユウさんの右手とがエニシの糸で繋がれていたのだけれど、ユウさんがいなくなったままなので、4人の連携からユウさんを外して
last updateLast Updated : 2025-10-19
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3-98.エニシの切り替え(3/3)

 それを確かめられたので、冬凪は左の薬指を、あたしは右の薬指を赤いエニシの雫に浸した。今度はさすがに衝撃があるだろうと怖くなったけれど、冬凪が普通な顔をして指を浸したので、あたしもそれに倣った。すると二人の指先に当たって流れる滴りの先がお互いに引き寄せられ、螺旋になったかと思うと一つになった。その時冬凪が体を硬くしたので衝撃に備えてあたしも身構えたけれど、その心配はいらなかった。何もそういうことは起こらなかったから。ただ、あたしの脳内でユウさんとの思い出の数々がフラッシュバックのように蘇っては消えた。そしてそれらが収まると、あたしの中にあったユウさんへの思いが薄くなったような気がして涙が止めどなく流れ出した。しばらくして涙も出なくなったころ、「もういいぞ」 ヘルメット男の声で我に返って冬凪を見ると、あたしと同じように頬を涙でぬらしていた。冬凪にもユウさんへの深い思いがあったのだ。続いてヘルメット男が鈴風を呼んだ。呼ばれた鈴風がビクッとするのを見て、鬼子でない鈴風にはエニシの切り替えがよほどしんどかったんだと分かった。ヘルメット男は、「お前はさっきとは逆の右手をこっちのエニシの雫に浸せ」 鈴風に指示するとあたしに向かって、「わかるな」 と念押しした。ユウさんの薬指が付いた左手を浸せと。わかるけれどもなんかムカつく。冬凪を見ると石室の壁に寄りかかりながら、「まぁーまぁー」(無声) と言っている。ヘルメット男に手を掴まれて無理やりとかになるのは嫌だったので、自分から薬指を差し出す。天井の血の池から落ちてくる滴りはそれを待っていたかのように中空で歪んで生き物のようにあたしの左手に近づいて来た。薬指の第二関節にエニシの赤い糸が絡みつく。あたしの薬指にあたってエニシの赤い滴りが、中空でねじ曲がって鈴風の薬指から滴る赤いエニシに纏わり付いてゆく。そして螺旋を描いていたかと思ったら、スッと一本の滴り
last updateLast Updated : 2025-10-19
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鈴風の物語 その1 千福楼の風鈴(1/3)

 昭和33年秋。2畳もない狭い支度部屋。妾が夜のおつとめに備えて化粧をしていると、「ちょっと、風鈴姉さん。聞きました? 新しいお札のこと」 妹分の遊女の柊が、隣で忙しなく白粉を塗りながら言った。柊は妾とは三つ違いで、もうかれこれ5年の付き合いになる。ここ千福楼に売られて来た時は12才で鼻の下に産毛を生やした芋娘だった。それも今では遊女頭の妾より客を取ると、店の旦那の覚えもめでたい。目が大きく頬がふっくらしたバタくさい顔をしているので売れない遊女になると言われていたのに映画女優の岡田茉莉子に似てるという評判が立って、たちまち売れっ子になったのだ。普通ならそれで先輩遊女のことを下に見たりするものだけれど、この子は最初と変わらず妾のことを姉さん姉さんと妹のように甘えてくる。「聞いたよ。一万円札が出るんだろ」「それそれ。いったい誰がそんな高いお札使うってんでしょうね。妾なんざ今の千円札でさえ持て余してるのに」 たしかに、そう。遊女のお給金なんて微々たるものだから、いくつの夜、男に抱かれたらそんなお金を手にできるのか。そうでなくてもこの妓楼は辻沢警察のおめこぼしでやってる手前、あがりも回らずなおさらだった。「姐さん方。お見世開けますよ」 梯子の下からおばさんの声が掛かる。「さ、おつとめ、おつとめ。また明日の朝、生きて会えますように」 柊が鏡の自分に向かって手を合わせた。これはつとめに出る前に必ずやるこの娘の弦担ぎだ。いつだったか、どうしてそんなことをするのかと聞いたら、遊女は一夜を過ごす男によって生きもすれば死にもする。こうやっておつとめ前の自分の顔をずっと覚えていて、終わった朝に鏡に写った自分と比べてみる。そうすると、あぁ今日は死なずに済んだということがわかる。でも注意しないといけないのは自
last updateLast Updated : 2025-10-20
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鈴風の物語 その1 千福楼の風鈴(2/3)

 妾も支度を終えて階下の店に出る。妓楼の見世とは披露間のことだ。客となる旦那衆が今夜床を同じうする相手をここに居並ぶ遊女から選ぶための場所だ。そこの席順には厳格な掟があって、それを破れば八分、そうでなければ死だ。 以前、都会の妓楼から来た黄蝶という若い遊女が、いつもは如月姉さんが座る席に平然と座っていたことがあった。「席を間違えたのならさっさと路地面にお戻りな。ご新造さん」 見世に出て来てそれを見た如月姉さんは口調は冷静さを保っているけれど、こめかみに青スジが立っている。如月姉さんはもう25才で盛りは過ぎたけれど、かつては千福楼の三番目だったことがあるお人だ。取り巻きだってまだまだ多く、かつての威勢を慕う後輩遊女は少なくない。そんな如月姉さんに黄蝶が、「あんたみたような年増が色売ったって客なんかつきゃしねぇんだから、もっと端っこに座ってな」 とのたまわった。その時は居並ぶ姉さん方がざわついただけで終わったけれど、事件はその晩起こった。 黄蝶はいつも、都会ではこれが当たり前だと言って客と部屋に入るとすぐ夜食を頼む習いだった。それを知った如月姉さんは一番の妹分で気鬱持ちの九条に闇医者に処方された睡眠薬を入れさせた。九条は色で誑かした若衆を使ったのだ。暫くして馴染客ともども正体なしになった黄蝶を、九条初め如月姉さんの子分たちが簀巻きにし、名曳川鉄橋の上から放り捨てた。そして九条たちは千福楼に帰るなり、「黄蝶が逃亡した!」「お客を睡眠薬で眠らせて逃げくさった!」 と吹聴した。千福楼に限らず、辻沢中の男衆が探し回ったものの当然のことだが見つからず、黄蝶の件は行方知れずのまま沙汰止みとなってしまった。 その生死が掛かった席順とは、路地に近い席は新造か見目はいいが器量がダメな者。その後ろが、他所から辻沢に流れて来た者、または年増。その奥が、一段高くなった土間にカラ
last updateLast Updated : 2025-10-20
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