社内の廊下にひんやりとした空気が流れ込んでいた。春も半ばを過ぎたというのに、このビルの奥まった通路はいつも季節に取り残されたような冷たさを纏っている。鶴橋は左手に缶コーヒー、右手にはポケットから出したスマホを持ち、昼休みの終わりをなんとなく惜しむように歩いていた。昼を食べ終えても、すぐに席へ戻る気になれなかった。そういうときに立ち寄る自販機前で、いつものようにカフェオレか微糖かを迷いながら、けれどすでに手には買った缶があるという無意味さに、小さく笑う。そのとき、ふと視界の端に動きがあった。廊下の先、ガラス越しに見える屋外スペース。ビルの裏手にある小さな喫煙所のベンチに、一人、誰かが腰をかけている。紺のカーディガン。落としたような姿勢。弁当箱の蓋を静かに閉じる細い指。一瞬でわかった。今里だった。気づいた瞬間、体の動きがわずかに止まる。足取りが自然と緩み、もう一歩前に出るつもりだった右足が、床をなぞるように小さく踏みとどまる。声はかけない。そもそも、その距離はガラス一枚を隔てた場所だ。けれど鶴橋は、無意識に姿勢をほんのわずかだけ崩して、その様子を見た。というより、目が離せなかった。今里は、こちらに気づいていない。というより、気づいていても表には出さないのかもしれない。その顔はいつも通り、感情の色の少ない穏やかなもので、箸を動かす手だけが静かに時間を刻んでいた。その一挙手一投足に特別なものはない。ただ、黙ってそこに座って食事をしているだけの光景だ。それなのに、胸のどこかに、小さな安堵が広がっていた。(ああ、いたんや)言葉にはならなかったが、脳裏にその感覚が確かに浮かぶ。べつに、探していたわけじゃない。姿が見えなくて心配していたわけでもない。ただ…あの空席を見た後、自分の中のどこかが、何かを欲していたことに、今さら気づいた。そしてそれが“ほっとした”という感情に結びついたとき、鶴橋は自分自身に軽く戸惑った。(なんで、こんなことで…)今里の姿が見えた。それだけで、知らぬ間に強張っていたものが緩んでい
Huling Na-update : 2025-07-14 Magbasa pa