営業フロアの空気は、午後の鈍い光に包まれていた。外は曇天。日差しは薄く、窓際の観葉植物の影さえ滲むように揺れている。会議が終わった直後の、微妙な静けさが漂っていた。誰かが椅子を引く音や、キーボードを叩く音が断続的に鳴る中で、鶴橋はぼんやりと視線を浮かべていた。その視線の先には、ホワイトボードに向かう今里の背中があった。背は高くない。けれど、細く整った肩の線はどこか浮世離れしていて、着ているシャツの生地すら、空気を撫でるような軽さを感じさせる。今里は、ミーティングの内容をメモから清書しているのだろう。黒のマーカーペンがホワイトボードを滑るたび、右腕の筋が微かに動く。文字は端正で、整っていて、誤字もない。その動きを、鶴橋はなぜか目が離せずにいた。ペンを持つ指先は、白くて細い。けれど、骨ばっていて、静かに力がこもっているように見える。ときおり左手が髪を払う。額にかかる前髪が揺れ、その下の眉が少しだけ動く。集中しているときの表情だ。目の奥が、何かと真っ直ぐ向き合っている。そんな姿を、なぜ自分はこうして見ているのだろう。わからなかった。わからないけれど、ただ、目がそらせなかった。ふと、立ち上がろうとして、椅子がわずかに軋んだ。その音に、自分自身がはっとする。声をかけようとした。ただ「手伝いましょうか」とか、「書き写し、代わりますよ」と、そんな一言だけでも。けれど、そのあとに何を続ければいいかがわからなかった。ただの同僚なら、そんなことを考える必要もない。けれど今は違う。一度「好きです」と言ってしまった今、どう振る舞えばいいのか、それがまるで見えない。言葉を探して、胸の奥がざわつく。今里はその気配にも気づかないまま、淡々と文字を綴っていた。ペンを持つ指が一瞬止まり、右に寄ったバランスを左足で取り直す。体の重心がほんの少し傾き、その動きの静かさにまた、鶴橋の心が乱れる。どれだけ丁寧に、無言を貫かれるのが、こんなにも遠く感じるとは思っていなかった。
Terakhir Diperbarui : 2025-07-24 Baca selengkapnya