All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 311 - Chapter 320

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第311話

だから、電話が何度もかかってきても、通話が繋がらず自動的に切れても、蒼空のスマホはただ枕元の棚の上で小さく震えているだけで、はっきりした音はしなかった。夜が明け、蒼空はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視線の先には、白く霞んだ壁。彼女は首筋を揉みながら、スリッパを履き、脇に支えの器具を抱えて立ち上がる。いつものようにゆっくりとした動作で洗面所に入り、顔を洗って出てくると、毎朝きっちり時間通りに来る介護士が、すでに朝食を持って病室に入ってきていた。「おはようございます、関水さん。朝食の準備ができましたよ」介護士が振り向いて声をかけると、蒼空は軽くうなずき、視線をベッドの前に置かれたテーブルの上に移した。朝食はいつも通り、十分すぎるほどの品数だった。蒼空は支えを頼りにゆっくりと歩み寄る。介護士は手際よく食事を並べ終えると、すぐに蒼空のそばへ来て、慎重に彼女をベッドに腰かけさせた。蒼空がスプーンを手に取ったその時、介護士がスマホを差し出してきた。「関水さん、こちらを。先ほど洗面所にいらっしゃる間に、何件もお電話がありました。勝手に出るのはと思って、すべて切れてしまいましたが......」どこか言いづらそうな表情だった。蒼空はスプーンを置き、スマホを受け取る。画面を点けると、未接着信の表示がずらりと並び、その数に思わず一瞬、意識が白くなった。眉がひそみ、ただ事ではないと直感する。すぐに通話履歴を開くと、未明の四時半から小百合、小春、そして学校の先生たちを含む数多くの名前が、十回以上も繰り返し表示されていた。特に小百合と小春からの電話は、四、五十回にものぼる。さらに、見知らぬ番号からの着信も十件以上。時間を見れば、どれも自動的に切れるまで鳴らされていたことが分かる。びっしりと並ぶ電話番号を見つめるうち、蒼空の胸のざわつきが形を持ったように膨らみ、鼓動が速くなる。呼吸まで浅くなった。指先が画面の上で止まり、どれから折り返すべきか迷っていると、本市から遠く離れた都市の番号が新たに表示された。眉がわずかに寄る。これだけ見知らぬ番号が続くということは――以前の経験からして、たぶん......しばらく逡巡したのち、彼女は通話を取ることも、切ることもせずに止まった。そばにいた介護
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第312話

介護士が言葉を終えたその瞬間、蒼空の指先はまだ「ブロック」ボタンの上に止まっていた。その時また、見知らぬ番号が画面に浮かび上がる。今度は最南端の地域からだった。甲高く急くような着信音が、静まり返った病室の中でやけに焦燥を煽る。介護士の眉間に皺が寄り、蒼空は表情を変えず、即座に通話を切り、手慣れた動作でその番号をブロックリストへ送った。「関水さん、どうしてこんなに電話が......?」介護士は小さな声で尋ねた。蒼空はうつむいたまま、黙って残りの未ブロック番号をひとつずつ処理していく。あまりにも多くの不審な着信。傍から見てもただ事ではないと分かる。介護士の胸がざわつき、心臓が無意識に速く打ち始める。どこかで、制御の利かない何かが起きているような感覚に襲われた。彼女は蒼空の顔をじっと見つめ、怯えや動揺の色を探そうとした。だが、蒼空の表情は終始穏やかで、声も静かだった。「別に。ただどっかの暇人が私の番号を見つけて、くだらないことをしてるだけ」その説明に、介護士は一瞬安堵の息をつく。だが次の瞬間、顔色がまた変わった。スマホの画面に、再び見知らぬ番号。蒼空はためらうことなく切り、またブロック。もはや、介護士は彼女の説明を信じきれなくなっていた。「関水さん、何かお困りごとがあるんですか?松木社長から言われてます。もし問題があれば、社長は必ず力になると......」言葉を交わしている間にも、次々と新しい番号が鳴り続けている。蒼空はただ静かに、それをひとつひとつブロックしていく。「大丈夫、いりません」穏やかにそう言う彼女に、介護士は焦りの色を浮かべて言いかけた。「でも松木社長が――」「いらないって言ってる」その一言で会話が遮られる。蒼空はうつむいたまま、無言で次々と着信を処理していく。介護士は、ひとつの番号が切れたと思えば、間髪入れず次の番号が鳴る様子を見て、眉の間の不安を隠せなかった。どう見ても、明らかに悪質な連続の迷惑電話だった。「このことを彼に教えないで」その穏やかな声に、介護士は思わず問い返す。「なぜです?社長に話せば、きっとこの迷惑電話を止めることができます。悪質な詐欺かもしれませんし......お金を騙し取られたら戻ってきませんよ。本当に気を
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第313話

松木社長は彼女の報告を聞いているとき、一言も発しないことが多かったが、介護士はそれでも話を続ける。たいてい十分ほどは話し続けるのだ。時々、彼女自身も不思議に思った。松木社長はどうして蒼空のそんな些細なことまで聞きたがるのだろうと。本当に一つひとつの細事にまでこだわるようで、まるで蒼空に関することなら何でも重大事であるかのようだった。最初の日、介護士は自分の知っていることをすべて話したが、松木社長は何の反応も見せなかった。何を言っても、彼の反応は淡々としていた。そのとき彼女は、自分が余計なことをしゃべりすぎたせいで興味を持たれなかったのだと思っていた。ところが二日目、彼女は意識的に不要な部分を省き、蒼空の気分や足首の検査・回復状況だけを話し、他のことは簡単に触れる程度にした。しかし予想外にも、話し終えた後で瑛司は敏感に違いを察し、「細かいところまで報告するよう言ったはずだ」と低く言った。その声は冷ややかだったが、介護士は電話越しでも心臓を締めつけられるような圧を感じた。思わず胸が跳ね、慌てて細かなことを次々と付け加え、ようやくすべてを話し終えた後に「そうか」と一言だけ返され、そのまま電話は切られた。それ以来、介護士は蒼空に関することを極限まで詳しく報告するようになった。彼女が何粒の米を食べたかまで話すほどに。そしてようやく、瑛司が蒼空を非常に気にかけているのだと、ぼんやりと気づき始めた。口に出すのが下手なだけなのだと。だからこそ、彼女は蒼空に見知らぬ番号の件を瑛司に伝えるよう勧めた。そう考えると、介護士は半歩近づいて言葉を重ねた。「関水さん、松木社長を信じてください。私の知る限り、松木社長は本当にあなたを大切に思っておられます。ただ、その気持ちを口にするのが苦手なだけなんです。もし松木社長に相談すれば、きっとすぐに解決してくださいますよ。これは誰かがわざとあなたの電話番号を漏らしたんです。詐欺の電話がかかってくるのもそのせいです。松木社長に言えば、きっと片づけてくれる」介護士は自分の雇い主のことを少なからず理解していた。松木瑛司――莫大な財産と強大な手腕を持ち、この都市どころか全国的にも名の知れた人物。まさに誰も及ばぬ男。彼女は詳しく知らずとも、心の底から信じていた。松木社
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第314話

そして扉の向こうからは瑠々の艶めいた笑い声と、他の者たちの嘲るような声。今でも、彼らの言葉をはっきりと覚えている。「もう帰ってよ。知らないの?あんたの個人情報が晒されたのは、瑛司が瑠々のために仕組んだことなんだよ。ここに来るのは、自分から傷つきに来てるようなもんだ」そのたった一言で、蒼空は本気で思った。――瑛司のオフィスがある三十五階から飛び降りてしまえばいい、と。血飛沫を散らして、あの人たちを一生怯えさせてやりたいと。彼女はその死で、瑛司の心にわずかでも憐れみや同情を残せるなら、それでいいと思っていた。その時、彼女は瑛司のオフィスの前に立ち、半分開いた窓を見つめていた。足が、ほんの少し、動いた。「ママ......」飛び降りようとする衝動が頂点に達したその瞬間、幼い手が彼女の手のひらを掴んだ。柔らかくて、小さくて、きちんと手入れされたその指先が、彼女の荒れた掌に触れた。心臓が、激しく跳ねた。見下ろすと、涙で潤んだ大きな瞳と、真っ赤に染まった鼻先が目に入った。娘――咲紀の顔だった。蒼空は胸の奥が震え、慌ててしゃがみ込み、まだ三歳の娘を強く抱きしめた。「大丈夫、泣かないで。ママはここにいるわ」娘は彼女によく似ていた。あの眉と目はまるで写し取ったようで、陶器のような肌に澄んだ瞳。こんなにきれいな子が、泣いてはいけない。娘の名前は「関水咲紀」。蒼空が付けた名前だ。咲紀には母親の蒼空しかいない。そして、蒼空にも咲紀しかいなかった。咲紀は母の胸の中にしがみつき、しゃくりあげながら言った。「ママ......もう帰ろうよ。咲紀、ママが悪口言われるのイヤ。ママが泣くの、見たくない。ね、帰ろう?」あの時、蒼空は自分を心底軽蔑した。三歳の娘を残して死のうとしていた自分を、恥ずかしいほどに。彼女は咲紀を抱き上げ、人垣の間を抜けた。そして無言のまま、かかってきた電話番号を一つずつブラックリストに入れていく。唇には、かすかな皮肉の笑みが浮かんでいた。「私は、彼に言うつもりはないので」そう言いながら、蒼空は受信したメッセージを開いた。スマホには迷惑メッセージの自動分類機能があり、見知らぬ番号からの罵詈雑言はすべてそこにまとめられていた。通知も来ていなかったが
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第315話

電話がつながった瞬間、学校の教務主任の怒鳴り声が受話器の向こうから響いた。教務主任は中年の男性で、声はよく通り、高く張り上げられている。口が達者で、勢いもすさまじい。「お前一人の問題で、学校の先生も生徒もどれだけ迷惑を被ってるか分かってるのか?昨日から今日にかけて、電話が鳴り止まないんだ。校長を罵るやつ、教師を罵るやつ、次は生徒を罵るやつまでいる。挙げ句の果てに、生徒の保護者まで一緒に罵られてる!お前のクラスメイトだって、もう何人も嫌がらせの電話を受けてるんだぞ。今も職員室の固定電話に次々と電話がかかってきてる。保護者や生徒からの苦情も山ほど来てる。このまま何もしなかったら、教育委員会に報告するって言ってる。この件をどうやって解決するつもりなんだ?まったく。あいつら、どこで連絡先を手に入れたんだ。関水も、すぐに学校に来なさい。一緒にどうするか話し合うんだ。これは君が引き起こしたことだ。自分で責任を取れ。先生やクラスメイトに罪を被せるな」教務主任の声が抑揚をつけて荒々しく響く中、蒼空は黙って聞いていた。ゆっくりとまぶたを伏せ、膝の上の掛け布団を両手でぎゅっと握りしめる。主任の声が止み、受話器の向こうで息を荒げる音がした。「関水蒼空、聞いてるのか!」蒼空は口を開き、低く言った。「......分かりました」主任の声がすぐさま鋭くなる。「分かったって、何がだ。今日の午後三時だ。校長室に来なさい。この件についてしっかり話し合う。来なかったら、こっちで勝手に処理する」蒼空の声は少し沈んでいた。「はい、分かりました」主任は少し黙り込み、それから言った。「君は学校に感謝すべきだ。別の学校だったら、とっくに退学になってる。わざわざ話し合う機会をくれてるだけでもありがたいと思え」蒼空は小さく「はい」と返すだけで、それ以上は何も言わなかった。主任がふと詰まり気味に息を吐き、嫌味っぽく言った。「みんな君のために解決策を考えてるってのに、その態度は何だ」そう言うと、主任は一方的に電話を切った。画面には、切れたばかりの通話履歴のすぐ下に、また見知らぬ番号の着信が表示された。蒼空は静かにまぶたを伏せる。そばにいた介護士が電話の内容をはっきり聞いていたらしく、眉をひそめて言った。「関水さん、
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第316話

教務主任の態度は、むしろまだ穏やかな方だった。彼が言ったように、もし他の学校だったなら、この件で学校に与えた影響を理由に、とうに退学処分になっていてもおかしくなかった。それでも彼女の学校は、まだ彼女と一緒に問題を解決しようとしてくれている。蒼空は、その裏にある事情をきちんと理解していた。けれど、胸の奥のつかえはどうにも消えなかった。どれほど努力しても、どれほど自分の立場が法や道徳の一線を踏み外していなくても、むしろ正しい側に立っていたとしても――瑛司と瑠々の前では、彼女は何の力も持たず、抗うことすらできない。ただ一方的に、弄ばれるだけだ。しかも、その影響は周囲にまで及んでしまった。それが、蒼空にとって最も無力に感じるところだった。彼女は瑛司と瑠々からの圧力なら自分一人で受け止める覚悟があった。けれど、その負担を他の誰かが代わりに受けるのだけは、どうしても耐えられなかった。良心が燃え盛る炎の上で焦げるように痛み、胸の中で不安と苛立ちが渦を巻く。蒼空はぎゅっと目を閉じ、全身の力が抜けていくのを感じた。この瞬間、あのとき瑛司が言った「その態度がいつまで持つか、見せてもらおう」という言葉の意味を、より深く、鮮明に理解した。蒼空は見知らぬ番号を見下ろし、唇の端を冷たく歪めた。これが瑛司のやり方か。こうして彼女を追い詰め、謝罪へと追い込むつもりなのだ。蒼空は小さく鼻で笑った。彼女はSNSを開き、瑠々の過激なファンたちの醜態をしばらく眺めた。その瞳は、驚くほど静かだった。この情報社会の中で、自分の個人情報を暴露したり拡散したりした相手を突き止めることなど、造作もない。罵詈雑言が並ぶ投稿を、蒼空は表情一つ変えずに次々とスクリーンショットしていった。「関水蒼空の個人番号!毒舌なやつ、遠慮せず来い!」「083XXXXXXXX、関水蒼空の電話番号だ。さあ、みんなで罵れ!罵倒用の言葉無料で配布中、さあ一緒に罵ろう!」「この女、見るだけでムカつく。私が行くよ。罵倒合戦で負けたことなんかないから」「でも電話しても出ない。腰抜けかよ。電話にすら出られないなんて、よほど後ろめたいんだな」「私も何回かかけたけど、ブロックされた。でもメッセージは送ったよ。泣かないでね、慰めてくれる人なんていない
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第317話

蒼空の胸の奥に、冷たい嘲りが滲んだ。どうやら、いつも自分を話題にしてトレンド入りを狙うのが好きな瑠々も、こういう類のことは人目に晒せないと分かっているらしい。自分のファンが一般人を特定して暴走している――そんな汚点は、彼女のイメージには致命的だからだ。瑠々は、常にネット上の自分に関する話題を監視している。この件に気づかないはずがない。むしろ今の彼女は、こうなることを望み、内心ではほくそ笑んでいるのだろう。そして、瑛司。この件にも、彼が無関係だとは到底思えない。蒼空は、再び鳴り出した見知らぬ番号を無表情のまま切り、ためらうことなく電源を落とした。スマホを裏返し、ケースの背に差し込んでいた小さなピンを取り出す。ピンをSIMスロットの小さな穴に差し込み、カチリと押すと、小さなトレイが静かに飛び出した。彼女はSIMカードを抜き取り、ピンと一緒にケースの裏へと滑り込ませた。その様子を見ていた介護士は、一瞬戸惑ったように目を瞬かせる。「それじゃあ、もし誰かが急用でご連絡してきたらどうされるんです?電話、取れなくなりますよ?」蒼空は淡々とした声で答えた。「いいの、これでいい」どれだけ番号をブロックしても、また別の見知らぬ番号から次々にかかってくる。いちいち相手をするくらいなら、カードごと抜いてしまえばいい――そう思った。そう言いながら、スマホをベッドサイドのテーブルに置き、不意に視線を上げる。「そこの旅行バッグ、取ってくれる?」介護士は返事をしてすぐに動き、バッグを取って彼女の足元に置いた。「どうして旅行バッグを?」蒼空はかがみ込み、バッグの中を探りながら短く言う。「少し出かける。ついてこないで」彼女は前から知っていた。介護士が毎日、瑛司に自分の一日の様子を報告していることを。一度、偶然それを耳にしたことがある。介護士の話し方は節度を保っていて、過剰に私生活を詮索することもなかったため、蒼空は特に咎めなかった。だが、もし自分が出かけると言えば、彼女が付き添ってくることは分かっている。一人で行くつもりだ。瑛司にも、介護士にも、行き先を知られたくない。介護士は思わず言葉を失った。「どこへ?足首がまだ治っていないのに......私がついていた方が安心で
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第318話

話が終わると、蒼空の足がぴたりと止まり、背筋を伸ばした。介護士は何か希望が見えたのか、その顔を食い入るように見つめる。蒼空はその手を介護士の手から静かに抜き、横を向いて、冷ややかで穏やかな目で介護士を見た。蒼空の目はとても綺麗だ。黒と白の対比がはっきりしていて、普段は清らかで美しい印象を与える。だがなぜか今、その瞳を見つめた介護士の心臓が一瞬跳ね上がり、鼓動が速くなり、思わず視線を逸らしたくなった。介護士は懇願するように言った。「行かせてください。絶対に――」「あの」蒼空はその言葉を淡々と遮った。「ずっと前に瑛司に言った。世話係なんていらないって。なのに彼はあなたを雇った。あなたが来てからも、私は何も言わなかった。雇われただけなんだから。あなたが毎日瑛司に電話して、私のことをいろいろ話しているのも知ってる。これでも、十分に情けはかけてきたつもりだよ」介護士の表情が一瞬こわばった。「だから代わりに、私を困らせないで。見ての通り、私と瑛司の関係はそんなに親しいわけじゃない。だから、彼に四六時中見張られるのも嫌。出かけるたびに人が付いてくるなんて、そんなのもっと嫌。だから、もう帰って。もう付きまとわないで」そう言うと、蒼空はそれ以上何も言わず、杖をついてエレベーターの方へ歩いていった。介護士は目を見開き、その背中に向かって呼びかけた。「せめて行き先でも......」その声は確かに届いたはずだった。前を歩いていた人たちも振り返るほどだった。蒼空に聞こえないはずがない。だが彼女は何も答えず、歩みを止めることもなかった。背後で、介護士は複雑な表情を浮かべ、眉を寄せて胸を叩きながらため息をついた。どうすればいいのかわからない様子だ。彼女は唇を噛みしめ、スマホを取り出して蒼空の後ろ姿を一枚撮り、そのまま瑛司に送信した。ちょうど昼休み前だったからか、瑛司からすぐに返信が来た。【?】介護士は一瞬呆気に取られた。まさかこんなに早く返ってくるとは思わなかった。いつもなら、何時間も経ってから、すべての報告を終えた頃にようやく短く返信が来るだけなのに。あまり考えもせず、指で不器用に文字を打った。「松木社長、関水さんが外に出ようとしてます。何を言っても、付いて行くなって言われて
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第319話

「なんだ」瑛司の一言に促されて、介護士は周りをきょろきょろ見回し、スマホのマイク部分を手で押さえながら、声を潜めて言った。「今朝からずっとおかしいんです。関水さんのスマホに、知らない番号から何本も電話がかかってくるんです。ほとんどが見たこともない番号で。関水さんに聞いても、はっきり答えてくれなくて......」介護士は警戒するように蒼空の去って行った方角を見やり、もう完全に姿が見えないのを確認してから、ようやく安心して話し続けた。「本当に、次から次へと知らない番号から電話がかかってくるんです。関水さんも着信拒否をしてるんですけど、きりがなくて。あれはきっと詐欺の電話ですよ。お金をだまし取るやつです。でも関水さんはまだ高校生ですよ?そんなにお金を持ってるわけないし、あるとしたらご両親や親戚が苦労して渡したお金でしょう?それをだまし取られたら大変なことになります。だから私、関水さんに早く対処したほうがいいって言ったんです。私も手伝おうと思ったんですけど、いくら質問しても関水さんは何も答えてくれなくて。それで、もう松木社長に連絡してもらうしかないと思ったんです。ずっと説得したんです。でもどうしても松木社長に連絡したくないって。なので代わりにご連絡しました」介護士は一気にまくしたてて、ようやく息をついた。もし蒼空がこの話を聞いていたら、きっと笑っていたに違いない。この時点でも、介護士はあの知らない番号たちを本気で「詐欺電話」だと思い込んでいた。だが、電話の向こうから瑛司の深刻な反応は返ってこなかった。代わりに、どこか淡々とした声が聞こえた。「わかった」介護士は一瞬、耳を疑った。「もっと注意したほうがいいですよ。さっき関水さんがネットを見てたんですけど、あちこちで関水さんの電話番号が拡散されてるみたいで!つまり、たくさんの詐欺師たちが関水さんの個人情報を知ってるってことなんです。警察だって言ってたじゃないですか、人ごとに合わせた手口を作るって。関水さん、危ないですよ。早くなんとかしないと!」「それに、今関水さんは一人で出かけちゃってるんです。誰も一緒にいないんですよ?もしまた詐欺の電話がかかってきたらどうするんですか。まだ学生の子ですよ。ああいう悪い人たちにどう対応できるっていうんです。お金がだまし取られたら
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第320話

介護士はしばらく黙って、相手の返事を待っていた。けれど、電話の向こうからは瑛司の声がまったく聞こえてこない。その沈黙が長く続くほどに、介護士の胸の中は不安でいっぱいになっていく。自分は余計なことを言ってしまったのではないかと、心臓がどくどくと鳴り始めた。唇をきゅっと結び、介護士はそれでも覚悟を決めて言葉を続けた。「関水さん、松木社長のことをあまり信じていないみたいなんです。だから、いくら私が説得しても、どうしても連絡を取りたがらなくて......きっと何か誤解があるんじゃないかと思うんです。ちゃんと話しておいたほうがいいんじゃないですか?だって松木社長は関水さんに会いにも来ないし、電話もしていない。関水さんが『自分なんて気にもかけられてない』と思って怒るのも、無理ないと思うんです」一息でそこまで言ってから、介護士は口をつぐみ、息を殺すようにして返事を待った。電話の向こうはしばし沈黙。その沈黙の一瞬一瞬が、介護士の鼓動を速めていく。瑛司が怒るんじゃないか――そんな不安が全身を覆う。手のひらにはじっとりと汗がにじみ出て、ようやく、重い声が返ってきた。「わかった」介護士はまるで赦されたように、ほっと息を吐いた。「そうですか。では松木社長、私はこれで......」その言葉を言い終えるか終えないかのうちに、電話は切れた。介護士はスマホを握りしめたまま、長い息を吐いた。まだ三十にも満たないというのに、彼から放たれる圧はすさまじい。同じ空間に立っていると、三十歳年上の自分でさえも、思わず背筋が伸びる。あの目を真正面から見上げることなど、到底できない。介護士は頭を振って、自分に言い聞かせるようにため息をつき、病室に戻ってゴミの片づけを始めた。そのころ。病院を出た蒼空は、タクシーを拾って「シーサイド・ピアノコンクール」の臨時運営オフィスへ向かっていた。ここ数日は、小百合がずっとその場所で問題の処理にあたっている。シーサイド・ピアノコンクールの本部はこの市ではなく、南方の都市にある。しかし大会の開催にあたって、数日前にこの街の商業地区内に臨時オフィスを借りたのだった。まだ勤務時間内なので、小百合はきっとそこにいる。病院からオフィスまでは少し距離があり、三十分ほどかかった。臨時
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