All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 321 - Chapter 330

331 Chapters

第321話

その男の言葉はどんどん過激になり、声も次第に大きくなっていった。蒼空はドアの外に立っているだけで、その怒声がどれほど大きいか分かるほどだった。まるでこのフロア全体が彼の声で震えているようだった。オフィスの中は、その男の声以外、まったく音がなかった。そのオフィスは半透明のガラスで仕切られており、蒼空には中に大勢の人が詰めかけているのがぼんやりと見えた。だが、誰ひとり口を開こうとしない。男が突然怒鳴った。「何とか言え!言葉も出ないのか?!俺が聞きたいのは「解決策」だ!黙って俯いてる暇があったら頭使え!上からも俺からも、もう十分に時間をやっただろう!何日もかけて、まだ何の案も出せないのか?!それでも仕事してるつもりか?!」沈黙。バンッ!突然、何かが机に叩きつけられる大きな音が響いた。壁を隔てた蒼空ですら肩を跳ねさせたほどだ。中の人間たちはなおさら、身をすくめていた。「解決策を出せないなら出ていけ!」ようやく、一人が小さな声で口を開いた。「この件......そもそもうちのせいじゃないですよ。他の人間が起こした騒ぎなのに、なぜ俺たちが責任取らなきゃならないんですか」蒼空の胸が一瞬強く脈打つ。一人が話し出すと、ほかの社員たちも次々に不満を口にし始めた。「そうですよ。あれは俺たちがやったことじゃない。関水蒼空が瑠々の盗作を通報したんです。瑠々自身がトロフィーを放棄した。誰もそんなこと強制してない。今の騒動は、二人が起こしたことでしょう?責任を取るなら、彼女たちが取るべきじゃないですか?それに、俺たちの個人情報を晒したのは瑠々のファンですよ。あの人、いまだに何のコメントも出してないくせに、『可哀想』アピールだけは早かった。あのうつ病って話も、本当かどうか怪しいですよね」「関水蒼空も、まだ何の反応もしてない。全部あの人が火をつけたのに、自分は隠れて他人に尻拭いさせて......ほんと、無責任ですよ」「うちは何も悪いことしてない。全員に公平公正に対応した。責められる筋合いなんてない。もしこの問題を収めたいなら、一番早いのは関水蒼空に出てきてもらって謝罪させること。そうすればネットの矛先もそっちに向くし、うちへのプレッシャーも減る」「賛成。今の炎上してる人たちはほとんど瑠々のファン。要は関水蒼空を
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第322話

「そうだ、その通りだ。この件は最初から最後まで関水蒼空と瑠々の問題であって、俺たちとは関係ない。関水に謝罪させるって意見には賛成だが、うちの広報部が代わりに声明文を書くのは反対だ。そもそも俺たちはこの件に関わっていないし、これからも関わるべきじゃない。あの二人で解決させればいい。余計なことに首を突っ込めば、後でまた火の粉が飛んできた時、今度こそ逃げ切れなくなる」皆が次々と賛同の声を上げた。「決まりましたね。誰か蒼空に連絡を取って、本人に謝罪させ――」「私は反対です」蒼空がはっと目を上げる。その声は――小百合のものだった。小百合は落ち着いた声で言った。「瑠々が何を言おうと、その目的がどうであれ、そんなことは目前の問題じゃないわ。彼女が天満菫のピアノ曲を盗作したという事実は動かしようがない。蒼空がその場で瑠々の盗作を明らかにしたのは、正しい行動よ。蒼空は間違っていない。なので謝罪する必要もないわ」小百合の声は静かだが、確かな力を帯びていた。「瑠々が優勝トロフィーを辞退したことも当然よ。シーサイド・ピアノコンクールは昔から『創作性』を最も重視してきた大会。盗作を一切認めない。その彼女が、たとえ決勝で弾いた曲がオリジナルだったとしても、『盗作した』という事実がある以上、優勝者として相応しくない。トロフィーを渡さなかった判断は正しいと、私は今もそう思っている」彼女は言葉を区切り、ゆっくりと続けた。「この件で悪いのは瑠々ただ一人。私たちは間違っていない。蒼空はなおさらよ。彼女は師を想って真実を告げた、勇敢な少女。そんな子がどうして謝らなければならないの?私もそんな結果を決して認めないわ。それこそ馬鹿げてる。あの連中の思い通りになるだけなんだから」蒼空の胸の奥が大きく揺れた。まさか庄崎先生が、ここまで自分をかばってくれるとは思わなかった。どんなに立場が危うくても、先生はなお、自分の味方でいてくれる。小百合の言葉が終わると、オフィスには重苦しい沈黙が落ちた。上司がやがて低い声で言う。「庄崎先生を尊敬していますから、これまではあなたの顔を立てて、関水蒼空にも責任を追及せずにいた。ですが、もう限界です。状況は完全に制御不能になっている。瑠々は世間の同情を得て、ネットでも完全に主導権を握っている。上も社員も、
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第323話

小百合は小さく笑いながら言った。「まったく、あの連中のやり口は見事ね。この件、本来は主催側の責任でも、蒼空の責任でもない。なのにあの人たちはネット世論の力を利用して、巧みに焦点をずらし、罪をすり替えた。本来、悪いのは瑠々――罰を受け、謝罪すべきは彼女のはずなのに、いまや『謝らされる側』がシーサイドと蒼空になってる。いやはや、なんて見事な手だて。思わず拍手したくなるくらいだわ。本来、謝罪すべきは瑠々で、非難されるべきも瑠々なのに、今じゃ彼女が『被害者』扱い。ネット中が彼女を慰めてるなんて、笑わせる。しかもまだネットで同情を買って話題づくり。恥を知らないにもほどがあるわ」「庄崎!」上司が怒鳴った。「自分が何を言ってるかわかってるのか!」歯を食いしばりながら、声を震わせて続ける。「知らないとでも思ってるのか?もちろんわかってるさ。でも口に出せないんだ。瑠々の後ろには松木瑛司がいる。彼は今回のシーサイド・ピアノコンクールの出資者だ。あの人がどれだけ瑠々に入れ込んでるか、見れば分かるだろう?そんな相手をよくも......命が惜しくないのか?松木がその気になれば、我々なんて蟻同然だ。ネットであんなに話題になってる。松木が裏で手を回してるのは、どう考えても明白だ。いいか、瑠々の悪口は二度と言うな。今のタイミングで瑛司が『瑠々と婚約する』って発表したのが、何よりのメッセージだ。『瑠々の味方だ』って、立場をはっきり示した。我々にどうしろって言うんだ?これが現実だ。瑠々に非を認めさせるなんて不可能だ。謝るのは関水蒼空の役目。あの子の後ろ盾は誰もいないんだから」要するに――今この世界で「正しいかどうか」を決めるのは、常識や公正なんかじゃない。瑛司がどちらの側に立つか、それだけだ。瑛司が瑠々の側に立つなら、瑠々が「正しい」。蒼空は「間違っている」。それが覆ることはない。瑛司が蒼空を「間違いだ」と思えば、彼女は間違いになる。蒼空は「間違った側」でいなければならない。そして、謝るしかない。小声で誰かが呟いた。「でもおかしいよ。瑠々が盗作したのに、どうして松木は彼女を庇うんだ?そんなに惚れてんのか?関水は昔は妹分みたいに一緒にいたのに、今じゃ見捨てられて......」「知らないのか?松木と瑠々、高校の
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第324話

部屋の空気が一気に張りつめ、誰もが口を閉ざした。上司は重々しい口調で続けた。「庄崎先生、松木社長はもう上層部に話を通しています。上の意向としては、関水蒼空に謝罪させる。それで事態は収まる。けど、もし彼女が謝らなければ......松木社長の言葉を借りるなら、『この件は終わらせない」、だそうです」蒼空の胸がきゅっと締めつけられた。予感していたとはいえ、実際にその言葉を耳にした瞬間、息が詰まり、喉が乾く。やはり、裏で糸を引いているのは瑛司。覚悟していたはずなのに、現実として突きつけられると、心の奥が痛んだ。小百合は嘲るように笑った。「あの人、蒼空にどう謝らせるつもり?」上司はしばらく考え込んだ末、低く答えた。「具体的な指示はないけど、上の方からは『誠意を見せろ』と。動画を撮って、自分の誤りを認めろと。正しい判断ができず、軽率に行動し、瑠々を誤って告発した――と自白する、と。それをすれば、松木社長と瑠々が手を引くらしい......松木社長は出資者ですからね」「ふざけないで!」小百合が机を叩きつけるように怒鳴った。「瑠々を誤って告発した?そんなわけない!もし彼女が潔白なら、この世に不正なんて存在しないわ!過去に盗作で追放されたピアニストたちを全員呼び戻せっての!」上司の声が苛立ちを帯びる。「庄崎先生、まだ分からないんですか。誰が悪いかなんて、もう関係ない。事を起こしたのは関水蒼空と瑠々、ならその二人で終わらせるべきなんですよ。我々が責任を蒼空に押しつけたら、それで済む話です」「あなたも分かってるはずよ。私は十年以上この業界でやってきて、一番嫌いなのは『盗作』。瑠々が目の前で盗作した時、私は見逃した。それだけでもう限界なのに、今度は蒼空に謝罪させる?悪いけど、それは人として無理よ」小百合の頑なな態度に、上司の表情も険しくなった。「庄崎先生、これだけははっきり言っておきます。上の判断に逆らうなら、もう二度とシーサイド・ピアノコンクールの審査員にはなれないことになります」蒼空の視線が跳ね上がり、両手が震えるほど握りしめられた。小百合の声は、迷いなく響いた。「どうぞご自由に。でも私は、蒼空を無理に謝らせることは絶対にしないわ」蒼空の目が揺れた。胸の奥が熱くなる。小百合はこれまで「心配ない、
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第325話

上司は深くため息をついた。「庄崎先生にとって大した影響はないでしょう。でも、今ここにいる他の職員たちを見てください。彼らは皆、この問題をどうにか解決しようと必死なんです。もし解決できなければ、上の指導部が必ず責任を追及します。多分、この中の何人かはクビになるでしょう。あなたが去っても別の収入源があります。でも、この人たちにはこの仕事しかない。家庭を支え、親や子どもを養っているんです。職を失えば、どうやって生きていけばいいんですか?」上司は声を震わせながら言葉を続けた。「こんなこと言うのは恥ずかしいですが......お願いします。この人たちのために、関水を説得してあげてください。謝罪してくれと。たった一言でいいんです。身体の一部がなくなるわけでもない。ただ一瞬、少し屈辱を味わうだけ。それで全員が救われるんです。関水自身のことを考えてみてください。いまネットでは彼女の悪口ばかりです。もし謝罪すれば、瑠々のファンたちも攻撃をやめるでしょう。もう電話や誹謗中傷も減るはずです。謝れば、みんな丸く収まるじゃないですか。今さら『誰が盗作したか』なんて、そんなことを気にして何になるんです?この社会はそういうものなんです。松木と瑠々が『言葉の力』を握っている。我々には逆らう術なんてないんですよ」上司は苦笑交じりに続けた。「お願いします、庄崎先生。関水に頭を下げてでも頼んでください。この人たちを助けてください。俺には毎月住宅ローンと車のローンがある。子どもは私立に通っていて、学費だって馬鹿にならない。両親も養わなきゃいけないんです。この仕事を失ったら、もう終わりなんですよ。庄崎先生は関水と親しいでしょう。どうか彼女を説得してください。家族のためにも......」小百合は沈黙した。ほかの職員たちも次々に口を開く。「そうですよ、庄崎先生。うちの両親、今も入院中なんです。入院費だけで月の給料が飛ぶ勢いで......貯金ももうほとんど残っていません。仕事を失えば、もうどうしようもなくなるんです」「俺も......あと少しで家の頭金が払えるんです。払えれば来年、彼女と結婚できる。でも、もし払えなかったら......いつになるか分かりません」「庄崎先生、私も......」その声のすべてを、扉の外で蒼空は聞いていた。彼女はゆっく
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第326話

彼女の指先は痺れたようにスマホの画面を何度もタップし、次々と番号をブラックリストに入れていった。また一つ、かかってきた電話を切ったあと、蒼空は風見先生に電話をかけた。今の時間なら、昼休みを終えているはずだと分かっていた。いつもなら彼女が電話をかけると、風見先生はすぐに出てくれる。けれど今回は、呼び出し音が途切れる寸前になってようやく電話がつながった。「蒼空さん、どうかしたの?」風見先生の声はいつも通り穏やかだった。蒼空は言った。「先生、私いま学校の門の前にいるんですけど、門が閉まってて......」学校には先生たち用の宿舎があり、風見先生は普段そこで昼休みを取り、夜になると家へ帰っていた。風見先生はやがて宿舎から出てきて、警備員を起こし、門を開けてもらった。風見先生は眉をひそめ、少し険しい表情のまま、彼女の手首をそっと掴んで人気のない廊下の隅へ連れて行き、小声で尋ねた。「足にギプスまでして......ケガしてるのに休まないで何しに来たの?今、蒼空さんのことを探してる人が多いよ。上の人たちも蒼空さんに対して相当厳しい目を向けてる。そんな中で来るのって、本当に退学させられたいの?」蒼空は口を開きかけたが、風見先生がそれを遮った。「いい?今すぐ帰りなさい。この騒ぎが落ち着くまで学校には来ないの。ケガもしてるんだから、家で大人しくしていれば理由は立つでしょ?蒼空さんは成績がいいんだから、家で自分で勉強してなさい。わかった?」蒼空は唇を結び、真剣な目で風見先生を見つめた。「先生が心配してくれてるのは分かってます。でも、この件は私が引き起こしたことです。だからこそ、私が責任を取るべきで、無関係の先生や同級生が巻き込まれるのは違うと思うんです。もしかして、先生のところにも電話が入ったんですか?じゃなかったら、あんなに時間がかかるはずないです」風見先生の眉間がさらに深く寄った。「そんあことより、蒼空さんはどうしたいの?」蒼空は静かに答えた。「教導主任の先生と約束しました。午後三時に向こう、と。何を言うのか聞いてみようと思います」「駄目よ」風見先生は即座に眉を寄せた。蒼空はそっと風見先生の手首を握り、小さな声で言った。「先生、私を信じてください。必ずこの件を解決します。先生や他の方にも
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第327話

人の行動や言葉、表情はすべて装える。けれど目だけは偽れない。蒼空の瞳は、風見先生がこれまで見てきた中で、いちばん澄んでいた。黒と白がくっきりしていて、まっすぐで、揺るがない。そんな瞳を見た瞬間、彼女はこの生徒を好きになった。証拠があるわけでもないし、深く知っていたわけでもない。それでも、世間が言う蒼空の悪評はすべて虚構だと、心の底から確信していた。あれは中傷であり、真実ではない。だからこそ、周囲の悪意が集まるほどに、彼女は蒼空を守りたくなった。どうしても放っておけなかった。流言に押し潰され、未来を失う姿など見たくなかったのだ。そして今、目の前にいる蒼空の瞳は、初めて出会ったときと同じだった。あまりにも清らかで、揺るぎないその光に、風見先生はついに彼女の申し出を拒むことができなかった。最後に彼女は小さく息をつき、こう言った。「私も一緒に行くわ。もし何かあったら、先生として話すこともできるから」蒼空は少し戸惑ったように黙り込む。その目の奥に、「巻き込みたくない」という思いが見えた。それを感じ取った風見先生は、すぐに言葉を重ねた。「蒼空さんが嫌がっても行くわ。ここは学校よ。先生として、その権利くらいあるでしょ」蒼空が目を丸くする。その仕草が可笑しくて、風見先生の口元に自然と笑みが浮かんだ。普段は冷静で聡明なのに、驚いたときの顔はどこか不器用で愛らしかった。こんなに不器用な子を、放っておけるわけがない。「決まりね。拒否は受け付けません」蒼空は唇を引き結び、静かにうなずいた。風見先生は小さく笑って、肩の力を抜いた。午後三時が近づく。授業中の時間帯で、広い校内には人影がまばらだった。蒼空と風見先生が校長室の前にたどり着いたとき、中から激しい声が聞こえてきた。内容までは分からないが、誰かが明らかに怒っている。早口で、声の調子に苛立ちが滲んでいた。蒼空が軽くノックすると、その瞬間、室内の声がぴたりと止んだ。「入れ」校長室にはすでに何人もの教師がいた。各学年の教導主任や管理職が勢ぞろいしており、部屋の空気は張りつめている。皆、蒼空を見るなり眉をひそめ、無言のまま険しい表情を向けた。その視線には明確な嫌悪と拒絶があった。とくに校長は、彼女を
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第328話

風見先生は蒼空の方を見た。細く華奢な身体が、教師や主任たちに囲まれて立っているその姿は、いっそう小さく、頼りなく見えた。胸の奥がぎゅっと締めつけられるようで、後悔と哀しさが込み上げてくる。やはり、彼女をここに来させるべきではなかったのかもしれない。蒼空は、校長の怒気を正面から受け止めながらも、何も言い返さなかった。ただ静かに口を開く。「この件について、皆さんはどうお考えですか?」校長は手を上げ、教導主任を指さした。「君が話せ。あの顔を見るだけで腹が立つでね」教導主任は数度咳払いをし、「わかりました」と答えたあと、蒼空を冷ややかに見た。その目はまるで被疑者を審問するかのようで、そこに温情の色はなかった。「関水蒼空、この件が君の引き起こしたものだということは、君も分かっているはずだ。我々が君を呼んだのは、事態を収めるためだ」蒼空は落ち着いた声で言った。「はい」確かに、学校側の態度は冷たかった。確かに、ほかの生徒たちからの孤立や中傷も受けてきた。だが過去のそれらは、この件とは無関係だ。今回のことは、確かに彼女自身が招いたものだった。本来、自分ひとりが受けるべき悪意が、瑠々の過激なファンによって、関係のない人々にまで広がってしまった。だから、責任は自分が取らなければならない。その言葉を聞いて、教導主任はようやく少し満足げにうなずいた。「いいだろう。認めたならそれでいい。君も分かっていると思うが、我が校と松木社長とは関係がある。松木社長は校舎を寄付し、奨学金も出してくださっている」主任は続けた。「だから今回の件が起きたあと、我々からも松木社長の意向を伺った」主任の脳裏に、今朝の電話の光景がよみがえる。慎重に時間を選んで、午前十時に電話をかけた。呼び出し音が数回鳴ったのち、すぐに応答があった。「どちら様でしょうか?」と、穏やかで落ち着いた男の声。それが瑛司の秘書だった。主任は頭を低くし、丁寧な声で名乗った。「はじめまして。関水蒼空の通う学校の教導主任です。松木社長にお時間があれば、この件について少しお伺いしたいことがありまして」秘書は静かに答えた。「松木社長は今会議中です。お話は私がお聞きして、あとで報告いたします。どのような内容でしょうか
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第329話

「ご心配いただきありがとうございます。ただ、そこまでお気遣いいただかなくても大丈夫です。松木社長のほうでも久米川さんの感情を落ち着かせるよう努めておられますので、ご安心ください」彼はさらに尋ねた。「関水の件については、うちの学校からも松木社長にご相談したほうがいいでしょうか?ご存じないかもしれませんが、関水の一件で、学校の評判がひどく損なわれているんです。ネット上では『うちは生徒の教育がなっていない』と叩かれ、保護者からも多くの苦情が寄せられています。彼女を処分してほしいという声も強くて......このまま放置すれば、次の学期の募集にも響きます。生徒も保護者も、きっとこんな学校には来たがらないでしょう。それと、関水の引き起こした騒ぎで、彼女の個人情報だけでなく、学校の関係者たちの個人情報まで晒されてしまいました。教師や生徒の情報も流出していて、校長先生までも被害を受けています。昨夜からずっと、見知らぬ番号からの罵倒電話が鳴り止まない状態です。みんな眠れず、保護者の一部はすでに教育委員会へ苦情を入れました。こんな状況なので、当然ながら学校としても厳正に対処しなければなりません。ですが、正直、非常に難しい立場なんです。我々も関水の件をきちんと処理したいとは思っていますが......彼女は松木家の養女でもありますし、どこまで踏み込んでいいのか判断がつかず......ですので、松木社長のお考えをうかがいたいのです。松木社長は、どうお考えでしょうか......?」そこまで言うと、彼の心臓は今にも胸から飛び出しそうだった。胸の奥で激しく脈打ち、握っているスマホの手のひらにも汗がにじむ。秘書のほうからはすぐに返答がなく、代わりに女性の声がかすかに聞こえたが、内容まではよく聞き取れなかった。やがて秘書が言った。「少々お待ちください。松木社長に確認いたします」「わかりました」と、彼は慌てて応じた。そして一分ほどして、再び電話の向こうから声が響いた。「松木社長は――学校の規定に従って処理して構わない、とのことです。ご本人は関与されません」その言葉を聞いた瞬間、彼は大きく息を吐いた。先ほどの一連の言葉は、瑠々を心配しての発言ではなかった。むしろ、瑛司がこの件にどういう姿勢で臨んでいるかを探るためのものだった。
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第330話

学校としては、当然ながら厳正に対処する方針だった。教務主任は口をきゅっと引き結び、背筋を伸ばして腕を後ろに組みながら、細長い目で蒼空を冷ややかに見下ろしていた。その視線には、ほとんど刺すような鋭さがあった。「学校としての考えはこうだ。君には自分のSNSアカウントをすべて公開してもらう。そして、複数のプラットフォームで久米川さんに対して声明文を出すこと。その際、学校とは一切関係がないことを明言しなさい。これはすべて君自身の判断による行為であり、結果についても君ひとりが責任を負う、学校および関係者は一切関係がない――そう明確に述べるように」言われなくても、蒼空はすでにそのつもりだった。学校との関係を切ることくらい、自分でも分かっている。ただ、瑠々への謝罪だけは、どうしても納得できなかった。蒼空は最後まで教導主任の言葉を黙って聞いていた。その表情にも、瞳にも、何の感情も浮かばない。静かで、冷たくて、まるでこの場の出来事が自分とは無関係であるかのようだった。「他に、私がすべきことはありますか」淡々とした声。その冷静さに、教務主任の胸にわずかな痛みが走った。その目の奥に、一瞬だけ哀れみと同情の色が浮かぶ。誰の目にも明らかだった。蒼空と瑠々の騒動――その本質は決して単純なものではない。むしろ、瑠々こそが全ての発端であり、唯一の加害者だった。彼女は巧妙に世論を操り、自分を被害者として演出した。盗作が暴かれた直後、「自らシーサイド・ピアノコンクールの優勝トロフィーを返上する」というニュースを流し、メディアを通して一斉に報道させた。結果として、世間の注目は「盗作問題」ではなく、「トロフィーを手放した高潔な少女」という美談へとすり替えられた。さらに彼女は「うつ病を患っている」と自ら公表し、返上と病の話題を巧みに重ねてみせた。そうして人々の同情を完全に自分の方へ引き寄せたのだ。その陰で、蒼空は何もしていない。彼女は無実だった。にもかかわらず、瑠々の手によって、何度も何度も汚名を着せられ、ネットの中で悪意に晒され続けた。そして今、被害者である彼女が、加害者に頭を下げさせられようとしている。どれほど残酷で、どれほど理不尽な構図だろう。この一連の流れを見れば、少しでも物事を見極め
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