All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 521 - Chapter 530

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第521話

瑠々は一瞬目を瞬かせた。「瑛司?」瑛司は、壁を支えながらふらつく蒼空をもう一度見やり、低く言った。「行きたいなら、勝手に行かせろ」そう言い残し、彼は蒼空を一瞥もせず階段を上がっていく。瑠々は唇を引き、意味ありげな視線を蒼空へと投げてから、足早に瑛司の後を追った。礼都はようやく満足したように、菜々の腕を引いてついていく。後ろの数人も、互いに目を合わせたあと、何も言わずについていった。蒼空は数歩歩いたところで、ふらふらと揺れ、隅の椅子にどさりと腰を落とす。頭を壁に預け、眠りに落ちそうだ。主役たちが去ると、しばしの静けさが訪れたが、やがてまた喧噪と音楽が戻る。人混みの中、数人の男がしばらく蒼空を見つめ、怪しい視線を送ったあと、ようやく視線をそらした。――「松木社長、せっかく来たんだ。飲まないと失礼ってもんだろ?」友人が笑いながら瑛司にグラスを差し出す。「久しぶりに松木社長と奥さんに会えたしな。松木社長は奥さん思いだし、奥さんは飲まなくていい」瑛司はグラスを取り、一息で飲み干した。「さすが松木社長」別の友人が感嘆する。「松木社長、何年も首都に戻ってなかったよな?ずっと海外で仕事だろ?前に会ったの、もう五年前だ。今日はゆっくりしていけよ、帰るの遅くなってもいいだろ?」薄暗い照明の中、瑛司の瞳は深く沈み、短く答える。「ああ」友人たちは声を上げて笑い、空のグラスに次々と酒を注ぎ込む。泡が勢いよく弾け、縁から溢れそうになる。礼都が机を叩く。「おいおい、そんなに注いでどうすんだ。あいつら、この後家に帰るんだぞ?」友人が酒瓶を掲げて言う。「珍しいな、櫻木さんが松木社長を庇うなんて。どうした、性格変わった?」彼らは皆、瑛司・瑠々・礼都の関係を知っている。礼都が舌を打つ。「何言ってんだ。瑛司が酔ったら、瑠々が世話すんだろ?かわいそうだ」その言葉に、笑っていた友人たちが固まる。誰も瑛司の顔を見ようとしない。瑠々は困ったように笑う。「礼都、何言ってるの」友人が気まずそうに笑う。「まあ、櫻木さんの気遣いだな。俺らが無神経だった」瑛司が静かに口を開く。「酔わない」そして、満たされたグラスを取り、また飲み干した。「これくらいで酔うほど弱くない。心
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第522話

瑠々はグラスを持ち上げ、友人と軽くぶつけた。「ありがとう」瑛司は今日、機嫌があまり良くない。言葉はほとんど発さず、酒だけは途切れない。ボックスの空気こそ和やかで、友人たちが必死に話題を繋げて盛り上げようとしていたが、その隣に座る瑠々には、瑛司の微妙な心の揺れがはっきりと感じ取れた。思い当たる節がある。──あの蒼空と顔を合わせてから、彼の気持ちは変わり始めた。胸の奥が重く沈む。どうしても、二人の間に再び火がつく可能性を否定しきれなかった。もちろん、自分こそが彼の一番だという自信はある。けれど、男という生き物の本能は、心の中に何人もの女を住まわせてしまうものだ。それが、瑛司ほどの容姿と財力を持つ男なら、なおさら。見れば、女なら誰だって心が動く。思い返すのは、あの部屋で二人きりでいた時、蒼空が彼にピアノを弾いていた光景。胸の奥で火が噴く。五年。あれほど長い時間が経てば、いくら想いがあったとしても冷めていると思っていた。それなのに、蒼空はまだ曖昧なまま。そして瑛司もまた、曖昧な態度を崩さない......もし蒼空がこの考えを知れば、きっと「誤解だ」と叫ぶだろう。家の恥は外に漏らすものじゃないと分かっている。それでも、誰かに吐き出したくなる。だが、留学や海外勤務で仲がいい友人は皆遠くにいる。身近で話せるのは礼都くらい。しかしこの話題を礼都にしたら、あいつが瑛司と揉めるのは目に見えている。そんな結末、望むわけがない。――全部、蒼空のせい。首都にいればよかったのに。何で戻ってきたの?怒りを胸の底に押し込み、瑠々はワインをひと口飲んで言った。「瑛司、ちょっとお手洗い行ってくるね」「早く戻れ」「ええ」だが、出た瑠々が向かったのはトイレではなく、階段の方。蒼空を探すために。階段口で少し目を巡らせると、すぐに見つかった。店の隅、椅子にもたれ、うつらうつら眠る蒼空。頬は赤らみ、唇は少し開いて、壁に頭を預けて静かに眠っている。周りには、妙な目つきで彼女を眺めている男たち。瑠々の目が細くなる。ゆっくりと手を伸ばし、蒼空の顔へと指が近づく──その瞬間、蒼空はふっと目を開けた。ぼんやりした瞳のまま。「誰......?」瑠々
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第523話

蒼空は目元をこすり、ぼんやりした声で言った。「......何言ってるの?」瑠々は歯を噛みしめる。「とぼけないで。あんた今は正気でしょ?演技はやめてよ、気持ち悪い」蒼空は苛立ったように眉をひそめ、声を上げた。「何よあなた、さっきから何言ってるのか全然分かんない!」瑠々はさらに一歩近づき、蒼空の襟元を掴んだ。「あんた――」「瑠々」背後から瑛司の声が届いた瞬間、瑠々の体がびくりと固まり、掴んだ手がぎこちなく離れた。蒼空は無理に引っ張られた勢いでバランスを失い、椅子から落ちて床に倒れ、低くうめき声を上げる。瑠々の額に冷や汗がにじみ、慌てて蒼空を抱き起こす。彼女は優しい声を作り、「ほら、ゆっくり」と言った。蒼空は太ももをさすりながら、不満そうに瑠々を見上げる。「おかしいな。あなたさっきまで......」「蒼空」瑠々はすぐにその言葉を遮り、バーテンダーに水を頼んで手渡す。「しんどいでしょ?お水飲んで、少し休んで」蒼空は状況もよく分からないまま水を受け取り、瑠々に手を添えられながら何口か飲んだ。「何があった?」瑛司はすでに近くまで来ていた。瑠々は唇を引き、困ったように笑う。「ずっと心配だったの。女の子が一人で酔ってるなんて危ないでしょ?トイレから出てきたらここで暴れてて......私、ずっと宥めてたの」瑛司は短く相づちを打ち、視線を蒼空に向ける。蒼空は隅の椅子に座り、コップを両手で持ちながら、ちびちびと水を飲み、時折おずおずと瑛司の表情をうかがっていた。表情がころころ変わり、妙に無垢だ。瑠々は小声で聞く。「瑛司、送ってあげた方がいいかな。一人でここに置いておくのは......」瑛司は何か思い出したように顎を少し上げ、冷たく言う。「そんなことするよりあいつの男に電話しろ」瑠々は目を輝かせて笑った。「分かった」その言葉が終わる前に、蒼空が突然勢いよく立ち上がり、コップを持ったまま二人を怒りの目で睨んだ。「帰らないって言ったでしょ!」蒼空は重く鼻を鳴らすと、振り返ってバーの台にコップを置く。「もう大丈夫だから!返す!」そう叫んでからくるりと背を向け、ヒールをコツコツ鳴らしながら駆け出し、ダンスフロアの人波に飛び込む。激しい音楽と人混みの中へ
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第524話

瑛司は何も言わず、表情も崩さない。菜々は眉をひそめ、ぐったりしている礼都を嫌そうに見た。「ねえ、礼都、まさか私にあなたを連れて帰らせるつもりじゃないよね?」礼都は眉と目元を手で覆い、返事をしない。菜々は苛立って足で軽く蹴ったが、それでも反応なし。菜々は大げさに目を白く剥いた。「お手洗い行ってくる。その間に倒れて死なないでよね」まず同じフロアのトイレに向かったが、個室が全て塞がっていて、しばらく待っても誰も出てこない。彼女は舌打ちし、階段を下りた。階段を下りきった瞬間、誰かが突然飛び出してきて、危うくぶつかりそうになる。菜々は一歩下がってギリギリ避け、辛うじて接触を避けた。危うく悪態をつきかけ、なんとか飲み込む。睨むように視線を向けると、そこにはさっき階段のところで見かけた女が、へたり込んで肩で息をしていた。呼吸が異常に荒い。髪は乱れ、顔を伏せている。菜々はしゃがみ込み、顔を覗き込んだ瞬間、表情が固まり、眉が寄った。――この顔、知ってる。骨になっても見間違えない。遥樹の「今の彼女」――蒼空。そう、絶対に間違いない。蒼空じゃなければ、今頃自分が遥樹と婚約してたかもしれないのに。菜々は唇を噛み、悔しさと怒りで蒼空を睨む。最悪。なんでこの女までここに?頭が痛くなる。しかもよく見ると、これはただ酔ってるだけの状態じゃない。呼吸も乱れて、服も髪もめちゃくちゃ。明らかに薬でも盛られたような様子。本来なら助けるべき状況だ。ホテルに送ってやるくらいの気持ちも、さっきまではあった。だが、相手が蒼空なら話は別。恋敵を助ける義理なんてない。ここに置いておけばいい。何が起きても関係ない。踵を返して歩き出しかけたが、ふと視線の端に、数人の男たちがいやらしい目で蒼空を見ているのが映る。菜々は歯を食いしばり、勢いよく足を進め......そして止まる。顔を歪め、両頬をパシッと叩く。――恋敵を助けたわけじゃない、自分は「恩を売っている」だけだ。自分に言い聞かせ、しぶしぶスマホを取り出す。「今回だけ。次は絶対助けない。マジで」震える指で、固定ピンのついた遥樹のチャットを開き、メッセージを送る。【バー・ディスティニー。関水が酔ってる。一人で友達
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第525話

スマホをしまった直後、ポケットの中でメッセージ通知が立て続けに鳴った。何度か音が続いたあと、電話の着信音が響く。見なくても、菜々には分かっていた。遥樹からだ。蒼空のこと以外で、あいつがこんなに連絡してくるわけがない。悔しくて、今にも足踏みしそうになりながら、彼女はスマホの電源を切った。部屋に戻る途中、床やソファにぐったり倒れて寝ている男たちをぐるりと見回す。この個室でまともなのは瑠々だけだ。礼都ですらソファに仰向けでもたれ、寝ているのか目を閉じているのか分からない。菜々は露骨に眉をひそめた。――この程度で松木社長を酔わせようなんて、笑わせる。元の席に腰を下ろし、ふと何か思いついたように視線を動かすと、そっと瑠々に身を寄せ、小声で尋ねる。「お義姉さん、松木社長ってどこ行ったの?」瑠々は柔らかい目で答える。「電話しに出ただけよ。何か用?」菜々は唇を噛み、目に小さな企みを浮かべた。「用ってほどでもないんだけど、ちょっと聞きたいことがあって」瑠々はくすりと笑い、指先で菜々の頬を軽くつまむ。「なに?」菜々の目がぱっと輝く。「階段のところにいたあの女の人、みなさんとどういう関係なんです?あんまり仲良くなさそうでしたけど」瑠々の笑みがほんの少し薄れる。「知り合いよ」菜々はさらに身を寄せ、小声で囁く。「みんな、すごく嫌ってる感じでしたけど?彼女は何かやらかしたの?」瑠々はまつげを伏せ、目の奥に陰を宿す。言いかけてやめ、小さく息を吐いた。「知らないほうがいいわ。本当に......酷い話だから」その言葉に、菜々はむしろ好奇心を燃やす。「私、知りたい」瑠々は答えず、逆に問い返す。「菜々も彼女のこと知ってるの?あまり好きじゃなさそうね」菜々は眉をひそめ、溜まりに溜まった不満を吐き出す。「知ってるどころじゃないよ!あの女って......」そして、蒼空と遥樹のことを、何もかも洗いざらい話してしまった。瑠々は心の中で鼻で笑う。――この子、本当に世間知らずな箱入り娘ね。少し突けば全部しゃべる。扱いやすいこと。だが「遥樹」という名を聞いた瞬間、わずかに動きを止めた。「遥樹って......首都の時友家の子?」「そうよ」菜々はむっとした顔で言う。
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第526話

「それでね、ある日たまたま松木家に行ったとき、瑛司がまだ私のことを好きだって知って、すごく嬉しくて」瑠々の頰がわずかに赤く染まる。「その日、瑛司の部屋に入ったんだけど、ベッドの下から蒼空が書いた告白の手紙を見つけちゃって。瑛司はそれを知っても怒らなかった。ただ『そんな気持ちは捨てたほうがいい』って言って......蒼空の前で私を抱きしめてくれたの。それで蒼空も分かってくれると思ってた」聞けば聞くほど、菜々の顔には怒りが満ち、今にも割って入りそうな勢いだが、瑠々の言葉を遮りたくはないという表情だ。瑠々は続ける。「でも、正直私も瑛司も、蒼空が本当に分かってたのかどうかは分からないの。だってその後もずっと瑛司に執着してきて、手放そうとしなかった。私と瑛司が婚約するって知って、しかも私が瑛司の子を妊娠してるって分かったあとでも。瑛司は距離を置いて、冷たく接したけれど......全部無駄だった」菜々はもう怒りで言葉が追いつかない。「やっぱり関水なんて......お義姉さん、そのあとは?」瑠々は唇を引き結び、淡々とした声で続ける。「困っていたのは私と瑛司だけじゃない。松木家の人たちも同じよ。みんな私たちの関係をちゃんと認めてくれて、早く結婚しなさいって言ってくれた。けど賛同できないとは言え、松木家のみんなは彼女の思いを否定出来なくて、責めることもできなかった。ただ『目を覚ましてほしい』と思ってたの。でも、こんなことしても何も変わらなかった。瑛司はもう限界で、松木家も耐えきれず、ついには蒼空を外に出すことになったの。瑛司と顔を合わせないようにするためよ。でも、それでも状況は良くならなかった。外に出ても、彼女はしつこく絡んできて、問題ばっかり起こして......最後は松木家も手に負えなくなって、縁を切るしかなかったの。縁を切ってから、やっと私と瑛司は落ち着いたのに......今はこうして、また戻ってきた。私たちが結婚して五年、子どもまでいるって知ってるのに、また絡んでくるのよ。もう、何と言えばいいのか......」もし今の話を蒼空が聞いていたら――濡れ衣だと叫ぶどころでは済まない。名誉毀損で即訴える勢いだろう。話を聞き終えた菜々は、もはや怒りで顔が真っ赤だ。「やっぱり!関水なんてろくな女じゃない!昔からそんなことしてた
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第527話

瑠々がそっと声を落とす。「どうしたの?」菜々は眉を寄せた。「さっき下に降りたとき、あの女が酔いつぶれてまだバーにいたの。危ないなって思って、遥樹に連絡して迎えに来てもらうようにしたの」画面いっぱいに並ぶ、遥樹からのメッセージと着信。菜々は自分に腹が立って仕方がなく、今すぐ過去に戻ってあの瞬間の自分を殴り倒したい気分だった。「もし最初から関水がこんな人間だって知ってたら、絶対あんなことしなかった。死のうが生きようが、あんな女に構うもんですか」瑠々は穏やかに言った。「来てもらって正解よ。あとで遥樹にちゃんと話せるじゃない。これでもう騙されずに済む」菜々は勢いよく頷く。「そうだね!今すぐ降りて彼を待ちましょう」瑠々の視線がふと別の廊下の奥に向かった。眉が少し寄る。瑛司、電話長くない?考える暇もないまま、菜々に腕を掴まれて連れられていく。「触らないでって言ってるでしょ!どいて!離しなさいよ!」「いい子にしなよ。気持ちよくしてやるって。な?ちょっと口貸して」角の方で女の叫びが漏れたが、通り過ぎる客たちは慣れた様子で気にも止めない。ここは大人のバー。毎晩こういうことは起きる。今のも恋人同士のじゃれ合いかもしれない。余計な首を突っ込む必要はない。みんな少しだけ興味本位で耳を傾けたが、すぐに立ち去った。盗み聞きするほど暇じゃない。ただ一人、男が角で足を止めた。その顔つきは一瞬で冷え切り、陰鬱で鋭く、まるで剣の刃のような視線がその先を射抜いた。蒼空は全身に力が入らず、ほてりに包まれ、額も肌も細かな汗で濡れていた。目は霞み、頬は赤く、唇は熱を吐くように開いていた。眉が苦しげに寄り、見知らぬ男に追い詰められるように後退しながら、腕を力なく振り払う。「......どいて、触らないで......」男はいやらしく笑い、両手で彼女の手首を壁につけて押さえつけ、首筋に顔を寄せて香りを吸い込む。蒼空は力が抜け、抗う術もなく、耳元で男の声がいやに大きく響く。「ほんといい匂いだな。今夜は可愛がってやるよ」蒼空は歯ぎしりした。「離して」男は嘲るように笑い、髪を掴んだ。痛みに顔が歪む。「戻ってくるとは思わなかっただろ?あの男に蹴られた分、全部お前で払ってもらう。
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第528話

瑠々は唇を噛んだ。菜々が焦った声で言う。「松木社長、騙されないで!あれ絶対に演技だよ!」「いいのよ、菜々」瑠々は菜々の腕をそっと引き、柔らかく微笑んだ。「瑛司、先に彼女を病院へ送ってあげて。私たちは先に戻るから」瑛司の眼差しが少し柔らぐ。瑠々の頭を軽く撫でた。「行ってくる」瑠々は小さく頷く。「うん」「ダメだよ!送っちゃダメ!」菜々は顔を真っ赤にして叫ぶ。「そういうことなら私が......!」あまりの声量に、朦朧としていた蒼空の頭が一瞬だけ冴えた。自分たちの言葉が耳に入り、軽く舌打ちすると、瑛司の手を振りほどいて数歩下がる。頭を押さえて息を整えた。「いい。自分で行くから」瑛司が眉を寄せ、彼女の手首を掴んだ。「何のつもりだ」蒼空は目を閉じ、力任せに手を振り払う。「自分で行ける」目を開けたとき、もう彼を見ていなかった。壁を支えに歩き出す。背後から低い声が追いかける。「誰に薬を盛られた」蒼空は足を止めた。振り返らずに呟く。「もう分かってるのくせに」「そんな可能性はない」「自分の目で見たでしょう」「それがどうした」「別に」二人の会話を聞き、菜々は混乱していた。何の話か全く分からない。だが瑠々の胸が瞬間きゅっと縮まる。いやな予感がする。蒼空はうつむき、声がかすれる。「どうせあなたは信じない。もう慣れた」そのまま去ろうとした瞬間、また手首を掴まれる。「蒼空」瑛司の声。「もう芝居はやめたのか?」蒼空はわずかに眉を寄せる。彼の意図が分かる。再会した時から、あえて距離を置いていた。冷たく、他人のように。つまり、また前みたいに戻るつもりかと言いたいのだ。蒼空は低く答える。「くだらない」瑛司の声が重くなる。「五年経ったのに、まだ子供みたいに拗ねてるのか」蒼空は勢いよく手を振り払った。鋭い目で彼を捉える。「誰が水を渡してきたか、あなたは見てたでしょ。目の前で。それでもまだ見ないふり?」「蒼空。まずは病院だ」「自分で行く」瑠々の心臓が跳ねる。あの水?思い出すまでもない。さっき自分が渡したコップ。胸が締め付けられ、急いで声を上げる。「蒼空、それは誤解だよ!
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第529話

瑛司の声が低く沈んだ。「蒼空」「何してるの?」混乱の中、遥樹の声が遠くから勢いよく近づいてきた。足音も荒く、怒りを含んでいる。「こいつから離れろ!」蒼空が顔を上げると、遥樹の表情は酷く険しく陰鬱で、今まで見たことのないほど沈んでいた。蒼空はその顔を一目見ただけで、胸の奥が震えるような感覚を覚える。遥樹は拳を振り上げ、冷たい怒気を帯びたまま瑛司の顔に向かって叩き込もうとした。瑛司は眉を動かし、蒼空の手首を放してから身を引き、その拳を避けた。拳が空を切ると、遥樹はそのまま蒼空の肩を抱き寄せ、彼女を引き寄せた。「蒼空、大丈夫か?」遥樹の手が蒼空の肩を支えている。蒼空は元々ふらついていたうえ、瑛司とやり合っていたせいで気が緩み、さらに目の前が霞む。俯きながら、息を何度か整え、「......早く病院に連れて行って」と言う。「何があった」遥樹の声が焦りを含む。「薬を盛られた......今はほんとうに、きつい......はやく病院に......」蒼空はその場に立ったままよろめいた。遥樹の表情がさらに暗くなり、周囲を鋭く見渡す。「誰がやった?」その視線が瑠々の上をかすめる。瑠々は喉を掴まれたような息苦しさを覚え、身体が固まる。蒼空は手を上げ、遥樹の腕を掴んだ。「後で......先に病院」遥樹は一瞬だけ菜々に視線を止めたが、蒼空の声を聞くとすぐに戻した。「わかった」そう言うと、遥樹は身を屈め、蒼空を横抱きに抱き上げた。瑛司の目がわずかに沈む。菜々は目を見開き、慌てて駆け寄った。「だめだめ!」彼女は遥樹の前に立ち塞がり、頬を真っ赤にしていた。「遥樹、だめだよ!」遥樹は口を固く結び、「退け」「本当にだめ!遥樹は知らないだけだよ、この女が何をしてきたか!だから連れて行っちゃだめ!」菜々は声を上げる。抱えられた蒼空の体温はさらに高くなる。蒼空はいつも誇り高く、弱みを見せない女だった。だが今は力なく彼の胸に身を預けている。今の遥樹の心境は誰にも理解できない。彼の目つきは暗く沈みきっていた。「どけ」菜々はその目に気圧されつつも、必死に言葉を吐く。「遥樹はそんな女のために私に怒るの?彼女のために?おじいさまが知ったら、絶対に
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第530話

遥樹の口から、冷たくその一言が吐き捨てられた。菜々は呆然とした。遥樹は、こんなふうに彼女に怒鳴ったことがなかった。一度も。こんな鋭い目つきも、こんな冷たい表情も、こんな声も。けれど腕の中の蒼空に対しては、彼はひどく優しい。時折、彼女の様子を気にしてそっと視線を落としながら。心配で仕方ないから、眉間はずっと寄ったまま緩むことがない。そんなこと、これまで一度も彼女に向けられたことはなかった。――本気で好きで、心から大事に思っているからこその態度。菜々は壁際まで追い詰められ、背中をぴたりと壁につけたまま、呆然と遥樹が蒼空を抱いて去るのを眺めていた。長い間その場に立ち尽くし、遥樹の背中が完全に消えても、視線は戻らなかった。「菜々、大丈夫?」瑠々の声に、菜々はようやくぎこちなく首を回し、ゆっくりとうつむいた。涙が落ちる。菜々の声は震え、悔しさに滲んでいた。「どうして、あんなことをするの......?」瑠々が近づき、そっと肩に手を置く。菜々は悔しさと怒りに満ちた目で瑠々を見上げ、必死に同意を求めるように言う。「お義姉さんも、ひどいと思うよね?なんで遥樹は蒼空を庇うの?あんな女なのに、どうして好きになるのよ。もう、彼のことなんて嫌い!ひどい、なんであんなに怒鳴るの......」「落ち着いて、菜々」瑠々は静かに言った。菜々は腕を抱きしめたまましばらく泣き、瑠々はずっと側で慰め続けた。ようやく菜々は落ち着いたが、目はまだ赤かった。その夜は、混乱と不安のまま、眠れぬ夜になるのが決まっていた。酔った友人たちと菜々を家へ送り届けたあと、瑠々は瑛司とともに帰路についた。道中、瑠々はずっと黙っていて、指で自分の手のひらをぎゅっと掴んでいた。瑛司は車に乗ってからずっと無言で、シートに寄りかかり、目を閉じたまま。瑠々は考えれば考えるほど胸がざわつく。蒼空は薬を盛られ、そのあと自分が渡した水を飲んだ――そう言われれば繋がってしまう。さらに蒼空は、自分だと断言した。不安が胸をかき乱す。そっと顔を向け、瑛司の表情をうかがう。「......瑛司は私のこと、信じてるよね?私が蒼空に薬なんて盛ってないって」疑われるのが怖いけれど、それでも彼は自分を責めたりしないと信じてい
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