All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 531 - Chapter 540

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第531話

ふいに、瑠々の胸の奥に不安が広がり始めた。瑛司が今どう思っているのか、彼の態度が読めない。自分を責めているのか、疑っているのか――わからない。何より衝撃だったのは、彼が昔のように即座に自分の味方には立ってくれなかったことだ。よく考えれば、瑛司は本当に疑っているのかもしれない。蒼空のために――彼女を。瑠々は指先を握りしめた。「わからない。蒼空が勘違いしたんじゃない?あの水じゃなかったのかも」瑛司は目を開け、彼女に視線を向けた。静かで、深い黒い瞳。「まず、病院だ」瑠々は指をぎゅっと縮め、うなずく。「そうね、蒼空の様子を見に行きましょう」無理に微笑みを作る。「でも、どの病院?」瑛司は迷いなく病院名を口にした。瑠々は小さく息を呑む。「どうしてわかったの?」「店から一番近い。遥樹は焦っていた。だから他に選ぶはずがない」「......そう」――遥樹が取ったのは特別個室の病室だった。静かで、遥樹が出入りする音だけが響いている。蒼空は点滴を受けながら横になり、遥樹が渋い顔で湯を替えたり点滴の様子を確認したりしているのを見て、くすっと笑った。「そんな顔しないでよ。別に死んだわけじゃないんだから」その言葉の一部に反応して、遥樹は即座に眉を吊り上げる。「まだ言うか」蒼空は唇を結び、黙りますって感じで目を伏せた。遥樹は立ち上がり、腰に手を当てる。「お前に振り回されるばかりだ。こんな夜中なのに病院に来るなんて」「はいはい、ごめんってば」「謝って済む話じゃない!」遥樹は苛立ち、今にもベッドから引きずり下ろしそうな勢いだが、けれどできない。できるはずがない。指さす勢いで言い募る。「お前、仕事を放り出して、家にも帰らず、寝もしないで一人でバー行って飲んで、挙句薬盛られて......お前さ、一体どこまで俺を怒らせる気?」蒼空は視線をそらし、「......ごめんね。面倒かけて」と小さく言った。遥樹は眉を寄せる。「その態度改めろ。軽く流すな。お前は薬盛られたんだぞ。俺が少しでも遅かったらどうなってたか、わかってんのか。泣いても遅いんだぞ!」「ごめんなさい、もうしません。本当にわかったから、もういいでしょ」蒼空は点滴していない方の手で耳をふさぎ
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第532話

遥樹が眉を上げた。「もうわかったのか?」蒼空はぱちぱちと瞬きをした。下薬の話題になると、遥樹の顔はまた不機嫌になる。「そいつ知り合い?今もバーにいるのか?」蒼空は少し考える。「んー......知り合いと言えば知り合い。今はバーにいないよ」遥樹の声が沈む。「なら急がないとな」蒼空が問う。「何する気?」遥樹は立ち上がり、冷たい笑みを浮かべた。「決まってんだろ。ぶっ飛ばすんだよ。時間かけたら逃げられる」蒼空は鼻先を掻き、小さく言う。「放っておいて。自分で何とかするから」遥樹は舌打ちし、肩を押して彼女をベッドに倒した。「病人はちゃんと休め。強がるな。誰がやったか俺に教えてくれればいい」蒼空が口を開きかけたとき、ノックの音が響く。蒼空はそっと息をついた。「看護師さんかな。開けて」扉が開く。だが入ってきたのは看護師ではなく、瑛司と瑠々だった。蒼空の眉がわずかに動く。遥樹は不機嫌なままドア枠に手を置き、二人の前に立つ。「何の用?」瑠々は柔らかく笑う。「蒼空のお見舞いに来たの。彼女、大丈夫だった?」遥樹は鼻で笑う。「平気だよ。もう見たなら帰れ」追い返す気満々。瑠々の笑みが少し薄れ、困ったように瑛司を見る。瑛司は遥樹とほぼ同じ目線で、深い黒い視線を蒼空に落とした。低く名を呼ぶ。「蒼空」遥樹は相変わらず気怠そう。「松木社長、ここは俺のテリトリーだ。こいつに用あっても無駄」瑛司は冷たく一瞥し、そのまま蒼空を見据える。遥樹はほとんど笑い出しそうだ。「お前――」「遥樹」蒼空が遮った。「入れてあげて」遥樹は噛みしめるような声。「蒼空?」蒼空が目で合図する。「外で待ってて。少し話すよ」まるで爆発寸前の表情。顔色が青かったり紫だったり忙しい。それでも遥樹は出ていき、わざわざ扉まで閉めた。病室には三人だけ。瑠々は優しく歩み寄り、ベッドの端に腰を下ろす。「蒼空、体は大丈夫?」蒼空はじっと彼女を見る。澄んだ黒い瞳に、冷えた光。静かに言った。「あなたが薬を仕込まなかったら、私は入院することもなかったのでしょう」雷のような言葉。病室が一瞬で静まる。瑠々の表情が固まる。無理に笑った
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第533話

なんで、あんなタイミングよく蒼空が薬を盛られて、しかも瑛司に見られたのか。すべてが「偶然」過ぎて、その「偶然」が彼女を容疑者の席に押し込んでいた。言い訳ができない。昔なら、何があっても、瑛司は必ず彼女の味方だった。けれど今回は、最初に自分の側に立ってくれなかった。瑠々は、生まれて初めて「濡れ衣」の苦しさを骨身に感じた。一瞬、本気で疑った。――もしかして蒼空が仕掛けた罠なのでは、と。そうでなければ、こんなに全てが噛み合うなんておかしい。蒼空は半身を起こし、冷えた目で静かに構えている。瑠々が言い終えると、蒼空は口元をかすかに上げ、瑠々の手をそっと振りほどいた。「信じてるよ。だから分かる。仕込んだのは久米川さんだって」瑠々の声が跳ねる。「違うの!」瑠々は立ち上がり、深呼吸した。「私を信じないなら調べればいい。証明するよ、私が無実だってことを」蒼空はうつむき、くすりと笑った。「調べる必要ない。どうせ何も出ないでしょ」瑠々は眉を寄せる。「どういう意味?」蒼空はうつむいたまま、近づく足音を聞いた。黒い革靴が視界の端に入る。頭上から瑛司の声。「蒼空、瑠々が薬を盛った証拠はない」蒼空は顔を上げ、深い眼差しを見返し、冷笑した。「さっきあの水を調べさせましたよね?そろそろ結果が出てる頃じゃないですか?松木社長」瑠々の目が揺れる。瑛司の目が細くなる。その時、静かな病室に着信音が鳴り響いた。瑛司の電話だ。蒼空は言葉を閉じ、顔をそらして窓の夜景を見つめる。話す気はないという無言の態度。ガラス越しに、瑛司が電話を取る姿が映る。電話の声はぼんやりとしか聞こえない。少しして、瑛司が電話を切る。瑠々が小声で尋ねる。「お仕事?忙しいなら戻って。ここは私が――」「違う」短い返答。蒼空の視線がガラス越しに瑛司とぶつかる。彼の影がこちらを見ていた。何かを感じ、蒼空は顔を戻す。瑛司は淡々と言った。「水から興奮作用の成分が検出された」言葉が落ちた瞬間、瑠々の目が大きく見開かれ、顔色がさらに白くなる。「そんな......ありえない。私じゃない。本当に何も入れてないの!」呼吸が乱れ、言葉が途切れ......すぐに焦った声。「マスタ
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第534話

しばらくして、瑛司が言った。「だが、確かに彼女がやったという証拠はない」蒼空は顔を上げ、微笑みながら瑛司を見つめた。「分かってますよ。松木奥様に関わることなら、五年前のあの頃と同じように、結局何の結果も出ないってこと」瑛司の表情に、ようやく変化が現れた。病床の女性は痩せており、ゆったりした病院着に包まれてさらにか弱く見える。薬を盛られた影響で、顔色は依然として青白く、唇は血色がなく乾燥している。長い髪は後ろに垂れ、頬の髪の毛は耳の後ろにかけられ、整った小さな顔がより目を際立たせていた。病院の白い光が差し込み、彼女の瞳は水をたたえたように輝き、まるで泣きそうだった。瑛司は突然、彼女と視線を合わせる勇気がなくなる。しかし蒼空は、彼の目をそらす前に言った。「五年前も、あなたはこうでした。五年経っても、なにも変わらない」瑛司は眉をさらに深く寄せる。蒼空の口調はあえて軽やかに装っていた。「まさか、私のことを心配してます?」瑛司は無言。蒼空は笑った。「大丈夫ですよ、五年前から慣れてるので。経験を重ねると、悲しいという感情も感じなくなるものです」蒼空の一言一言は、瑛司と瑠々の行動を辱める釘のように突き刺さる。さらに、病床で点滴を打たれ、無力さと諦めを漂わせる蒼空の姿は、瑠々の罪をより確実に印象づける。瑠々は歯噛みしながら蒼空の言葉を聞き、今すぐにでもその口を塞ぎたくなる。五年前、彼女は蒼空にたくさんの理不尽を押し付けた。今度は、その順番が回ってきた。心をえぐられるような感覚に、瑠々は耐えられなかった。瑠々は静かに言った。「今の蒼空は辛くて、冷静になれないかもしれないけど、お願い私を信じて。私は本当に薬なんて盛っていないの」蒼空は軽い口調で返す。「私は無力な一般人ですからね、お二人に逆らう力すら持てません」瑛司は低い声で言う。「だからさっきも――」蒼空が口を遮った。「証拠がない、って言いたいでしょ?」そして瑛司に向かって微笑む。「言いたいことは分かってますよ。松木社長もこれ以上追及しないでしょう?」瑛司は彼女を見つめた。「五年経って、ずいぶん成長したな」蒼空は軽く笑った。「成長しても無駄だったのようです。この件に関しては、やはり私の力不
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第535話

まさか瑠々は、一度出て行ったのにまた戻ってきて、遥樹が病室に入ろうとした瞬間に扉を閉め、早足で彼女の前に立ちはだかった。蒼空はゆったりとした様子でその光景を眺める。瑠々は声を荒げて詰め寄る。「これは一体どういうこと?」蒼空は心配するように見つめる。「どうしたの?そんなに焦って」瑠々は歯を噛みしめ、小声で言った。「とぼけないで。あんた、何か知ってるはずよ。今回の薬を盛ったのが私じゃないって分かってるんでしょ」蒼空は穏やかに答える。「ええ、あなたじゃないって分かってる」瑠々の顔色が一気に変わる。「やっぱり、あんたが私を罠に――」「でも、瑛司はもうあなたを疑ってる」蒼空は少し身を乗り出し、瑠々の瞳をまっすぐ見つめた。瑠々の瞳が震える。「そんなはずないわ!瑛司は私を信じてる」蒼空は小さく微笑み、哀れむように言う。「本当に信じてるなら、どうして追及しようとしなかったの?」瑠々は唇を噛む。蒼空の声は静かだった。「分かってるからだよね。これ以上調べたら、あなたに辿り着くかもしれないって、彼は怖くなったの。だから止めた」瑠々は声を荒げる。「違う!」蒼空はやわらかく言う。「久米川さん、五年前、彼は何があってもあなたを信じた。でも今は......五年で冷めたんだよ。あなたの立場、もう昔とは違う。怖いでしょう?いつか瑛司があなたを愛さなくなる日が来るのが」瑠々の顔色が激しく変わり、その目が鋭く光る。「今の話、瑛司に全部言ってやるわ」蒼空は軽く笑う。「言えばいい。でも......今の話、彼が信じると思う?」――きっと信じない。瑠々はそれを痛いほど理解した。蒼空が言った通りに全てを話しても、瑛司は信じない。すでに彼の心には疑念が生まれている。彼女のために追及を止めた。それが限界だ。もう、盲目的に信じてはくれない。瑠々は突然、歪んだ笑みを浮かべる。「あんたも相当焦ってるんでしょ?瑛司が私を疑ってるって分かってても、彼は私を守った。ねえ、どんな気分?瑛司は私を守ってるのよ」彼女は噛みつくように言う。「彼はまだ私を愛してる。でもあんたは違う。あの人はあんたのために私を罰しないし、厳しい言葉ひとつ言わない。五年前と同じで、あんたは絶対に私に勝
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第536話

瑠々はこの時、もうすべてを理解していた。あのコップの水に触れたのは、バーテンダーと瑠々、それから蒼空だけ。――つまり、薬を入れたのは蒼空自身しかあり得ない。瑠々はすっと背筋を伸ばし、見下ろすように哀れむ目で言った。「蒼空、自分に薬を盛った挙句、男に襲われかけるなんて......あまりにも割に合わないじゃない?瑛司が私を疑ったのは事実。でも彼がそれ以上調べなかったのは、私を愛してるからよ。心に私がいるから、真相を追う気にならなかった」瑠々の笑みは、皮肉に満ちていた。「蒼空、結局あんたじゃ私には敵わないのよ」蒼空はまっすぐ瑠々を見つめ、はっきりと言った。「私のこと心配するくらいなら、自分の心配でもしたら?」「......どういう意味?あんた、まだ何を?」瑠々の目が鋭く細まる。「これからよ。これは始まりに過ぎない」蒼空は淡々と答えた。出ていく時、瑠々は低く悪態をつく。「虚勢をはっても無駄よ」バタン、と病室の扉が勢いよく閉まった。数秒後、遥樹が扉を押し開け、早足で近づいてきた。全身を上から下まで確認し、眉を寄せる。「何もされてないだろうな」蒼空は点滴管をいじりながら、余裕のある声で返した。「何もないってば。大げさなんだから」「さっき何を話してた?久米川、えらい顔して出ていったけど」「ちょっと質問されただけだよ。あの人、私に優しくするわけないし。それが普通」余計な詮索を避けるため、蒼空はわざと大げさに欠伸をする。「ふぁぁ......眠い。もう寝るよ」遥樹は急に手を伸ばし、指先で彼女の顎を軽く持ち上げる。真剣に、長い時間じっと見つめてきた。蒼空は一瞬驚き、すぐに顔をそむける。「ちょっと何?」「また嘘ついてないか確認してる」低い声が落ちた。蒼空は途端に言葉に詰まる。酒場に行く前、彼女は「もう寝る」と遥樹に言っていたのだ。それなのに酒場へ行き、こんな騒ぎになった。「なんで私がバーにいたって分かったの?」遥樹はさっき買ってきた保温ポットを床に置きながら答える。「菜々が教えてくれた。お前が一人で酔ってるって。連絡したら既読無視、電話も出ない。焦って車で飛ばしてきたんだよ。何個赤信号突っ切ったか......背中汗だくになった」蒼空は思わず
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第537話

蒼空は水のコップを握り、上体を起こした。遥樹が本当に電話をかけようとスマホを取り出すのを見て、彼女は一瞬ぽかんとしたあと、慌てて制した。「ちょ、ちょっと待って!通報しないで!」気が焦りすぎてベッドから降りかけ、点滴スタンドまで倒しそうになる。遥樹はすぐにスマホをしまい、駆け寄って支えた。「慌てるなよ」蒼空は警戒した目で彼を見た。「まだ電話してないよね?」遥樹は点滴の位置を直しながら答える。「ああ」そしてまっすぐに彼女を見た。「通報しなくていい理由は?」蒼空の頭は高速で回り続け、真実を言うべきか迷い続ける。そして、限界まで考え込んだ末に歯を食いしばった。「......実は、薬盛られてないの」「は?」「あれは全部演技だった。あの人たちを騙すために」遥樹の綺麗な眉が深く寄る。「なら、この点滴は?」「さっき先生には低血糖って言った。点滴はそれ。私、なんともないから」瑠々の言葉が正しかった。本当に復讐のため自分に薬なんて盛ったら、本末転倒もいいところだ。彼女はそんな愚かな真似をするタイプではないし、自分の体を傷つけるなんて論外。それに実際、今回のことで瑠々の立場が揺らいだわけでもない。瑛司は疑ったが、それでも結局守ったのは瑠々だ。つまり、酔っ払いも薬も、全部芝居。頬の赤みも、チークでつけただけ。今顔色が少し悪いのは、本当に低血糖だからだ。遥樹は数秒黙ったまま、彼女をじっと見つめ続けた。蒼空は手を振って目の前でひらひらさせる。「何か質問ないの?」ようやく遥樹が口を開く。「なんでそんな芝居した。松木と久米川のせいか?」蒼空は唇を噛む。「んー......話すと長いし。私は今こうして無事だからいいじゃん」そう言ってそっぽを向き、窓の外を見る。しばらく沈黙のあと、遥樹は低く舌打ちした。「......心配して損したぜ」次の瞬間、声にわずかな怒気を含ませて続ける。「いいか、今回のことはもう聞かない。でも、今後こういうことする時は絶対俺に言えよ。言わなかったら、本気で怒るからな!」蒼空は鼻をこすり、話題を変えるように明るく言った。「点滴終わったら退院だよね?そしたら帰ろ」遥樹はため息をつき、スマホを取り出す。「待て。お前の
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第538話

黒白ウサギとゲームシティの著作権がなかなか取れず、SSテクノロジーの新作ゲーム企画はいったん棚上げとなった。瑛司は出張で首都へ向かい、瑠々と佑人も同行していた。ここ数日、蒼空は彼らと顔を合わせておらず、平穏な日々を過ごしていた。――経済交流会が開かれるまでは。その会場で、蒼空の秘書・三輪が姿を消した。気づいた時には、遠くに瑛司と瑠々の姿が見えていた。今回のパーティーは政府主導の経済交流会で、各地の企業家が集まっており、人で溢れていた。会場に入るとすぐ大勢が蒼空に声をかけてきた。彼女はいつも通り余裕で応対し、三輪は静かに横についていたので、特に気に留めなかった。来る前、瑛司と瑠々が出席するとは知らなかった。人混みの中で二人を見つけて、そこで初めて同じ場に来ていると気づいた。だが、特に気にもしなかった。ただ、ふと横を見た時、三輪の姿がないことに気づいた。三輪は分別のある大人だ。迷子になる心配はないし、政府主催で治安も良い。たぶんトイレにでも行って、言い忘れただけだろう。蒼空は「どこに行ったの」とだけメッセージを送った。会議が始まり、蒼空は二列目左側へ座った。偶然にも瑛司と瑠々はそのすぐ右前。演壇を見るにはどうしても二人の背中越しになる。着席時、瑠々が振り返って挨拶し、瑛司は振り返らなかった。蒼空は軽く会釈し、無表情でやり過ごした。今回来たのは、政策方針の変化を直接聞き、会社戦略に反映させるためだ。だが、講演が終わっても三輪は戻らない。見渡してもいない。散会になってもいない。スマホを見ると、返信もなし。眉を寄せ、すぐ電話をかけたが、長く鳴った後に自動的に切れた。胸騒ぎがした。採用時、「私の秘書になるからには、仕事を覚悟しなさい」と伝えていた。自分が休みなしで動く以上、秘書もそのペースについてこなければならない。その代わり高額の給料。三輪は即答で受けた。彼女は頭も回り、仕事も早い。入社後すぐ、蒼空は彼女を高く評価した。勤務外でも連絡がつかないことはなかった。こんな状況は初めてだ。蒼空は表情を変えずにスマホをしまった。焦らず、まず会場スタッフに連絡し捜索を頼む。その間、他の経営者たちと話を続けた。三十分ほどして、スタッ
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第539話

給仕は唇を噛み、怯えたように同僚を一度見てから、蒼空の隣に立つスタッフにも視線を向けた。どこか警戒している様子だった。蒼空は眉間を寄せ、低い声で言う。「大丈夫。私がいる」そう言って、そばのスタッフに目を向け、静かに続けた。「彼らが口外することはないわ」大きな声ではないのに、不思議とその声音には、人を落ち着かせる力があった。給仕の声はもう蚊の鳴くようなものではなく、少しだけ強くなる。「......関水社長、飯田社長をご存知ですよね?」蒼空の瞳がわずかに揺れた。飯田隆(いいだ たかし)。南地区で名の知れたゲーム企業の大物。彼の手がけたゲームは決して圧倒的ではないが、国民級と言われるほど人気で、スキャンダルが時折流れるとはいえ、全国上位の収益を誇る男。その事業の輝かしさと同じくらい有名なのが、彼のゴシップだ。二度の結婚はどちらも離婚に終わり、双方との間にそれぞれ二人、計四人の子ども。だが、実際には私生児が六人。合わせて十人もの子を持つ男。放蕩な私生活は誰もが知るところだった。業務上の関係で一度関わったことがある。その時、彼は彼女に気を持ったが、蒼空は気付かれぬように冷たく断った。そして、彼女の会社がのし上がった後、多くの案件を隆から奪い取った。怨みは深い。両者の関係は決して良くない。給仕はおびえたように二階の個室フロアを見上げ、声を落とした。「......二階の個室、見に行った方がいいです。さっき関水社長の秘書さんを、彼が無理やり連れて行くのを見ました。それに、飯田社長はかなり酔ってて......もう一時間近く経ってます。031号室です」言い終え、恐る恐る蒼空の表情をうかがう。蒼空の顔には波ひとつない。まるで自分の秘書が連れ去られたなど知らないかのような静けさ。逆に不気味なほどだった。「......関水社長?」蒼空は突然、きっぱりと言った。「これから私がすることは、あなたたちとは関係ない。今日聞いた話は、他の誰の口からも聞きたくない」給仕は呆然と頷く。「もし何かあれば、私のところに来なさい」蒼空は名刺を差し出した。「これは私の連絡先。今回のことは、私があなたに借りを作ったと思って」「い、いえそんな......ただ、助けたくて......」
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第540話

「もう一時間経ってるんだぞ。起きることは全部起きただろ。今さら行っても遅いって」「しっ、黙れ。そんなこと言っていいと思ってるの?」「誰か飯田社長に電話したか?」「したよ。関水社長のことも伝えた。でもあの人、完全に酔ってて......全然話聞かなくて」「最悪だな......とにかく急げ。後で大事になったら手に負えなくなる」会場のスタッフたちは給仕を連れて、ぞろぞろとエレベーター横の階段へ向かった。そのとき、瑛司が先頭の男の腕をぐいっとつかむ。引っ張られた男は驚き、怒鳴りかけたが、瑛司の顔を見るなり、慌てて口をつぐんだ。「ま、松木社長......何かご用でしょうか?」瑛司は遠回しを嫌うように問う。「蒼空はどうした」先頭の男――主催側の責任者、前田洋平(まえだ ようへい)は困ったように顔をゆがめた。関水社長と飯田社長の「秘密」など、外に漏らせるはずがない。知られれば厄介事になる。洋平はぎこちなく笑いながら言った。「関水社長?いえ、関水社長とは関係ありません。大したことじゃなくて、二階の部屋で水漏れがあったって苦情が......すぐ処理しますので、ご心配なく」「これだけの人数で?」瑛司は目を細め、低く言う。「俺を馬鹿にしてるのか。正直に言え」軽い言葉なのに、洋平には山のような重みでのしかかった。顔色はどんどん悪くなり、焦りと緊張で視線が泳ぐ。片方では騒ぎの火消しを考え、もう片方では突然食ってかかってきた松木社長を宥めなければならない。「これは......本当に、松木社長とは関係ありません。どうかお気になさらず。それより、後ほど特別に――」「要らない」瑛司は冷ややかに遮る。「言わないなら、俺が直接行く」言い終えると、瑛司は手を放し、ちょうど開いたエレベーターに瑠々とともに乗り込む。蒼空が乗った階へ、ためらいなくボタンを押した。慌てた洋平が飛び出し、エレベーターの前に立ちはだかる。「松木社長、本当に......本当に行かなくて大丈夫ですから......!」瑛司は目を伏せ、冷たく一言。「どけ」その声音に、洋平は身をすくませ、後ずさるしかなかった。悔しそうに頭をかきながら、閉まっていく扉を見送る。そして振り返り、苛立った声を張り上げた。「何突っ立っ
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