All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 851 - Chapter 860

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第851話

小春が話していた細かな情景が、今、すべて彼の目の前に広がっていた。小春は、共同プロジェクトの関係で柊平が頻繁に蒼空と食事を共にし、花束まで何度も贈っていると言っていた。想像するのと、実際に目にするのとでは、やはり重みが違う。遥樹の胸の奥には、抑えきれない怒りが澱のように溜まっていた。「......これ、誰が頼んだ?」低く沈んだ声が響き、蒼空は彼を見る。「どうしたの?遥樹、お腹空いてる?」遥樹は彼女を見つめたまま、何も言わない。柊平は視線を落として小さく笑い、口を開いた。「蒼空さん、今夜来る前に何も食べていませんでしたので、私が頼んだんです。ちょうどここの料理が好きだと聞きました」蒼空が続ける。「そうなの。でも、もうほとんど食べ終わっちゃったよ」遥樹はまた黙り込んだ。蒼空は、今夜の遥樹がどこかおかしいと感じていた。「......どうかしたの?」問いかけても、遥樹は唇を引き結んだまま、答えない。服装を見る限り、堅い場から直行してきたのだろう。仕事で厄介な問題を抱えているのかもしれない、そう蒼空は思った。柊平が場を和ませるように言う。「とりあえず片づけましょうか。外で話そう、もう遅いですし」蒼空の声も少し軽くなる。「そうね」二人が片づける様子を、遥樹は無表情で見つめながら思う。――本当に息が合っている。片づけが終わり、蒼空は遥樹の隣へ来た。「終わったよ。行こう」遥樹は何も言わず、彼女の後をついていった。ビルの下までの道中、遥樹は終始無言だった。蒼空と柊平はプロジェクトの話を続け、後ろの遥樹はまるで存在しないかのようだった。それでも蒼空は、背後からひやりとした気配を感じ続けていた。柊平は遥樹を会話に引き込もうと何度か話題を振ったが、遥樹は頭が止まったように短く「ああ」と返すだけで、それ以上口を開かなかった。蒼空は理由がわからず首をかしげたが、幸い柊平は気にしていない様子だった。柊平を車まで見送る際、蒼空は遥樹に会社の入口で待つよう言い、柊平と二人きりで話した。「ごめんね。どうしたのかわからないけど、彼のこと、許してあげて」柊平は笑った。遥樹の無礼を本気で気にしていない笑顔だった。「大丈夫、気にしてないよ」蒼空も笑って言う。「それ
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第852話

数秒の間に、蒼空はゆっくりと目を見開き、瞳孔がきゅっと縮んだ。息をするたび、遥樹の匂いが肺いっぱいに入り込んでくる。それは彼がいつも使っている洗剤の香りで、清潔感があり、淡くて心地いい。これまでは特に意識したことなどなかった。けれど今は、その匂いが容赦なく頭の奥まで入り込み、まるで全身がその香りに包まれているようで、理由のわからない小さな震えが次々と走る。蒼空の思考は完全に止まっていた。錆びついた機械のように動かず、残っているのは身体の本能的な反応だけ。ぎこちなく瞬きをした瞬間、唇に伝わる柔らかな感触に、止まっていた心臓が一気に激しく跳ね始めた。至近距離にある遥樹の頬。鼻先が触れ合い、唇はしっかりと重なっている。熱を帯びた吐息が絡み合っていた。一拍遅れて、蒼空は理解する。――遥樹、自分にキスしてる......?遥樹は目を閉じている。蒼空は怖くて動けず、反射的に後ろへ下がろうとしたが、後頭部はすでに車のドアに当たっていて、逃げ場はなかった。できたのは、肩をすくめることと、息を止めることだけ。頭の中はぐちゃぐちゃだった。――これは事故だよね。そんなわけない。遥樹が、自分にキスを?きっと遥樹も相当おかしくなってるんだ。そう、遥樹が狂ってる。蒼空は内心で叫ぶ。――ちょっと......なんでこんなことするの?!どれくらい時間が経ったのかわからない。唇にはずっと遥樹の唇が押し当てられたまま。ただ触れているだけなのに、唇は痺れ、息を止め続けたせいで苦しくなってきた。――変だ。さすがに変すぎる。蒼空は手を上げて遥樹を押しのけようとした。そのとき、不意に唇がわずかに動いてしまう。遥樹の唇があまりにも強く密着していたせいで、ほんの少し動いただけなのに、まるで吸い付いているみたいになってしまった。蒼空の頭は再び真っ白になる。慌てて遥樹の下唇を軽く挟んだまま、二度と動けなくなった。瞬間、遥樹の呼吸が荒くなり、彼は勢いよく彼女の肩を掴み、車のドアに押し付けた。蒼空は眉を寄せ、低く声を漏らす。一瞬だけ唇が離れ、鼻先が触れ合う。遥樹は荒い息を吐きながら彼女を見下ろしていた。その視線は攻撃的で、いつもの彼とはまるで違う。獲物を逃がさない猛獣のよ
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第853話

彼女がどこへ身をよじっても、それは拒絶というより、むしろ応えているように見えてしまう。遥樹の呼吸は次第に荒くなり、背中を押さえる手の力も強まっていった。蒼空の頭は完全に混乱して、ぐちゃぐちゃだった。思い切って目を開けた瞬間、深く抑え込まれたような遥樹の瞳と真正面からぶつかる。胸が跳ねた。――嫌な予感がした。次の瞬間、遥樹は彼女をきつく抱きしめたまま向きを変える。ドアが開き、そのまま後部座席へと倒れ込んだ。蒼空はふらふらとシートに横たわり、遥樹が体をひねってドアを閉め、再び覆い被さってくるのをぼんやりと見ていた。必死に上体を起こし、彼の胸に手を当てる。「遥樹、落ち着いてよ!ちゃんと話そう?」遥樹は彼女を抱いたまま、軽くキスをして、掠れた声で言った。「キスしてからだ」「!?」二人はまた抱き合ったまま、唇を重ねた。蒼空は抵抗するのをやめ、成り行きに身を任せた。どちらのものかわからないが、唇が切れたらしく、血の味がした。見ていると、遥樹のキスは正直うまいとは言えない。勢い任せで、力も強く、キスというより罰を受けているみたいで、蒼空の唇はずっと痛かった。遥樹に影響されたのか、それとも彼の匂いのせいか、蒼空もどこかおかしくなってしまい、恐る恐る応えてみる。すると遥樹の動きが一瞬止まり、次第にキスは穏やかで優しいものに変わった。蒼空は完全にその流れに巻き込まれてしまう。いつの間にか、二人の手は絡み合い、強く握り合っていた。キスが終わった頃には、どれほど時間が経ったのかわからない。二人とも息が荒く、唇は濡れて赤く腫れ、どちらのものかわからない唾液が光っていた。蒼空の心臓はとっくに限界を超え、髪は乱れ、頭皮がずっと痺れている。ぼんやりと車の天井を見つめていた。遥樹は彼女の首元に顔を埋め、荒い息を吐いている。頭頂の髪が顎先をくすぐるが、気にする余裕はなかった。蒼空は目を閉じ、鳥肌と乱れた鼓動を必死に抑える。「......ちょっと、起きてよ」そう言って押してみても、遥樹は抱きしめたまま動かない。もう一度押して、困ったように呼ぶ。「遥樹......」それでも起きない。しばらくして、諦めたようにぎこちなく手を上げ、彼の背中を軽く叩いた。「遥樹?」
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第854話

蒼空は、遥樹のその一言を頭の中で噛み砕いた瞬間、思考が真っ白になった。彼女はじっと遥樹を見つめる。よく見ようと、必死に。遥樹は言い終えると唇をきゅっと結び、ひどく冷静で自制の利いた様子を装っていた。蒼空の表情を見つめるその姿は、まるで法廷で公正な判決を下す裁判官のようで、自分がどれほど爆弾級の言葉を投げたのか、まるで自覚がないようだった。ただ......蒼空は、真っ赤に染まった彼の両耳を見逃すことができなかった。ようやく落ち着きかけていた心拍数が、また一気に跳ね上がる。頬に熱が広がった。遥樹はずっと彼女を見ている。蒼空はその視線に耐えきれず、羞恥と苛立ちがない交ぜになった。――何なの、これ。キスは強引で、その勢いのまま告白って。告白する側はやけに堂々としていて、される側のほうがよほど狼狽えているなんて。蒼空は眉をひそめ、唇を噛む。「なんで急に――」「急に?」遥樹は声を抑えて言った。「周りの人間はみんな気づいてるのに、どうしてお前だけは俺を見ようとしない?」「え?」遥樹の声はさらに低くなる。「松木は見えて、古賀も見えてるのに......俺だけが、見えてない」蒼空はしばらく沈黙してから、曖昧に声を漏らす。「あ......」すると遥樹は突然顔を伏せ、鬱憤を晴らすように彼女の唇をもう一度噛んだ。「っ――!」蒼空はすぐに彼を突き放す。本気で腹が立っていた。「また噛んだな!」遥樹は黙ったまま、彼女を見つめる。次の質問は唐突だった。「さっきキスしたとき、どうして拒まなかった?」蒼空の顔が一気に熱くなる。――だって、キスされた瞬間、頭が真っ白で何も考えられなかった。拒否する余裕なんてなかった。今もなお、頭の中はぐちゃぐちゃだ。息が詰まりそうで、今すぐ逃げ出したい。助けて。遥樹はさらに追い打ちをかける。「さっきの、気持ちよかったか?」声は低く、静かで、まるで低音の響きが直接胸に落ちてくるようだった。「長い間キスしてたのに、一度も抵抗しなかった......お前も、気持ちよかったんじゃないか?」真剣な表情、値踏みするような視線、冷静な顔つき。ただ、耳だけが真っ赤で、すべてを台無しにしている。――も?「も」って何
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第855話

「それが、古賀の花を受け取った理由?」遥樹が不意に口を開いた。蒼空は一瞬きょとんとして、振り返って彼を見る。遥樹の唇は艶やかで、眉をきつく寄せている。どうにも解けない難題にぶつかったような顔で、沈んだ表情の奥には不満と悔しさが滲んでいた。蒼空の鼓動は少し落ち着き、彼に向かって小さく尋ねる。「私、いつ彼の花を?」遥樹は彼女を見据えたまま言った。「今日の午後6時半。フェスティバルの正門で、青いバラを受け取っただろ。今回だけじゃない。この数日、ずっと花を贈ってきてたけど、受け取った?」蒼空はすぐに事情を察した。――また小春だ!思わず無実を叫びたくなる。「違うの!今まで一度も受け取ってない。今日はコスプレイヤーに渡す花だって言われたから、ただの受け渡し。私宛じゃないの」遥樹は彼女を見つめ、唇の端を一瞬だけ持ち上げた。「そう」蒼空はむっとして言う。「小春でしょ、あなたに言ったの。あとで絶対に文句言うわ」すると遥樹が突然言った。「じゃあ、花を買いに行こう」その一言で、蒼空の心拍はまた速くなる。耳元で音がして、振り向くと遥樹が車を降り、運転席に回り込んでいた。「遥樹......」「今から花屋に行く、わかった?」バックミラー越しに彼女を見る。きれいな目が、蒼空が直視できない感情を押さえ込むように注がれた。蒼空は唇を結び、こくりとうなずいた。遥樹はずっと彼女を見ている。少しして、彼は唇をゆるく吊り上げた。暗い車内で、さっきまで吸われていたその唇が妙に目を引く。蒼空の胸が跳ね、慌てて視線をそらし、窓の外を見る。車が動き出し、街並みが後ろへ流れていく。蒼空は思った。とにかく、遥樹が隣に座って、また何かされる状況だけは避けたい。――落ち着け。目を閉じ、深く息を吸い、頭の中で必死に唱える。冷静に、冷静に。無理!目を閉じるたび、遥樹が彼女をシートに押し倒し、目を閉じたまま口づけてきた姿が浮かぶ。――もうだめだ。どうして、急にあんなことを。蒼空は力なく前の座席に額を押し当て、両手で顔を覆った。バックミラー越しにその様子を見た遥樹の目に、かすかな笑みが滲む。唇をわずかに上げたまま、何も言わなかった。遥樹が向かったのは、SSテクノ
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第856話

蒼空の眉がわずかに動いた。遥樹の声は落ち着いているようで、けれど蒼空には、その奥にある緊張とぎこちなさがはっきり伝わってくる。その緊張が耳に届いた瞬間、蒼空の胸の奥が思わず少し柔らいだ。彼女はゆっくりと顔を上げ、遥樹のきれいな瞳と視線を合わせる。「......うん」遥樹は花束を一気に彼女の胸元へ押し込み、唇の端を引きつらせたまま、不自然で緊張した笑みを浮かべた。「蒼空。好きだ。俺と付き合ってほしい」蒼空の顔は一気に真っ赤になり、花束を抱えたまま落ち着かずに瞬きを繰り返す。息をするのさえ忘れそうだった。――本気だ。遥樹は冗談なんかじゃない。その言葉を言い切ったあと、遥樹は唇をきゅっと結び、彼女を見つめたまま黙り込んだ。少し待ってから、蒼空がゆっくり瞬きをする。「......終わった?」遥樹は一瞬言葉に詰まる。「えっ。他に何を言えばいい?」蒼空の胸は宙ぶらりんで、詰まったように苦しい。「私も......わからないけど......」花束を抱えたまま顔を背け、遥樹の、もはや熱いとさえ言える視線から逃げる。うつむいたまま、頭の中はぐちゃぐちゃで、無意識にハクチョウゲをいじりながら、反射的に花の香りを嗅いだ。――正直、何の匂いもしなかった。唇を噛み、どうしてまだ何も言ってくれないんだろうと思ったその時、視界の端に腕が伸びてきて、彼女の右肩に回された。蒼空は思わず肩をすくめる。背中にも、もう一つ手が添えられた。遥樹の体が近づき、両腕に軽く力が入って、彼女はそのまま彼の胸の中へ引き寄せられる。頬が遥樹の肩に触れ、上から彼の声が落ちてくる。「何をどう言えばいいかわからない。でも、蒼空が聞きたいなら言う。めちゃくちゃでも、嫌がらないでくれ」蒼空は花が潰れないよう、そっと外側へずらした。小さな声で言う。「......うん」遥樹は続けた。「蒼空と出会ったのは五年前だ。その頃、俺は家を飛び出したばかりで行き場がなくて、バーに逃げ込んだ。入ってから気づいたけど、そこはゲイバーで、男ばかりだった。気分は最悪で、隅っこで一人で酒を飲んでたら、誰かがグラスを渡してきて......飲んでから、薬を盛られてたってわかった。何人かが、薬が効いてきた俺を連れて行こうとしてきて」
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第857話

「その時、思ったんだ。これから先、蒼空に俺の世話をさせるのも、他人の世話をさせるのも、嫌だって」そう言いながら、遥樹はさらに強く彼女を抱きしめた。「蒼空は世界で一番綺麗な人だ。そんな人には、ずっと笑っていてほしい。そしてそこで気づいたんだ、俺はお前が好きなんだって」遥樹はそう言った。蒼空の心拍数が、また一気に跳ね上がる。胸が太鼓みたいに鳴る。「ゆっくりいきたかった。少しずつ、俺を受け入れてもらえたらそれでよかった。でも、松木が現れてから、初めて危機感を覚えた。何度も、何度も、あいつに嫉妬した」遥樹は少し悔しそうに続ける。「蒼空は俺に言ったよな。昔、あいつを好きだったって。どうして好きになったんだって思った。でも......それは仕方ないことだ。お前の過去に、俺はいなかった。他の男を好きだったのは当然だ。でも一つだけ言わせてくれ。昔の蒼空は、人を見る目がなかった」蒼空は思わず吹き出しそうになる。遥樹は続けた。「松木のことで、もう悠長にしていられないって思った。これ以上遅れたら、あいつに全部持っていかれる。だから祖父の前で、偽の恋人になってくれって頼んだ。嘘を本当にしたかった。でも、結局バレた。そのあと、古賀も現れた。見合いもしたし、一緒に仕事もしてる。優秀な男だとは思う。でも、蒼空が好きになるとは思わなかった。だから小春から色々聞いたけど、気にしなかった。蒼空を信じてた。古賀はきっと、お前の選択肢に入らないって。でも今日、小春から、お前が柊平の花を受け取ったって聞いた。どれだけ自分に言い聞かせても、じっとしていられなかった。だから会議が終わって、すぐお前を探しに来た......幸い、小春の言った通りじゃなかった。今日の俺は感情的だった。でも後悔はしてない。遅かれ早かれ、告白するつもりだった。小春がその結果を早めただけだ。だから答えてくれ、蒼空」遥樹は彼女をぎゅっと、ぎゅっと抱きしめる。「蒼空と松木の過去は、俺は受け入れるよ。これからは、俺と未来を作ろう?」そう言い終えると、車内にはまた長い沈黙が落ちた。蒼空の心拍は、ゆっくりと落ち着いていく。それは、不思議と安心するような静けさだった。――遥樹、ほんとによく喋るな。頭がくらくらするほど。でも、それだけ彼が本気だという
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第858話

「蒼空、蒼空、蒼空......」遥樹は彼女の耳元で名前を囁き続ける。声は次第に弾み、笑顔もどんどん大きくなっていく。緊張やぎこちなさは潮が引くように消え、骨の奥から込み上げる高揚感と、降ってきたような歓喜が遥樹の頭を打ち抜いた。久しく感じていなかった興奮が全身を満たし、彼女をそのまま体の中に抱き込んでしまいたい衝動に駆られながら、何度も蒼空の名を呼ぶ。蒼空は耳が熱くなり、思わず肩をすくめた。「恥ずかしいから黙って」次の瞬間、遥樹は彼女の肩を掴み、また車のシートに押し倒した。蒼空は彼の肩に手を当て、笑みを湛えた瞳を見つめながら唇を噛む。「何するの。早く起きて」遥樹は彼女に微笑み、顔を伏せた。蒼空は反射的に息を止め、目を閉じる。温かな吐息が額にかかり、柔らかな感触が落ちて、数秒留まってから離れた。――と思った次の瞬間、唇が塞がれた。遥樹の呼吸は荒く、舌先が彼女の唇の隙間をこじ開け、絡め取る。唾液が混じり合う。蒼空は彼の肩に置いていた手をゆっくりと上へ滑らせ、首に腕を回す。唇を開き、目を閉じたまま応えた。遥樹の抱き締める力は強まり、呼吸はさらに荒くなる。キスは次第に手慣れ、力強くなっていった。耳元には湿った水音ばかりが響き、蒼空の胸が熱くなり、彼の唇を軽く噛む。掠れた声で言う。「もう、それくらいにして」遥樹は強く一度吸い上げてから、ようやくゆっくりと離れた。蒼空がそっと目を開けると、すぐ目の前に遥樹の瞳があった。彼は俯いて、彼女の唇に軽く何度か口づける。あまりに嬉しそうな笑顔に、蒼空は少しだけ表情を正し、鼻で笑った。「そんなに嬉しい?」「ああ」遥樹の声は笑いで満ちていた。「蒼空はこれから、俺の彼女なんだから」蒼空は一瞬言葉に詰まり、また小さく鼻を鳴らして彼を押す。「重いから起きてよ」遥樹はもう一度軽く口づけてから、彼女を起こした。蒼空がめくれ上がった服の裾を直していると、遥樹はまたべったりと抱きついてくる。「今日は10月14日。俺たちが付き合い始めた日だ。ちゃんと覚えておく」蒼空は吹き出しそうになり、彼の腕を叩いた。「はいはい。それで、もう帰っていい?」遥樹は「ああ」と答え、続けて言う。「やっぱりもう一回だけキスさせて」
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第859話

蒼空は車を降り、左腕にハクチョウゲの花束を抱えていた。遥樹がそのあとに続き、彼女の右側を歩く。二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。今の遥樹は、以前とはまるで別人だった。妙に甘えた空気をまとい、目はきらきらと輝いている。蒼空の横に垂らした手は、握っては離し、離してはまた握り直す。その様子が可笑しくて、蒼空は思わず笑いそうになり、ためらいもなく彼の手を取った。遥樹はすぐに顔を向け、目を一層輝かせる。蒼空は笑いをこらえながら言った。「こうしたかったんでしょ」遥樹は笑い、力を込めて彼女の手を握り返す。掌がぴったりと重なった。二人はエレベーターに乗り込み、遥樹は少し身をかがめて彼女を見下ろし、穏やかな声で言う。「明日は予定、入ってないんだ」蒼空は眉を上げた。「なに、その含みがある言い方は」遥樹は彼女の手を強く握り、歯を食いしばるようにして耳元で低く囁いた。「分かってるだろ。蒼空は明日、予定ある?」蒼空は肩をすくめる。「残念だけど、明日はクライアントと会う予定があるの」遥樹は不満そうに言った。「何時から?少しも空かない?」蒼空は笑いを含んだ目で彼を見て、わざと考え込むような表情を作り、ゆっくり答えた。「うーん......午後の予定だから。もしよければ、夜は空けられるけど」それを聞いて、遥樹はまた笑顔になる。「じゃあ夜だ。夜、デートしよう」蒼空は笑って頷いた。「うん、いいよ」エレベーターが止まり、二人は手をつないだまま外へ出た。エレベーターの前に立っていた小春は、二人を見た瞬間、反射的に声をかけようとしたが、口を開いたその刹那、小さな光景に目を奪われた。視線がゆっくり下へと移り、蒼空と遥樹がつないでいる手に落ちる。そして、小春は徐々に目を見開いた。「え、ちょ、あんたたち......」彼女は指を上げ、二人のつないだ手を指差す。突然「現場を押さえられた」形になり、蒼空は少し慌てた。思わず遥樹の手を振りほどきたくなる。だが、深く息を吸い、どうにか冷静さを保ったまま、彼の手を引き上げ、呆然とする小春に向かって軽く振ってみせた。「見間違いじゃないよ。私と遥樹、付き合うことになったの」小春の目は、さらに大きく見開かれた。蒼空が遥樹を見る
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第860話

蒼空は彼女に向かって軽く微笑んだ。「それ以上言ったら、怒るからね」小春は鼻でふん、と鳴らす。玄関まで来ると、蒼空は遥樹の手を放し、鍵を取り出してドアを開けた。ふと小春のほうを見て言う。「そういえば、まだ聞いてなかったけど。どうして来たの?」小春は壁にもたれ、眉をつり上げる。「遥樹に動画送ったのに返事くれなかったからね。それで様子見に来たんだ」蒼空は鼻を鳴らし、ドアを押し開ける。「じゃあ、もう帰る?それとも少し上がってく?」小春は顎を上げた。「付き合い始めたばっかりでしょ。まだ聞きたいこと山ほどあるんだから、帰るわけないじゃない」「分かった」蒼空は頷き、振り返って遥樹を見る。「遥樹は?」以前なら、遥樹は間違いなく少し上がってから帰っていた。だが今は蒼空との関係が変わった。中には文香もいる。立場が変わったことで、未来の義母を前に、以前のように平静ではいられない。それに、付き合ったばかりだからこそ、蒼空に対してきちんとした距離と敬意を保ちたい。踏み込みすぎるのはよくない。遥樹は蒼空に微笑みかけ、彼女の前へ歩み寄った。距離はどんどん近づき、視線が絡み合う。漂う甘い空気は、部外者の小春にまで伝わるほどだった。小春の目が一気に輝く。「ちょ、ちょっと!私まだここにいるんだけど?何するつもり!?」その言葉に、遥樹は少し困ったような表情を浮かべる。蒼空は手を伸ばし、ぴたりと小春の目を覆うと、すぐに身を寄せ、つま先立ちになって遥樹の唇に軽く口づけた。「見たい見たい!」小春は蒼空の手を払いのける。「ちょっと、なんで目隠しするのさ!」遥樹は一瞬呆然とし、蒼空は彼に向かってぱちりとウインクする。小悪魔みたいな眼差しだった。「気に入った?」遥樹は笑い、声を落とす。「ああ」蒼空は言った。「じゃあまた明日ね」遥樹は頷く。「うん、おやすみ」小春は唇を噛み、脇で二人を見つめている。目は興奮で輝いていた。「ちょっと蒼空、なんで私の目塞ぐのさ!音はちゃんと聞こえたんだから。チュッて。キスしたでしょ」蒼空は彼女を横目で睨み、遥樹に向かって言う。「気にしないで。遥樹、おやすみ」小春は二人の唇を行ったり来たり見比べ、ある違和感に気づいた瞬
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