All Chapters of 火葬の日にも来なかった夫、転生した私を追いかける: Chapter 1291 - Chapter 1300

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第1291話

礼央の瞳は冷たく沈み、青ざめた顔をしていた。包帯には血が滲んでおり、ショックを受けたストレスによって傷口が開いたようだった。礼央はふらつく足取りで立ち上がった。彼は真衣を見つめると、胸に言いようのない苦しい感情が渦巻いた。心の痛み、怒り、絶望、そして言葉では表しつくせないほどの無力感に襲われた。「礼央」留美は気だるそうに笑いながら、手で鞭をいじり、軽い口調で言った。「見て。あなたの女の運命は今、私の手の中にあるのよ」「彼女の命も、あなたの命も、すべて私の手の中にあるのよ」礼央は拳を握りしめ、爪が手に食い込み、血が滲んだ。礼央は冷たい表情で言った。「お前は一体何がしたいんだ?」「簡単よ」留美は前に一歩進み出て、偏執的な独占欲に満ちた目線で礼央を見つめて言った。「寺原さんとの縁を切って、私と婚約して。あなたは林家の婿に戻るのよ」「あなた頷いてくれれば、私は彼女を解放する。彼女には二度と指一本触れないわ」留美は一呼吸置いて、残酷な笑みを浮かべた。「あなたが断れば、彼女が死ぬまで続けるわ」「あなたが愛する女が、私の手の中で死んでいく姿を見せてあげるわ」「ダメよ!」真衣は目に涙を浮かべ、礼央を見つめて言った。「礼央、彼女の言うことを聞いちゃダメよ。私なんかのために、自分を犠牲にしないで!」真衣は留美の性格をよく知っていた。彼女は狂気に駆られれば、どんなこともやりかねない。礼央が婚約を受け入れれば、取返しがつかなくなる。彼は自由を失い、林家に縛られ、当時の真実を明らかにする機会さえ失ってしまう。礼央は真衣の涙に濡れた顔や、身体中の痛ましい傷跡を見て、胸が締め付けられたように痛んだ。自分は耐えられるはずがない。彼女が苦しんでいる姿を見ていられるはずない。死に瀕している彼女を見捨てられるはずがない。礼央は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。彼は目を開けると、瞳にはもはや迷いはなく、ただ静かな諦めだけが残っていた。「わかった」その言葉は、真衣の心に重く響いた。真衣は全身を震わせながら言った。「ダメよ、礼央。自分を犠牲にしないで!」留美は顔に満面の笑みを浮かべた。彼女は礼央の前に歩み寄り、頬に触れようとしたが、彼は顔をそむけた。留美は真衣の方を見て言った。「聞こえた?彼は承諾したわ」「
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第1292話

宗一郎は目の前の光景を見て、瞳にいじわるな色が一瞬よぎり、感嘆して留美に言った。「林さん、君は私なんかよりずっと冷酷だよ」彼は拍手し、まるで芝居を鑑賞していたかのように言った。「高瀬家の家業と、高瀬礼央という男、どちらも手に入れるなんて。大したものだよ」留美は宗一郎に言った。「私が欲しい物はこれだけじゃありません」「これまで、林家が失ったものを、私は一つ残らず取り戻します」宗一郎は眉をつり上げ、茶化すように言った。「でも、怖くないのか?高瀬社長が権力を取り戻せば、復讐を企てるかもしれないぞ?」「その時、恐ろしい結末が君を待っているかもしれない」留美は礼央を見つめて不気味な笑みを浮かべた。彼女は言った。「恐ろしい結末?そんなもの、怖くも何ともありません」留美は礼央の顔を見つめて続けた。「彼が私の傍にいてくれさえすれば、たとえ地獄に堕ちようと、永遠に苦しむことになろうと、私は本望ですから」礼央は憐れみに満ちた目で、真衣を見つめた。唇を動かし、何か言おうとしたが、言葉がうまく出てこなかった。礼央はわかっていた。この決断が、毒を飲んで渇きを癒すようなものであると。だが、他に選択肢はなかった。真衣は礼央を見つめ、声もなく涙を流した。心の一部が、完全に砕けてしまったようだった。真衣は悟った。礼央が承諾した瞬間から、二人は元の関係に戻れなくなってしまったのだ。-留美は礼央を真衣の部屋から押し出した。礼央は留美に言った。「真衣をすぐに解放しろ」留美は振り向いて尋ねた。「何を急いでいるの?」留美はゆっくりとベッドに近づき、礼央を見つめた。「私たちの婚約式が無事に終わったら、彼女を解放するわ」礼央は眉をひそめ、冷たい目をしていった。「約束は守れよ」「もちろん」留美は身を乗り出し、指先で彼の頬に触れようとしたが、彼は顔を背けた。留美は気に留めない様子で、言った。「婚約だけじゃない。正式に結婚したら、彼女を解放してあげるわ」その言葉はカギのように、礼央の逃げ場を塞いだ。礼央は抑えきれない憤りを感じたが、それでも今は冷静さを保たざるを得なかった――真衣はまだ留美の手の中にいる。交渉の余地などないのだ。留美は礼央の気持ちを見透かしたように笑った。「とにかくあなたは、ゆっくり休んで」留美は
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第1293話

留美が去った後、病室のドアが再び静かに開かれた。宗一郎がゆっくりと歩いて入ってきた。彼は黒いトレンチコートを着て、ボディーガードを連れず、一人だった。彼は何気ない表情で、手に持っていたを小銭をいじっていた。宗一郎は窓際まで歩き、礼央に背を向けた。「林さんの出した条件は、そう悪いものでもないだろう」宗一郎は先に口を開き、低く嗄れた声で言った。「婚約、結婚、海外移住……これで晴れて自由の身だな」礼央は青白い顔をして、ベッドにもたれた。彼は宗一郎の背中を、感情のこもっていない瞳で見つめた。「彼女の代弁をするためにわざわざここへ来たわけじゃないんだろう」それは質問ではなく、断定的な言葉だった。宗一郎と留美は互いに利用し合う関係に過ぎず、情けなどかけあう間柄ではない。宗一郎は微かに微笑み、振り返って値踏みをするような視線で礼央を見下ろした。彼はベッド脇の椅子に腰を下ろし、ベッドサイドテーブルに小銭を置くと、指先で椅子のアームレストを軽くはじいた。その規則正しい音が静寂な病室に響き、余計耳障りに聞こえた。「もちろんそのためじゃない」宗一郎は眉を上げた。「私は別の道を提示しに来たんだ」「それは、彼女に従わず、私と組むという選択肢だ」礼央は眉をわずかにひそめ、宗一郎の次の言葉を待った。「条件はいたってシンプルだ」宗一郎は身を乗り出した。「救援航空機に関する機密事項と、高瀬グループの内情、君が秘匿している人脈やルートを全て話してほしい」彼は少し間を置いて続けた。「君が承諾すれば、君を即座に解放し、寺原さんを君のもとに返してやろう」「林さんの件は私が処理する。彼女が君を縛りつけようだなんて、夢物語もいいところだ」確かにそれは、魅力的な条件ではある。何と言っても、これで留美の支配から逃れられ、真衣と自由になれるのだから。しかし、礼央は唇を歪め、淡々とした表情を浮かべ、嘲笑しながら言った。「山口社長、君は本当に野心の強い男だ」目的のためなら、手段を選ばない。彼が求めるものは、救援航空機プロジェクトや高瀬グループの株式などではない。彼が求めているのは、この世のあらゆる権力だ。宗一郎と組めば、留美の件を処理してくれるかもしれないが、彼は必ず礼央を裏切るだろう。宗一郎は予想通りだと言わんばかりに高
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第1294話

「君は間違っている」礼央は言った。「俺と君は、同じ種類の人間ではない」礼央が求めてきたものは、名誉や地位、権力などではなかった。彼が望んだのは、真衣と千咲の無事と、かつて埋もれていた真実、そして高瀬グループが正しい道を歩み続けることだけだった。宗一郎の表情が険しくなった。「つまり、私の申し出を断るということか?」「ああ」礼央はきっぱりと言った。「君と手を組むことはない」宗一郎は礼央の言った言葉の真偽を探るように、彼の顔をじっと見つめた。やがて、彼は口角を吊り上げ、冷笑して言った。「そうか、それはいい選択だ」「さすがは高瀬社長、やはりガッツのある男だ」宗一郎は小銭を手に取り、指の間でいじっていた。彼はしばらくの間、礼央をじっと見つめていた。「君がいばらの道を選ぶというのなら、見守らせてもらうよ」宗一郎は冷たい声でさらに言った。「君が後悔しないことを願うよ」そう言うと、彼はドアに向かって歩き出した。病室のドアが閉まると、礼央はゆっくりと目を閉じ、疲れきったようにベッドにもたれた。胸の傷が再び疼き始めたが、礼央の心は驚くほど落ち着いていた。宗一郎の申し出を断ったことは、留美の制約を受け続けることを意味している。だが、他に選択肢はなかった。彼は真衣を危険に晒すわけにはいかない。ましてや国家に関わる機密を、汚れた取引に使うことなどできなかった。-一方。市街地にある映画館では。照明は最低限に抑えられていたが、愛らしい千鶴の顔が照らされていた。彼女は時正の肩にもたれ、温かいコーヒーを手に、甘ったるい声で囁いた。「時正、この映画の風景すごくロマンチックね。私も一度、こういう場所に行ってみたいわ」時正はぼんやりとスクリーンを見つめていた。甘く切ないラブストーリーを前に、彼の心は完全に上の空だった。携帯が振動すると、時正はすぐに携帯を取り出し、アシスタントからのLINEを見て、眉をひそめた。千鶴は時正の様子に気付き、不満そうに彼の腕を揺すった。「何見てるの?映画、つまらない?あなたの言うように、アクション映画を選べばよかったわね」「いや」時正は素早く携帯をしまい、千鶴の髪を撫でながら、感情のこもらない声で言った。「すごく面白いよ、続きを見ていて」千鶴は時正の珍しく優し
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第1295話

【誰かを向かわせて尾行しろ。一瞬たりとも目を離すな】時正はトイレに行く隙を見て、アシスタントに音声メッセージを送った。【何かあれば、すぐに報告しろ】【それと、彼女が雇った者の素性も調べろ】彼は電話を切った。洗面所の鏡に映った自分の顔は陰鬱に見えた。時正は麗蘭の性格をよく知っていた。芯が強く、一度こうと決めたら頑として譲らない。彼女が南極の奥地へ向かうのは真衣と礼央のためだろう。しかしやはりそこは危険すぎる。翌朝。夜がほんのり明け始めた頃。南極近くの中継拠点は活気づいていた。麗蘭は分厚い防寒服を着込み、ゴーグルをつけ、オフロード車の傍で持ち物を点検していた。彼女の後ろには、迷彩服を着た十数人の隊員がついていた。皆、大柄で腰には銃を所持していた。「麗蘭さん、装備は全て揃っています。ガイドも手配済みで、いつでも出発できますよ」リーダーのカーンは名の知れた男で、麗蘭から多額の金を受け取り、彼女の安全を保証すると胸を張っていた。麗蘭は頷くと、バックから札束を取り出し、カーンに手渡した。「残りのお金よ。目的地に着いたら、さらに追加で支払うわ」カーンは手にしたお金をポンと軽く弾ませて笑った。「麗蘭さん、ご安心を。我々は金額に見合った仕事を遂行します」一行は意気揚々と出発した。車は果てしない雪原を疾走し、車輪が分厚い積雪を轢き、雪煙を舞い上げた。窓の外は見渡す限りの銀世界で、鋭い寒風が唸りながら吹き抜けていった。麗蘭は助手席に座り、窓の外に流れる景色を見ながら、複雑な思いに駆られていた。彼女は一刻も早く真衣と礼央を見つけ、宗一郎の手から救い出さなければならない。車は半日の間走り続け、次第に空が暗くなっていった。晴れていた空は突然、大雪に見舞われ、視界はますます悪化した。カーンは突然車を止めるよう命じ、雪が弱まるまで休憩すると言った。麗蘭は疑うことなく、彼らと一緒に下車した。しかし、彼女はすぐに違和感を覚えた――彼らの目は、さきほどとは異なり、むき出しの欲望に満ちていた。「カーン、雪はいつ止むの?」麗蘭は眉をひそめて尋ねた。カーンは麗蘭の質問には答えず、彼女に近づいて言った。「麗蘭さん、我々はあなたの支払う金額が足りないと判断しました」麗蘭は驚いて無意識に後ずさりし
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第1296話

しかし、カーンは鼻で笑った。「時正?誰ですか?この辺りは、俺たちの縄張りなんですよ!」カールが言い終わらない内に、男たちは一斉に麗蘭に襲い掛かり、彼女のリュックや携帯、時計を奪い取った。身に着けていた高価な物は、全て彼らに奪われてしまった。麗蘭は必死に抵抗したが、男の一人に強く押し倒され、地面に叩きつけられた。彼女は分厚い雪の上に転がり、その途端、凍り付くような、刺すような寒さに震えた。「彼女をここに置いて行こう」カーンは横たわる麗蘭を一瞥し、冷ややかに言った。「三時間もあれば、彼女は氷の彫刻になるだろうよ」男たちは薄ら笑いを浮かべながら、奪った荷物を担ぎ、車に乗ってその場を後にした。エンジン音が吹雪の中に次第に消え、麗蘭は広大な雪原に、ただ一人取り残されてしまった。激しさを増す雪が、すぐに彼女の体の大半を覆い尽くした。鋭い寒風が頬をかすめると、その痛みに麗蘭は感覚を失ってしまいそうだった。彼女は立ち上がろうともがいたが、全身の力が抜けたように、腕を上げるのも困難だった。絶望が潮のように、彼女を呑み込んでいった。灰色の空を見上げながら、彼女は時正の顔を思い浮かべた。彼は無口だが、いつも彼女の傍にいて、危険が迫ると真っ先に駆け付けてくれていた。やはり、時正の言う通りだった。ここは、本当に危険な場所だった。もう、彼に会えないのかしら?麗蘭の意識はますます朦朧とし、まぶたは鉛を詰められたように重くなった。意識を完全に失いかけていたその時、遠くから微かな車のエンジン音が聞こえた。その音は次第に近づいてくる。麗蘭の心に、微かな希望の灯がともった。しかし、麗蘭はすっかり体力を消耗し、ついに意識を失ってしまった。-麗蘭は暖かな部屋の中で意識を取り戻した。消毒液の微かな匂いが鼻をくすぐり、耳元では規則的な機械音が響いていた。麗蘭が重い瞼を開けると、ぼやけた視界が次第に鮮明になり、腕に点滴針が刺さり、固定されているのが見えた。「麗蘭さん、お目覚めですか」傍に立つ黒いスーツ姿の男は、時正の右腕だった。麗蘭は喉の渇きを感じ、かすれた声で尋ねた。「時正は?」男は目を伏せ、淡々と言った。「時正さんは、ここにはいません」麗蘭の心は沈み、指先が微かに震えた。意識を失う前
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第1297話

麗蘭はベッドにもたれ、指先でシーツの模様を軽くなぞった。男が言った「ええ」という一言で、彼女ははっきりと時正にとっての自分の存在を悟った。彼にとっての自分とは、古い知人であり、任務で保護すべき対象である。ただそれだけだったのだ。「彼に会いたいわ」麗蘭の声は微かに震えた。男は麗蘭がそんなことを言うとは思わず、驚いた表情を浮かべた。彼はしばらく沈黙した後頷いた。「わかりました、時正さんに申し伝えておきます」ドアが閉まると、病室は再び静寂に包まれた。麗蘭は窓の外を見つめた。どれほど待っただろう。規則的な機械音にさえ感覚が麻痺するほど長い時間が過ぎた。病室のドアが開き、二人の人影が前後に分かれて入って来た。先頭に立っていたのは、時正だった。時正は黒いトレンチコートに身を包み、颯爽と現れた。彫りの深い顔立ちには、普段とは違う柔らかな表情が浮かんでいた。しかし、彼の隣には千鶴が立っていた。白いワンピースを着た千鶴は、しっかり化粧をしていて、優しく微笑んでいた。彼女はまるで冬に咲く白いバラのようだった。千鶴は麗蘭を見るなり、時正の腕から手を離してわざとらしい親しみを込めて言った。「麗蘭さん、こんなところでお会いするなんて、思いませんでした」「時正が友人のお見舞いに行くと言ったので付いてきたんです。お邪魔じゃなかったですよね?」一見丁寧に聞こえるその言葉には、時正の婚約者であることを主張する意図が滲んでいた。麗蘭は微かに微笑んで言った。「うん、気にしないで」麗蘭は千鶴に見向きもせず、余計な挨拶や質問、そして不満を口にすることもなく、ただじっと時正の顔を見つめた。彼女は時正に言った。「あなたを呼んだのは、寺原さんの行方を尋ねたかったからなの」「彼女と礼央は山口さんに捕まっているから、彼らの居場所を知りたいの。あと、彼らを救う方法も」麗蘭の口調は、まるで他人事を語るように、冷静だった。麗蘭は真衣と接した機会はさほど多くはない。しかし、彼女は自分の親友と言える存在で、真衣が宗一郎と留美の手に落ち、苦しむのをただ見ているわけにはいかなかった。一方、時正は海外の組織と複雑な繋がりを持ち、広大な人脈を有している。彼ならきっと何か方法を知っているはずだ。それは麗蘭の最後の希望だった。時正の麗蘭
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第1298話

千鶴はそう言うと、麗蘭に言った。「麗蘭さん、早く帰られた方がいいと思いますよ」「南極は危険すぎます。女性一人で、こんなことに対処できるはずがないでしょう」麗蘭は千鶴の言葉を無視し、鋭い目で時正を睨みつけて言った。「時正、寺原さんは私の大切な親友なの」「あなたなら方法を知っているはずよ。あなたが手を貸してくれれば……」「手を貸す、ですか?」時正は麗蘭の言葉を遮った。「なぜ私があなたに手を貸す必要があるんですか?」時正は見下ろすように麗蘭を見つめて言った。「あなたが言ったんですよ。私たちの間には、もう雇用関係はないと」「あなたは私の雇い主ではないし、私もあなたのボディーガードではもうありません。あなたの友人の生死など、私には関係のない話です」「それに」時正は青ざめた麗蘭の顔を見つめて言った。「今のあなたに、人を救うことができると思いますか?」「私の部下が間に合わなければ、あなたは今頃雪原で命を落していたことでしょう」その言葉は、麗蘭の心を鋭く切り裂いた。麗蘭は、時正と彼の傍で愛嬌たっぷりに微笑む千鶴を見て笑った。「分かったわ」麗蘭は目を閉じて言った。「時間を取らせて悪かったわね」麗蘭はもう時正の顔を見たくないと思った。千鶴は時正の異変に気付き、彼の腕を軽く揺らし、甘えた声で言った。「時正、そろそろ行こう」「私、消毒液の匂いって苦手なのよね」時正は深呼吸し、心に渦巻く感情を抑えながら最後に麗蘭を一瞥したが、目の冷たさは一段と増していた。彼は何も言わず、背を向けて千鶴と病室を後にした。ドアが閉まり、病室は外界から遮断された。病室には再び静寂が訪れ、ただ機器の電子音だけが空気中をゆっくりと流れていた。麗蘭はゆっくりと目を開け、天井の青白い光を見つめた。瞳からようやく、今まで我慢していた涙がこぼれ、シーツに落ちると、小さな染みになった。麗蘭は悟った。かつて自分を永遠に護ると言った男はこの世から姿を消してしまったのだと。時正が千鶴の手を取り、自分と「関係がない」と言った時点で、二人の絆は断ち切られ、もう二度と元には戻れなくなってしまった。-一方、国内では。夕方、安浩の車は実家の前の石畳を進み、走行音に驚いた軒下の鳩が飛び立っていった。扉を開くと、常陸誠吉(ひたち せいきち)は葉巻を
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第1299話

郁子は温かいお茶を一口啜って言った。「安浩、常陸家の人脈は使えないわけではないけれど、あなたも知っている通り、あなたの叔父たちはいつも権力の座を虎視眈々と狙っているのよ」誠吉は鋭い目をして言った。「常陸家の力を使いたいと言うなら、できないこともない」彼はゆっくりと続けた。「しかし、その前に沙夜と結婚し、婚姻届を出しなさい」「そうすれば、常陸家をお前に譲ろう」安浩は呆然とした。その言葉の重みを感じ、安浩の身体は硬直した。沙夜との婚約は元々縁組という便宜上の手段であり、二人の間に愛情はなかったが、今、誠吉は二人の結婚を、常陸家の後継者の立場と真衣の救出のための条件として提示している。安浩は胸を強く掴まれたような感覚を覚え、指先が微かに震えた。親友の生死と愛のない結婚。残酷な選択肢を目の前に、安浩は息が詰まりそうだった。その時、リビングのドアが静かに開き、沙夜がハイヒールを鳴らして入ってきた。沙夜はワインカラーのロングドレスを身に纏い、顔には満面の笑みを浮かべていた。彼女は重苦しい空気の漂うリビングに入ると、まるで前もって準備していたかのように、自然な仕草で安浩の腕を組んだ。「正弘さん、郁子さん、誠吉っさん」沙夜は一同に呼びかけると、視線を誠吉に向けて続けた。「私は安浩さんと結婚したいと思っています」「結婚式の準備が間に合わなくても構いません。今すぐ婚姻届も出せます」安浩は驚き、慌てて沙夜を見つめた。沙夜は安浩が驚いていることに気付かないふりをして、彼の頬にキスをした。沙夜の唇が頬に触れると、安浩は全身を硬直させ、リビングにいる全員の視線が二人に注がれているのをはっきりと感じた。「私たちは愛し合っていますから」沙夜は上品に微笑んだ。「以前は照れくさくて、自分の気持ちに素直になれなかったのです」「正式に結婚することで安浩さんを助けられるのなら、私は構いません」郁子は満面の笑みを浮かべて沙夜の手を取った。「沙夜さんは本当に良い子ね」誠吉も頷いて言った。「お前たちが望むのなら、そうしよう」「明日には婚姻届を出してくれ。権限移譲の手続きを、すぐに手配させよう」家族の態度は一転して和らぎ、常陸家のリビングに喜びに満ちた雰囲気が広がった。安浩は、傍で愛らしく笑う沙夜を見て、口を開いたが、言葉に
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第1300話

安浩は沙夜の淡々とした口ぶりを見て、気持ちが少し軽くなった気がした。彼は真剣な表情で頷いて言った。「わかった」「明日、市役所に行こう」-翌日の朝、市役所の前にはそれほど人はいなかった。安浩と沙夜は並んで中に入り、婚姻届けを提出すると、わずか三十分ほどで、全ての手続きが完了した。沙夜は受け取った婚姻届受理証明書を眺め、ふと夢を見ているような気分になった。昨日まで政略結婚のことで頭を悩ませていたのに、今日はもう安浩の妻になっている。この変化の速さに、沙夜は戸惑いすら覚えた。市役所を出ると、日差しが眩しかった。安浩は重々しい口調で言った。「沙夜、僕たちの結婚の動機が何であれ、今日から僕は夫としての責任を果たすよ」安浩は沙夜の目を見つめて言った。「だけど、もし将来離婚したくなったら、遠慮なく言ってくれて構わない」「その時は、引き留めたりしないから」沙夜は一瞬呆然としたが、すぐに笑って証明書を鞄にしまった。「心配しないで、今のところ離婚するつもりはないわ」「だって、常陸夫人って肩書、悪くないもの」二人が常陸家の実家に戻ると、書斎には宗一郎と留美に関する資料が山積みになっていた。安浩は地図の前に立ち、眉をひそめて指先で南極をなぞった。「山口社長の拠点は南極にあり、林さんもそこにいる」「僕は南極へ人を連れて行き、二人を強引に救出するつもりなんだ」沙夜も地図に目をやり、林グループとバンガードテクノロジーの財務報告書を手に取ると、口元に冷たい笑みを浮かべた。彼女は財務報告書を地図の上に載せ、国内の部分を指さし、策を巡らせる者のような冷静さを帯びた口調で言った。「南極には行かないで」安浩は不思議そうに沙夜を見つめた。「山口社長と林さんは、礼央と真衣という切り札を持って、南極で勢力を広げている」沙夜は財務報告書に赤字で示された部分を指さして言った。「つまり、彼らは今、国内での基盤は脆弱だということよ」「林家の基盤である林グループと山口社長の心血の結晶であるバンガードテクノロジーは、彼らの急所になるわ」沙夜は安浩を見て言った。「だからね、わざわざ南極まで行く必要もないのよ」「常陸家が、林グループとバンガードテクノロジーを攻めればいいの。財務上の欠陥を調べ、違法行為の証拠を掴んで突き付けてやるの」
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