療養所を出た景凪は、そのまま真っ直ぐかつての穂坂家の屋敷へと向かっていた。その家は、かつて彼女にとって世界で一番温かい城であり、そして——すべての悪夢の始まりの場所でもあった。実に二十年もの間、景凪は一度もこの場所に足を踏み入れていない。父親の克書がとうに売り払ったか、でなければ完全に荒れ果てて朽ちていると思っていた。だが、開け放たれたままの鉄格子の門をくぐると、驚いたことに二人の庭師が手入れをしている最中だった。ただ、玄関の扉だけは真新しいものにすげ替えられ、固く閉ざされている。「誰かご用ですか?」庭師の一人が景凪に気づいて声をかけた。「あ、すみません。この家の今の持ち主はどなたかご存知ですか?」「いやぁ、俺たちは月に一度、庭の手入れだけを請け負ってるんでね。持ち主のことはさっぱり」その言葉を聞いた瞬間、景凪の脳裏に無意識に渡の顔が浮かんだ。すぐさま彼に電話をかけたが、いつもはすぐに出るはずのコール音が、今回は長く鳴り続けても一向に繋がらない。胸の奥にじわりと嫌な予感が広がる。もう一度かけ直そうとしたその時、画面が切り替わり、向こうから着信が入った。「甘凪」「……大丈夫なの?どうしてさっきは出なかったの」思わず問い詰めるような声になる。電話の向こうで、渡が小さく笑う気配がした。「悪かった。次からはトイレにもスマホを持って入るようにするよ」「……」思わず絶句する景凪に、渡は少しだけ真面目なトーンに戻って尋ねた。「どうかしたか?」声の調子を聞く限り、体調は悪くなさそうだ。景凪は彼が先ほど口にした言い訳の真偽を追及するのはやめにした。「私、今、昔の穂坂家の屋敷にいるの。この家も、あなたが買い取ってくれたの?」電話越しの渡は、特に驚いた様子もなく応じた。「ああ。俺が表立って動くのはまずかったから、友人に頼んで買い取らせたんだ。今からそいつに鍵を届けさせるよ」やっぱり、彼だったのね……「ありがとう。でも、この家は私が買い戻したいの」景凪は真剣な声で告げた。「今の私なら払えるわ。あなたにばかり、こんな負担をかけさせるわけにはいかない」黒瀬家の持つ絶大な権力と富。それは、渡が文字通り自らの命を削って手に入れたものだ。それを当たり前のように享受することなど、彼女には到底できなかった。渡はそんな
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