畳の上で息をつく間もなく、廊下の方からぱたぱたと足音が聞こえた。藤並は顔を上げた。足音は軽いが、リズムはきちんとしている。その足音には、昔のような甘えや頼りなさはなかった。「お兄ちゃん」結衣が帳簿を抱えて、小走りでやってきた。手にしているのは分厚いバインダー。表紙には「売上」「仕入」と手書きの付箋が貼られている。その姿を見て、藤並は少しだけ目を細めた。「久しぶり。忙しかったんでしょ」結衣は、肩で息をしながら笑った。その笑顔は、昔と同じようでいて、どこか違った。唇の端がしっかりと上がっている。けれど、目の奥にある光は柔らかさと同時に、強さも持っていた。「私たちのことは大丈夫だから」帳簿を抱えたまま、結衣はそう言った。その言葉が、胸の奥に落ちた。過去の自分なら、「そんなはずはない」と反射的に思っていたかもしれない。けれど、今は違った。結衣の手つきは、確かに頼もしかった。「帳簿、見せてくれるか」藤並は静かに言った。「うん」結衣はバインダーを開き、ページをめくる。数字が並んでいた。仕入れ先、単価、売上、予約の一覧。きちんと整えられている。ペンの走りも乱れていない。「黒瀬さんに教えてもらってた時期は、正直怖かったけど」結衣はふっと笑った。「でも、今は大丈夫」その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。黒瀬の影が一瞬、脳裏をよぎる。けれど、その影を払いのけるように結衣は続けた。「仕入れも、もう業者さんと直接交渉してるし。経営の立て直しは、私たちでやるから」帳簿を閉じる音が、部屋の空気を切った。「だから、お兄ちゃんはもう無理しないで」結衣は、バインダーを脇に抱えたまま、真っ直ぐ藤並を見た。その目は、揺れていなかった。昔の結衣なら、どこかで甘えていただろう。
Last Updated : 2025-09-23 Read more