美沙子の指が、藤並の髪を優しく梳いた。その動作は、まるで子供をあやす母親のようだった。けれど、その優しさの裏にあるものは、藤並にはよく分かっている。それは所有物に向ける愛情だ。壊れないように、でも逃げられないように、手綱を緩めないための撫で方。汗で濡れた髪を、指がゆっくりと滑るたびに、胸の奥がひりついた。「いい子ね」美沙子は、囁くようにそう言った。その声は甘く、耳の奥にしみ込む。でも、藤並の心はその言葉を受け取らなかった。身体だけが、その言葉に反応していた。喉の奥が乾いている。舌先が、上顎に張り付いていた。「はい」自分の声が、どこか遠くから聞こえた。その声は、自分が発したものなのに、まるで他人のようだった。乾いた返事。何の感情も乗せていない。ただ「はい」と言えば、この場は終わる。それだけを知っているから、そう言った。本心なんか必要なかった。美沙子は、もう一度髪を撫でた。その手のひらは温かい。でも、その温度は、藤並の心に何も残さなかった。胸の奥には、ひんやりとした空洞があるだけだった。絶頂の後の痺れは、すでに身体から抜けている。けれど、その痺れの代わりに、虚無だけが残っていた。ガラス窓の向こうには、まだ夜景が広がっている。濡れたネオンが滲んで、ぼんやりと光っている。その景色は、どこか作り物のように見えた。美沙子の部屋は、高層階にある。この窓から見る景色は、いつも遠い。自分がどこにいるのか、分からなくなる。それが心地いいと思ったこともあった。でも、今は違う。今はただ、現実感がないだけだった。ふと、湯浅の手を思い出した。背中を撫でられた夜。あの手のひらは、壊すためのものじゃなかった。繋ごうとしてくれた手だった。その感触が、ほんの一瞬だけ胸の奥に蘇る。だが、
Last Updated : 2025-08-27 Read more