画用紙の上に、赤と青と黄のクレヨンが散らばっている。机を囲むように四人掛けで座るその教室には、初夏の陽が斜めに差し込んでいた。窓の外では、まだ若い葉をつけた銀杏の木が風に揺れている。葉が触れ合う音は、ざわめく教室のなかに、かすかに混じっていた。七菜は静かに色鉛筆を握り、じっと画用紙の角を見つめていた。描いていたのは「好きな場所」。みんなは公園や海やおばあちゃんちを選んでいたけれど、七菜は和室のピアノを選んだ。大きくもなく、派手でもないそのピアノの前に、小さな自分と、うしろにぼんやり立つ春樹先生の影。実際には描かれていない人影が、下書きの輪郭のなかに、自然に宿っていた。「ねえ、七菜ちゃんのママって、どうしていないの?」その声が、すぐ隣から届いたのは、ちょうど黒の色鉛筆で鍵盤をなぞろうとしたときだった。手が、止まった。問いかけたのは、陽向(ひなた)という名前の、よく笑う女の子だった。明るい茶色の髪を三つ編みにして、しゃべるたびに首が小さく跳ねるように動く。いつもお弁当の話やテレビの話をしてくれるクラスの人気者だ。悪気など、もちろんない。ただ、そこに「ママ」がいないことが、不思議だっただけ。けれど、七菜にはすぐには答えられなかった。筆の先が、画用紙の上で微かに震えていた。言葉を探そうとするたび、胸の奥がぎゅっと縮まるような痛みを覚える。問いかけた相手のほうを見ないまま、七菜はただ、微かに笑ってみせた。曖昧に、でも笑顔に見えるように。「んー…いないだけ、かな」小さな声だった。自分でもそれが答えになっていないことはわかっていた。ただ、何かを言わなければいけない気がして、出てきた言葉だった。「そっか」陽向はそれ以上追及せず、また色鉛筆に目を戻した。その反応に、七菜はほんの少しだけ、息をついた。けれど、それでも残る違和感は、胸の奥でくすぶったままだった。教室の音が遠のいていくように感じた。誰かが笑っている声も、椅子を引く音も、給食の配膳の準備で騒がしくなりはじめた気配も、どこか膜の向こうにあるみたいに感じた。七菜の耳には、自分の心臓の音と、まだ描きかけのピアノの鍵盤だけが
Terakhir Diperbarui : 2025-08-09 Baca selengkapnya