結衣の気持ちがようやく落ち着き、手続きをしようとしたときには、すでに彼が署名を済ませ、戻ってきていた。二人で警察署を出て、暖色の街灯の下に立つ。「付き添ってくれてありがとうございました。よかったら、名前と電話番号を教えてもらえませんか?」そう口にしてから、結衣は相手の端正な顔立ちと整った姿勢に気づき、慌てて付け加えた。「ちゃんと落ち着いてから、改めてお礼がしたいだけなんです」今の彼女は身一つ、夜もすでに更けていて、たとえお礼を買いに行こうとしても店など開いていない。男性は軽く笑い、スーツの内ポケットから名刺を一枚取り出して差し出した。「大したことじゃないので、気にしないでください。でも、知りたいことは全部そこに載ってます。もし今後何かあれば、いつでも連絡してください」今の時代、スマホでQRコードを読み取るのが主流で、名刺のような形式ばった連絡先は珍しい。結衣は両手で金の箔押しが施された名刺を受け取り、その名前を心の中で繰り返した。――桐谷慎一(きりたに しんいち)。苗字が、司と同じだ。奇妙な縁を感じたが、それよりも名刺に記された職業の方が目を引いた。「弁護士」弁護士といえば、口が立ち、堂々としていて、近寄りがたいイメージしかなかった。けれど慎一の柔らかな物腰は、その先入観をあっさり覆す。「僕も、お名前を聞いてもいいですか?」結衣は小さく答えた。「結衣、結ぶに衣と書きます」夜明けが近づき、タクシーもつかまりにくい時間帯だった。慎一は自然な流れで言った。「名前もわかったことですし、もう他人じゃありませんね。送っていきましょう」その口調も仕草も、春の陽だまりのように温かく心地よい。結衣はここまで世話になったのだ、もう少し甘えてもいいと思った。慎一に言われてその場で待っていると、彼は車を回してきた。途中、モモの話をきっかけに、他愛ない会話をいくつか交わす。ほどなくしてマンションに到着すると、慎一は迷うことなく住宅棟に近い側の門から車を入れた。どうやら土地勘があるらしい。深くは聞かなかったが、別れ際、偶然通りかかった人が驚きの声を上げた。「桐谷先生?結衣?二人で一緒に帰ってきたの?」声の主は結衣の姉、美沙だった。スポーツウェア姿で、これから朝のランニングに出るところらしい。「お姉ちゃん、知
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