All Chapters of そろそろ別れてくれ〜恋焦がれるエリート社長の三年間〜: Chapter 111 - Chapter 114

114 Chapters

第111話

「雨音ちゃん、そんなに思い詰めないで。いまは何より、自分の体を大事にしなきゃ」玲がそっと声をかけると、雨音は力の抜けた微笑を浮かべた。「うん、わかってる……でも玲ちゃん、もう退院してもいい?ここにはいたくないから」玲は思わず言葉を詰まらせた。雨音の体のことを思い、反射的に止めようとしたが――そのとき、雨音の瞳に浮かぶ涙が見えた。必死にこらえているのに、今にも溢れ出しそうな、限界ぎりぎりの涙だった。その一瞬で、玲の心の中の何かが音を立てて崩れた。「……わかった、今すぐ退院しましょ。もう、ここにいなくてもいいの」玲は彼女の手を握り、そのまま病室へ戻ろうとした。視界の端に、遠く立ち尽くす友也の姿が映る。顔は青ざめ、何かを言いたげにこちらを見ていた。だが背後の女性――あの小さな手が、彼の服の裾をしっかり掴んで離さない。友也は数度、迷うように足を踏み出しかけたが、結局一歩も動けなかった。玲はそんな彼を一瞥しただけで、何も言わずにドアを閉めた。病室に戻ると、先ほどまでの騒がしさが嘘のように消えた。洋太はテーブルの上でお菓子を広げていたが、二人の様子を見てすぐに空気を読み、そっと病室から出ていった。扉が静かに閉まると同時に、雨音の瞳から、ついに堪えていた涙があふれ出した。ぽたり、ぽたり。その涙は止まることを知らず、白い頬を濡らしていく。玲は慌ててティッシュを取り、何度も何度も拭った。それでも、濡れた紙が山のように積もっていくばかりだった。見ているだけで胸が痛む。「……雨音ちゃん、とりあえず落ち着いて、事情はまだ何もわかってないから。友也は確かに奔放な性格だけど、浮気とか、そんな軽い真似をするような人じゃないと思うの。もしかしたら、彼にも何か事情があるのかもしれない。誤解ってこともきっとあるわ」それは玲の本音だった。秀一の部下として行動を共にしている友也なら、芯の部分は誠実で、仲間思いの男のはずだ。さっきの女性は偶然空港で会った、助けを必要とした他人、という可能性もある。だが、雨音はかすかに首を振った。肩が震え、涙が止まらない。「……玲ちゃん、違うんだよ。誤解なんかじゃない。私が勝手に悪く考えてるわけでもない。状況は……私の想像より、ずっとひどいかもしれない。さっき、友也の隣にいた女の子は……彼の初恋の
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第112話

首都では、名門同士の政略結婚や家同士の結びつきによって利益を拡大するのは、昔からの常だった。高瀬家と藤原家、弘樹と綾の婚姻は、その最たる例だ。だが、水沢家と遠野家――雨音の実家は少し違っていた。両家は長年の友人関係にあり、互いの信頼の上で「将来は子どもたちを結婚させよう」と約束を交わした。それは、まだ子どもたちが生まれる前に取り交わされた「許嫁」の約束だった。遠野家の一人娘である雨音は、成長してから水沢家の二人の息子――兄の海斗(かいと)と弟の友也――のどちらかを選んで結婚できる立場にあった。当時、誰もが「きっと雨音は、年の近い海斗と結ばれるのだろう」と思っていた。だがその予想は、海斗が突然の事故で下半身不随になったことで崩れ去る。多くの者が、遠野家と水沢家の婚約はもう破談になるに違いないと噂した。しかし実際のところ――雨音と海斗は、ただの友人関係に過ぎなかった。彼女が本当に心を寄せていたのは、弟の友也だったのだ。だからこそ、友也が当時の彼女、山口こころ(やまぐち こころ)と深く愛し合っていると知ったとき、雨音は自ら婚約を取り消し、両家の約束などなかったことにしようと決意した。――けれど、運命は思いがけない形で巡り出す。「水沢家によると、友也と山口さんは性格の不一致で別れたって。しかも、山口さんは友也が用意した別れの慰謝料を受け取って、家族と一緒に海外へ渡り、もう帰るつもりもないらしい。正直、この展開は怪しいと思った。でも……若い頃の恋なんて、熱く燃えても、あっという間に冷めてしまうこともある――そう思って、深く考えなかった。それどころか、少しだけ……嬉しかった。それからのことは、玲ちゃんも知ってると思う。私は勇気を出して、友也と結婚することを選んだ。彼となら、少しずつでも心を通わせていけるかもしれないって、そう信じて。けれど、友也はずっと私を避けてきた。結婚してからの二年間、一度だって優しくされたことなんてなかった。最初はね……自分が三歳年上で、彼は姉さん気質の女が苦手なんだろうって思ってた。それに、政略結婚なんて彼には重荷だったでしょうし……でも今日、やっと本当の理由がわかった。当時の別れは――全部、嘘だったんだ」雨音の声は震え、涙を流した。「友也と山口さんは、そもそも別れていなかった。あの二人は今もお
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第113話

「今回の件、雨音ちゃんは加害者じゃなくて、被害者なの。だから逃げちゃダメ。むしろ今こそ、すべてをはっきりさせるすべきよ」玲はきっぱりと言い切った。友也は自分の初恋を守れなかったくせに、その怒りをすべて無関係な雨音にぶつけてきた。結婚した後ですら、懲りずに昔の恋人を追いかけ、よりを戻そうとする――こんなの、身勝手すぎる。この理不尽を、雨音が黙って耐えられても、玲は到底許せなかった。彼女は手にしていたティッシュをテーブルに放り出し、雨音の手をしっかりと握ると、迷いなく立ち上がった。そのまま、さっき友也とこころが一緒にいた病室の前まで向かう。ノックをすると、意外にも扉を開けたのはこころ一人だった。友也の姿は、どこにもない。「高瀬さん、雨音さん。来てくれたんですね……」こころは柔らかく微笑んだ。「さっきの騒ぎで、胸のあたりが少し苦しくなって……友也くんが先生を呼びに行ってくれてるんです。どうぞ、中に入ってください」そう言いながら、彼女はお茶を淹れようとする。けれど、その細い腕と青白い顔を見れば、今にも倒れてしまいそうで、彼女にお茶なんて入れさせたら、虐めているみたいに見えてしまうほどだった。玲は手を上げて制した。「お構いなく。水沢さんがいないなら、また後で来ます」「あ、ちょっと待ってください!」こころは彼女たちを呼び止めた。目元が少し赤くなっていて、今にも泣き出しそうだ。「雨音さん、私は高瀬さんとは初めましてですけど……あなたのことなら以前から知っています。たぶん、雨音さんも私のことを知っているでしょう。……お願いします、どうか友也くんを責めないでください。私、体が弱くて海外でずっと苦労してきたんです。友也くんは私のことを気の毒に思って、今回、連れて帰ってくれただけなんです。だから、私のせいで喧嘩なんてしないでくださいね」そう言って、彼女は目尻を指で拭った。心配で泣き出しそうな様子だった。雨音は小さく眉を寄せたが、何も言わなかった。その沈黙の横で、玲は静かにこころを見つめ、手にしていたスマホを指先で弄りながら、淡々と口を開く。「山口さん、雨音ちゃん夫婦に喧嘩してほしくないから、そう言ったんですよね?」「もちろんです」こころはためらいもなく頷いた。その笑みは、無垢そのものに見えた。玲は唇の端をゆるく上げ、あくまで穏や
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第114話

玲は、雨音のような「由緒正しいお嬢様お嬢様」ではない。彼女は複雑な家庭で育ち、人の裏の顔なんてとっくに見慣れていた。それに、綾が現れる前、首都の社交界で「白馬の王子様」と呼ばれていた弘樹の周りには、常に多くの令嬢たちが群がっていた。穏やかで上品、完璧な立ち居振る舞い。誰もが彼に恋をし、夢を見た。そして玲は高瀬家の養女で、弘樹の「妹」だった。彼女を見下す者は多かったが、それでも彼女が弘樹に近い位置にいることだけは、誰も否定できなかった。だからこそ、彼女は標的にされた。どんな集まりに顔を出しても、皮肉や嫌味が飛んでくる。まるで生きた的のように。最初のうちは玲も言い返していた。だが、そのたびに弘樹が現れ、穏やかでありながら有無を言わせぬ口調で言うのだ。「玲、いい子にしていてくれ」――その一言で、彼女は何も言えなくなった。次第に、怒りも反論も飲み込む癖がついた。我慢し、波風を立てず、みんなを立場の悪い目に遭わせない………それを信条のように守り、耐えて、耐えて、耐え続けてきた。けれど――今の玲には、もうそんな気持ちは一切残っていなかった。一度引けば、相手はさらに踏み込んでくる。――なぜ、相手が悪意をむき出しにしているのに、こっちが笑って見逃さなきゃいけないの?なぜ、こっちばかりが「大人の対応」をしなきゃならないの?そんな理不尽、もうたくさんだった。人が勝手に舞台に上がって自爆するなら――玲がすべきことはただひとつ。その舞台を引っくり返して、粉々にして、最後に相手の顔を踏みつけること。それが彼女の流儀。自分に対しても、そして大切な友達に対しても。玲はこころに冷笑を向け、はっきり言った。「ねえ、山口さん。あなたがさっき言ったことをまとめると――雨音ちゃんたちの仲を壊したいってことですよね?私たちが入ってきたとき、あなたは『水沢さんが自分のために医者を探しに行った』って言いました。つまり、『彼はいつも自分のことを気にかけてる』って、そう言いたかったんでしょう?それに、私の名前を出したのも、『この二年、水沢さんが何度も海外に来てくれた』って話に繋げるため。つまり、『結婚しても、彼は自分のことを忘れなかった』って暗に言いたかったですよね。さらに、『昔、雨音ちゃんが二人の秘密を守ってくれた』なんて話を出したのは、『私たち
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