「いや、やめよう」玲が問いかけると同時に、秀一は迷いなく首を横に振った。「結婚は大切なことだ。ふさわしい時と場所を選んで、正式な場で発表する」彼は、ただ役所で手続きを済ませただけでSNSに一言載せるような、そんな軽いお披露目をするつもりはないらしい。――藤原家の後継者であり、首都の頂点に立つ男。彼が妻を迎えたことを告げるには、誰もが息を呑むほどの盛大な宴がふさわしいだろう。玲の脳裏に、綾と弘樹の婚約発表の時の光景がよぎる。ロイヤルホテルの最上階を貸し切り、スポットライトを浴びるふたり。SNSでは何日も羨望の声が止まらなかった。なら、秀一との結婚発表はそれ以上の規模でなければならない。そのことに気づいた瞬間、玲の胸にこれまで抑えていた感情がふつふつと湧き上がる。高瀬家の「連れ子」として生きてきた彼女は、綾や雪乃に何度も「釣り合わない」と蔑まれてきた。弘樹の隣に立つことすら笑われた彼女が、今や、弘樹以上の家柄と権力を持つ藤原家の後継者の妻になったのだ。弘樹も、綾も、もう彼女を軽んじることはできない。今度は彼らが、玲を「お義姉さん」と呼ばなければならない。――考えるだけで最高に気持ちいい。そして、結婚発表の舞台に立ち、堂々と「藤原家の若奥様」として名乗るその時。周囲の驚愕と羨望の視線を浴びながら笑う自分を想像すると、心がさらに跳ねた。「わかりました、藤原さんにお任せします。必要な準備がありましたら、私も手伝いますね」玲は目を輝かせながら微笑んだ。「そうしてくれると助かる」秀一の薄い唇が、ほんの少しだけ上がる。「この発表の場は何よりも、君自身が楽しめるものであってほしい」「……藤原さんって、本当に優しいですね」玲の胸に、またじんわりと温かさが広がる。だが、ふと大事なことを思い出した。「そうだ……私たち、もう夫婦になったんですし……今までみたいに『藤原さん』って呼んでも大丈夫でしょうか?」ふたりの関係はまだ契約の延長線上にある。秀一とは素直に接していくと覚悟を決めたとしても、いきなり「旦那様」や「あなた」なんて呼ぶには、あまりにも気恥ずかしい。かといって、人前で呼び方を誤るわけにもいかない……秀一はそんな玲の戸惑いを一瞬で見抜いたようだった。「妻が夫を『さん』付けで呼ぶ家庭
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