司野が車に乗り込むと、岩治はドアを閉めようとした。その時、美宜が口を挟んだ。「まだ乗ってないわ」岩治は落ち着いた口調で言う。「美宜さん、私たちは会社へ向かいますので、お出かけであれば別の車を手配いたします」「いいの。今日は司野さんのアシスタントだから」そう言いながら、美宜は車の前に立つ岩治を軽く押しのけ、身を屈めてそのまま車内へ乗り込んだ。「……」岩治は車内の司野をちらりと窺った。司野が否定しない以上、美宜の言葉は事実なのだろう。さらに別荘の入口へ視線を向ける。いつも見送りに現れる素羽の姿はない。岩治は心の中で小さく溜息をついた。――もう、救いようがないな。——美宜が再び港町の瑞基本社に姿を現すと、秘書室にはたちまち新たな騒ぎが巻き起こった。社員たちは互いに顔を見合わせ、誰もが同じ疑問を胸に抱いていた。――どういうことだ?社長夫婦の関係に亀裂が入ったのか。それとも、美宜が再び寵愛を取り戻したのか。だが、答えを知る者は誰一人いない。美宜は柔らかな笑みを浮かべながら社員たちに挨拶を交わし、そのまま司野と並んでオフィスへ入っていった。社員たちは岩治に事情を聞こうとしたが、彼は一言で追い払った。「余計な詮索はするな。身のためだぞ」もっとも、岩治自身も状況を把握しているわけではない。知らないことを問い詰められても答えようがない。彼自身、内心では好奇心に駆られていた。——堀井家の人間が素羽の前に現れたのは、まったくの想定外だった。用事を済ませ、車に乗り込もうとしたその瞬間、裕美がどこからともなく飛び出し、行く手を塞いだのだ。「素羽さん、お願いです。どうかお手柔らかに、私たちを見逃してください」突然の懇願に、素羽は足を止めた。相手の顔を確認し、わずかに目を見張る。あれからまだそれほど時間は経っていないはずなのに、裕美は別人のようにやつれ、急激に老け込んだように見えた。「人違いですよ。私に頼んでも無駄です」素羽は淡々と言った。堀井家の件について、彼女に決定権など何一つない。言葉が終わるか終わらないかのうちに、裕美はその場で膝をついた。「素羽さん、お願いします!どうか堀井家のために口添えをしてください。美宜さんの件、私たちも被害者なんです。息子は
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