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54 Chapters

第51話

「だが、俺には無理だ」周歓は途方に暮れた面持ちで、鏡に映る沈驚月を見つめた。「俺はもとより学のないただの庶民で、お前のような名家の若様とは違う。何の準備もなしに臨めば、どうなることか」沈驚月は微かに笑みを浮かべると、身をかがめて周歓の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。「そうなれば、大変なことになるでしょうね」周歓は思わず身を震わせ、顔を上げて尋ねた。「大鼓書なら唄えるが……これも芸のうちに入るだろうか」※大鼓書とは、小太鼓と快板を打ち鳴らし、節に乗せて物語を語る、庶民に親しまれてきた街場の語り芸である。沈驚月は意外そうに目を瞬かせた。「もちろん入りますとも。心得があるのですか」周歓は頷き、眉根を寄せる。「子供の頃、道端で聞き覚え、見よう見まねで多少はな。だが、決して上手いものではないぞ……」ところが、沈驚月は俄かに色めき立ち、目を輝かせて周歓の腕を掴んだ。「ぜひお聴かせ願いたい!今ここで一節、ご披露いただけませんか」周歓はにわかに面映ゆくなり、鼻の頭をこすると、意を決したように言った。「わかった。お前がそこまで言うなら、恥を忍んでお聞かせしよう」善は急げとばかりに、沈驚月はすぐさま下男に命じて小太鼓一つと快板二枚を運ばせた。そして自身は小さな腰掛けを引き寄せ、卓の前に居住まいを正すと、期待に満ちた眼差しで周歓を見つめた。周歓は片手に鼓の撥、もう片方の手に快板を持ち、ひとつ咳払いをして喉を潤すと、声を張り上げて唄い始めた。それは周歓が幼い頃より馴染み深い演目であった。幾度となく耳にしたその唄は、そらで諳んじられるほどに染みついている。かつて気が向けば、近所の女衆に一節披露してやったこともあった。しかし彼は天性の音痴で、唄い出しから終わりまでまるきり調子が外れているため、いつも途中で聴衆から野次を浴び、唄を止めさせられたものだ。だが、このたびは違った。沈驚月は遮るどころか、終始一言も発さず、静かに最後まで聴き入っていた。最後の一音が消えると、周歓は長く息を吐いた。それは久しく味わうことのなかった、胸のすくような爽快感だった。パチ、パチパチ、パチパチパチ……しばしの静寂を破り、沈驚月がやおら拍手を始めた。ぷっ、とこらえきれずに吹き出すと、沈驚月は肩を震わせ、手を叩きながら声を上げて笑い出した。「愉快だ
last updateLast Updated : 2026-01-06
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第52話

夜の済水のほとり、夜気は水のごとく冷ややかに、至る所で灯火が煌めいていた。駕籠に揺られる周歓は、煌めく窓外の景色を眺め、まるで夢路を彷徨っているかのような心地であった。この目で直に見ていなければ、ほんの数時間前、凛丘城で最も名高いこの大路で見るに堪えない惨劇が繰り広げられたとは、到底信じられなかったであろう。しかし今や、その血の臭いも喧騒も、とうに人々の往来と繁栄のうちに掻き消され、跡形もなくなっていた。今宵、周歓は沈驚月と共に金陵閣へ赴き、かの伝説に名高い清平宴に参加する運びとなっていた。沈驚月の駕籠が金陵閣の前に乗りつけると、待ち構えていた群衆から、たちまち大きな歓声が沸き起こった。「ご覧になって、沈驚月様がいらしたわ」「まあ!沈驚月様よ!」男女の入り混じる甲高い声援が飛び交う中、沈驚月は涼やかな顔で駕籠から降り立ち、自ら周歓のために御簾を上げた。沈驚月が周歓の手を取り、肩を並べて金陵閣の前に歩み出ると、二人は瞬く間に居合わせた全ての者の視線を一身に集めた。まさに、万座の注目を浴びる華やかな登場であった。「あら!?沈驚月様のお隣にいらっしゃるのはどなた?あのような方、お見かけしたことがないわ」「おい、見ろ。沈驚月様が彼の手を引いておられるぞ」「どこのどなたかは存じ上げぬが、なんともご慧眼な顔立ちだ……」沈驚月が自ら見立てた豪奢な錦衣をその身に纏い、見物人たちの品定めするような視線と囁きに晒され、周歓は身の置き所のない思いであった。あまりの気恥ずかしさに、穴があれば入りたいほどだった。「手と足が一緒に出ておりますよ」沈驚月が彼をちらりと見て言った。「え、本当か」周歓は一つ咳払いをすると居住まいを正し、沈驚月の傍らに寄り添うと、神妙な面持ちで声を潜めた。「この格好、おかしくはないか。なぜ皆、俺のことばかり見るのだ?何を話しているのだろう」沈驚月はくすりと笑みを浮かべた。「もちろん、兄者がお綺麗だからですよ」周歓は半信半疑の面持ちで問い返す。「本当か。衣でも裏返しに着ていたかと思ったぞ」「じきに慣れます。人の目など気になさることはありませんよ」そう言うと、沈驚月は周歓の手を引き、風のように軽やかに金陵閣の中へと滑り込んだ。金陵閣に足を踏み入れた瞬間、周歓は思わず息を呑んだ。無数の灯籠と蝋燭の灯が三層の楼閣を煌々と照らし、交
last updateLast Updated : 2026-01-07
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第53話

周歓が呆然と立ち尽くすうち、沈驚月がいつの間にか音もなく忍び寄っていた。「あちらを。あの方こそ、兄者が探し求めておられる斉王殿下ですぞ」周歓が沈驚月の指し示す先へ目をやると、一人の男が隅の個室に座し、数人の友人と談笑しながら豪快に酒を酌み交わしている姿が映った。周歓が興味津々に男を窺っていると、その斉王は二人の視線に気づいたのか、ふとこちらを振り返った。目が合った瞬間、周歓は思わず息を呑んだ。──似ている!斉王と蕭晗は、顔立ちが驚くほどよく似ている。特にその双眸は、まるで蕭晗そのものではないか。ただ蕭晗と違うのは、斉王の方が明らかに年嵩であることだ。齢は少なくとも四十を越え、その鋭い眼差しには、世の荒波を乗り越えてきた者だけが持つ深みが滲んでいた。「おお、静山ではないか」沈驚月の姿を認めるや、斉王は己が太腿をぽんと一つ叩き、席を立つと大股で二人のもとへ歩み寄ってきた。「斉王殿下、ご無沙汰しております。お変わりなくご壮健なご様子、何よりです」沈驚月は恭しく一礼し、微笑を浮かべた。「静山も相変わらず凛々しいではないか!」斉王は沈驚月の肩をばしりと叩き、豪放に笑った。「静山……?」周歓はわけがわからず、訝しげに沈驚月を見やった。「私の字です」沈驚月は周歓の手を引き、斉王へと向き直ると紹介を始めた。「斉王殿下、こちらが誰かお分かりになりますか」「余も気になっておったところだ。先ほどから、この若者がひたと余の顔を見つめておるゆえな。もしや、余の知人か?」斉王は周歓をじっと見つめ、思案するように言った。周歓は慌てて斉王の前に跪くと、朗々と声を張り上げた。「皇后様の命を奉じ、監軍の職を拝命し兗州へ参りました周歓と申します。これより斉王殿下のお力となるべく、馳せ参じました!」「そなたが、あの周歓か!」斉王は驚きに目を見張り、慌てて周歓を助け起こした。「ほう、周歓殿の勇名はかねてより聞き及んでおる。ずっとここでお待ちしておったのだ!」周歓はそれを聞き、大きく安堵の息を漏らした。「なるほど、皇后様がすでにお話を通しておられたのですね。参る道中、もし斉王殿下が私のことをご存知なく、身分を証明する手立てさえなければ、さぞ気まずいことになるだろうと案じておりました。ははは……」「皇后様が?いや、そうではない」斉王は笑って首を横に振っ
last updateLast Updated : 2026-01-08
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第54話

これこそが、沈驚月が口にしていた「準備しておかねば大変な目に遭う」という隠し芸であったか。してみると、周歓のみならず、沈驚月自身もこの所謂「慣例」とやらからは逃れられぬらしい。周歓が音のする方へ振り向いた、その刹那。鏘然と琴の音が響き渡るや、沈驚月が手首を翻した。手にした軟剣は一筋の稲妻と化し、さながら遊龍の如く宙を駆ける。沈驚月は爪先で軽やかに地を蹴ると、身を翻し、高台に据えられたいくつもの盤鼓へと舞い上がった。その身のこなしは燕の如く軽やかで、躍動感あふれる鼓の音に乗り、盤鼓の間を従容と舞い踊る。燃えるような紅の袖と帯が風をはらんで翻る様は、さながら仙人の如しであった。「あの男に、このような才があったとは……」周歓は舞台上の紅き影を呆然と見つめる。脳裏に浮かぶのはただ「美しい」という一語のみ。それ以外の形容詞が見つかりそうにもない。そんな周歓の様子に気づいた斉王が、再び顔を寄せる。「静山の剣舞は、大陸広しといえど右に出る者なし、とまで言われるほどだ。そうそうお目にかかれるものではない。今日のそなたは運が良いぞ」斉王の言葉を裏付けるように、周歓はもとより、舞台下の観衆もまた、沈驚月の精妙絶倫な舞姿にすっかり心を奪われていた。感嘆の声、喝采、そして拍手が鳴り止む気配はない。その場にいる誰も彼もが、高台で舞う妖艶な紅き影に釘付けとなり、一瞬たりとも目を逸らすのを惜しむかのようであった。「どうだ、言葉も出ぬほどの美しさであろう」と斉王は笑う。「はい……あまりに美しく……言葉になりませぬ……」周歓は瞬きも忘れ、食い入るように舞台を見つめた。「だが、真の見どころはここからだ。次こそが、この舞の最高潮だぞ」斉王の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、沈驚月は宙高く舞い上がった。どよめきが満ちる中、沈驚月は梁から垂れ下がる紅絹を掴むと、それを鞦韆の如く操り、高台の周りを旋回し始める。その様は、さながら飛天の鳳凰が楼閣を舞い巡るかのようであった。時を同じくして、沈驚月は大胆にも、首にかけた極上の漢白玉の玉佩をこともなげに引き外し、宙へと放った。優美な弧を描いた玉佩は、階下の観客の中へと吸い込まれていく。観客たちは再びどよめき、我先にとそれを奪い合った。呆気にとられる周歓に、斉王が笑いなが
last updateLast Updated : 2026-01-09
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