障子の向こうから、午前の光が淡く差し込んでいた。その光は静かに室内を満たし、庭石に反射しながら揺れる影を畳に落としている。墨の香りが微かに漂い、乾いた紙を前に書を学ぶには最良の時間のはずだった。だが、今日はいつもと違った。桂木彰人は、筆を握る手元よりも、直哉の存在を強く意識していた。「…分からない」その声は、突然、あまりにも自然に漏れた。息がわずかに震えていた気もした。直哉は淡々と顔を上げずに答えた。「どのあたりが?」紳士的な声音だった。穏やかな語り口。だが、彰人には、それ以上に何かを聞きたいという抑えがたい期待が込められていた。彰人は顔を少しだけ横に傾けた。すると、直哉の肩に近づく。断じて不自然ではない距離だった。だが、二人の間の空気は、ほのかに震えた。筆先の墨が紙を濡らす音すら、遠くなるようだった。彰人は、理屈ではなく、本能で、直哉の温もりを求めていた。視線を直哉の手元に移す。筆を持つ手首の柔らかさ、指の節の僅かな角度の違い。障子越しの光に、肌が白く漏れているようで、人間の温度を感じた。直哉は言葉を探すように視線をそらさず、そのまま彰人の筆を正す。指先が触れる一瞬、どちらの指にもわずかな熱が伝わった。彰人の内側で、胸がゆらいだ。「ここを…こうやって引くのですね」観察者であろうとする理性の声が、底のほうで震えていた。「ええ、もう少し肩の力を抜いて」直哉が言いながら、筆を導く手つきは変わらなかった。だが、その瞬間、彰人が震えたのは、筆の感触ではない。指先に触れた直哉の肌が、確かに温かかったからだ。息遣いが混じる。微かな音が二人の間に落ちては消える。障子の向こうでは風が吹き、庭の葉がかすかに擦れる音が響いた。彰人が顔を上げる。直哉の目と合う。理性的で、学問を教える人。そのはずだったのに、なぜかその眼差しは突き刺すように熱く感じられた。「直哉さま…」声に出したとたん、光がゆらぎ、筆先がふわりと
Huling Na-update : 2025-09-05 Magbasa pa