昼下がりの桂木家は、外の蝉の声が遠く響くほか、ほとんど音のない静けさに包まれていた。廊下を吹き抜ける風は弱く、障子越しの光は緩やかに傾きはじめている。庭の樹々の影が畳に長く伸びるたび、季節の移ろいもゆっくりと流れるように感じられた。私室では、彰人が机に向かい、直哉がその横で教本を指差しながら、淡々と漢文の解釈を語っている。昼の直哉は昨夜の熱とは別人のように冷静で、厳格ですらあった。だが彰人には、直哉が自分の手を導いたときの熱や、唇が額に触れた感触が、指先にまだ微かに残っている気がしてならなかった。直哉は時おり筆の握り方を確かめるように彰人の手に触れ、そのたびに彰人の心臓がひどく騒いだ。夜に触れ合った手のぬくもりが、昼の光の下ではいっそう鮮やかに蘇る。墨の香と、昼下がりの甘い空気。直哉の指が自分の肌をなぞる感覚を思い出しては、彰人は呼吸が浅くなる。「ここは、こう読み下します」直哉が穏やかな声で言葉を繋ぐ。教本に視線を落としながらも、彰人の横顔にときおり目をやっているのが分かった。彰人は小さく頷き、視線を机の上の半紙に落とした。だが、耳の奥では昨夜の囁き声が何度も蘇る。「分かりました」彰人の声は自分でも分かるほど掠れていた。直哉はその声の震えに、わずかに眉を動かす。「疲れましたか」その一言が妙に優しく、彰人の胸の奥をくすぐる。昼間の直哉は、あくまで教師の顔を装うけれど、その眼差しの底に、夜の熱が眠っていることを彰人は感じてしまう。「いいえ、大丈夫です」彰人は微笑んでみせるが、その微笑みにも夜の名残が隠れている。直哉はしばし黙り、彰人の手を包むようにして持ち上げる。「指先が冷えていますね」直哉が、まるで何気ない仕草のように彰人の手を自分の手で包む。だがその手の温度は、昨夜の熱をすぐに蘇らせた。彰人は自分の鼓動が、ふいに速くなるのを感じる。「…昨日、寝冷えしたのかもしれません」彰人の言い訳めいた言葉に、直哉は静かに目を伏せる。だが唇の端が、僅かに揺れていた。その瞬間、二人の間の空気が昼の光のなかで緩やかに色づく。ふと障子の向こうから女
Terakhir Diperbarui : 2025-09-10 Baca selengkapnya