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25.帰邸の足音

مؤلف: 中岡 始
last update آخر تحديث: 2025-09-12 10:07:08

白檀の香が満ちる座敷には、穏やかな昼下がりの光が障子越しに差し込んでいた。初夏の柔らかな陽射しは、畳の目を斜めに照らし出し、涼やかな影を作っている。風はなく、庭の枝葉も微かに揺れるのみ。蝉の声もまだ遠く、まるで時間が閉じ込められたような静けさがそこにあった。

彰人は膝を揃えて座し、文机に置かれた筆を手に取っていた。直哉が教えてくれた筆の持ち方を思い出しながら、半紙にゆっくりと文字を描いていく。墨の香と、筆先が紙をなぞる微かな音が耳に心地よい。けれど、その平穏は唐突に破られた。

障子の外から、使用人のひとりが駆け足で近づき、呼吸を整える間もなく告げた。

「旦那様が…本日、夕刻にお戻りになるそうです」

筆先が止まり、墨が一点に滲んだ。彰人の手から筆が滑り落ち、畳の上に静かに転がる。誰もその音に触れようとはしなかった。使用人は頭を深く下げたまま動かず、空気が瞬時に凍りつく。

「…そう」

彰人の声は細く震え、白檀の香にかき消されそうだった。

使用人が下がった後も、しばらく彼は動けずにいた。白い指先が膝の上で静かに揺れている。まるで、自身の内に湧き上がる感情を、それだけでどうにか制御しようとしているかのようだった。

直哉はすぐ隣で、黙ってその様子を見つめていた。座敷の端に置かれた行灯の側に座り、背筋を伸ばしている。だがその眼差しには、理性と感情の狭間で揺れる微かな揺らぎがあった。

「…父上が戻るとは、思っていなかった」

彰人がぽつりと呟いた。

「お盆にも正月にも、お戻りにならなかったのに…」

その声には、戸惑いとも恐れともつかぬ響きがあった。彰人の視線は畳に落とされたまま動かず、直哉のほうを一度も見なかった。

直哉は静かに呼吸を整え、口を開いた。

「突然の知らせに、動揺するのは当然です」

「動揺…というより」

彰人はゆっくりと顔を上げ、直哉を見た。

「怖いのかもしれません。あの人に会うのが」

その目は、まるで深い井戸の底を覗き込んだようだった。澄んではい

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  • 明治禁色譚~美貌の御曹司と書生の夜   53.春の扉、開く音

    春の光は、やわらかな白絹のように新居の廊下を包んでいた。午睡を誘うような淡い陽射しが、木の床をなぞり、行灯のそばで埃を金色に浮かび上がらせている。静けさのなか、直哉は茶椀を両手で抱え、無意識に何度も息を吐いていた。午前のうちに掃き掃除を済ませ、障子を張り替え、香袋を新調した。小さな庭には白椿がひとつだけ咲き、門の前には春の風が通り過ぎていく。部屋の隅には、ふたり分の湯呑みと茶葉、菓子皿がきちんと並べられていた。この家で、待つのは今日が初めてだった。どれだけの日々、あの人の便りを胸に押し当てては、「また会える日」を想い続けてきたのか。季節は幾度も巡り、苦しさも、焦がれるような期待も、いまはすべて静かな鼓動に溶けていた。戸口をノックする音が、家のすべてを震わせた。「三崎さん、ご在宅でしょうか」明るくはないが、柔らかな声。すぐに心臓が跳ね上がる。「……どうぞ」震えぬよう気をつけて、声を返す。だが、すでに膝のあたりが強張っていた。ゆっくりと、玄関の引き戸が開く。木枠が鳴り、春の風とともに彰人が立っていた。袴ではなく、薄鼠色の着流し。かつてよりも面差しは大人びて、けれど瞳の奥には懐かしい影がある。少しだけ緊張しているのか、手土産を持つ手がぎこちなく見えた。「ご無沙汰していました」彰人が一歩、床に足を下ろす。その所作だけで、直哉は胸の奥から熱が湧き上がるのを感じた。「よく、来てくださいました」ようやく出た声は、かすれていた。それでも、言葉は確かに空間を満たした。しばし無言のまま、ふたりは見つめ合った。廊下の先から射し込む光のなかで、彰人の頬がわずかに赤らむ。「お邪魔します」やっとのことで彰人が笑う。微笑みは、初めて会ったあの日よりも柔らかく、しかしどこか憂いを含んでいる。直哉はその姿を、言葉もなく見つめた。彰人は廊下を進み、居間へと入る。香箱座りで畳に腰を落とし、両手を膝に置く。まるで昔の甘えをなぞるようだが、いまはその仕草に大人の気配が滲んでい

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