「延期だと言ってるんだ。つべこべ言わず手配しろ」「……かしこまりました」京介は、詩織よりも先にレストランへ到着していた。彼女が席に着いた時には、テーブルにはすでに料理が並んでいる。どれも薄味であっさりとした、胃に優しそうなメニューばかりだ。詩織は持参したワインボトルを取り出した。じっくりと商談をするつもりだったからだ。「今日は酒はやめよう。代わりにスープなんてどうだ」「わかったわ」京介に制され、彼女は素直に応じた。本音を言えば彼女だって飲みたくはない。ただ、ビジネスの場では酒の手土産が常識になっているせいで、それが染み付いてしまっているだけだ。詩織は水を飲む間も惜しんで、さっそく本題に入ろうとした。「まあ待て、まずはスープだ。ここの『水炊き』は絶品だぞ」京介はまるで店の回し者のように料理を勧め、彼女の取り皿に白濁したスープをよそう。鶏の旨味が凝縮されたスープは滋味深く、一口飲むだけで身体の芯まで温かさが染み渡る。勧められるがままに箸を進めているうちに、気づけばすっかり満腹になっていた。対照的に、京介自身の箸はほとんど動いていない。詩織が満足げに息をつくと、彼はようやく切り出した。「さて、今日は何の話だ?改まって俺を誘うなんて珍しい」詩織は単刀直入に窮状を伝えた。資金が足りない、と。ただし、具体的なプロジェクト名までは明かさなかった。まだ確度も低く、絵に描いた餅になりかねない段階だからだ。それでも京介は、彼女の目をまっすぐに見て頷いた。「わかった。出資しよう」ただし、と彼は続ける。彼が個人的に動かせる金額の上限は、100億円が限界のようだ。詩織はそれで十分だった。衆和銀行内部での彼の立場が、外野が思うほど盤石ではないことは知っている。反体制派の役員たちが常に彼の失脚を虎視眈々と狙っている状況で、これだけの額を用意してくれること自体が奇跡に近い。「ありがとう、先輩」「……」「どうかした?」「いや、久しぶりに『先輩』って呼ばれたなと思って」京介が少しだけ目を細める。「今はもうお互い経営者同士だもの。けじめはつけないと」詩織は公私の線引きを大切にしている。ビジネスパートナーに甘えて迷惑をかけることだけは避けたかった。二人が店を出た直後、入れ違うように一台の車が滑り込んでき
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