Semua Bab 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Bab 301 - Bab 310

366 Bab

第301話

「俺は、婚約する」「……は?」その瞬間、詩織はこの手にある荷物をすべて彼の顔面に叩きつけてやりたい衝動に駆られた。これが、重要な話?頭、どうかしてるんじゃないの!詩織が怒りを爆発させる前に、柊也が言葉を継いだ。「父さんはこの結婚に反対しているし、婚約式に出る気もない。俺にも無理強いはできない……今の父さんの体調じゃなおさらだ。松本さんも言っていたが、最近は食事も進まないようで塞ぎ込んでいる。だから、頼みがあるんだ」「私に説得しろって言うの?おじさまに式へ出席するように」詩織は、まるで狂人を見るような目で彼を見据えた。柊也は言葉を切り、首を横に振った。「違う。時間を見つけて、なるべく父さんの相手をしてやってほしいんだ。今、父さんは誰の言葉も耳に入らない状態だが、お前と松本さんの言うことだけは聞くから」「そんなこと、あんたに言われなくてもわかってるわよ」さっき松本さんと約束したばかりだ。「それと……」男は冷ややかな双眸を持ち上げたが、その瞳の光はどこか頼りなく揺れていた。「父さんが衝動的な行動に出る可能性がある。俺の婚約式の日……お前がそばにいてやってくれないか」「あんたのフィアンセから、招待状が届いてるんだけど」詩織は冷たく指摘した。「無視していい」なるほど。志帆があれだけ楽しみにしている婚約式だ、見たくない顔など見たくもないだろう。招待状を送ってきたのは、勝者としての戦果を自分に見せつけたいだけ。どのみち詩織に行く気はない。仕事の邪魔だ。それにしても、どこまでも志帆に配慮する男だこと。「他には?あるならまとめて言って」詩織は露骨に時計を確認し、一秒たりとも彼と関わりたくないという意思を表示した。柊也は長い睫毛を伏せ、感情の読めない声で呟いた。「父さんのこと……頼んだぞ」その口ぶりに、詩織は眉をひそめた。まるで遺言か、何かペットでも預ける時のような言い草だ。たかが婚約するだけでしょ?死ぬわけでもあるまいし。理解できない。本気で意味がわからない。「この期に及んで親孝行のアウトソーシング?自分の親の面倒くらい自分で見なさいよ。私がいくらやったって、息子の代わりにはなれないんだから」またこの男に時間を無駄にされた。本当に、人生の浪費だ。「それに、おじさまがあんなに反対
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第302話

翌朝、詩織は午前の予定を空け、あの書画を携えて『金宝堂』を訪ねた。店主の陳野晃一(じんの こういち)は、国内でも屈指の美術品鑑定士であり、古美術商としても名高い人物だ。かつて詩織が柊也の秘書を務めていた頃、贈答用の骨董品を見繕うために頻繁にこの店を訪れていた。そうして行き来するうちに、陳野とは気安い仲になっていたのだ。昨夜メッセージを送ると、すぐに「現物を持ってこい」と返信があった。鑑定の結果、書画の価値は詩織の予想通り3億円前後だった。陳野は呆れたように彼女を見た。「お前さん、オークションで買ったんだろう?相場くらい分かってるはずなのに、わざわざ鑑定させに来たのはどういう風の吹き回しだ」「実は、陳野さんにお願いがあって」詩織は本題を切り出した。画家の麻田範一郎(あさだ はんいちろう)が描いた作品を探してほしい、と。二年前、賀来家での会食の席で、海雲と柊也がその話題を出していたのを覚えていたのだ。海雲が麻田の画をえらく気に入っていると聞き、いつか贈りたいと思っていた。陳野は唸った。「麻田範一郎の画は安くないぞ」「分かってるわ」詩織は覚悟を決めていた。「お前さん、運がいいな。ちょうど今、知り合いから麻田作品の売却を頼まれてるんだ。ただし値が張るぞ、覚悟しておけよ」「いくら?」「20億円だ」高い。さすがに少し心が痛む額だ。だが、これまで海雲が詩織にしてくれた支援や、贈ってくれた宝石、そして昨日譲り受けたあの書画の価値を考えれば、20億円など安いものだ。恩返しのつもりもある。詩織は腹を括り、即決した。「買うわ」「よし。今すぐ持ち主に連絡して画を持ってこさせる。売買契約を結ぼう。お前さん、いい買い物をしたな。持ち主も、のっぴきならない事情があって、泣く泣く手放すんだ。かなりの割安だぞ」陳野はそう言って席を外し、売主に連絡を取りに行った。待つこと約四十分、ようやく売主が到着した。現れた人物を見て、詩織は目を丸くした。そして相手は、さらに驚愕していた。宇田川太一だったのだ。太一にとっても、まさか買い手が詩織だとは夢にも思わなかった。もし知っていたら、死んでもここには来なかった。だが来てしまった以上、今さらドタキャンして逃げるわけにもいかない。陳野に頭を下げて売却を頼んだの
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第303話

あの女、いつからあんなに羽振りが良くなったんだ?20億円の絵画を、瞬きひとつせずに即決で買うなんて。太一はどうしても好奇心を抑えきれず、柊也に電話をかけた。しかしいくらコールしても応答がない。しびれを切らした太一は、ターゲットを志帆に変えた。どうせ二人は一緒にいるのだ、どっちにかけても同じだ。むしろ志帆にかけたほうが、柊也を捕まえるのが早いかもしれない。志帆はすぐに出た。声の調子はすこぶる明るい。「太一くん、あなたも一緒に来ればよかったのに。ここの景色、最高よ。見逃すのはもったいないわ」「どうせ婚約式までとっとくよ。へえ、そのリゾート島でのプラン、そんなに気に入った?」「ええ、もちろん。柊也くんが私のために心を込めて準備してくれたんですもの、最高に決まってるわ」志帆の声は、幸福感にどっぷりと浸っていた「で、柊也は?あいつに電話しても出ないんだけど、忙しいの?」「彼は別の場所に花の手配に行ってるわ。ちょっと遠い場所だからって、私が移動で疲れないようにリゾートに残して、自分一人で行ってくれたの」「ラブラブだねえ。あいつにそんな一面があったなんて驚きだよ。まさに新世紀の理想の旦那様ってか」「あら」志帆はわざとらしく問い返した。「彼、昔はそうじゃなかったの?」「全然!」太一は即答した。「昔は誰に対してもドライで、冷たいもんだったよ。あんただけだよ、例外は」「本当に?あの江崎さんに対しても?」何気ない風を装った質問だった。太一のような単純な男でなければ、その裏にある意図に気づいただろう。「あの女にはもっと冷淡だったよ。ろくなアクセサリーひとつ買ってやったこともないしさ。オークションであんたに20億円ポンと出したのとは大違いだ」20億円という単語で、太一は電話の本来の目的を思い出した。「そうだ、その江崎なんだけどさ。今しがた20億で絵を買っていきやがったよ」優雅にジュースを飲みながら日光浴を楽しんでいた志帆の手が止まる。「20億?」「ああ。俺もビビったね」「あの子にそんな大金、どこにあるのよ」「さあな」その話題が出た途端、会話の熱は急速に冷め、二人は早々に通話を切り上げた。隣でフルーツをつまんでいた美穂が、不思議そうに尋ねてきた。「お姉ちゃん、さっき電話で20億って言わなかった?
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第304話

「どうしてそう思うの?」志帆の声に警戒心が混ざる。「私、純平ともめてもう長いけど、なんで今さら?それも、江崎に薬を盛った直後よ。純平が私に金を無心しに来たとき、追い返したら逆ギレされたけど、動画の話なんて出なかった。だって動画は私とっくに消してたし。あいつがもし本当にデータを持ってたなら、最初からそれをネタに脅してきたはずでしょ」海外で頭を冷やす時間があったおかげで、美穂は一連の騒動を冷静に振り返り、いくつかの矛盾点に気づいていた。「それに、動画を持ってるのになんで金を要求せずに、いきなりネットに晒したわけ?そんなことしても、あいつに何のメリットもないじゃない」「決定的だったのが、あの晩、江崎に薬を盛るのを手伝わせた二人の男よ。連絡がつかなくなったの。メールも電話も無視されて、まるで蒸発したみたい」「名前は?連絡先を教えて、調べさせるわ」美穂はすぐに情報を渡すと、志帆に懇願した「お姉ちゃん、絶対突き止めてよ!もし本当に江崎の仕業だったら、ただじゃおかないで!」「ええ、任せて」志帆の瞳に冷たい光が宿った。その時、柊也からメッセージが届いた。大量の花の写真と動画だ。【今、フラワーファームにいる。気に入った花はあるか?】メッセージにはそう添えられていた。志帆の機嫌は一瞬で直り、送られてきた画像を食い入るように見始めた。【式の前夜に空輸して会場に飾るつもりだ。最高の状態で届けさせる】そんな言葉に、覗き込んだ美穂が溜息を漏らす。「柊也さん、本当に尽くしてくれるわね。プラン選びから花の買い付けまで全部自分でやるなんて……あーあ、また嫉妬しちゃいそう!」志帆の心に巣食っていた些細な憂鬱は、柊也の献身的な気配りによって綺麗さっぱり消え去った。気を取り直した彼女は、【いつ帰ってくるの?】と尋ねた。【会いたい】と付け加えて。【まだ青い花のファームを見ていないんだ。今夜は戻れない】柊也からの返信に、志帆は落胆した。ここに来れば、二人きりで甘い時間を過ごして、関係をもっと深められると期待していたのに。入念に準備していた勝負下着も、すべて無駄になりそうだ。「柊也さんだって、二人の婚約式のために頑張ってるんだから。お姉ちゃん、ここは我慢よ」そう美穂に慰められた。一方、太一は志帆との通話を終えるなり、今度は譲に電話を
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第305話

水曜日、詩織はすべてのスケジュールをキャンセルしていた。理由はただ一つ。恩師に会いにいくためだ。七年という空白。その家の門の前に立った瞬間、詩織の胸は不安で押し潰されそうになっていた。インターホンのボタンが、ひどく遠い。手を上げては下ろし、下ろしてはまた上げる。迷いがあまりに深く、掌が冷や汗で濡れていくばかりで、結局、呼び鈴を鳴らす勇気が出なかった。一方、屋敷の中では。室内のモニターでその様子を窺っていた高村静行(たかむら しずゆき)もまた、じれったさに業を煮やしていた。とうとう我慢できなくなった彼は、家政婦を急かしてゴミ出しに行かせ、外にいる詩織と鉢合わせるよう仕向けたのだ。家政婦は言いつけ通りに門を出ると、そこで詩織と顔を合わせた。詩織は覚悟を決め、硬い表情で名乗った。「こんにちは……江崎詩織と申します。高村教授をお訪ねしたのですが」「あらいらっしゃい、先生ならご在宅ですよ。どうぞ中へ」家政婦は事情を知ってか知らずか、自然な流れで彼女を招き入れた。こうなっては詩織に退路はない。まな板の上の鯉のような心境で、足を踏み入れるしかなかった。詩織がリビングに入る直前、静行はすでに椅子に座り直し、お茶を啜りながら新聞を広げていた。いかにも、記事に読み耽っているといった風情だ。室内に入ったものの、詩織は萎縮して入口付近で立ち尽くしてしまった。それ以上、前に進む足が動かない。家政婦が静行に声をかける。「先生、お客様がいらっしゃいましたよ」静行は新聞越しに眉を持ち上げ、入口の方へと視線をやった。そこにいるのが詩織だと確認するや、そっけなく視線を外し、再び新聞に目を落とす。やはり京介を待ってから一緒に来るべきだった、と詩織は後悔した。少なくとも彼がいれば、この重苦しい沈黙を破ってくれたはずだ。今の彼女はまるで、先生に叱られて廊下に立たされている生徒のようだった。入り口で直立不動のまま、身動き一つできない。静行が新聞のページをめくる乾いた音が響く。ようやく、彼は視線も上げずに冷ややかな声を投げかけた。「……何しに来た」そばで掃除をするふりをしていた家政婦は、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。一体どこのどなただろうか。京介から「詩織が来る」という電話を受けて以来、昨晩は興奮して一睡もできなかったくせ
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第306話

悠人が部屋に入ると、静行は虫眼鏡を片手に、詩織が持ってきた柳先生の書に見入っていた。先ほどまでの冷たい威厳はどこへやら、彼は手放しで喜びを露わにし、そばに控える家政婦に自慢げに話しかけている。「見ろ、これだ。これこそが名筆というものだ!まったく、あいつめ、少しは殊勝な心が残っていたか。私の好みを忘れていなかったようだな」上機嫌なその姿からは、詩織を追い返そうとしていたことなど想像もつかない。「どんな書画が先生をそんなに喜ばせているんです?」悠人も興味を惹かれて覗き込んだ。だが、机の上に広げられた書を目にした瞬間、その表情が凍りついた。これは……見間違いようがない。あのオークションで、賀来柊也が20億円という高値を付けて落札した品だ。悠人自身も喉から手が出るほど欲しかったが、志帆に免じて競り合うのを諦めた、あの一品。なぜ、それがここにある?静行は書の鑑賞に没頭しており、悠人の問いかけになど耳も貸さない。代わりに家政婦が、にこやかに種明かしをしてくれた。「これはねえ、先生が一番可愛がっていらしたお弟子さんが贈ってくれたんですよ。もう、先生ったら宝物みたいになさって」悠人の眉間がピクリと動いた。一番可愛がっていた弟子……悠人が父のコネクションを通じて高村静行の門下に入ったのは、昨年のことだ。風の噂で、静行にはかつて溺愛していた弟子がいたと聞いたことがある。しかし、何らかの理由でその弟子は姿を消し、それ以来二度と現れなくなったという。静行はその弟子の話をすることを固く禁じ、対外的にもその存在を認めようとしなかった。時が経つにつれ、人々の記憶からも薄れていった幻の弟子。ただ、昨年悠人が入門した際、周囲の人間が冗談めかしてこう言ったのを覚えている。「七年前に最後の弟子を取ったんじゃなかったのか?また『最後の弟子』が増えるとはな」その時、静行は烈火のごとく怒り出し、「そんな弟子は知らん」と、その時期に弟子を取ったこと自体を頑なに否定して見せたのだった。当時、興味を抱いた悠人は、兄弟子である京介にそれとなく探りを入れてみたことがあった。京介が言うには、確かに教授には溺愛し、目をかけ続けていた弟子がいたらしい。だが、その存在を公にする前に、二人は袂を分かつことになった。だからその弟子の正体を知
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第307話

「来るわけなかろう」静行の答えは断定的だった。あいつがわざわざ一日早く会いに来たということは、当日の祝賀会には顔を出さないつもりだということだ。その答えを聞いた悠人は、少なからず落胆した。できれば、あのような公的かつ重要な晴れの舞台で、志帆と顔を合わせたかったのだ。もっとこの姉弟子について聞き出したいことは山ほどあったが、静行が明らかにこれ以上の会話を拒んでいるのを察し、それ以上は口をつぐんだ。その後、静行と茶を二杯ほど酌み交わし、自身の研究についての近況報告を済ませると、悠人は高村邸を後にした。屋敷を出てすぐ、悠人が最初にしたことは、志帆への電話だった。コール音がしばらく続いた後、ようやく志帆が出た。受話器越しにもわかるほど弾んだ声で、名前を呼ばれる語尾が楽しげに跳ねていた。悠人の胸の奥を、何かがふわりとくすぐったような気がした。「あら、珍しい。悠人くんから電話なんて」悠人は早鐘を打つ胸を押さえながら、平静を装って切り出した。「もし時間あるならと思って。飯でもどうかな?」「もしかして、江之本に来てるの?」「ああ、着いたばっか」「それは残念……私、今海外なのよ」志帆の声はいよいよ華やいだ。「そうなの。婚約式のプランを選びにこっちに来てるのよ。あと二日で戻る予定だから、その時まだ江之本にいるなら、食事くらいご馳走するわ」「……そっか。わかった」悠人の心は急速に凪いでいったが、そこには言いようのない寂しさが澱んでいた。「じゃあ、ちょっと忙しいから切るわね。また」通話が切れた後も、悠人はしばらく風の中に立ち尽くしていた。なるほど、先生が「来ない」と断言したわけだ。彼女は海外で、婚約式の準備に夢中になっているのだから。彼女は……幸せそうだった。やはり、自分に入り込む隙など微塵もないのだろうか。……翌朝早く、京介から電話がかかってきた。今日の祝賀会に来るつもりはあるかと聞くためだ。「私は遠慮しておくわ。私の分までお祝いの言葉を伝えておいて」詩織が答えると、彼女の性分をよく知る京介はあっさりと引き下がった。「まあ、そう言うと思ったよ。昨日もう会ってるしな。先生も結構喜んでたんじゃないか?」「だといいけれど」詩織は言葉を濁した。かつてあれほど期待をかけてくれた恩師を失望させてしまっ
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第308話

また、あの女か!どこに行っても出くわす気がする。しかも白昼堂々、衆人環視の中で、今度は坂崎譲と車内でイチャついているのか?悠人はそばにいた譲のアシスタントを捕まえて尋ねた。「あの女、坂崎さんとどういう関係なんだ?」「華栄の江崎社長ですよ。我々のパートナー企業のトップです」アシスタントは事実を淡々と告げた。「パートナー企業?」悠人の顔がいっそう険しくなった。サカザキ・モータースといえば、国内屈指の自動車メーカーだ。そのパートナーに選ばれるには、それ相応の実力が不可欠だ。それがあんな、吹き飛ばせば飛ぶような弱小投資会社だと?何の資格があって?譲が詩織に向けるあの媚びたような態度を見れば、答えは明白だった。悠人の胸中に、詩織に対する軽蔑と偏見がどす黒く渦巻く。彼が最も忌み嫌うのは、コネや色仕掛けでのし上がる女だ。実力もないくせに、男を利用して地位を得るような手合い。江崎詩織は、そのどちらも兼ね備えているように見えた。体を売って栄光を買うのと何が違う?最低に下品な女だ。「……坂崎さんに伝えてくれ。応接室で待ってるって」あの女の顔など見たくない。悠人は吐き捨てるようにアシスタントへ伝言を残すと、その場を立ち去った。詩織は悠人が来ていたことなど露知らず、全神経を自動運転車の挙動に注いでいた。AI「ココロ」を実装したことで、車両の性能は飛躍的に向上していた。業界他社を大きく引き離し、圧倒的な先行者利益を得られるレベルだ。譲によれば、あと二ヶ月もすれば実車を発表できるという。彼はその際の新車発表会には必ず出席してほしいと熱心に誘い、詩織も快く承諾した。テスト走行が終わり、詩織がドアを開けて降りようとした、その時だった。カチャリ、とドアロックがかかる音がした。詩織は不思議に思って振り返った。これもテストの一環なのだろうか?「あのさ……」譲自身、なぜこれほど緊張しているのか分からなかった。数多の浮き名を流してきた自分が、詩織を前にするとまるで初恋に戸惑う思春期の少年のようになってしまう。「何か問題でもあった? 遠慮なく言って」詩織はてっきり仕事上のトラブルかと思った。譲はしばらく口ごもっていたが、意を決して切り出した。「今夜、空いてるか?……飯でもどうかなって」詩織はホッ
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第309話

「ああ、すぐ行く」歩き出しながら、譲は念を押すのを忘れなかった。「招待状、忘れるなよ」「承知いたしました」悠人はしばらく待たされていた。普段の彼なら、これほど長く待たされることなどあり得ない。だが今日は、十分な忍耐力を持って待っていた。譲に直接忠告してやりたかったからだ。「あの女にいいように食い物にされるなよ」と。「悪い、待たせたな」部屋に入ってくるなり、譲は詫びた。悠人は気にした風もなく答えた。「いや、構わない。自動運転車の発表が近いらしいな?」「ああ、もうすぐだ。もし時間が空いてたら発表会に来てくれよ」譲は自信に満ちた笑顔を見せた。「さっきテストコースを覗かせてもらったが……あの江崎詩織とかいう女、なかなか手が早いみたいだな」悠人の刺ある言葉に、譲の笑顔が曇った。「詩織さんに何か誤解があるんじゃないか?」「いや、誤解もなにも、個人的な面識はない」悠人は即座に否定した。「なら、彼女のことをよく知らないだけだ。彼女は相当な切れ者だぞ」譲がいくら弁護しても、悠人の口元には冷笑が浮かぶだけだった。フン、完全にのぼせ上がってやがる。せっかく忠告してやろうと思ったのに、聞く耳を持たないならそれまでだ。恋に目が眩んだ男に何を言っても無駄だということか。「あの女には興味ないね」悠人はきっぱりと言った。だが譲は、悠人が詩織に対して偏見を抱いていることなど知る由もない。むしろ、詩織のために新たなビジネスチャンスを作ってやろうと提案を持ちかけた。「お前のところの保険業務にも、AI『ココロ』を導入してみたらどうだ? 面倒な手続きが一気に効率化できるはずだぞ」「ココロ」の名前が出た瞬間、悠人の中でさらなる嫌悪感が膨れ上がった。あれは志帆が手がけるはずだったプロジェクトを、詩織が横から掠め取ったものだ。「彼女と組むつもりはない。俺はこのプロジェクトを先輩と共同開発する予定だ」「先輩?」「柏木志帆先輩だよ。エイジアの投資部門トップだ」志帆の名前を口にする時、悠人の声には誇らしげな響きが混じる。「ああ、彼女か。確かに優秀な人だが……」譲は言葉を選びながら慎重に続けた。「以前、彼女が手がけたAI関連のプロジェクトが大損害を出したことは知ってるか?決める前に、多角的にリスクを検討したほうがいいと思うが」愛する志
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第310話

詩織は二人を視界から消し去り、誠を連れて会場内を巡回することにした。会場の一角には特設のインタビューエリアが設けられており、全国から集まった百社以上のメディアがひしめき合っている。今まさにそこが異様な熱気に包まれており、誰かがインタビューを受けているらしく、人の波が一点に押し寄せていた。詩織と誠は、きっと業界のキーパーソンがいるに違いないと踏んで、教えを請うべく人だかりの方へと向かった。今回の参加目的は、あくまで学習なのだから!だが、人の波は予想以上に激しく、詩織は誠とはぐれてしまった。誰かの足に躓き、バランスを崩す。体勢を立て直す間もなく、詩織の体は無様な格好で前へと倒れ込んだ。目の前には重厚な録音機材が迫っている。避ける術はない。詩織は観念して目を閉じ、激突の痛みに身構えた……その時だった。誰かが詩織の手首を掴んだ。強烈な力で引き戻されたかと思うと、次の瞬間、腰を強い腕で抱き寄せられる。周囲から悲鳴にも似た驚きの声が上がった。目を開けるより先に、顔が硬い胸板にぶつかった。鼻腔をくすぐるのは、記憶に刻まれた研ぎ澄まされた香り。冷たく鋭利なウッディノートに、僅かなタバコの残り香が混じる。詩織は息を呑んで顔を上げた。視線の先には、柊也の漆黒の瞳があった。彼の表情は能面のようになく、その瞳の奥には変わらぬ冷ややかな色が宿っている。まるで、通りすがりの赤の他人を気まぐれに助けただけ、といった風情で。詩織は体勢を立て直すと、すぐに彼の腕から離れ、距離を取った。まとわりつくような侵略的な香りも、ふっと遠ざかる。「……ありがとう」礼儀として、感謝の言葉は口にした。だがそれは社交辞令に過ぎず、そこには何の感情も籠もっていなかった。「どういたしまして」柊也の声もまた、温度を感じさせない、まるで通りすがりの他人に対するそれのように淡泊なものだった。ほんの一瞬の交錯。二人はすぐに背を向け合い、それぞれの方向へと歩き出した。詩織がようやく誠を見つけ出した矢先、近くにいた記者が声を張り上げたのが聞こえた。「賀来社長!柏木さん!こっち向いてください!私、お二人のファンなんです!少し前に、賀来社長がオークションで柏木さんのために40億円ものジュエリーを競り落としたっていうニュース見ました!今日生でお
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