All Chapters of 異世界で神子になり半獣ふたりに溺愛されました: Chapter 11 - Chapter 20

57 Chapters

*五ノ二

 ジッと黙したままでいると、ふと、爺様が「そうですなぁ……」と呟く。「昨夜はこちらに招いて早々に神事を行ったことが、色々ごたついた原因かもしれませぬなぁ……」 昨夜のトラブルを振り返っての言葉に楓は身を硬くする。あの様子を知らされて、呆れられているのではと思ったからだ。 とはいえ、松葉と常盤も背負うものがあるからこそ、課せられたものを果たさねばという気持ちが強いのだろう。それゆえの強引さであったとは、いまならば考えることもできる。 ならばどうすれば……と、一同が考えに耽っていると、「ならば、」と、輪の中の一人が声をあげる。声の方に振り返るとそれは、松葉の声だった「ならば、俺と常盤、そして神子様で一緒に暮らしゃいいんじゃねえのか?」「一緒に、暮らす? 寝食を共にする、ということですか、松葉」 常盤の言葉に、松葉は大きくうなずき、更に言葉を続ける。「神子様はこっちの世界のことは何にも知らねえんだし、なにより俺のことも常盤のことも知らねえ。そんな状態で、おぼこな神子様にまぐわえなんざ無体じゃねえのか、って俺は思ったんだよ」 昨夜の取り乱しようを目にした上での松葉の見解に、常盤が同意するように頷いている。「それには私も同じ考えです。我々が神子様の御気持ちを考えず、神事を行おうとしたことが、昨夜の騒動の発端にもなっているのでしょうから……それならば、やはり、松葉の考えは一理あるかもしれませんね」 神事の実行役である二人の意見が一致していることと、なによりその内容の効果を期待出来る可能性があるからか、爺様は腕組みをしてしばらく考え、そうして口を開いた。「儂も、松葉や常盤が言う話が善いように思えるのですが……神子様は、いかがお思いになりますかな?」 不意に意見を求められ、一斉に一同の視線が注がれる。 自分なんかが意見していいものだろうかという戸惑いもあるが、ここで一言でも何か言っておけば、昨夜のような事態は避けられる気もする。しかし、何をどう言えばよいのかがわからない。 無防備な身体を曝すのであれば、相手のことを知らないのは恐怖
last updateLast Updated : 2025-09-03
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*六 三人の住まいとして

 小一時間ほど松葉と常盤が手配してくれたお茶を飲んだり、菓子を食べたりしている間に、三人の新居とも言える住まいの用意が整ったと声がかけられた。 従者の一人に案内され、三人で向かった先にあったのは、今朝がたまで楓が過ごしていた建物とは随分と趣が違う。 楓がこれまで過ごしていたのは、学校の歴史の授業などで習った記憶から察するに、平安時代などの絵巻に掛かれているもの、所謂寝殿造りと呼ばれるものだった気がする。部屋が御簾で区切られ、畳よりも傷なりの部屋ばかりだったからだ。 しかしいま案内された建物は、寝殿造りであった以前の物よりも幾分楓にはなじみ深い気がした。恐らくそれは、建物の壁が漆喰で覆われ、中に入れば障子の間仕切りも見え、床には畳が敷かれているからだろう。「こちらが、神子様の御部屋でございます」「わあ……!」 まず通されたのは、楓の私室。そこは以前の部屋のように十畳か、それより少し広い和室だった。床の間には季節の花が活けられており、掛け軸や茶器も飾られ、隅の方には上質そうな木製の文机もある。明かり障子と呼ばれる自然光を取り入れる窓のような所からはさんさんと日が降り注いでおり、日当たりも良さそうだ。「お隣が閨となっておりまして、廊下を挟んで向こうに、松葉様、常盤様の御部屋がございます」 二人の部屋も楓の部屋と造りはほぼ同じだそうで、違いがあるとすれば、二人の部屋は縁側があることだろうという。「もし、他のお部屋が良いと思われましたら、遠慮なくお申し付けくださいませ」 そうにこやかに言われたものの、いままで暮らしてきたどの部屋よりも立派な部屋を与えられて、それ以上の贅沢を言うつもりは楓にはなかった。 部屋の中には、ごく当たり前のように生活に必要なものは充分に揃えられているし、なによりそのどれもが楓の私物よりも高価そうだ。 いつの間にかまた整えられたお茶の席に、松葉と常盤にいざなわれるまま腰を下ろし、楓は溜め息をつく。「いいのかな、こんなにしてもらって……」 あまりに身の丈に合わない処遇であることは、充分に身に染みている。昨日あれだけの
last updateLast Updated : 2025-09-04
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*六ノ二

「気の持ちようとは、要は慣れの問題ではないかと思うのです」「慣れ? 僕が、慣れたらいいということですか?」「神子様はこちらの暮らしにも、神事にも不慣れでらっしゃいます。ですから、我々とひとつ屋根の下に暮らしつつ、我々と触れ合うこと事態にまずは慣れて頂こうかと」「そうすりゃあ、神子様は俺たちとまぐわえるって言うのかぃ?」「まあ、いずれは。松葉だって昨夜わかったでしょう、無理を強いては何にもならぬと」「……それは、まあ……でもよぅ、そんな悠長なことでいいのかぃ? 患者はどんどん増えてるってのによ」 松葉の心配ももっともである。楓がふたりとの関わり方に慣れ、セックスを出来るようになるまで……など、そんな猶予があるのか、楓も気になっている。猶予がないと思われるから、昨日の強引に事を成そうとしたのだろうから。 常盤はそれでも、意をひるがえす様子はなく、「そう、案ずることはないと思います」と言うのだ。「急いては事を仕損じる、と言うでしょう。神事は神子様のご負担になりかねないことですし、何より、無理を強いて治癒力を得たところで、それ自体に効果が期待できるとは、私は思いません」 診療所を開き、実際に患者たちと向き合っているからか、常盤の言葉には説得力がある気がする。松葉もそれ以上言い募る気はないのか、口元に手を宛がって考え込んでいる。「それに、あなただって、ただ交われば事が済むほど簡単じゃないと思っているからこそ、神子様との住まいを、と申したのでしょう、松葉」 共同生活を提案してきた言い出しっぺの松葉に、確かめるように常盤が尋ねると、松葉は溜め息交じりにうなずき、答える。「まあ、そうだ。昨夜の神子様の様子を見てたら……ただまぐわって終い、ってことにゃならねえ気がしたんだよ。神子様は、花街の女より、うんと儚えんだってな」 そう言いながら、松葉は一歩楓の方に近づき、「触ってもいいかぃ、神子様」と尋ねてくる。その眼はやさしく、昨夜のような獰猛さはなかった。 楓が恐る恐るうなずくと、松葉はそっと、まるでガラス細工にでも触れるような優しい手つきで楓の頬
last updateLast Updated : 2025-09-05
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*七 三人のルール

「いまのままでは、お互いに隔たりがあるような気がします。試しに、呼び方から変えてみましょうか」 じきに慣れていけばいい――松葉らの言葉通り、三人での暮らしはまず楓と松葉、常盤が互いを知ることから始めることになった。 手始めに、お互いの呼び方を変えようということになり、楓は彼らを「さん」付けせず、二人は「神子様」ではなく、「楓さま」と呼ぶように改めてみる。 楓はこれまで誰かを呼び捨てにするなどほとんどしたことがない。あるとすれば、保護していた動物たちぐらいだ。「まぐわいは互いの体に触ることでもあるから、これから楓さまの世話は、基本、俺と常盤で行う。何なりと言ってくれ」「あ、ありがとうございます……」「楓さまよ、腹は空いてねえか? 美味い菓子を持って来させようか。それとも松柏一美味い酒がいいか?」「え、えっと……」 そう言いながら、松葉が膝を寄せて迫ってくるのに、楓は苦く笑う。松葉の整った顔立ちながらも人懐っこい甘い容姿に、つい、気後れを感じてしまうからだ。 惹かれるのに、迫られると怖くなってしまう……そんな不思議な魅力が、松葉には漂う。色気、と簡単に称してしまうにはあまりに複雑で、未知な魅力だ。 背後に視線を送ると、腰のあたりで太く豊かな毛並みの尻尾が揺れているから、機嫌が良いのは確かなのだろう。「松葉、そのように食いつくから、楓さまは恐ろしがるのですよ。じっと傍に仕えて、すぐに動き出せるようにしておけばよいのです」 松葉の様子に呆れた口調で常盤が口を挟むと、松葉はムッとした子どものような表情をする。「俺ぁ、そんな地蔵みたいな真似なんてできねえんだよ。常に相手のことを先回りして、先手を打つってのが俺のやり方だ」「あなたの商売のやり方はそうかもしれませんが、楓さまは商談相手ではないんです。もっとジッとしておきなさい」 薬問屋の主人だという松葉は、かなりのやり手らしく、その手腕に自信があるのだろう。商売相手の心をつかむのと同じように、神子である楓の心もつかもうというのかもしれない。 ぐいぐいと積極的に来られることに
last updateLast Updated : 2025-09-06
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*七ノ二

 ストップ、という言葉の意味を松葉も常盤も知っているかはわからないが、それまでずっと事態を窺っていた楓が大声を出したことに二人の罵声が止まる。そして瞠目して楓を見つめていた。 四つの目に突如見つめられて、楓は怯みそうになりながらも、思い切って言葉を続けてみる。「け、ケンカは、しないで……僕は、その……ケンカする人は、怖くて、イヤだから……」「だがな、この腹黒狐が!」「何を言いますか強引狸」「ケンカしないで! もしまたケンカするなら……僕は、どちらとも神事をしない!」「な……ッ?! 何言いだすんだよ、楓さま!!」「お待ちください、楓さま! それは本当にそうお思いですか?」 じりっと二人から見据えられつつ距離を詰められるも、楓も引き下がることも、発言を撤回することもなかった。正直言えば、金色の目と青い目に見据えられて震えそうなほど怖くはある。でも、こうでも言わないと、二人はいつまでもケンカをしてしまい、事が進まないからだ。「だって、僕と、その……まぐわう……って言うなら、仲良く出来なきゃじゃない? 仲が悪かったり、気まずかったりする人と、僕はそういうこと、したくないから……」 だから、ケンカはやめてほしい。そう、語尾が小さくなってしまったけれど、どうにか自分の気持ちを伝えることができた。 心臓が口から飛び出るのではないかともう程に、ドキドキしている。動物意外には引っ込み思案なところがある楓にしては、かなり勇気を出した行動と言えるからだ。しかも、楓はいま睨み合う二人の間に立ちふさがるように手を広げて立っているのだ。間近に迫る二人の気配に、怖気好きそうでもある。 その内心ドキドキしている心が、広げる指先の震えに出てしまっているのを、二人には見透かされていたのかもしれない。 しかし同時に、二人も楓の言葉に何か感じ入るものがあったのか、耳も尻尾もしょんぼりとうな垂れている。 そうして松葉と常盤は互いを見やりながらうなずき、それぞれに大きく息を吐いて答えた。「……楓さまがそう言うんなら、まあ、この狐と仲良くしてやらんでもねえわ」
last updateLast Updated : 2025-09-07
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*八 それぞれの役割

 ケンカをしないことは当人たちの努力も大切だが、楓自身も振舞いに気を付けた方が何かと摩擦が起きないのではないだろうか。(保護猫や保護犬でも、相性を考慮するのは大事だったからね) 両親が保護活動をし、預かりをしている際、動物同士の相性を考慮しながらゲージの配置を決めたり、遊ばせる時間などを決めていたのを、楓は思い出していた。 松葉たちは半獣だし、見た目だって実際の年齢だって楓よりも上なので、保護動物のように考えるのは失礼かもしれない。しかし、動物だろうが半獣だろうが人間だろうが、相性の問題は大きいのは確かだ。何より、本人の適正というものもあるだろう。 そこで楓は松葉と常盤と話し合い、住まいでの過ごし方を考えた。「では、神事を行うに際しまして、決して行ってはいけないことがあります。楓さま、おわかりになりますか?」 午前の診療が終わると、昼餉のあとは常盤が座学として常盤に神事について教えを説いてくれることになった。大学の講義のように小難しい内容ではないのだが、それでも神事という神聖さを伴うため、話を聞きながらも背筋が伸びる。 常盤は書庫から文献をいくつも持って来てくれ、中に書かれた堅苦しい文章を説いてくれる。楓は午前中主にその文献を読んで過ごすことが多い。「ええッと……“痛みを伴わない”と、“無理強いをしない”と……あと、“傷つけない”、かな……」「御名答です。そしてそれは神子様と交わる我々の方により強く課せられております」「どうして?」 神事とは言えセックスであることは、楓は既に知っている。そしてセックスというものが片方だけに強くペナルティを課せられるものでないことも、性体験自体はないが、一応はわかっているつもりだ。 だから、常盤の言葉に首を傾げて尋ねると、コホンと咳払いをした常盤が、不意に楓を両脇から抱え上げたのだ。 常盤は見た目は楓より背は高いが、肉体のたくましさは松葉が上であることは一目瞭然だ。中性的な容姿で、細身で、正直こんなことができるようには見えない。それなのに。「ヒャッ……! な、なに?!」 悲鳴を短く
last updateLast Updated : 2025-09-08
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*八ノ二

 楓が心配そうに常盤の顔を窺うと、弱く微笑む彼が目を細める。「楓さまは、お優しいですね。あなた様が神子様で、本当に良かった」 常盤は、普段のつんと澄ましたようにも見える、涼しげな表情をほどかせて、楓をよく褒めてくれる。それがなんだかくすぐったく、微笑みかけてくる表情に懐かしさを覚えるのが不思議だ。 他にも常盤の座学では、文献を紐解いて性技の講釈も行われたり、二人とセックスをすることで、楓が得られる治癒力にどのような効能があるのかなど、内容は多岐にわたる。 そうしている内に日が暮れ夕餉の時間となり、三人で食膳を囲み、風呂も眠るのも三人一緒なのだ。ただそこに、性的なふれあいはまだない。 松葉は座学は苦手らしく、その代わりに楓の風呂の世話やマッサージなどを請け負ってくれる。いまも楓の背後に座り、優しく髪を洗ってくれている。「洗い足りねえところはねえか、楓さま」「うん、だいじょうぶだよ」 まるで幼子に戻ったような扱いだけれど、触れ合いつつ互いに慣れていくことを思えば、必然な関わり方だろう。 体まで松葉は丁寧に洗ってくれ、お湯で洗い流すのも丁寧でやさしい。それは、正直少し意外だったし、実際、松葉が自身の体を洗い流すときは楓の時よりも随分荒々しい。常盤に顔をしかめられるのだが、それはそれで彼らしい振る舞いと言える。「どうれ、楓さま。頭を使って疲れただろう。ほぐしてやるよ」 そう言いながら、楓の肩や首をほぐしてくれるのは松葉のも役割だ。たくましい体躯で、力も常盤より強いというのに、その触り方はやさしく繊細さすら感じる。大きく太い指に肩や首を揉みしだかれると、自然と吐息を漏らしてしまう。「あー……すごく気持ちがいい……ありがとう、松葉」 マッサージもされて体の芯からホカホカしたままで湯につかる。大きなヒノキの湯船は、高級な温泉宿でもお目に掛かれないほどに立派なものだろう。 風呂だけでなく、閨の布団も当然ふかふかな立派なもので、寝間着もまた上等な仕立てだ。「しあわせすぎて、怖いくらいだな……」 人間界で
last updateLast Updated : 2025-09-09
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*九 松葉の店・朝倉堂

 神子が内に秘めている治癒力を覚醒させるためには、半獣の中でも妖力の高いものと交わることが条件とされている。神子の体内に妖力に満ちた精を注ぐことで、それが可能になるためだ。「神子様の体内、胎……下腹部にあたる辺りに、慈愛の源になるものが眠っているとされております。その多くは、命を宿すことができる人間の女性の胎なのですが、極稀に、楓さまのように男性でもそれを持つ方がいらっしゃるのです」「男のそれは、精を生み出す場所にも近いからか、女よりも治癒力が高いとも言われている。だから皆、楓さまに多く期待してるんだろうな」 座学を始めて半月余り。そして同時に住処を共にするようになって同じくらいの日が経ち、知識の蓄積も、三人の物理的な距離も当初に比べれば幾分近くなっていると言える。楓も二人に世話されることにだいぶ戸惑わなくなり、身を任せるようになってきたのも大きいのだろう。「なあ、楓さまよ。俺の店に来るかい?」 座学を終えてお茶とか詩を楽しんでいる時、ふと、松葉がそう提案してきた。 松葉は、常盤が診療を行っている診療所に卸す薬を扱っている、薬問屋の旦那だという。店の経営は有能な番頭に任せているというが、それでも店を不在にするわけにはいかないのか、日中の多くは店に滞在している。「お店に? いいの、僕が行っても」「俺ぁ昼間ほとんど店にいて、楓さまと話も出来ねえんだ。たまにはいいだろ、常盤」 毎日、朝餉を終えてすぐに屋敷を出て店に向かい、日中のほとんどを店で過ごしているため、松葉なりに触れ合いのなさを気にしているのかもしれない。 ただ神事のために共同生活をしているだけで、そこに何か愛着などないはず……と、楓は思っているのだが、それでも、相手から相手の領域に招かれるのは心を許されている気がする。しかも、場所はこちらではまだ行ったことがない場所ならなおさら魅力的だ。「そうですね、楓さまにもこちらの町の様子などを知って頂くには、いい機会でしょうから、そうしましょうか」「じゃあ決まりだな」 話が決まると、すぐに支度が始まる。初めての外出らしい外出とあって、二人は真
last updateLast Updated : 2025-09-10
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*九ノ二

「こちらが、当店自慢の商品棚でございます。ざっと、二百、いや、三百の薬湯や薬を扱っております」「わあ……すごい数の引き出し……」 店内の最奥の壁には一面の木製の引き出しが作りつけられていて、そのすべてに小さな品目の紙が貼られている。人間界で言うなら、薬局の棚と同じだろうか、と楓は考える。「右から咳止め、痰きり、熱さまし……あとは腹下しの薬なんかが良く出ますね」 よく使うものほど下段にあり、滅多に出ないものは上段に置かれているという。喜助はその中でも特に珍しいというものを見せてくれた。「……これは?」 それは和紙で丁寧にくるまれた、一見高麗人参にも見える長細い植物の根のようなものだ。枯れた草のようなものを生やし、根のような部分が黒ずんでいる。「冬虫夏草、と申します。土の中の虫やクモなどに寄生し、キノコを生やすものでございます。これはセミタケになります」 そうやって見せられた冬虫夏草はなかなかにグロテスクな姿で、楓は思わず小さく悲鳴を上げそうになったが、辛うじて堪える。「こいつはな、滋養の付く効能がある。特にウチで扱うのは物がいいからな、評判ではあるんだぜ」「こ、これをそのまま飲むの?」「まさか。乳鉢で潰して粉にして、煎じて飲む。もちろん飲みやすいように他の薬草とも合わせてな」「その行程は私もやったことはありますが……まさか現物がこんなものだとは……」 常盤も、診療所では薬になっている姿で扱うからか、原材料の姿で目にすることは滅多にないようで、若干顔を背けていた。尻尾も垂れた様子を、松葉が面白そうに見ている。「夜伽の薬はまあだいたいこういう見てくれのものが多いかな。なにせ、精をつけるんだからな」 そんな話をしながら、松葉はまた次々に新たな薬を出してきては説明してくれる。座学は苦手だと言って、常盤の講釈には顔を出さないが、それでも薬に関することになるとちょっとした講座が開かれたようになる。「こっちはもっと珍しい。舶来ものだ。金貨百枚出しても欲しいって御仁がいるくらいだ」 そんな
last updateLast Updated : 2025-09-11
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*十 的屋で遊ぶ

 朝倉堂の店内を見学した後、楓は松葉と常盤に連れられて通りを歩いてみることにした。 病が早いっていると聞いていたので、暗い雰囲気が漂っているのかと想像していたが、道行く人々の表情は特段暗く沈むことはない。獣の耳や尻尾が生えていて和装である点を除けば、楓が住んでいた町のにぎやかさと変わりはないように見える。 朝倉堂は、通りの中でも人通りが多い一角にあるようで、往来が激しい。人だけでなく大八車も荷台を牽く馬も行きかっている。「手始めにどこ行くかなぁ……流行りの的屋にでも行くかぃ?」「まとや?」 道を歩きながら、聞き慣れない言葉を返すと、常盤が答えてくれた。「三文銭ほどで五回、弓矢で射的を行う遊技場です。当たりが出れば何かがもらえるんだそうですよ」「まあ、駄菓子とか酒のつまみとかそんなもんだけどな、元が三文だから、あたりゃ儲けものってところだ」「おもしろそう! 行ってみたい!」 そうして早速、歩いて数分の店に入り、松葉の手ほどきを受けつつ弓矢を構える。弓道なんてたしなんだことがないので、楓にとってこれが初めてだ。 的は大人の手のひら大の素焼きの皿で、それを射落とすか割れば当たりだという。 まずは松葉が弓矢を構え、ささっと三回連続で的を射ることができ、景品の一つであるスルメイカの干物をもらっていた。「上手いねぇ。常盤はできる?」「え、ええ、まあ……」 いつもであれば何事もそつなくこなすイメージのある常盤なのに、なんだか煮え切らない態度である。その様子を、松葉がニヤニヤと、イカの足を咥えながら見ている。「座り仕事の多い医師様にゃあ、弓矢なんて難しいんじゃねえのか?」「戦場でもあるまいし……これくらい、造作ありません」「へぇ。じゃあ、当ててみろよ」 挑発するような目を向けてくる松葉に対し、常盤は珍しくあからさまにムッとし、弓矢を構える。心なしか矢じりが震えて見え、狙いもブレているようだ。 そうして射られた矢は、案の定大きく的を外し、松葉が腹を抱えて笑う。「い
last updateLast Updated : 2025-09-12
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