All Chapters of 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す: Chapter 11 - Chapter 20

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11:雨宿り

 湿り気を帯びた熱い空気が森に満ちる夏の午後、空が急速に暗くなった。 エリアーリアが軒先に干していた薬草を取り込もうと手を伸ばした瞬間、大粒の雨が地面を叩き始める。空を見上げた彼女の髪が、みるみるうちに水に濡れていった。「大変だ! 薬草を取り込まないと、濡れてしまう!」 アレクが慌てて薬草を集めようとするが、エリアーリアは制した。「気にしないで。それよりも早く小屋に入りなさい。この雨は、荒れるわ」 遠くの空に稲光が走った。続く雷鳴は、アレクの予想を超えて近くに落ちる。轟音が辺りに鳴り響いて、大気と地面が揺れた。 先に小屋に戻ったエリアーリアに続き、アレクも小屋に駆け込んだ。◇ 激しい雨が屋根を打ち、窓に光る稲妻が小屋の中を一瞬だけ青白く照らし出しては、また暗くなる。 ランプの灯火が今は頼りない明かりとなって、二人の影を壁に映していた。 狭い小屋の中は、降りしきる雨の音と雷鳴だけが満ちている。 アレクと二人きりで閉じ込められる状況に、エリアーリアは落ち着かない気持ちを覚えていた。この小屋はつい春先までは、彼女のたった一人きりの聖域だったのに。今ではこうして当たり前のように彼がいる。 そして、異物であったはずの彼の存在に慣れてきているのを自覚して、内心でため息をついた。「すごい雨だな。この森は、時々こうして荒れるのか?」 沈黙を破ったのは、アレクだった。エリアーリアはどこかほっとして、頷いた。「ええ。森が溜め込んだ魔力を、こうして吐き出すの。……怖くはないの? 激しい雨に、落雷。人間は、こういうのを恐れるものだと思っていたわ」 深緑の森は魔女の森。魔力の流れは強く、普通の森とは違う環境になっている。 エリアーリアの問いに、アレクはわずかに微笑んだ。「君がいるから、怖くない。それに……なんだか、懐かしい気がする。昔、兄上と雨宿りをして、お互いに雷を怖くないと言い合ったものだ。本当は怖いのに、意地を張って」「あら。
last updateLast Updated : 2025-09-20
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12:雨宿り2

「そ、それは。断片的に思い出したんだよ」 彼の言葉に、エリアーリアはそれ以上何も言わなかった。 ふと。 ぽつ、ぽつ、と天井から水滴が落ちてきて、アレクの銀の髪にかかった。雨漏りだった。彼が慌てて近くにあった桶を置こうとするが、エリアーリアは押し留める。「そんなことではきりがないわ」 小さくため息をつくと、雨漏りのする天井へ手をかざす。すると小屋の梁から細い蔓がするすると伸びてきて、雨漏りの穴をすっかり塞いでしまった。水の滴る音は、もうしない。 アレクは、あまりに自然な魔法の行使に目を見張っていた。 人間の使う魔術とは大きく違う。呪文の詠唱はなく、魔力の動きもほとんど感じられなかった。力ではなく、自然との調和そのもの。「……普通なら、今の魔法は怖がるべきなんだろうな。人間ではあり得ない、不思議な力だ」 彼は一度言葉を切って、エリアーリアの緑の瞳をまっすぐに見つめた。「だが、不思議と怖くない。君がやると、まるで雨上がりの草が丈を伸ばすのと同じくらい、自然に見えるんだ」(……怖くない?) エリアーリアは絶句した。 百年、人間と自分を隔ててきた壁。その正体は異質なものへの恐怖だった。人間は魔女の力を恐れて遠ざけ、あるいは利用しようとした。 同じ魔女の仲間であれば、互いに理解はできる。同族であれば当然だ。 だが目の前の青年は違う。 彼は人間だ。それなのに魔女の力を目の当たりにして、ただ「自然だ」と言った。人と魔女との違いを乗り越えて、彼女の存在そのものを、ありのままに受け入れる言葉。 百年間、誰からも向けられたことのなかった、純粋な受容の眼差しが目の前にある。 エリアーリアの孤独は、誰からも理解されない諦念と共にあった。アレクの言葉が、彼女の心の壁にヒビを入れる。「……そんなふうに言われたのは、初めて」 自分の声をどこか遠くに聞きながら、彼女は続けた。「怖がらないでいてくれたのも、あなたが初め
last updateLast Updated : 2025-09-21
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13:星空の下で

 降り続いた雨が上がると、それまでの嵐が嘘のように晴れ渡った夜空になった。雨で洗い流されて澄み切った、満天の星空が輝いている。 小屋の外に出て星を見上げていたエリアーリアは、ふと思った。(あの風景を、彼に見せてあげたい) 辺りに漂うのは、雨上がりの澄んだ空気。たっぷりと水を得て、喜びの歌を歌っている森。いつもよりも強く感じる月と星々の魔力。 明るく浮き立つような森の気配の中で、エリアーリアの心も弾んでいた。 雨宿りの会話で、心の深い部分を彼に明かしてしまったからだろうか。戸惑いと同時に、どこか心が安らぐのを感じる。 これ以上はいけない、魔女の掟に反すると、理性は叫んでいる。 けれどエリアーリアは、どうしても気持ちを抑えられなかった。「アレク。見せたいものがあるわ。ついてきなさい」 思いがけない誘いに、アレクは驚いたように目を瞬かせる。けれど彼が彼女の誘いを断るはずもない。何も問わずに微笑んで、頷いた。◇ 雨の水気を含んだ森の中を、二人は歩いていった。 木々の梢からは、月明かりが差し込んでいる。その明るさを頼りに、彼らは進んだ。 やがて開けた広場に出た。 そこには一面の銀の花々が咲いている。森の嵐の後、短い間だけ花を咲かせる「月光花」の群生地だった。 咲き誇る銀の花々は、月の光を浴びて淡い燐光を放ち、広場全体に星屑を撒いたような幻想的な光が満ちている。「綺麗だ……。まるで天の川が、地上に降りてきたようだ」 見上げる天には星々の川。立つ地上は銀の光。 この世のものではない幽玄の美、人の世を離れた魔女たちの世界がそこにある。 アレクはただ、人の身に余る美しさに言葉を失って、天と地に満ちる光を目に焼き付けていた。(連れてきて良かった) エリアーリアはそんな彼の横顔を見て、思う。この光景は、アレクの銀の髪によく似合う。 銀の光の中央に立ち、彼女は静かに語り始めた。「あなたは、死ぬのは怖い?」
last updateLast Updated : 2025-09-21
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14:星空の下で2

「還る?」「ええ。千年を生きた魔女は、その魂と魔力を、自らが司る自然の一部へと溶け合わせるの。森は私になり、私は森になる。それが魔女の誇り高い宿命である『大いなる還元』よ」 彼女は月光花を一輪摘んで、空へと掲げる。地上の銀の光が空の星の光に混じり合うようだった。「私たち魔女はそうして、悠久の昔から世界を支えてきた。人として生まれ、ある時目覚めて魔女になる。目覚めてしまえば後戻りはできない。体は変質し、心は人であることを忘れ……還元の時を待つ」 エリアーリアは、自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。「だから、未練は持ってはならないの。特に、私たちよりずっと早く時を駆け抜けていく……あなたたち人間との思い出は。それは還りを妨げる、最も強い未練、最も強い毒になるから」◇ 宿命を語り終えたエリアーリアの横顔は、月光花に照らされて美しくも儚い。 アレクは今しがた聞いた、人間と魔女の大きな隔たりに打ちのめされていた。(そんな。じゃあエリアーリアは、たった一人で千年もの間を過ごすのか。人と関わりを持たず、孤独を受け入れて。やがて来る還元の宿命をひたすらに待って……) なんて気高い。 畏敬の念が、アレクの心を震わせる。 エリアーリアの存在が、手の届かない高嶺の花のように感じられる。(俺は、ここに来るべきではなかった。命を助けてもらった、もう十分じゃないか) エリアーリアの意志を尊重すべきだ。理屈では分かっていた。 けれど――。 銀の花を捧げ持つ彼女が、寂しそうに見えて。銀の光を映す瞳に、彼自身を見て欲しくて。 アレクよりもよほど強い存在で、長い時を生きている。命の恩人でもある彼女を、守ってあげたくて。 触れたいという思いを、こらえきれなかった。 ほとんど無意識に、吸い寄せられるように手を伸ばす。 アレクの指先が、エリアーリアの頬にそっと触れた。◇
last updateLast Updated : 2025-09-22
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15:雪解けの音

 月光花の広場から小屋へ戻る道、二人は無言のままでいた。 夜の森に響く自然の音だけが、彼らの気まずい沈黙を埋めている。 小屋に戻っても、暖炉の火を見つめるアレクと、薬草棚の整理を始めたエリアーリアの間には、どこか緊張を含んだ空気が流れていた。 エリアーリアは、頬に残るアレクの指の温もりに心が乱されているのを感じた。 頬を自分の指で触って、すぐに離す。アレクの指が触れたのはほんのわずかな時間だったのに、感触はいつまでも残っていた。(未練は毒……) それまでただ知識として知っていた言葉が、今では実感に変わって彼女を苛む。 百年の間保ってきた平穏が崩れ始めた恐怖から、アレクの姿を視界に入れるだけでも恐ろしかった。 彼女は彼に背を向けて、薬草の瓶をぼんやりと並べ替えている。◇ 一方でアレクは、感情のままにエリアーリアに触れてしまったのを後悔していた。(俺の存在が彼女を苦しめると、もう分かったはずなのに) 後悔しながらも、指先に残る彼女の頬の柔らかい感触が忘れられない。思い出すたびに甘く疼くような思いが込み上げて、視線は想い人を追った。 だが、エリアーリアは彼を見ようとしない。(怒らせてしまっただろうか。それも、当然だが) 怒らせてしまった。嫌われたかもしれない。 元より、傷が治れば出ていってもらうと言い渡されている。 国を追われた王子である彼に、もはや行く場所などないのに。 どのような言葉をかければいいのか、アレクには分からない。 夜の森の小屋は沈黙に支配されて、二人の心を飲み込んだ。◇ 翌日になっても、ぎこちない空気は続いていた。 エリアーリアは調合台に立って、作業に没頭している。呪いを抑えるための材料である、貴重な鉱物を乳鉢で砕いていた。 ゴリ、ゴリというどこかリズミカルな音が、小屋の中に響いている。 彼女はやはりアレクを見ようとしない。
last updateLast Updated : 2025-09-22
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16:雪解けの音2

「すまない! すぐに片付ける!」 アレクは仕出かしたことに青ざめて、ガラスのかけらを拾うために床に膝をついた。 エリアーリアは床の惨状と、世界の終わりのような顔で片付けをしているアレクの姿を見比べた。 最初は貴重な薬草を駄目にされたことへの苛立ちが湧いた。 叱責の言葉を放とうとした寸前、しょんぼりとした彼の姿が、なぜかひどく滑稽に見えてしまった。(何よ、あれ。まるで雨に濡れてしょげ返っているアライグマみたいだわ) そう思ったら、怒りはあっという間に霧散してしまった。 王子であり呪いに苦しむ彼が、薬草の瓶を割ったくらいでこんなにも落ち込んでいる。人間らしくて不器用で、まっすぐな姿。 最初はこらえるような息の音だった。でも一度漏れてしまったら、もう止められない。 くすり、と小さな笑いがこぼれた。「うふふ、あははっ! アレク、落ち込みすぎよ。アライグマみたいな顔、しないで!」「えっ? アライグマ?」 エリアーリアの笑い声は明るい。この百年、そんな笑い方など忘れてしまっていた。 あっけに取られていたアレクも、彼女の楽しそうな笑顔に釣られて、安心したように顔をほころばせる。最後には向かい合って、一緒に笑いあった。 それが、二人の間の氷が溶けた「雪解けの音」になった。◇ その夜。 夕食の雰囲気は、以前とは比べ物にならないほど穏やかで、温かいものになっていた。 笑いあったのがきっかけで、二人は自然な会話を交わしている。「明日は少し遠出して、薬草を摘んできましょう。あなたが割ってしまった瓶のものを、補充しなければ」 エリアーリアが少しだけ意地悪な口調で言えば、アレクは苦笑する。「任せてくれ。体はもうずいぶん動くようになった。どこまでもお供するよ」「……そうね」 エリアーリアは少しの寂しさを込めて頷いた。 アレクと離れがたいと、彼女はもうはっきりと自覚していた。 それで
last updateLast Updated : 2025-09-23
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17:夏の散策

 翌朝はエリアーリアの言った通り、よく晴れた日になった。 エリアーリアは早起きをして、小さなパン焼き窯に火を入れ、二人分のパンを焼いた。 小屋の畑で採れるレタスを挟み、以前狩ったウサギの干し肉を添える。布を敷いたバスケットに入れれば、立派なお弁当の出来上がりだ。 アレクも手伝おうとしたのだが、「こら、アレク! それは塩じゃなくて砂糖!」「あ、すまない。じゃあレタスをちぎっておくよ」「細かくちぎりすぎ! それじゃあパンに挟めないでしょ」 と、注意されてばかりで、あまり役に立たなかった。 アレクは落ち込んでいるが、エリアーリアは笑っている。 一生懸命なのは伝わってきたし、どれも慣れればできるようになることだ。なお、細かくちぎりすぎたレタスはサラダにして、朝食で食べた。「さあ、行くわよ」 朝食後、エリアーリアの先導で二人は森に入った。 夏の陽光に満ちる森は、生命力に溢れている。木々は旺盛に枝葉を伸ばし、濃い緑の匂いが漂っていた。 枝々を渡る鳥の声、森を吹き抜ける風の音。にぎやかな気配に彩られた森を、二人は歩いていった。 途中、少し開けた場所に出ると、野生の山羊たちが草を食んでいるところに出くわした。「みんな、こんにちは。元気かしら?」 エリアーリアが自然な様子で言葉をかけたので、アレクは内心で驚いた。「君は山羊と話ができるのか?」「ええ、もちろん。この森は私そのもの。この森に生きる命は、私の子どものようなものなの」 一頭の山羊が歩み寄ってきた。仔山羊を連れた母親のようだ。「あら、ありがとう。アレク、この子がお乳を分けてくれるそうよ。少しもらっていきましょう」 エリアーリアは膝を折って、母山羊の乳房に手をかける。もう片方の手にマグカップを持ち、器用に山羊の乳を絞った。 仔山羊は少し不満そうに、エリアーリアの金の髪に鼻面をくっつけている。「はいはい、大丈夫よ。お前の分まで取らないから」「メェ」 母山羊がた
last updateLast Updated : 2025-09-23
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18:夏の散策2

 エリアーリアが山羊の頭を軽く撫でると、山羊の親子はまた草を食べに戻っていった。 その何気ない仕草は愛情にあふれていて、冷徹な魔女とはまた違う姿を見せている。(これがきっと、彼女の素顔なのだろう) アレクは思う。(森の精霊、魔女としての神々しい姿。雨の日に見せてくれた、無防備な顔。星空の下で聞かせてくれた、魔女の宿命……。エリアーリア、君はどこまで魅力的なんだ。君の全ての姿が、俺を魅了してやまない。知れば知るほど、好きになる) カップを手にしたままじっと彼女を見つめれば、エリアーリアは居心地が悪そうに首を振った。長い金の髪が揺れる。 そんな所作さえ美しく、アレクは目が離せない。「もう飲んだわね? さあ、先に進みましょう」 ◇ それからも二人は様々な話をしながら、様々な景色を見ながら歩いた。途中で薬草を摘みながら、さらに森の奥へと分け入る。「あ。あの木は」 以前エリアーリアに教えてもらった種類の樹木を見かけて、アレクは近づいた。 コルクの木に少し似た、弾力のある樹皮をした木である。「考えていたんだが、この木の樹皮を靴の裏にしたらどうだろう。歩きやすいし、足音もあまりしないと思う」「ふうん。いいんじゃない?」 首を傾げるエリアーリアは、いつも素足だ。森そのものである彼女は、土や木の根で傷つけられることはない。 靴がどういうものだったか、遠い記憶でしか覚えていなかったが、アレクに必要なものなのは理解できる。「少しもらっていこう。いいかな?」「どうぞ」 アレクはナイフを取り出して、樹皮を少し削った。必要な分だけ取り出すと、薬草とは別の籠に入れる。「ここは豊かな森だな。薬草だけでなく、樹木も獣も魔物も、様々なものが生きている」「ええ、そう。私の大事な森よ」 エリアーリアは微笑んだ。 やがてたどり着いたのは、小さな泉。青い水をたたえる泉は、陽だまりのようになって
last updateLast Updated : 2025-09-24
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19:夏の散策3

「食べ終わったら、あそこの薬草を摘んでいきましょう」 彼女が指差す先には、深緑色の丈の高い草が生えている。「ホルトソウよ。葉は薬草になるけど、茎は毒がある。採取する時は気を付けて」「ああ、分かった。……あの草の緑色は美しいな。まるで君の瞳のようだ」「お世辞を言っても、薬効は変わらないけど?」 エリアーリアは憎まれ口を叩くが、アレクが見た横顔は嬉しそうにほころんでいた。◇ そうして午後も森を歩いて、目当ての薬草をしっかりと摘むことができた。「これだけあれば、俺が割ってしまった瓶の分になるかな」 アレクが言えば、エリアーリアは意地悪く笑う。「摘んだだけじゃ駄目。しっかり干して乾燥させないと。保管用の瓶もまだ予備があるけれど、そのうち町まで買いに行かなければ」「人間の町へ?」「ええ。最低限の買い物くらいなら、関わりを持ったことにはならないから」 その言葉に現実を思い出して、二人は少しだけ黙った。 気分を切り替えるように、エリアーリアが明るく言う。「さて! 帰ったら、薬草を仕分けしましょうね。もう夕方になってしまうから、干すのは明日」「了解。夕食を作らないとな」「塩と砂糖を間違えないでよ」「ごめん、ごめん」 小屋に帰って二人で作った夕食は、いつものメニュー。薬草と野菜のスープに、干し肉を戻して入れたもの。それから自家製のパンだった。「エリアーリア。今日は楽しかった」「そう? 特別なことは何もしていないと思うけど」「君の話を聞いて、君の隣を歩いていけた。俺にとってはとても楽しい時間だよ」 そうして夕食は和やかに進んで、終わりに差し掛かった頃。「ぐ……っ!?」 アレクが突然、胸を押さえた。苦しげに歪む表情がエリアーリアを捉えて、すぐに瞳から光が消える。 がしゃん、と。倒れた彼の腕が食器を払う。
last updateLast Updated : 2025-09-24
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20:最後の手段

 穏やかな時間は幻のように消え去って、苦しみもがくアレクだけが残されている。 床に倒れたアレクの体から、禍々しい紫黒の光が脈打つように溢れ出した。小屋の中のランプの灯りが揺らめいて、温かだった空気が急速に冷えていく。 茨の紋様が彼の肌の上を蠢いては、アレクの生命と魔力とを貪欲に食らっていた。「アレク!」 エリアーリアは魔法の力を借りて、彼を抱え起こした。最初の日と同じようにベッドに横たえる。 あの日と同じ。違うのは、彼らの心。 孤独の魔女と国を追われた王子の、二つの寂しい魂が、寄り添おうとしていた矢先の出来事だった。(今までの薬草だけでは足りない。月光花のエキスと、ホルトソウもありったけ……!) エリアーリアは思いつく限りの薬草を試した。彼女とてこの二ヶ月を無為に過ごしていたわけではない。魔女の書物を読み込み、呪いに対抗しうる薬草を調べては採取していた。 魂喰いの呪いは魔力を食って勢いを増す。魔女の魔法が逆効果になる以上、知識と技術だけが頼りだった。 ある薬草は砕いて煎じ、口に含ませる。またあるものはペースト状に練り上げて、呪いの茨を覆うように塗り拡げる。 けれど効果は薄かった。 呪いの茨は脈動を止めず、エリアーリアと苦しむアレクを嘲笑うかのように広がっていく。 魂喰いの呪いは狡猾に、表面上の症状を隠しながら、アレクの体と魂の奥深くに食い込んでいたのだ。(駄目だ、効かない! どの薬草も、解呪に至らない。症状を抑えることすらできない。でも魔法を使えば、アレクをもっと苦しめることになる……) 焦りと無力感が、エリアーリアの心に強く爪を立てた。◇ やがてアレクの体の痙攣が弱まって、呼吸もほとんど聞こえなくなった。呪いの闇も、彼の生命力という燃料が尽きかけるにつれて、不吉に揺らめき始める。 小屋の中が、死を予感させる静寂に包まれた。(このまま、彼が……消えていくのを、見ているだけ…&h
last updateLast Updated : 2025-09-25
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