All Chapters of ワンナイトから始まる隠れ御曹司のひたむきな求愛: Chapter 11 - Chapter 20

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11:功績の裏側で2

 上司が部下たちに向き直って言った。「よーし、佐伯の昇進を祝って祝賀会をするぞ!」「おー!」「それじゃあ俺、幹事やりますよ」 祝賀会の開催が決定すると、翔は早速幹事を買って出た。「うん? 主役が幹事までやるのか?」「ええ。しっかり盛り上げますから」 翔は愛想よく笑うとその場で美桜に近づいて、周囲に聞こえない声で囁いた。その声は、先ほどまでの陽気さとは打って変わって、冷たく事務的だった。「祝賀会の会場予約とかメンバーへの連絡とか、いつも通りめんどくさい雑務全般やっといてくれ。主役はこれから挨拶回りで忙しいからさ」 美桜の多大な貢献は、いとも簡単に「雑務」という言葉に貶められた。◇ 美桜は営業部から自分の部署に戻って、祝賀会の準備リストを作成し始めた。(めんどくさい雑務、か。翔にとっての私は、雑用係以外の価値ってあるのかな) PCに向かう彼女の顔から、表情が抜け落ちる。 少し作業を続けていると、陽斗がやって来た。彼は営業部の騒ぎを遠くから見ていたらしかった。「先輩、お疲れ様です。……さっき、大変でしたね」 彼の言葉は、ただの労いではなかった。美桜が感じていた悔しさを正確に見抜いていることが窺えた。「顔色が良くないです。少し休んでは?」 陽斗はただまっすぐに、美桜を心配してくれている。美桜は目を逸らした。(一条君には、情けない姿を見せたくない。私は先輩よ。心配させたくないし、優しくしてもらうわけにはいかない……) 翔の冷たさにさらされた後で優しさに触れれば、きっと泣いてしまう。後輩の前で泣くなど、あってはいけないことだ。 だから美桜は無理に笑ってみせた。「ううん、なんでもない。ちょっと、疲れてるだけだから」 彼女の拒絶は、陽斗を遠ざけるためのものだった。だがそれ以上に、崩れそうな自分自身の心を守るための、最後の砦でもあった。
last updateLast Updated : 2025-09-21
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12:主役と裏方

 祝賀会の準備という名の「雑務」が、美桜のデスクの上に山積みになっていた。会場候補のパンフレット、ケータリング業者からの分厚い見積書、招待者リストの草案。それらの書類が小さな山をいくつも作り、彼女の領域をじりじりと狭めている。 大量の雑務に追われて、本来の仕事が滞っている。美桜は内心で疲れたため息をついた。 その時、営業部の方向から大きな笑い声が聞こえてきた。 翔の自信に満ちたよく通る声が響く。「ははっ、だからさ、祝賀会のリストアップとかマジで面倒なんだよ。誰を呼んで、誰の席がどうとか。細かいことは全部、高梨に丸投げしちゃったよ。ああいうのは得意だろ、あいつ」 取り巻きの男性社員が、すぐさま追従する。「さすが佐伯課長! 主役はどっしり構えてないと。雑用は部下に任せるのも、マネジメントっすよ!」 続いて玲奈の甘ったるい声が聞こえてきた。「もう、翔さんは主役なんですから、そんな雑務に気を取られちゃダメですよぉ。それにそういう地味で細かい作業は、高梨先輩の『得意分野』ですもんね? 高梨先輩も任されてよろこんでますよ、きっと!」 美桜はキーボードを打つ手を止めた。聞こえてくる会話の一つ一つが、小さな棘となって心を刺す。(雑務。地味で細かい作業……。私が週末を返上して練り上げた会場候補リストも予算案も、あなたたちにとっては、ただの『雑務』なのね) 取り巻きの女性社員の甲高い声が、さらに追い打ちをかけた。「わかるー! 玲奈ちゃんみたいに華やかさがないと、パーティーの企画って感じしないもんね!」「だよな!」 と、満足げな翔の声が続く。「やっぱり玲奈がいると、パッと華やかになるよ。よし、会場の装飾は美桜じゃなくて、玲奈に任せようかな! その方が絶対センスいいのができるだろ」 玲奈の嬉しそうな声が、美桜の耳にはっきりと届いた。「えー、いいんですか?じゃあ、翔さんが最高に輝けるように、私がんばっちゃいます!」 再び響き渡る楽しげな笑い声。 美桜は奥歯をぐっと噛み
last updateLast Updated : 2025-09-21
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13:主役と裏方2

 次の仕事は、数十人に及ぶ出席者のメーリングリストの作成だった。出席者は部署も役職もばらばらで、まとめてコピーはできない。 これだけの相手を招待する翔の人脈に感心するべきか、それとも大して関係のない相手まで招く虚栄心の強さに呆れるべきか。 美桜は首を横に振ると、作業に没頭した。手作業で名前とアドレスを打ち込む単調な作業は、今の彼女にはむしろ好都合だと思ったのだ。 けれど疲労はピークに達していた。目が霞み、肩は凝り固まって痛い。(終わらない……) 焦りと疲労が限界に達しかけた。美桜は一度キーボードから手を離して、逃げるように給湯室へ向かう。 熱いコーヒーを淹れてデスクに戻ると、PCの画面に一件の社内チャットが表示されていることに気づいた。相手は陽斗だった。 カーソルを合わせると、メッセージがポップアップする。『お疲れ様です。先日、情報システム部の方に教えてもらったんですが、このマクロを使うと、社内名簿から一発でメーリングリストが作れるみたいです。ご参考までにURLを共有しますね。先輩の業務も少しは楽になるかと』 美桜は目を見開いた。 陽斗は彼が避けられていることに気づいているのに、助け舟を出してくれた。彼女のプライドを傷つけない「部署全体への情報共有」という形で。(どうして……こんなに見ててくれるんだろう。私、あんなに冷たくしたのに) URLをクリックすると、分かりやすい手順書が表示される。それに従って操作すると、あれほど時間をかけていたメーリングリストが、ほんの数分で完成してしまった。◇ 終業後。陽斗のおかげでなんとか準備に目処をつけた美桜は、オフィスを出ていく彼の後ろ姿を見つけた。感謝を伝えたい、冷たい態度をとったことを謝りたい。様々な感情が渦巻いて、彼女はたまらず声をかけた。「一条君!」 陽斗が振り返る。一瞬だけ驚いた様子の後に、ぱっと輝くような笑顔を見せた。 いつも通りの無邪気な子犬の笑顔。でも今日、彼は美桜を助けてくれた。
last updateLast Updated : 2025-09-22
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14:焼肉大会

 金曜日の終業後。  祝賀会の準備で疲れ果てた美桜は、ようやくデスクで一息ついていた。すると陽斗が少しタイミングを計るように、彼女のデスクにやってきた。「先輩、今週もお疲れ様でした。あの……もし週末、ご予定がなければなんですが」 陽斗の言葉に、美桜は少し身構える。「なあに?」「推理小説家の高城湊の新刊、もう読みましたか? 書評サイトですごい評判になってて。特に今回の犯人の人物造形が、僕たちのプロジェクトのターゲット層の心理分析に、すごく参考になると思うんです」「え、そうなの? それは知らなかった」 高城湊はベストセラー作家で、美桜も愛読している。昔は新刊チェックをしていたのだが、最近は忙しくて見逃していた。「はい。それで、俺も読んでおこうと思うんですが、どうせなら先輩の感想も聞きながら読みたいなって。もちろん、あくまで情報収集と市場調査の一環として、です。もしよかったら、一緒に本を探しに行きませんか?」 陽斗の誘いは、あからさまな「デート」ではなく、あくまで「仕事の延長」という形を取っている。その優しい気遣いが、まだ恋愛に対して臆病になっている美桜の心の壁を取り払ってくれた。「分かった。じゃあ、明日の午後でどう?」「本当ですか!? ありがとうございます!」 心から嬉しそうな少年のような笑顔を向ける陽斗に、美桜の心も少しだけ温かくなった。 ◇  週末の午後、二人は都心の大型書店に来ていた。ずらりと並ぶ本のインクの匂いと、静かにページをめくる音に満ちた空間は、美桜にとって久しぶりの安らぎだった。  共通の作家の話題で、二人の会話は自然と弾む。仕事の時とは違う、陽斗の少年のような笑顔に、美桜は自分の心が軽くなっていくのを感じていた。 書店を出て、夕暮れの賑やかな通りを歩いていく。「夕食、どうしますか?」 陽斗の問いに、美桜は少し考える。翔と同棲しているマンションで、食事の支度はいつも彼女が行っている。  だが最近の翔はほとんど家で食事を取らなくなった。今日も不在で、
last updateLast Updated : 2025-09-22
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15:焼肉大会2

 美桜がその圧に戸惑っていると、陽斗は困ったように笑いながらも、後輩たちの一人の頭を軽く叩いた。「お前らなぁ……。先輩、すみません。こいつら、大学時代のラグビー部の後輩です。良かったら付き合ってやってくれませんか?」 一行は半ば強引に、煙が立ち込める賑やかな焼き肉店へと雪崩れ込んだ。 店内は肉の焼ける香ばしい匂いと、学生やサラリーマンたちの陽気な声で満ちている。「ご注文は?」「食べ飲み放題で」 陽斗が即答する。 山のように運ばれてくる肉の皿、てんこ盛りのご飯、ジョッキで飲み干されるビール。後輩たちの圧倒的なエネルギーに、美桜はあっけにとられていた。(これは確かに、食べ放題以外じゃお会計が恐ろしいことになるわ……) その中心で、陽斗は網の上の肉を管理しながら、後輩たちの話に真剣に耳を傾けていた。 就活に悩む三年生の一人が、大きなため息をつく。「はぁ……陽斗先輩。俺、もうダメかもしれないっす。最終面接まで行くのに、いっつもそこで落とされて……」 陽斗は、良い焼き加減になったカルビを彼の皿に乗せてやる。真剣な目で後輩を見つめた。「面接でガチガチになるって? お前は準備しすぎなんだよ。もっと自信持て。今までやってきたこと、全部お前の力だろ。面接官は、お前の言葉でぶつかってこい」「……そうっすね!」 後輩はハッとした顔で力強く頷いた。 次に恋愛に悩む四年生が、もじもじしながら口を開く。「あの、先輩。俺もいいすか。サークルのマネージャーの子なんですけど、もう半年くらい、何も進展なくて……」 陽斗は呆れたように、しかしどこか楽しそうに彼を見た。「好きな子に告白できない? 馬鹿野郎、そんなんでラグビー部のレギュラーが務まるか。砕けてこいよ。トライと同じだ、迷ったら前に出ろ」(人懐っこい後輩、だけじゃない。ちゃ
last updateLast Updated : 2025-09-23
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16:海と、彼の秘密

 週半ばの水曜日。終業後のオフィスには、週の折り返しを過ぎた安堵の空気が流れている。 美桜が帰り支度をしていると、陽斗がデスクにやってきた。「先輩、お疲れ様です。……あの、この前の週末、すみませんでした。俺の後輩たちが、騒がしくて」 彼は、まだ少し焼き肉屋での一件を気にしているようだった。その生真面目さに、美桜は思わず笑みをこぼす。「ううん、本当に楽しかったよ。だから気にしないで。一条君の頼もしいところも見られたし」 プライベートでは「陽斗君」と呼んだ美桜だったが、会社では名字で呼ぶ。彼女なりのけじめの付け方だった。 陽斗は「頼もしい」というところに反応して、顔を輝かせた。「よかったです。でも、せっかく先輩と出かけられたのに、途中からずっとあいつらのペースだったので……。だから今度の週末、仕切り直ししませんか?」「仕切り直し?」「はい。この前は後輩たちのせいで、ぶち壊しになりましたから。今度は絶対あいつらに会わない場所に行きましょう。たまには、都会の喧騒から離れてぼーっと海とか見るの、どうですか? 少しは気分転換になるかと思って」 彼の「仕切り直し」という言葉の響きが、なんだか可愛らしくてくすぐったい。そして、自分の「気分転換」を第一に考えてくれている優しさが、心に温かく沁みた。 週末の予定を思い出す。翔はやはり不在だった。 彼がどこに誰と出かけているのかは、考えないことにする。「……うん、いいかも。海、ずっと行ってないな」「本当ですか!? じゃあ、決まりですね!」 心から嬉しそうな、少年のような笑顔を向ける陽斗に、美桜の口元にも自然と小さな笑みが浮かんだ。◇ 週末の朝。美桜が待ち合わせ場所に立っていると、滑るように一台の黒い高級ドイツ車が目の前に停車した。 スポーティなタイプの車で、お高いことで有名なメーカーのものだ。 美桜の前で運転席の静かに下りると、陽斗が少し照れくさそ
last updateLast Updated : 2025-09-23
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17:海と、彼の秘密2

 到着したのは、観光地から少し離れた静かで美しい海岸だった。「泳ぐのはちょっと季節外れですね。足だけ入りましょう」 二人は靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくって波打ち際を歩く。「先輩、えーいっ!」 陽斗が子どものように無邪気にはしゃいで、美桜に水をかけた。「もう! やったわね!」 美桜は最初こそ戸惑っていたが、いつしか心からの笑顔で水をかけ返していた。 仕事や翔のことで張り詰めていた心が、陽斗の笑顔と波の感触によって解きほぐされていく。 一通り騒いだ後は、砂浜を並んで歩いた。 少しずつ傾いていく日が、やがて赤みを帯びていく。海を渡る潮風が肌に心地よい。 二人の長い影が砂浜に落ちる中、美桜はふと、ずっと胸につかえていた疑問を口にした。「ねえ、陽斗君。どうして私にここまで良くしてくれるの? あなたはいつも私を助けてくれるけど……私、あなたに何も返せていないのに」 陽斗はぴたりと足を止めた。美桜のほうへまっすぐに向き直る。いつもの人懐っこい笑顔が消えて、真剣な眼差しが美桜を捉えた。 ◇ 「『良くしてる』なんて、思ったことないです。俺は先輩が誰よりも頑張っているのを知っているから、当たり前のことをしているだけで……。むしろ、どうして誰も先輩のすごさに気づかないんだろうって、ずっと悔しかったんです」「え……」 その言葉は美桜の心を強く揺さぶった。 翔は彼女の成果を褒めはしても、その過程にある努力や苦労を認めようとはしなかった。陽斗は誰よりも深く、彼女の価値を理解してくれている。 夕暮れ後、二人は浜辺に寄り添って座り、夏の終わりの花火が始まるのを待つ。最初の花火が大きな音と共に夜空に打ち上がった。 大輪の花が咲くように、夜空が彩られる。 まず、赤い大きな花火が上がった。次にきらきらと瞬く光が散らばる。 緑の花、青の輝き…&hell
last updateLast Updated : 2025-09-24
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18:冷たい部屋

 美桜がマンションに戻ると、リビングに明かりが点いていた。 どうせいないと思っていた美桜は、少し意外に思いながら言った。「ただいま。翔、帰ってたのね」「まあな。お前こそ遅かったじゃないか。どこへ行ってたんだ?」「友だちと出かけていただけよ」 荷物を置く美桜に、翔は疑わしそうな目を投げかけた。「ふうん。まあいいけどさ。晩飯、食いっぱぐれたんだ。何か作ってくれ」「え、今から?」 時間は夜九時を過ぎている。「軽く食べに行くか、デリバリーにしたら?」 美桜の意見に、翔は目を吊り上げた。「お前な、ふざけんなよ! 食事作りはお前の仕事だろうが。最近のお前はたるんでいる。先週も今週も勝手に出かけたんだから、家事くらいやれ!」「勝手に出かけた? 翔が予定があるというから、私も外出しただけで……」「うるさい、口答えするな!」 翔は声を荒げて、手元のビジネス雑誌を投げつけた。ばさりと音を立てて雑誌が美桜の足に当たる。(ああ、もう駄目だ) 陽斗との温かい時間が吹き飛んで、美桜の心は冷たさで満たされる。 本当は、食事作りも当番制のはずだった。美桜は生活費を翔に渡している。生活費は折半で、家事は手分けする。そんな当初の約束が守られたのは最初の数ヶ月だけで、あとはなあなあで美桜が家事を担ってきた。『俺の方が稼いでいる。生活費を多めに入れるから、家事はお前がやれ』 そう言って入れたお金は、美桜よりもたった一万円多いだけのもの。それだけで、食事作りはおろかゴミ出しの一つもしない。「冷蔵庫に食材、ないから。買ってくるね」「マジかよ、使えないな。食べ物くらい用意しとけ。腹が減っているんだ、早くしろ!」「分かった。ごめん、急ぐから」 帰ってきたままの格好で、美桜は再び外に飛び出した。 夜風が冷たく肌を刺す。(どうしてこうなったんだろう。これじゃあまるで……ただの
last updateLast Updated : 2025-09-24
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19:彼の恋心(陽斗視点)

 美桜を送り届けた後、陽斗は一人、夜の首都高を滑るように走っていた。静かな車内に彼女の声がこだまする。『どうして、私にここまで良くしてくれるの?』(どうして、か……。そんなの、決まってる) 陽斗の意識は美桜と初めて出会った、一年前の春へと遡っていた。◇ 新人研修を終えて、営業企画部に配属された初日の午後。分厚い業務マニュアルと意味不明な社内用語の羅列に、陽斗は頭を抱えていた。 途方に暮れていると、教育係である美桜がデスクにやってきた。彼女は分厚いマニュアルを一瞥すると、少し困ったように微笑んだ。「それは読むだけで疲れちゃうよね。これを見て」 彼女は一冊の薄い手作りのファイルを差し出した。 表紙には、『営業企画部へようこそ:一条陽斗さん用スタートアップガイド』と、彼女の丁寧な字で書かれている。 陽斗がそのファイルを開くと、すぐさま衝撃が走った。 複雑な業務フローが直感的に理解できる一枚のフローチャートに。意味不明だった社内用語が、平易な言葉で『翻訳』された辞書に。そして主要メンバーのリストには、「〇〇部長:報告は、必ず結論から」といった、人間関係を円滑にするための的確なアドバイスまで添えられていた。 陽斗は言葉を失った。 彼は実家の仕事の関係で、これまで数多のビジネス資料を見てきた。しかしこれほどまでに相手の立場に立って、情報を再設計し、最短距離で理解へと導く資料は、見たことがなかった。 単なる「仕事ができる」というレベルではない。相手への深い洞察力と思いやりがなければ、決して作れないものだった。「高梨先輩。これ、全部先輩が作ったんですか……?」「その方が、一条君が早く仕事に慣れると思って。分からないことがあったら、いつでも聞いてね」 この瞬間、陽斗の中で美桜の印象は完全に変わった。物静かな見た目の奥に、とてつもなくクレバーで優しい心を持つ女性がいる。その発見は、尊敬と同時に陽斗の心に淡い恋心を芽生えさせた。 その小さな
last updateLast Updated : 2025-09-25
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20:彼の恋心(陽斗視点)2

「佐藤さん、どうかなさいましたか? もしよかったら、お話聞きますよ」「高梨さん……。そんな、話なんて……」 首を振る佐藤に、美桜は辛抱強く付き合った。「実は、うちの孫が難病になってしまって。手術のために、高額のお金が必要なんです」 やがて佐藤は心を開いて、事情を打ち明けた。途切れ途切れに言う。「息子夫婦は看病に付きっきりで、下手をしたら勤め先を解雇されるかもと。私の主人はもう亡くなっているし、パート代だけではとても回りません。もうどうしたらいいか……」 陽斗は、物陰から息を殺して二人を見守っていた。(そんな話を聞いてしまって、高梨先輩、どうするつもりなんだ……) 美桜は話を聞き終わると、タブレットを取り出した。 彼女は、佐藤が知らなかった公的な医療費助成制度や、支援を行っているNPO法人のリストを、その場で調べて表示し始めたのだ。「佐藤さん、こういう制度があります。申請が少し複雑ですけど、私が書類の書き方、お手伝いしますから。後でまとめて印刷しておきますね」 さらに美桜は、財布から一万円札を一枚抜き取って小さな封筒に入れた。佐藤さんの手にそっと握らせる。「これは今夜、ご自身のために温かいご飯を食べてください。佐藤さんが倒れたら、お孫さんが一番悲しみますから」 陽斗は、雷に打たれたような衝撃を受けていた。 自分自身も翔のせいで疲弊しているはずの彼女が、社会的に立場の弱い人に対して、感傷ではなく具体的な知恵と、時間と、身銭を切って助けようとしている。 それは彼が育ってきた結果と利益が優先される世界には存在しない、深い優しさだった。美桜の行動は、単なる「良い人」なのではなく、他者の痛みを本気で解決しようとする「強さ」の現れだった。(ああ、この人だ……) 恋心はこの瞬間、「この人の優しさが報われる世界を作りたい」という、強い「誓い」に変わった。◇
last updateLast Updated : 2025-09-25
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